54 焚べた少女と失くした少女
──炎上魔女の力は圧倒的だった。彼女が一歩踏み出すと、コンクリートの道路が発火した。彼女が指先を振るえば、直線上にある全てが赤熱し、融解した。
『るるるるるっくぐぐ』
白い怪物が吼える。しかし口を開いた事で舌の根は燃え尽き、肺はひび割れ、胃の中が干上がった。バタバタと怪物が倒れ伏す。治癒魔術によって自己再生はしているものの、同等以上の速さで肉体が灰に変わっていく。結果的に怪物たちは魔女に触れる事すら叶わず、瞬く間に全滅してしまった。
表面がボコボコと沸騰している白い遺骸が、勢いよく煙を上げながら萎んでいき……最後には霧のように消えてなくなった。
さっぱりと掃除された街道の中心には、一つの死体が転がっていた。怪物に拷問されていた被害者だろうか。それは四肢をもぎ取られ、美しい髪を短く引きちぎられ、そして"全身の機械パーツ"を強引に剥ぎ取られた、長身の少女だった。
「っ、貴女は……」
炎上魔女が細く白い喉を震わせて、薄い色の唇から焦げたような声を発する。これまで感情らしいものを見せなかった魔女が、あろう事か目の前で転がる粗大ゴミのような少女を見て動揺していた。
ゴミのような少女は死にかけの虫のようにカタカタと蠢き、千切れかけた首を正面に向けた。その風貌はおぞましかった。両眼はくり抜かれ、眼孔から髄液とオイルを垂れ流している。舌は半ばが切り取られ、気道は血で塞がれているようだった。──少女の潰された喉から、ゴポゴポと血液が泡立つ音と、掠れるような声が聞こえてくる。
「ダ、れ……カな? 暗イよ……私は、今、ドこに……?」
「私はただの魔女。ここは居住区の何処か。それで質問は終わり?」
「…………ワ、私、だれ?」
「知らない」
「探サなキゃ、いけナいヒトが、いるの……私の、大切な…………あレ? 何ダっけ?」
魔女は少女に背を向ける。このまま、彼女を見捨てて立ち去るようだ。
「暗い、痛イよ……助けテ、誰か、誰かたす──」
どちゃっ。叩き潰されるような音がして、少女の声が止んだ。魔女はゆっくりと振り返るが、既に少女の姿は無く、そこにはただ白い皮膚を持つ、ぶくぶくと肥えた多腕の怪物が鎮座していた。
──白い怪物の特徴は高い知能と団結力にある。きっと同族の断末魔を聞いて駆けつけたのだろう、そして察したのだ、自分たちの戦力で太刀打ちできる相手ではないと。だからこそ怪物はこの少女に目をつけた。
「ぅっ、ぅっ、ぁ、ぁぁっ、ぃぁぁ」
怪物の手元からくぐもった声と共に、にちにちと肉が弄られる音が聞こえる……手術をしているのだ、見るに堪えない拷問と並行して。やがて怪物が立ち上がり、強靭な脚力によってその場を飛び去った。
後には、二本の足で大地に立つ白髪の少女が残る。
「……治したの?」
信じられないと言った様子で、魔女が恐る恐る口を開く。それに対して少女はにこりと、咲き誇るような笑顔で答えた。
「──うん、治ったよ。なんだか、思考がスッキリする。身体が痛くないのは久しぶりかも……キミは、私を知ってるよね?」
「知らない」
「そう? そうだったかも。でもそれは重要じゃないよ。キミはもう分かってるはず」
明晰になった思考で、途切れる事の無い意志を持ち、ただ真っ直ぐな決意を持つ瞳。かつては片方が義眼になっていたそれも、既に彼女の色を取り戻していた。それは完全な肉体を取り戻した姿。不可逆の手術によって潰された有り得えざる未来の肉体。一切の改造を施されていない、本来の"キュウ"である。
「私にとって一番大事なもの、知ってる? 私の大切な、重要な、かけがえの無いもの。忘れてはならない筈のもの」
「……知らない」
「うん。じゃあ口を割るね」
キュウが一直線に飛びかかり、魔女の顎を文字通り砕きにいく。──この方法は間違っていると過去に誰かに教えられた気もするが、今の彼女には関係の無いことだった。
もはや改造手術を受けていないにも関わらず、キュウのスピードは戦闘屋のそれであった。数多くの肉体的、精神的ハンデを背負いながらも闘争を続けた彼女の肉体は、既に機械に頼らずとも人外の域に達しているのだ。そして万全な身体、障害のない脳、持ち前の冷静な頭脳から導き出された答えは偶然にも以前から彼女の得意とする戦法、"真ん前からブチ砕く"であった。
「──貴女はっ!」
魔女の反応が遅れる。感情を燃料にして火を焚べる彼女にとって、見知った相手にどのような焔を向けるべきか判断を迷ったのだ。
もしこれが父のように重大な相手であったのなら、焔は強く燃え盛っただろう。もしこれが白い怪物のように唾棄すべきと断定できる相手なら、焔は容赦をしなかっただろう。しかしキュウはただの顔見知り。大切な人の知り合い。殺意を向ける相手でもなく、熱意を持てる相手でもない。
良くも悪くも、キュウは魔女の干渉を受けない立ち位置に居た。
「いっぱーっつ!」
「ぐむっ!?」
キュウの剛腕から繰り出される掌底が、アッパーカットのように魔女の下顎を突き上げる。衝撃で奥歯が軋み、舌が痺れ、脳は揺らされた……大きな隙だ。追撃を許す事になる。
「にぃっ、さんっ、しっ! ごっ!」
「ぐっ、ぎ、ぃぃいっ!!」
続けざまに繰り出されたのは容赦の無いボディブロー。そこからよろめいた魔女の膝の皿を蹴りつけ、更に体制を崩す。すると長身のキュウの足元には魔女の顔面が下りてくる。それを瞬時に蹴り上げてから、トドメの後ろ回し蹴りを放った。
魔女の腕にキュウの踵が炸裂。右肘を完全にへし折って、更に肋骨を数本砕き落とした。
「──ぅうあああっ!!」
そこまでされて魔女が黙っている訳が無い。明確な敵意と憎悪がその赤い瞳に宿る。周囲の空気は激しく発火して、キュウを熱風の檻に閉じ込めた。彼女の血液は煮え立ち、脳のタンパク質が尽く破壊される。
「っ、ぁぐぅっ! この、程度じゃっ!」
しかしどうやら効果は薄い。これまで最悪のコンデションを嫌というほど経験してきたキュウが今更、脳が焼け爛れた程度で侵攻を止めるはずがなかった。彼女は地獄の苦しみに苛まれながらも、普段通りの動きをする、そんな戦闘屋だった。
「嘘、そん──」
「こんのぉっ!」
キュウの両手が魔女の細首を鷲掴みにする。万力のような力でギリギリと気道を締め上げられ、脊椎は酷く損傷していく。──だがそれによって魔女の炎は、むしろ勢いを増した。
「ぁ、っっづぅ!?」
キュウの手のひらが真っ黒に炭化し、これまでとは比較にならない勢いの熱風が吹き荒れる。全身の肉に火傷を負いながらキュウは後方にふっ飛ばされた。
「……消えて。貴女の存在は、私に必要ない」
燃え上がるような瞳に、凍り付いた殺意を浮かべて魔女が呟く。感情から生まれた炎が嵐のように渦を巻き、迷宮の天井に届くほどの火柱を形成する。より攻撃的に変形するそれは一匹の龍のようであり、標的を正面に捉えていた。
周囲のビル群を煤カスに変えながら、"火炎の龍"が突撃する。
「ぅ、うう……ぁ」
熱された鉄板のようなコンクリートの上で、キュウは倒れ伏したままだ……しかしその焦げた右手には、いつの間にやら"棒状の物"が握られていた。彼女はそれを杖がわりにして、ゆっくりと立ち上がる──火炎龍は目の前だ。今から避ける時間は無い。
「……さようなら」
魔女は、無惨な姿を晒すキュウから視線を外す。仮にも知人が燃え尽きる姿はやはり辛いものだ。死にゆくかつての仲間に背を向けて、魔女は振り返らずに立ち去った……その背中に、金色の刃が突き刺さる。
「────あ」
自分の体を貫いた美しく煌めく刀身。魔女には、それに込められた魔力がありありと伝わっていた。様々な兵器が横行する迷宮においても、希少かつ異質な武器……"魔剣"である。それはキュウがゴミ処理場で発見したものだ。魔剣は所有者を護るように彼女の傍にあり、そして来るべき時に"魔"を打ち払った。ゴミ処理場用務員のメトゥが神殺しにそれを用いたように、魔剣は超状の存在を切り裂く事ができた。
強大な炎の龍は根幹となる魔力を乱され、ただの同質量の火花として飛び散り、暗い居住区を照らすのみとなったのだ。
「あぁ……そう、なんだ。やっぱり、私の魔術は、知り合いに向けるべきじゃ……なかったみたい。でも、もう遅いよ…………父さんは、パパは……とっくに燃えちゃったんだもん」
独りでに魔女の傷口が焼けて塞がる。そのまま彼女は断固として振り返らずに、重い足取りで歩き去っていった。
……残されたキュウは炭になった両手と、肉が溶けて地面にへばりついた両足で四つん這いになり、じくじくと焼ける地面をただ見つめてる。その瞳からは聡明な光は喪われていた。脳を焼かれた事で、再び正常な思考と感情を奪われてしまったのだ。
「ぁ、れ。痛たた……? 頭が、割れるみたいに……これ、うぁ、気持ち悪い、気持ち悪いよぉ……」
体調不良を起こした幼児のように、涙と涎を垂らしてキュウは呻く。彼女は何も分からない。自分が誰なのか、何をすべきなのか、どうしてこんな目に遭っているのか……それでも立ち止まる事はできない。彼女の脳ではなく、心に残された小さな欠片が、彼女に進むことを強要した。
それは希望でも何でもなく、ただ残酷な運命が引き伸ばされたに過ぎない事を、誰が否定できるだろうか。




