4-1裏.『正しいこと』の難しさ
その日の『未知と幻想の箱庭』の休憩時間。
俺は小糸さんに軽く挨拶を交わし、ほんのりとした幸福感を胸にロビーのソファーへ腰を下ろしていた。
広々としたロビーには柔らかな照明が落ち、ガラス越しの外光が床に淡い影を落としている。
静かな空間の中、プレイヤー達がそれぞれ思い思いに休憩を取っていた。
そんな中、数人の男女がこちらへ歩いてくる。
学生の俺とは違い、いかにも社会人という雰囲気の人達だ。
服装はカジュアルだが、どこか上品な襟付きシャツ。靴や時計もさりげなく高そうで、俺の格好とはやっぱりどこか違う。
少しだけ肩身が狭い気分になる。
「やあ、どうも」
男の一人が気さくに声をかけてきた。
別に威圧されたわけじゃない。
なのに、妙に圧を感じてしまうのは……たぶん俺が学生だからだろう。
「どうもです。プレイヤーの方ですか?」
「そうだよ。君もかな?」
「そうです」
男は「失礼」と軽く断ってから、俺の向かいのソファーへ腰掛けた。
自然な動作で、もう一人の女性も隣に座る。
話題は当然、『未知と幻想の箱庭』で生成している世界についてだった。
男性は篠原さん。
女性は新田さん。
二人は同じ会社というわけではなく、たまたま同じ時期にゲームを始めたらしい。
それから何度か顔を合わせるうちに、一緒にプレイする仲になったとのことだ。
……っち。
なんだか楽しそうじゃないか。
イチャイチャしやがって。
「お二人は、どんな世界で遊んでいるんですか?」
気になっていたことを聞いてみた。
このゲームの新環境については、まだネットにも情報がほとんど出ていない。
他のプレイヤーがどんな世界を作っているのか、単純に興味があった。
「私はよくあるファンタジー世界さ」
篠原さんは穏やかな笑みを浮かべながら言った。
「その中で、好きなように『正しい』と思えることをやっているよ」
「『正しい』こと、ですか?」
「ああ」
彼はゆっくり頷いた。
「現実ではね、『正しいこと』をするのは意外と難しい。
自分が正しいと思っても、それが本当に正しいとは限らないからね」
確かに。
「でも、この仮想世界では違う。
プレイヤーは、ある意味で絶対的な存在だ。自分の信じる正義を、誰にも遠慮せずに実行できる」
なるほどな。
仮想世界でプレイヤーは真の意味で万能の存在。
俺はわざと情報を制限しているから失敗や見落としも多いけど、普通はそんな必要はない。
自分の思う通りに行動し、思う通りに成功する。
それは確かに、いいストレス解消になるだろう。
「私はね、もっと平和な世界よ」
新田さんが楽しそうに笑った。
「可愛い世界で、のんびり暮らしてるの。ぬいぐるみ達がてくてく歩いてて、すごく可愛いのよ」
戦闘のない世界。
動物や、動くぬいぐるみと一緒に生活する世界らしい。
仮想世界では物理法則に縛られる必要もない。
好きなものが好きな姿で動き回り、それに囲まれて暮らす。
……それも確かに悪くない。
悪くは無いが、俺は断然――
バリバリの戦闘世界派だけどな。
「ところで……幾瀬君はこんな噂を知っているかい?」
篠原さんが、少し声を落として言った。
「どんな噂です?」
「この施設のテストプレイヤーは、どうも“意図して選ばれている”らしいんだ」
詳しく聞いてみると、どうやら性格面で選抜されている可能性があるらしい。
暴力的だったり、破滅的なプレイを好みそうな人物。
あるいは欲望をむき出しにするタイプの人間。
そういう人達は避けられ、代わりに
・基本的に平和志向
・純粋な好奇心を持つ
・プレイ内容を外部に発信しない
そういうタイプの人が選ばれているのではないか――という話だった。
……確かにこの設備は凄い。
本当に、とんでもないレベルの技術だ。
それなのに、詳しい情報は驚くほど表に出ていない。
理由を考えるなら、単純だ。
この設備で問題のある遊び方をされたくないんだろう。
いくら制限があるとはいえ、抜け道がないとは限らない。
テスト段階でトラブルは避けたいはずだ。
ただ、憶測でしかない話なので、話は深く続かない。
篠原さんと新田さんと、しばらく他愛のない話を続けた。
気づけば俺の休憩時間も終わりだ。
「それじゃ、そろそろプレイに戻ります」
そう言って席を立つ。
無茶な世界か……。
確かに最初は、そんな世界も少し考えた。
好き勝手に暴れて、世界を壊してみる。
そういう遊び方だって、きっと出来ただろう。
でも今は違う。
今はただ、この世界の流れを見ているのが楽しい。
そして――きっと、それでいい。
世の中は不条理で、悪に満ちていると言う人もいる。
だけど。
ゲームの中くらい、正義を貫いたっていいじゃないか。
「さぁて……次の時代はどうなることやら」
次の歴史を眺めるため、俺は仮想世界へと潜った。
「よく来たのじゃ、ワタル」
いつもの声が俺を迎えた。
ヒガンだ。
赤い長髪に、彼岸花をあしらった白いワンピース。
小さな体で、いつも通り偉そうに胸を張っている。
その姿は夏の空気によく似合っていた。
……まあ、この世界に季節なんて関係ないんだけどな。
「今日もよろしくな、ヒガン。で、世界はどんな状況?」
女王トゥエルノーラの統治が始まってから、俺は適当に年代を飛ばして観察している。
大きな出来事が起きれば、ヒガンが教えてくれる仕組みだ。
「あれから約六百年が経過しておる」
ヒガンは指を鳴らし、空中に光の画面を展開した。
「王は何度も代替わりし、世界の様子はかなり変わっておる」
「良い方向に?」
「……残念ながら、悪い方向じゃな」
ヒガンは小さく肩をすくめた。
「今は言わば末期状態。歴史の転換点とも言える時期じゃ。どうする?」
あの女王は本当に優れた統治者だった。
それなのに、数代変わっただけでこの有様か。
世界の神としては……ちょっと悲しい。
まあ。
神韻残響の減少が、能力だけじゃなく人格にも影響しているのかもしれないけど。
俺は専用ソファーにどさりと腰を落とした。
少しだけ考える。
「キーマンとなるキャラをピックアップしてくれ。できれば女王トゥエルノーラの国の中で」
ヒガンはホログラムモニターを展開し、三人の顔を表示した。
「一人は現ウェルザルト王国の国王ゼルファウス・ウェルザルト。こやつは悪側のキャラじゃな」
モニタに映し出された端麗な顔の男を見る。
かなり冷たい印象を受けるが、かなりのイケメンでどことなくトゥエルノーラの面影があった。
俺はこういう出来そうな奴に、何だか引け目を感じてしまう。
「次はそのウェルザルト王国でレジスタンスのリーダーをしているダーリオン。考え・行動・力共に優秀な奴じゃな」
次に映し出された中年男性を見る。
整ってこそいないが、精悍な顔立ちで頼りになりそうな兄貴だ。
今回はコイツの下で活動してみるのも悪くないかもしれない。
「三番目の男はエルデ・ランスパート。今は田舎で燻っておるが、いずれ出発し大きな役目を果たす可能性が高い」
映った男は大人と言うにはまだ少し早い、熱血漢溢れる男だ。
どことなく、篠原さんに似ている気がする。
プロフィールを確認すると、世界に向かって立ち上がり、不幸な今の体制を正したい感じだ。
「正義を成す……か」
現実では難しい正義のあり方を、この世界で実行する。
エルデはそれをやろうとしていた。
「……いいだろう」
俺は勢い良くソファーから立ち上がった。
そうだよな。
この仮想世界でぐらい、正義を成してみたいよな。
「ダーリオン、エルデ」
俺はモニターの二人を見据えた。
「今回は、この二人を中心に見ていこう」




