61 創られた怪物
デザイナーベビーという言葉がある。受精卵の段階で人工的に遺伝子を改良された赤子たちの事だ。様々な改造手術が横行し、改造屋などという職業が一般化している迷宮において、このような発想は自然なものである。
元二級掃除屋ハバロもそんなデザイナーベビーの一人であった。彼は東部居住区という片田舎の中では比較的優秀な、金と力を持った家の子供だ。高名な家柄に産まれたハバロではあるが、彼は父親から家名を受け継ぐ権利だけは渡されなかった。
理由は単純だ。子供に四文字以上の名前、もしくは苗字を付けると、中央審議会によって莫大な税金を掛けられてしまうから。だからこそ彼の親は見栄だけの名前など捨て置き、持ち得る資金の殆どを、まだ産まれてもいないハバロの改造に費やしたのだ。
そうして出産されたハバロは赤子の時点で驚異的な能力を得た。
一つ目は明晰な頭脳。ハバロは生後三ヶ月にして言葉を理解した。それはデザイナーベビーの中では特に優秀という訳でもない平均的な能力であるが、当然、彼に施された改造はこれだけではない。
二つ目に無敵の身体機能。並の大人を凌駕することは勿論、凶暴な魔物すら拳で捩じ伏せるようなパワーを彼は鍛錬も無しに手に入れた。だがこんな程度では過酷な迷宮は生き残れない。
三つ目こそが本命中の本命、"人工才覚"と呼ばれる最新技術だ。それは魔力リソースを必要とする魔術や、生贄を必要とする呪術とは違い、何の制限もなく自由自在に超常現象を操ることができる特別な能力である。当然、それを使いこなせるかどうかは本人の資質によるが、ハバロはその資質すらも金に物を言わせて取得させられていた。
故に彼の生い立ちを知った者は口を揃えて言う。卑怯者、親の七光り、出生チート、試験管と施術メスから産まれた子供。すべて醜い嫉妬だ。
ハバロは親の期待と他人の嫉妬、そして金に絡み付いた環境で生きてきた。だからこそ彼は知っている……この世で最も大切なものは親の愛だと。だからハバロは金を稼ぐ。人生を通して稼いだ金は子孫に脈々と受け継がれ、先祖全ての愛の結晶として遺るのだ。
「いーですよねぇ事務員は。金払いが良くて、しかも安全だ。若い頃に必死こいて勉強した甲斐がありましたよぉ……でもシィさん、アナタみたいな負け組には僕の苦労の一片も理解できないでしょう? だから勝てないんですよ、戦いでも、人生でも」
「……はぁ、はぁっ、だま、れ!」
地面に打ち棄てられた生ゴミのような、傷だらけの少女。それは触手を毟り取られ、骨を粉々に砕かれ、肉がペースト状になるまで挽き潰されたシィだった。──彼女の弄した稚拙な策も、繰り返した変身も、ハバロには通じなかったようだ。それでもシィは必死に自己再生を繰り返すが、少しずつ治癒のスピードは下がっている、彼女も無限に戦うことは出来ないらしい。
「黙ってあげません。アナタはカスのくせに出しゃばり過ぎですよ、くだらない男の背中ばかり追い掛けて、分不相応な力を振り回し、あげく僕に勝負を挑む? 冗談キツいですねぇ? アナタは根っからの負け組です。何があろうとも勝てはしない、戦いにも、人生にも、恋愛にも」
「私は、勝つって……言ってんじゃん!」
血を吐くように叫んだシィの身体から眩い光が溢れ出す。魔力を含んだ光は収束して青い閃光となり、貫くようにハバロを襲った──だが、彼の前に盾のように集まった影霧によって阻まれてしまう。
「だから無理ですって。何故ならアナタは親に捨てられたんですから。イチさんもキュウさんもそうです、みんな親に捨てられた。僕は違います、ニナさんは違います、多くの勝ち組は親の愛を一身に受けて育っているんです。だから負けない」
「──っ! な、なんで? 私の親を、知って……!?」
「知っていますとも。アナタのご両親、中央居住区に住んでるエリートじゃないですか。それだけに哀れですねぇ、きっと優秀な姉妹でも居るんでしょう。代わりがいるから捨てられたんだ」
まるでそれが一番の得意分野であるかのように、シィの心を的確に抉るハバロ。そんな彼を青い閃光が襲うが、やはり影霧が壁になって本体までは届かない。
「黙れっ! 殺してやるっ!」
「黙ってあげません。何度も言ってるでしょう? 貧乏人はアタマ悪くて困りますよぉ。まさかまだ僕に勝てる気でいるんです?」
「ああああああぁッ!!」
シィの両腕が無数の触手となって音速で突撃する。が、一瞬にして影霧に捕えられる。次に両足が機銃となって骨の弾丸を連射するも、全て影霧の中に消えていった。彼女の平たい胸が箱のように開き、心臓から血液がレーザーのように噴射されても影霧の表面で弾かれる。暗い赤色の瞳をギラつかせて煩雑な術式を発動すると、炎や雷、吹雪といった様々な現象が巻き起こるが、やはり影霧によって無効化された。
……残念なことにシィの攻撃は何一つとして通用していない。だが彼女が無数の手札を持つのに対して、ハバロのそれは単一的だ。ハバロは影霧の大部分を操って正面に集める事でシィの物量攻撃に対処しているが、はっきり言ってそれは致命的な隙を作ってしまう。要するに彼の背面は今、ガラ空きだった。
「──そこっ!」
「え?」
シィの触手の一部が地面を掘り進んでこっそりとハバロの背後に回り込み、首元に巻き付いた。触手はそのままハバロをコンクリートの地面に叩き付けて派手なクレーターを作るが、そんな事でダメージを負うほどヤワな相手ではないのはシィも承知している。……だからこそ、彼女は、
「沈めっ!」
触手のパワーを、更に強めた。
「うぉっと、おぉ? えぇぇぇっ!?」
バキバキと地面を砕きながらハバロの身体が地下に引きずり込まれていく……狭い穴蔵の中では霧など立ち込めようもない。いかに影霧の防衛が厄介だろうと発動しなければ意味は無いとシィは考えたのだ。
「ぁは、はははっ! 貧乏人のゴミ女にしては名案じゃないですか! でもアナタじゃ生身の僕にすら勝てませんよぉ、もしかして屈辱的に負けたいんです? ねじ切ったアナタの生首をイチさんに見せたら面白そうですねぇ? あぁそう言えばあのヒト、もう既に新しい女を作って遊んでましたよ? 可哀想に、アナタは既に負けているワケだ!」
「……やっぱり。先輩の居場所、知ってるんじゃん」
「はぁ? 今更なにを──うぐっ!?」
ハバロが初めて苦しげな声を上げる。彼の顔面に粘着質な触手が張り付いて、呼吸を阻害したのだ。更にハバロは手足を太い触手で絡め取られ完全に身動きを封じられる。
「ぐっ、ぁ。ぅ……!」
ハバロはされるがままに締め上げられる。完全に酸素供給を絶たれた肺では、いつもの嫌味すら吐き出せない。彼は戦闘屋ではなく掃除屋なのだ、強大な敵を捻り潰すような腕も、高速戦闘に対応した足も、不死身に近い生命力も必要としていない。仕事として、ただ多くの獲物を殺すだけの、言わば格下向きの能力ばかり磨いてきた。このように力任せに拘束されては流石の彼でも脱出は困難だろう。
……しかしこの程度では、勝負の決着とまでは言えない。そこにシィの詰めの甘さが出た。
「これで私は、オマエが餓死するまで待てば──ぁがっ!? ふっ、ぐぅっ!? な、なに? コレ……!」
地上で勝ち誇った顔をしていたシィが、唐突に吐血する。まるでバケツをひっくり返したように、口からは止めどなく血が溢れた。それだけではない。耳や目からも同様に出血が起こり、彼女の全身には蕁麻疹のようなでき物まで発生している。
「ぅ、ごぶっ、がぁ! はぐぅ、嘘だ! ぁがっ──ぐぶぶっ」
気道が血で塞がり、呼吸を止められる。充血した眼球は既に機能を止め、耳には僅かに自分の苦悶の呻きが響く程度だ。ぐらぐらと脳が揺さぶられ、思考すら定まらない。一瞬にして彼女は戦闘不能にまで追い詰められた。──ハバロは最初から同僚たちに伝えていた。自分の能力は加減が効かない、近くにいれば、それだけで巻き添えを受けてしまうだろうと。
影霧は確かに危険な力を持っていた。近付くものを絡め取り、触れるだけで捻り潰ち、辺りに満ちて侵食する。だからと言って、仲間を巻き添えにするほど無差別な能力でもない……シィの認識では、そのはずだった。
「ひ、ひっ、ふぐっ……はひっ、く、ぅぅっ!」
今になって彼女は理解した。影霧はハバロの手足のような便利なものではない。むしろ逆、制御不能。だからこそ本人が動けない状況で有効に働く。
「ど、く……っ!?」
影霧には毒性があった、それも数多の魔物と融合したシィが悶絶するほどの強力なものが……いや、もはや毒という言葉では済まされないだろう。これは物理的にではなく霊的に生命活動を阻害しているのだ。つまり影霧を吸引した者は、生きる事を許されない。
「ぅぐ、ぅぅ──っ、ごばぁっ!」
魂を破壊する劇毒を吸い続けた事で、不死身に近いシィの肉体が悲鳴をあげている。触手は末端から腐れ落ち、変質させた身体機能は衰え続け、死んだ脳味噌では魔術を扱う余裕も無い。彼女は前後不覚になりながらも、その場を離れようと、ブルブルと震える手足で這いずった。──その足を、何者かが捕まえる。
「あぁちょっと、何処に行く気ですか? あれは聞かなくて良いんです? ほら、イチさんの居場所、知りたいんでしょう?」
触手が死んだ事で自由の身になったハバロが、吐き気を催すような笑みを浮かべながら、シィの足首を握り潰すように掴んでいる。
「ぃ、ぁぁぁ……!?」
言葉にならない絶望を吐き出しながら、シィの体は影霧の中に引きずり込まれた。




