雨宮 葵①
高校は物語が生まれる格好の場だ。恋愛、青春、ミステリー、異世界に行ってファンタジー。しかし期待してくれた方々には申し訳ない。この物語の主人公はおそらく...。僕にスポットを当てたところで...
「村松おはよう!雨宮くんも」
「おはよっ」「...おはよ」
彼は猫も驚く様な猫背のまま自分の席に着いた。同時に村松が彼の前に座り振り向いた。彼は雨宮 葵 雰囲気は少し地味な感じで長い前髪に隠れているが、顔立ちは悪くない。
僕は高校2年生、帰宅部で世に言う主人公とはほど遠い人間だ。小2にしてサンタさんの正体を暴いた僕の目はその時から濁り始め、アニメや漫画は所詮創作物、奇跡も魔法も...現実には存在しないと割り切れるようになった。いや、なってしまった。
目の前にいるこいつは僕の唯一腹を割って話せる友達の村松だ。人当たりがよく、クラスの中心にいてもおかしくないような存在で、見た目も良い感じらしい。(盗み聞きしたクラスメイト談)まさにザ・主人公のような奴で僕とは真逆のようなイメージかもしれないが好きなゲームの話で馬が合い、今ではこうして一緒に登校している。
「昨日のアレみたか?あんなの見ると彼女が欲しくなるよなぁ」
アレというのは昨夜最終回を迎えたラブコメアニメのことだ。主人公は地味で目立たないが、ある日転校してきた美少女に一目惚れされ恋愛が始まるという物語。その後ライバルや将来など様々な障壁が2人の前に立ちはだかるが、全24話をかけて無事乗り越えていった。村松は第1話を見てこのアニメにどハマりしたらしく、半ば強引に僕に布教してきた。
「アレか、やっぱり僕はあんまりだったな」
「おいおいまたリアリティがないとか言っちゃうのか?相変わらずの評論家だな。」
奴はSNSをスクロールしながら皮肉まじりにそう言った。どうやら名シーンのキャプチャ画像を振り返ってるようだ。
「ふぅ...余韻終了っと。ちなみに葵は恋愛始まる予定ないの?」
「僕には無理に決まってるだろ、恋愛なんて縁がないよ。最後に女の子と会話したのなんて入試で隣の子に消しゴム貸したときくらいだぜ?」
彼は小声で呟くように言った。
「会話なら委員長は挨拶してくれるだろ?さっきだって」「あれは会話とは言わないよ...それに僕はついでみたいなもんだったろ」
「ならその入試の女の子との運命的な再会とかは?あの時は助けて頂いてありがとうございました...的な」
冗談混じりにオーバーなジェスチャーを交えながら言った。
「助けたって消しゴム貸しただけだぞ、覚えてるはずないだろ。それにそこから恋愛に発展するなんてそれこそリアリティがない」
「いやいや現実だぞ...それにそれはお前がネガティブなだけな気がするけど」
村松は再びスマホをいじり始めた。確かに紛れもない現実だ。だからこそご都合展開は起こらない。
...とは言ったものの僕にも想う人はいる。きっかけはなんてことない事だった。図書室に好きな文庫シリーズを読破しようと通っていた頃、委員として誠実に仕事をこなす彼女を見て憧れるようになった。でも一方的な想いは恋愛じゃない。
彼は由紀の席をちらりと見た。
「...じゃね!」
大友健が彼女の机を離れ教室を出ていった。
彼女は今学校の人気者の大友からアプローチを受けている、まさに今リアルなラブコメが始まろうとしてるのであろう。(コメディと言うのはちょっと語弊がありそうだが。)日陰者が奇跡的にヒロインと結ばれるというのはありえない。視線を村松の方に戻しソシャゲのアップデートについて話した。
朝のホームルームが終わり今日も変わらないありふれた日常が始まる。
「朝から体育かよ。だるいなぁ...いこうぜ」
「あぁ」
彼らは上履きを持って気だるそうに教室をでた。
帰りのホームルームの終わりから約1時間後、帰宅部の僕は部員として誠実に活動をこなす為、即帰宅する...訳ではない。自主室を後にし教室へと向かった。
僕は放課後の教室が好きだ。人の気配はするのに誰もいない。そんな教室で黄昏つつ本を読むのが僕の趣味。まるで物語の主人公になった様に感じる。長い1日を終え、僕の至福の時間が始まる。
彼は後方のドアを開け教室に入った。
僕はもう教室は無人と思い込んでいたが入ると同時にいきなり2つの視線を感じた。佐倉さんと委員長!?しくじった、この時間はもう誰もいないと思ってたのに。どうしよう...でもすぐに教室をでたら不自然だ。
彼は自分の席に座り本を読み始めた。
僕は持ってきた本をひたすら読もうとした。続きを読むのを楽しみにしていたはずなのに内容が頭に入ってこず、ほとんど読むふりだ。彼女達に、佐倉さんにどう思われてるのだろう。いきなり教室に入ってきたと思えば本を一心不乱に読む。完全に変人だ。それでも僕は動揺を悟られない様に平然を貫いた。...が。
彼の首は次第に傾いていき、最後には机に突っ伏した。
「...っ、あのっ」
「うっ」
僕は重いまぶたを開けた。色々な事を考えているうちに眠っていたようだ。それにしても僕を現実へ呼び戻したこの声は...
「あのっ、もう時間だよ、閉じなきゃ」
由紀は彼の体をさすり、半ば強引に起こした。
...佐倉さん!?なんでっ...!...っ!僕は瞬時に状況を理解した。寝落ちしたのだ。いきなり教室に入ってきて...本を読んで...変人確定だ。言葉が見つからずどぎまぎしていると彼女が僕の持つ本を指した。
「あっ、雨宮くんもこの人の本読むんだ。霞ソウ先生...私もこの人好きなんだよね。この人のミステリー」
霞ソウ。ここ数年で突如現れた新人作家だ。その素性は謎に包まれておりメディア出演も一切していないが、噂では僕らと同年代の高校生作家である。次世代の文学を支える主人公であると世間ではもてはやされている。
彼あるいは彼女の紡ぐミステリーは非常によく設定が練られており、序盤から終盤まで常に盛り上がり所があるようだと評価されている。その一方で青春小説は筆休めの時期に書いているだとか、先生が次の作品を執筆するためのメモ書きにすぎないだとか世間では不評の様である。
「僕はこの人の青春小説も好きなんだ」
「そっちはあまり読まないかな。だって盛り上がりが少ないし少し退屈。物語なんだからもう少し起承転結が激しくてもいいと思うし...」
「そこが好きなんだ!」
彼女の言葉を遮ってしまい、若干の躊躇いがあったが主張を続けた。
「憧れの子との奇跡的な恋愛も先生と生徒の禁断の恋愛もない、ありふれた日常で葛藤する主人公。その妙なリアリティが好きなんだ!今は最新作の上巻を読んでて、下巻はもうすぐ...」
普段の彼からは考えられない程のはっきりとした声が廊下まで響き渡った。
...しまった1人で喋りすぎた。彼女は引いていないだろうか。僕は彼女の顔をおそるおそる見上げた。
由紀は微笑んでいた。でもこれは困っているわけでも引いているわけでもなく心からの微笑みだ。
「雨宮くん、面白い人なんだね。私もっと普通な人だと思ってた」
彼女は穏やかな笑みでそう言った。
「...ひどいよそれじゃまるで僕が変人じゃないか」
複雑な心境で感情の表現に迷っていた時、委員長がどこからか教室に戻ってきた。
「由紀?帰るよ。あっ雨宮君またね」
「ふふふ...変人だね、いい意味で。それじゃまたね。あっ、施錠よろしく」
彼女はそう言って教室を後にした。僕のありふれた日常では非現実的なことは起こり得ない。しかしそんな日常、もう少し期待しても良いのかもしれない。