65 人間の心
箸休め回です
清掃会南部支部掃討課、市街清掃チームリーダー"キリガ"。彼女は隻腕隻眼の掃除屋であり、同業者の間ではそこそこの有名人だ。
キリガは女性であるにも関わらず、クサくてツラい事で有名な掃除屋を十五年も経験したベテランである。十歳の頃に父親が死去した彼女は、掃除屋であった父の刀を受け継ぎ、誰の助けも借りずに単独で仕事をこなし異例の出世を果たした。その実力は、マトモな人類の限界とも言われる三級にまで上り詰めた程だ。
今でこそ重篤な負傷によって四級に降格されているが、その実力は錆び付いていない。現に彼女は片腕で握った刀だけで数十匹の眷属種を斬り殺していた。道端に積み上がった死体の上で、無傷のキリガがゆっくりと納刀する……そこへ彼女の同僚がやってきた。返り血に塗れた男だ。胸元につけたバッヂには彼が四級の掃除屋である事が示されている。
「キリガさん。貴女はリーダーとは言え、独断で何でも決めるのは感心しませんね」
男はどこか軽薄な態度で、上司であるキリガに意見する。見ようによっては挑発でもしているような態度だ。
「……何の話だ、ノリス」
「ババロの事ですよ。奴は恐ろしく強いですが、気分屋だ。単独行動させると厄介な事になりますよ」
「ならば一体誰に同行させろと? いざとなった時に彼をなだめすかして、コントロールできる人間が居るのか? それともノリス、貴様がやるのか?」
ノリスと呼ばれた掃除屋は肩を竦め、ヘラヘラとやる気のない笑みを浮かべる。
「確かにそれは無理な話だ。……ところでキリガさん、貴女が元三級の掃除屋だという事実は存じているつもりですが、今は俺と対等のはずだ。あまり高圧的な口調は止めてもらいたいな──苛立ちで胃袋がねじ切れそうだ」
「よく喋る掃除屋だな。仲間にまで喧嘩を売るようなチンピラは六級のカス共だけかと思っていたよ」
「ああ、申し訳ありません。どうにも下積み時代が長かったもので……それに比べて貴女は、たった十数年で三級に駆け上がるだなんて偉く贔屓にされてますね。女の武器でも使ったんですか?」
「ふっ、そうだな、私が男よりも優れている点は数え切れない。それを武器と言い換えるならば持ち切れない程だろう」
隻眼を閉じて穏やかな様子で皮肉を返すキリガ。──その喉元に黒光りする刃が突き付けられる。清掃会に所属する四級掃除屋には無料で支給されるカーボンスチール製の刀剣だ。
「……正気か? ここまで短気な男が部下に居たとはな」
「いいや、もう部下じゃない。ましてや同僚でもな。お前も既に理解してるだろうが東部居住区はオシマイだ。今更こんな小さなイザコザじゃ咎められない。同時に、こんな仕事はもはや達成しても意味が無い。馬鹿な同僚たちはクソ真面目に戦ってるが、どうせ数週間もすれば中央居住区から一級掃除屋が派遣されるんだ。あんなものは徒労だよ」
「本当によく喋る。なのにも関わらず、貴様が私に勝てるつもりでいる説明が無いのは冗談のつもりか?」
「馬鹿かお前? 自分がなんで降格されたのか思い出してみ──」
彼が喋り終わる前にキリガは抜刀し、瞬きよりも早く、その刀を振り下ろした。
「──《折れろ》」
ノリスごときでは目で追うことすら不可能なはずの一刀は、しかし独りでに方向をズラして、無様にも地面に突き刺さる。刀を握ったキリガの左腕が無茶苦茶な方向に曲がり捻られ、あらぬ方向を斬ってしまったのだ。
「っ! これは……!」
「利き腕、及び利き目の喪失……普通なら、その程度の負傷で降格なんかされないはず。重大なのは"その呪い"の方、だろう?」
キリガの一つしかない瞳が驚愕に見開かれる。彼女の"秘密"を知っている人間など、もうこの居住区には居ないはずなのだ。全て自身の手で始末したのだから。
「何故だ……貴様、何処でそれを知った!」
「上層部の奴らがね、掃除屋キリガはもう使い物にならない、なんて言ってたもんでさ、気になって報告書を盗み見たんだ。そしたら面白いものが載ってたよ」
武器を下げて完全に隙だらけの姿勢で呑気に話すノリス。そんな彼の首筋に向けてキリガは、へし折られた腕で迷わず刀を振るったが……。
「──《止まれ》」
ピタリと、ノリスの喉元で刃が寸止めされる。強引に停止したせいでキリガの腕は更にひしゃげ、折れた骨が肉を突き破った。
「自分の身を犠牲にしてでも他人の命令に従うのか。恐ろしいな、呪術ってのは」
「この、下衆がッ! 貴様ふぜいが、私に命令だと!? 思い上がるなよ!」
「《黙れ》、《武器を捨てろ》、《跪け》」
立て続けに出された命令にキリガは従わされる。それはまるで不可視の巨大な手が、人形を弄くり回すかのように、強引で遠慮のない動きだった。そして跪いたキリガの首元に、赤黒く光る楔のような紋様がちらりと見えた。
「簡易的な術式呪刻、これと言って珍しくもない普通の呪術だが、一度刻まれると結構しんどいんだよな。本人の意思での解呪は禁止されるのが一般的だからさ」
「…………っ!」
キリガは喋らない。喋れない。そう命令されたからだ。
「"誰かに命令されれば従う"。こんなに簡単なトリガーの術式がこれまで一度も発動しなかったのは、お前の仕事があまりに早くて、誰も何も言えなかったからか? ははっ、有能バンザイだなホント」
「…………」
黙ってノリスを見上げながら、隻眼で鋭く睨み付けるキリガ。彼女の黒髪に、土に汚れた靴裏が乗せられる。
「ほら、何か言えよ。他の掃除屋が来たら、俺が独りで喋ってるみたいに見えるだろ」
「……ふん、他人の術式の残滓に頼って同僚を嵌めるとは、器の小ささもここまで来ると才能だな。これまで出世の為に何人の仲間を陥れたんだ?」
「殺した魔物の数を覚えてる掃除屋が居ないのと同じように、蹴落としたカスの人数なんて知らないね。そして──」
ノリスは足に唐突に力を込める。キリガの鼻先がコンクリートの地面に叩き付けられ、小さく赤い水溜まりを作った。
「高飛車な女をこうして踏み付けた数もな」
ゆったりとした動きでノリスは刀を振りかぶる。
「《左足を伸ばせ》、《悲鳴を上げるな》」
そしてキリガの左脚の根元に、刃を真っ直ぐに振り下ろした。
「──ッ!!!」
「右側のパーツばっかり欠けててバランス悪かったろう? これで帳尻が合ったじゃないか。なぁ、礼でも言えよ」
「っ! あ、ぁ、あ、り……が──っぐ!!」
キリガは自分が最低の言葉を口走る前に、躊躇なく舌を噛み切る。
「あぁっ!? 自殺禁止するのを忘れてたか! クソっ、この女ァっ! そんな程度で死ねると思うなよ! お前は長く、長い生き地獄を味わいながら、俺に遊び殺されるんだよッ! ボゲがァっ!」
狂ったように叫ぶノリスは、気絶したキリガの腹を何度も何度も蹴り上げ、無意識の彼女に血の吐瀉物をしこたま吐かせた。彼の狂気的な眼光はもはや人間のそれではない。この世の地獄と化した東部居住区では、人間は吸血鬼になるか、それ以上の悪鬼に変貌するしかないのかもしれない。




