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78 命令権

 

「キリガ、命令だ……《俺を殺せ》」


「──っ!」


 キリガと呼ばれた女性は命令を受けた瞬間、ほんの一呼吸の間すら与えずに左手でノリスの首を刎ね飛ばした。


「下衆が、地獄に堕ちろ」


 彼女は肩で息をしながら吐き捨てるように言う。


「あー、やっぱり仲悪かったのか」


 なんとなく分かっていたが、どうやらキリガはノリスに裏切られて玩具にされていたらしい。その憎しみに満ちた目を見れば分かる。彼女は片腕でなんとか上体を起こすと、左脚を失った下半身で割座(わりざ)をして俺に一礼をした。


「貴方のおかげで助かりました。こんな格好で申し訳ないのですが、心から感謝を。……是非、名を教えて貰えますか」


「え、イチです」


「イチ殿……畏まった口調は不要です。貴方は、私の恩人なのですから」


「あ、はい──じゃなくて、うん」


 敬語を使った瞬間にえらい殺意を向けられた。この人、本当に四級掃除屋か? とてもそうは見えない。もしかしたら彼女は何らかの理由で降格したのもしれない。──というか、仮にそうだとすると理由は一つしか無いな。


「……さっきそこの先輩が死ぬ前になんか命令してたけど、あれが呪刻?」


「ええ。あのように誰の命令にでも効果を発揮するので、解呪をしようにも他人に相談する訳にはいかず……結果としてこんなザマに。本当に忌々しい」


 まさか口頭の命令にすら絶対服従とは、なんて便利な術式なんだ。もし彼女と同じ呪刻をすべての掃除屋に刻むことが出来れば、機械のように従順で正確な清掃部隊ができあがる。迷宮の探索はより一層進むだろうな。


「使い方さえ間違えなきゃ有用なのになぁ……まぁいいや。じゃあ俺も一つ命令しようか、《これからは誰の命令も聞くな》と。これなら良いんじゃないか?」


「そ、それは、なんという事を……いや、改めて感謝しましょう。これで私は自由の身です。──ひとつ例外を除いて、ですが」


 何やら不穏な事を言いながら、キリガがまた頭を下げる。そして彼女はノリスの死体から刀を奪い、杖のようにして立ち上がった。


「それでは、私はまだ任務が残っていますので失礼します」


「は? まだ戦う気なのか!?」


「一級掃除屋の方々が派遣される前に全ての吸血鬼を殲滅できれば、居住区の一斉清掃もされません。これは絶対に必要な戦いです」


「へ、へぇ……」


 真面目な人だ。思わず感心してしまった。でもそういう問題ではない。彼女の肉体は見るからにボロボロで、とても一人で生き残れるとは思えない状態だ、少なくとも今から戦うのは避けた方が良いだろう。


「……ご心配には及びません、私はこれでも元三級掃除屋です。呪刻さえなければこの身体でも全盛期と同程度の仕事をこなせます」


「そ、そうなのか? じゃあせめて死なないように気を付けて」


「はい。イチ殿も、もし助けが必要になれば私をお呼び下さい、すぐにでも駆け付けますので」


「駆け付けるって、どうやって?」


 俺が困惑しながら聞くと……キリガは何故か頬を赤く染めて、顔を伏せた。


「忘れたのですか? 貴方が命令したではありませんか、"誰の命令も聞くな"と」


 確かにそう言ったが、それが何か関係あるのだろうか……俺が黙っている理由をキリガは途中で察したのか、一度咳払いをしておずおずと話し始める。


「気付いていなかったようですね……では説明しますが、先程のイチ殿の命令は明らかに矛盾しています。私がこれから誰の"命令も聞かない"という事は、つまりイチ殿の"命令を遂行する"という事になるのですよ」


「うん? ……え?」


 なにやら急に難しい解説が始まった。俺は頭が良くないから、こういう事をされると困る。


「その矛盾を解消する為には、イチ殿の命令のみを"例外"として認める必要があります。なので貴方だけは、未だに私に強制的な命令が出来る状態なのです」


「…………えっと、つまり?」


「イチ殿が私に"来い"と命令すれば、どんなに距離が離れていようとも、私の身体は本能的に貴方の場所を特定して、最短距離で駆け付けられます!」


 キリガは何故か興奮気味に早口で話すと、服の中から見覚えのある水晶を取り出した。


「あ、それは……」


「はい、掃除屋なら知っているでしょう、我々が任務の際に必ず渡される通信用の水晶端末です。手持ちの一つを貴方に預けておきますので、有事の際はそれでお呼び下さい」


「いや、流石にそこまでしてくれなくても」


「何を言いますか、貴方は私の命を救いました。そして私が孤独に抱えていた楔すらも取り払った。この程度の返礼は当然です。むしろ貴方は本来ならば私を操り人形にする事も出来るのですから、自分が損をしている事実に気付いて下さい」


 キリガはとんでもなく真面目な顔で、異常なほど律儀な事を言う。それだけでも彼女の真っ直ぐな性格が分かるというものだ。自身の感情を排除し、良い意味で機械的に物事を考えられる。それは優秀な掃除屋の証拠だった。


「……少し気は引けるけど、頼もしいな。もし本当に困った時は頼むかもしれない」


「素直で大変結構です、どうか遠慮なさらずに。……それでは私はこれで」


 キリガは改めて慇懃な一礼をすると、片脚とは思えない跳躍力でその場を飛び去った。砕け散った瓦礫の破片は勢い良く飛散して、俺の体を易々と貫く。余波だけで凄い威力だ。


「……よし、俺も行くか」


 俺は忘れずにノリスの死体から適当に持ち物を盗んでから、そそくさとその場を立ち去った。


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