81 シィの涕
「どーしてこんな所を歩いてるんですかぁ貴方は……ねぇ、イチさん?」
俺はいつぞやぶりにハバロと対面した。相変わらずおかしなテンションで喋る男だ。正直言ってかなり苦手な相手である。
ちなみに俺が何故ここに居るのかと聞かれれば、フィオナの"エコロケ機能"に反応があったから見に来たのだが……そんな事を一々説明するのも面倒だった。
「別に、今日はよく掃除屋と鉢合わせる日ってだけです。さっきもキリガって人に会いました」
「質問の答えになってませんねぇ、貧乏人はアタマ悪くて困りますよぉ? 重要なのは目的です。貴方こんな所で何してるんですかぁ?」
「仲間とはぐれてて絶賛迷子中なので、ただ普通に合流しようと奔走してるだけです……でも偶然、もう一人の迷子の仲間を見付けました、たった今」
俺の視線はハバロの足元に蹲る少女に注がれる。見まごう筈も無い、あれはシィだ。しかし明らかに様子がおかしい。小刻みに震えていて、俺の声も聞こえていないようだった。
「あー、あぁぁぁ、コレ? シィさん? 連れて行きます? どうぞどうぞ、僕は止めませんよ? 邪魔もしません。何もしませんから」
「……もう既に、何かした後みたいですけどね」
「ええそうですね、でもコレが悪いんですよぉ? なんと魔物に変身して襲って来たんです。人間様に仇なす外敵は駆除するべきかと思いまして……はい、止むを得ず少しだけ、壊しましたぁ」
ハバロは俯いて指先の爪をいじくりながら、ふてぶてしく弁明する。まるで子供だった。
「あんたは結構マトモな人だと思ってたんですけどね……?」
「マトモ? はあ、居住区がこんな状態なのにそんなコト言ってる貴方の方が異常なんですよ。もうみんな狂いました。そして、間もなく全員死にます」
「みんな似たような事ばっか言って……まだ死んだ訳じゃないのに何をそんなに諦めてるんですか? 一級掃除屋が来るのがそんなに怖いんですか」
「怖いか、ですって? ええ滅茶苦茶に怖いですよ。今にも小便漏らして泣き出しそうですが? 貴方は知らないだけだ、アレがどんなに気色の悪い怪物か」
珍しくハバロが気分を害したように眉を顰めて、ゴロゴロとした石ころのような眼球で睨み付けてきた。
「一級だろうと何だろうと、一つの個人である事に変わりは無いじゃないですか。それなら逃げる事くらいできますよ」
「へえ、では参考までに、イチさんが何処に逃げ込むつもりなのかお聴きしても?」
「秘匿された迷宮の深層に」
「──はっ。なるほど確かに、一番現実的ですかね。自信過剰も頷ける……しかしどんなツテがあると言うんです?」
なんだ? ハバロのこの態度、俺に、助かる方法を喋らせようとしている?
「ツテなら、空間転移の魔術が使える男がいます」
「あぁ? 男なのに魔術が使える? その方の名前は?」
「アベルと名乗っていました。自称六十歳の不気味な老人です」
「そうですか……なるほど、なるほどぉ」
ハバロは一人で納得して自分の思考の世界に入ってしまった。そこに俺は、さっきから持っていた違和感をぶつけてみる。
「あの、もしかして、ですけど。俺たちと一緒に着いて来るつもりだったりします?」
「へ? いえ、それだけは遠慮しておきます。むしろ僕は一人でここに残った方が、まだ多少は生き残りやすいので」
勘が外れた、俺はてっきりハバロも相乗りしたいのかと思ったのに。だがそれなら好都合だ。シィの様子を見るにハバロが同行するのは彼女にとって相当なストレスになるだろうから。
「なら、俺はもう行きます。シィをこちらに引き渡してください」
「あぁハイ? それならどうぞご自分で、ご勝手に持って行ってくださいよ。それと、僕から一つだけ忠告をあげますが──大人と女性はあまり信用しない方が宜しいですよ」
「大人と、女? それはどういう」
「忠告は忠告です、意味なんてありません。ただ警戒するに越したことは無いでしょう? 貴方は少し無防備すぎるようですし」
そう言ってハバロが自分の上着をバサリと開くと、その服の中へと、何やらドス黒いモヤが吸い込まれていった。……なんだ、あの黒いのは。俺が気づかなかっただけでずっとこの辺りを漂っていたのか?
「ふっ。それではぁ、お気を付けてぇ」
最後にハバロはいつもの間延びした不愉快な口調で、心にも無いエールを贈りながら去っていった。何がしたかったんだろうあのヒト。
「いや、そんな事よりも」
一旦余計なことは頭から排除して、俺はシィに駆け寄る。しばらく見ないうちにシィの姿は少しだけ変わっていた。まず全身にあった打撲や、締め跡などの自傷痕が消えている。それに服装が露出の多いパンクなものから、地味な薄い白布を一枚被せたものになっている。まるで何処かの実験施設から逃げ出してきたかのようだ。
いや、事実としてそうなのかもしれない。横から見たシィの顔面は血色が失せ、ひび割れた人形のような風貌をしている。
「おい、シィ! 大丈夫か? 俺がわかるか?」
「……ぁ、あ、…………」
ポツポツと喉から掠れた音を発するシィ。やはり、駄目なのだろうか。キュウやハキリと同じように、彼女も変わり果ててしまって、もはや俺の事など覚えていないのではないか。
俺はシィの虚ろな顔を覗き込み、目を合わせた。よくよく見ると、彼女の目元には泣き腫らした跡がある。紅を差したように、どこか蠱惑的に色付いたシィの目尻に俺が気を取られていると……死人のような顔をしていたシィの瞳に一瞬だけ光が灯った。その光は火花のようにチカチカと点滅し、やがて古い電球のようにパッと明るくなった。
「…………ぉ? ぇっ!? あ、あぁっ!??」
シィが突然慌てふためいて、声を上げながら俺の顔を両手で掴みあげた。──凄い力だ。とても人間の握力とは思えない。ましてや指先に障害を持つシィが何故こんなチカラを?
「痛たたたた!? やめ、止めろっ! 何してんだ!?」
「うそ、うそだ……そんな、居るわけない……ここに、センパイ?」
ぐちっ、と嫌な音を立ててシィの指が頭蓋にめり込む。不死身じゃなければ死んでいたかもしれない。
「俺を覚えてるのか!? き、記憶があるなら良いんだ……だから、ちょっと、力抜いて話せないか?」
「ぁ、は、はい…………」
シィは柔らかく微笑むと、指から力をゆっくりと抜きはじめ、
「いや、違う!」
よりいっそう、深くまで指を突き刺した。もはや俺の頭部には指十本分の穴が開き、ドバドバと血を流している。シィの暗い赤色の瞳は、俺を刺殺すように鋭利に睨み付けた。
「せ、センパイが、こんな所に居るわけない……! わ、私を。こんな"おかしい私"を、迎えに来てくれる訳がない! 偽物……タチの悪い! この私に向かって! よりによって、センパイのニセモノがぁッ!」
「は? な、何言ってんだお前!?」
「死ねぇええええええええ!!!」
まるで激痛に耐えるような悲愴な怒りと、嘔吐にも近い憎悪をドブ底で混ぜ合わせた表情を浮かべたシィは、金切り声のような甲高い絶叫を上げて、俺に強烈な頭突きをかました。
お互いの頭蓋骨が音を立てて粉砕し、俺の体は勢い余ってぶっ飛ばされる。シィの指が刺さっていた箇所には、獣の引っ掻き傷のような十本の赤い線が走った。
「ぐ、ぁがあっ……!? ち、畜生! お前! 冷静になれよ! 俺なんかの偽物が、この世に存在する訳ないだろ! 何の得があってそんな事するっていうんだよ!!」
「ぶち殺す! この、さっきから匂ってくる"異臭"の原因は、お前だッ!!」
訳の分からない事を叫びながら、シィはその二本の足で不気味に立ち上がった。
「た、立ったぁ!? シィお前、立てるようになったのか!」
「オエェッ! コイツっ、白々しいんだよゴミカスッ! 何処まで私のコトを調べた!? 私と、センパイとの、"最後の繋がり"まで侮辱しやがってェ!! 進化教団の、ォェッ! 手先だろうが! オマエッ!」
あまりの怒りに内蔵が裏返っているのだろうか、シィは時折苦しそうに嘔吐きながら憎しみを撒き散らす。何が何だか分からんが、とにかく話の通じる状態では無いらしい。……戦うしかないのか?
「いい加減にしろ! シィ! あんまし駄々捏ねるんだったら俺にも考えがあるぞ! 俺にお前を、撃たせるな!」
俺はフィオナの引き金に指をかけ、シィの完治した脚に向ける。
「それだよ、それ! その、気色悪い銃! そこから女の内臓の匂いがする、淫売の匂いだッ!! センパイがそんなモン持つかぁ! それにオマエの内臓からも、プンプンするんだ、蟲クサイんだよ! 雌のゴキブリみたいな、厭らしい卵生生物のフェロモンがさァッ!!」
──女の内臓? 蟲!? まさかフィオナと寄生虫の事か? そう言えばどちらもシィと最後に別れた後から手に入れたものだ、そのせいで疑われてるのか!?
「薄汚い嘘……いや、ドス汚れた嘘を、ゲロみたいに吐きやがって! 反吐クサイんだよ! 中途半端に、センパイをチラつかせやがって!」
惜しげも無く怨嗟を振り撒くシィ。ガタガタと痙攣するその身体は、次第にブクブクと泡立ち、膨れ上がり、薄い布切れの服を捲り上げる。その肉体はまるで芋虫が蝶になるようにして変態し、数多の魔物の要素を詰め込んだ悪意の集合体になった。ハバロが言っていてのは、この事か……!
『──こ、コゴッこ! ぐぃ、殺してヤル! オマエも、細切レにすれバさぁ! センパイにチットモ似なくナルだろォッ!?』
巨大な魔物から聞こえてくるのは、怒りと憎しみ、そしてそれらを覆い潰して余りあるほどの悲痛な悲しみだ。嗚咽とも慟哭とも付かない泣き声は、どこまでいっても聞き馴染んだシィの声色だった。




