85 羽化と孵化
「──お初にお目に掛かります。私はニナ様の忠実にして有能な執事、ローゼン・アルデラド・オルステッドと申す者に御座います」
「執事? ニナだぁ? 誰だよそいつ、俺様になんか用でもあんのか? 喧嘩なら買ってやるが」
丁寧な自己紹介をするオルステッドに対して、アベルは乱暴な物言いで剣を構える。
「いえいえ、滅相も御座いません。貴方様のようにお強く、聡明で、勇猛な方に喧嘩を売ろうなどと……私はただ、"そちらの方々"に伝えなければならない事があるだけです。勿論、貴方様の貴重なお時間は取らせませんので」
オルステッドは堂々とした足取りでアベルの横を通り過ぎようとするが、そんな彼の首元にすぐさま磨かれた刃が添えられた。
「誰が通すかよ。芝居をするならせめて殺気を隠してからにしろ、ガキが」
「……意外ですね。そちらの少女達がどのようにして死のうが、貴方様には関係の無い話では?」
「そうでも無いんだな、これが」
アベルが得意げに口角を上げる。それに釣られたように、オルステッドも口元に親指を添えて意地悪に笑った。
「ふぅむ、困りましたね。私これでも腕には自信があるのですが、相手がかの有名な"墨塗りの月"ともなると少々旗色が悪い」
「あ? かはは……その呼び名を知ってるのは、昔の仲間だけのはずだが。オメェの雇い主は誰だ?」
「ニナ様です」
「だーからそいつは知らねぇっつってんだろうがッ!」
逆上したアベルはオルステッドの身体をいきなり斬り付ける。まるで据物斬りの練習台にされたかのように真っ二つに分かれたオルステッドは、しかし余裕の笑みを湛えたまま地面に崩れ落ちた。
「ごはっ……! なんという美しい太刀筋、さては全く衰えておりませんな? これはまずい、話が違う! 私の勝てる相手ではありませんな!」
「まだ生きてんのか? こりゃあ不死身、いや不滅の能力を付与されてるのか? 厄介なガキ、どんだけ金持ちなんだよ」
「ええ! 資金だけは潤沢ですよ、私はァ!」
一瞬にして全身を再生させたオルステッドは血溜まりから飛び出してアベルの心臓を抉ろうとするも、同じく一瞬にして四肢を切断され、あえなく地面にばら撒かれた。
「諦めろ、オメェは俺様と相性が悪い。不滅の肉体にかまけて適当な攻撃を仕掛けてくる奴に俺様が後れを取ることは有り得ねぇぞ」
アベルはまるで道端に散らばった吐瀉物の残骸でも見下すような冷徹な視線をオルステッドに向ける。二人の間には隔絶された実力差があるようで、このまま何度戦い続けたとしても勝敗は明白だった。
「いやはや、なんとも素早い。私が見てきた何者よりも速く、精巧で、遠慮が無い太刀筋でした、貴方様は剣術の天才であらせられる。──しかし"それだけ"だ。そんなものは所詮は喧嘩の範疇に過ぎません。殺し合いには不要な技術だ」
「あぁそうか? 話長くて何言ってるか分かんねーわオメェ」
「貴方を、殺す」
「わかりやすっ」
殺意を明確にして直線的な動きで襲い掛かるオルステッド。彼は当然のようにアベルに斬り伏せられるが、すぐに全身を再生させて次の攻撃に移った。
「──もう一度、参ります」
「鬱陶しいな! 何度来ても同じだボケが!」
アベルはとても肉眼では捉えられないような速度の斬撃を連続で放つ。その度にオルステッドは致命傷を負うも、全くもって意に介さない。
「まだまだ参ります」
「うぜぇぇ! まさかここで何日でも粘るつもりか!?」
「いえ、実を言うと私も時間が惜しいもので、あと数時間で終わらせるつもりです」
オルステッドは不敵に笑いながらまた斬り殺された。根拠も無く戦い、意味も無く死んでいく……いかにオルステッドが不死身だとしても、そんな事が有り得るのだろうか。勝ち目のない戦いをいつまでもズルズルと続ける、彼は、そんなにも考え無しな人間だろうか。
「──っ!」
初めて、アベルが表情を崩した。何度目かも分からずオルステッドの首を落とした彼は、背後から来るもう一人の刺客に気付いたのだ。しかもその相手はオルステッドと同じ顔をしていた。
「なんだ、オメェは!?」
「私はニナ様の忠実なる──」
「うるせぇ! 死んどけクソ虫が!」
どこかで聞いた自己紹介を始めようとした男に、アベルは剣を突き立てる。だがそれと同時に、彼の両脇から新しく"二人組の男"が同時に飛び掛ってきた。その二人もまたオルステッドと同じ顔をしている……というか、もうオルステッドそのものだった。背丈も、格好も、戦闘方法も、不死身の能力まで完全に同一だ。
「寄ってくんじゃねぇ雑魚共! 畜生っ、こいつらまさか……!?」
「お気付きになられましたか? 実を申しますとこのオルステッド、過去に不死身同士の対決で苦戦を強いられましてね。その際の経験を生かして、このような戦法を編み出したのです」
アベルを取り囲む、十名余りのオルステッド達。それらは分割されたオルステッドの肉片のそれぞれから復活した完全な個人であり、言うなれば"全員が本人"だ。
彼は、考え無しの男だっただろうか? 結論から言えば、オルステッドは愚鈍な男である。頭のデキは人より悪く、勝手な行動が目立ち、くだらない失敗が非常に多い、しかし決して考えない男ではなかった。むしろ行動よりも先に考え、作戦を立て、それから実行に移す。そんな男だった。──そのオルステッドが、苦戦や敗北を連続して経験したことで能力の不足を感じた。だからこそニナの前から姿を消して自分を変えたのだ。文字通りに。
今の彼は一人のちっぽけな人間ではない。かつてゴミ処理場の用務員を任されていたメトゥの能力を参考にして自己増殖の手段を確立し、無限に増殖する不滅の怪物へと変貌したのだ。それは"オルステッド"という個人としての意思を捨て、"主人の為"という統一した意志の元に生きると決めたからこそ成し遂げられる所業。狂気すら超えたおぞましい人間性の捻れを持つ、彼にしか出来ない絶技である。
「人間を捨てたか……さっきオメェをガキだと侮った事は謝るぜ。ここまで覚悟のキマッた男は久々に見た」
「滅相もない、私は無能な男です。何一つととしてニナ様のお役に立てず、あの方のささやかな恋を応援する事すら叶わない。しかしそれでも従者の意地というものがある。くれぐれも人間のまま勝てるなどと思わぬ事です、"墨塗りの月"」
……そう、人間を辞めているのはオルステッドだけではない。この場にはもう一人の怪物が居た。
「俺様の名前はアベルだ。そんなワケの分からん異名じゃねぇ」
しかし怪物は、あくまでも人間に拘った。




