50 真祖種
──人類生活圏外第四十五迷宮領域深層"氷血城"。ここはかつて赤血湖と呼ばれていた場所を乗っ取って造られた真祖種の根城だ。建材はすべて凍り付いた血液であり、常温によって溶けだした血の香りが辺りを包んでいる。赤血湖から汲み上げられる無尽蔵の血液は、向こう数百年は吸血鬼の腹を満たし続けるだろう。
城そのものの美しさとは裏腹に生理的な恐怖心を駆り立てる異様な雰囲気を前にして、一人の男が深い溜息を吐いた。
「……はぁああ、なぁにが吸血鬼だ、気持ち悪ぃモン建てやがってよお。この邪魔クセー城は誰が後始末すんだ? 掃除屋か? あいつらは非力だから難しそうだな」
滴る血のような赤いコートを羽織り、ギラついた刀を肩に掛けた男、彼は討滅会から派遣された戦闘屋だ。名前はトーガ。階級は四級であり、そこそこの実力者だ。それもそのはず、この氷血城に辿り着くまでに多くの戦闘屋が眷属種に殺害され、残ったのは彼を含めてたったの三人。実力の足らない者は道中で全滅したのだ。
「チッ、未だに腹立つぜ。せっかく炎上魔女をぶっ殺そうと思ってたのに、ワケのわかんねぇ民間企業なんかに仕事を取られてよぉ、そんで俺は汚ぇ魔物掃除か? しかもルークス隊長だけは別の任務に行っちまって……ずりぃよなぁ」
肩を落として愚痴を撒き散らすトーガ。その隣では、同じ制服を着た眼鏡男が苦笑いをしている。
「はは……隊長の仕事は中々厄介そうだぞ。進化教団の教祖候補、お前も知ってるだろ?」
眼鏡男はそう言って、また困ったように笑う。彼も討滅会の戦闘屋であり、トーガと同じく四級の腕利きだ。
「教祖候補ねぇ? ワケわかんねぇけど面白そうじゃねぇか。吸血鬼よりはよっぽどな」
「またそんな事を言う。油断して死んでも知らないからな」
「ライよぉ、お前がビビり過ぎなんだ。所詮は魔物だぜ? 掃除屋のカス共が相手にしてるような雑魚に、俺らみたいな闘いのプロが負けるかよ」
驕りを隠そうともしないトーガに、ライと呼ばれた眼鏡男は面倒そうに肩を落とした。
「お前、ここに来るまでに仲間がどれだけ死んだと思ってるんだ?」
「死んだのは第五部隊所属の軟弱者だけだ。俺たち第四で死者は出てねぇ」
「それは相手が眷属種だったからだろ。真祖種の危険性は分からない、用心すべきだ」
「はー忠告が痛み入るわ。じゃあテメェらはそこで見てろ、俺がクソ虫を殺す所をな」
トーガは仲間に背を向けて、単独でズカズカと氷血城に足を踏み入れて行った。その様子をライともう一人の戦闘屋がぼうっと見詰める。
「……なぁセダラ。アイツを放っておくべきだと思うか?」
「俺に聞くな」
セダラと呼ばれた無愛想な戦闘屋は、腕を組んだまま低い声で答えた。
「トーガのヤツいつも一人で先走って、いっつも死にかけるんだよな。なんで学習しないんだろう?」
「俺に、聞くな」
「セダラはいつもムスッとしてて会話にならないしな。あーあ、マトモなのは俺だけだ。苦労するなぁ」
「……どの口が」
──セダラが眉間に皺を寄せて何かを言おうとした、その時。大きな音と共に氷血城の壁を突き破って、血塗れになったトーガが放り出されてきた。
「え!? おいおいセダラ見ろよ! トーガだ! あの馬鹿、もうやられて帰ってきたのか!? だっさいなぁ! へハハハハッ!」
眼鏡の奥の瞳を下品に歪めてライが嗤う。その隣ではセダラが不愉快そうに沈黙を貫いている。二人の視線の先では、四肢があらぬ方向にひしゃげたトーガが、自分の血溜まりの中で虫のように蠢きながら浅い呼吸を繰り返しているようだ。
「それにしても早いな? トーガが返り討ちに遭うまでの最短記録を更新したかもしれない! 危険そうだし、あの馬鹿は放っておいて俺達は撤退しないか?」
「……勝手に帰ってろ」
「セダラぁ、あんまり俺を笑わせるなよ? お前だけが残って勝てる相手なのか? トーガは馬鹿だし雑魚だけど、それでも俺達と同階級の戦闘屋だ。アイツが瞬殺される相手なんて俺は──」
「黙ってろ、死ぬぞ」
端的な言葉でライを諌めながらも、セダラの意識は既に別のものに向けられていた。倒れているトーガのことも既に認識の外側だ。今セダラが真っ直ぐに見据えているのは倒すべき敵、即ち吸血鬼だ。
「……お? あそこに居るのが吸血鬼か?」
少し遅れて、ライが吸血鬼の姿を目で捕える。氷血城の中からゆっくりと姿を現したそれは、全身の血管を剥き出しにした真っ赤な人型の生命体だった。
「真祖だなんて格好付けた名称だから、てっきり小綺麗な奴かと思ったら……全裸じゃないか。知能は低そうだな」
明らかに相手を侮ったような発言をしつつも、ライは油断なく吸血鬼を観察している。
一方。吸血鬼は倒れているトーガに近付いていき、その首筋に噛みつくとズルズルと音を立てて血液を啜った。するとみるみるうちに彼の剥き出しの神経や筋肉を真っ白な皮膚が覆っていき、丸く禿げ上がっていた頭部からは黒い長髪が伸びた。おぞましい赤色の眼球には、理性の光が宿っている。
『貴様らも、この無礼者の仲間であるか』
「へえ? 喋れるのか。さっきまで能無しみたいな顔してたクセに、トーガの血を飲んだ途端に元気になったな」
『……先程は、この者に肉体を消し飛ばされた故、少々再生に手間取っていた。だが血のある限り我は不死身である。貴様らは血を溜め込んだ食餌に過ぎない』
ほんの数秒の間に倒されたトーガではあったが、それでも彼なりに最低限の反撃はしたらしく、吸血鬼の負傷はまだ完全には治っていないようだった。
「こりゃ短期決戦だな、セダラ」
「……俺に合わせろ」
「了解」
短いやり取りの後、目にも止まらぬ速度でセダラが飛び出す。音速にも迫る突進は空気の壁を突き破り、瞬きの間さえ与えずに吸血鬼に肉薄した。
『──む』
それを、吸血鬼は"目で追った"。
「っ!」
咄嗟に突き出されたセダラの拳を、吸血鬼は首を傾けて回避した。四級戦闘屋の中でも近接格闘に特化した戦法を持つセダラの拳速は音速をも超える。それを事もあろうに吸血鬼は見てから回避したのだ、しかも必要最小限の動きで。セダラの困惑はほんの一秒にも満たない小さな隙だった、だがそれは戦況が変化するには十分すぎる程の時間だ。
「このっ!」
吸血鬼の背後に回ったライが白銀色にギラつく槍を横一線に振るうも、吸血鬼はブリッジの体勢でそれを躱す。そのまま吸血鬼は両手を地面につき、浮かせた両足でセダラを蹴り飛ばした。
「────ぐ、ばっぁ!」
ソニックブームを撒き散らしながらセダラは数十メートル先までぶっ飛ばされる。胴体が粉々の肉片にならなかったのは、ひとえに高価な改造手術と、戦闘屋の為にあつらえた制服のおかげだった。
まだセダラは生きている。殆どの内蔵は潰れ、折れていない肋骨は一本もないが彼は戦闘屋だ、その程度の負傷など戦闘に大きく影響はしない。しかし飛ばされた距離が問題だった。これだけ戦地から離れてしまうと、戻るまでに数秒は掛かってしまう。奇しくもそれは丁度、トーガが吸血鬼に倒されるのに掛かったのと同じくらいの時間だった。
「ふざけ──」
『遅い』
ライが引き攣った表情で恨み言を吐きかけるが、言い終わるよりも早く、起き上がった吸血鬼の貫手がライの右肩から下を切断した。
「よくもっ!!」
利き腕を失ったライは銀の槍を取り落としたが、代わりに彼は、残った腕で何の変哲もない左フックを仕掛けた。自分の片腕が落とされたというのに、ほんの一瞬の躊躇いもなく繰り出された拳は、吸血鬼の首から上を見事に粉砕する。
『なん、と──』
「死ねっ!!」
脳組織の殆どを潰された吸血鬼は、もはや為す術もなくライの追撃を食らう。ライの力強い回し蹴りを受けて吸血鬼の右肩が砕かれ、続く素早い手刀にで左腕も切断される。更には肉眼で追えない速度のローキックによって両膝から下が消滅させられた。──この間わずか数秒。そして数秒が経過したという事は、もう一人の戦闘屋が戻って来るという事だ。
「──お返しだ」
セダラのトップスピードが乗った肘打ちが、吸血鬼の胴体に的中する。派手な音を立てて肉体が破裂し、腹に大穴を開けたまま吸血鬼は空中に投げ出された。そこに、更なる追撃が加わる。
「よぉクソ虫」
高速で空中を飛翔しながら不遜な態度で笑うのは、四肢を砕かれたトーガだった。四級戦闘屋ともなれば、どれだけ満身創痍になろうとも戦う手段を持っているものだ。──故に彼が、たとえ折れた両足から不明な方法でジェット噴射をし、口内から謎の光弾を発射したとしても不思議ではない。彼は戦闘屋なのだ。
とにかく、訳の分からない技術によって放出された光弾は見事に着弾し、吸血鬼の左半身を消滅せしめた。
「無茶苦茶だな、あいつ」
「あぁ」
トーガの意味不明な戦法に呆れつつも、二人はもはや勝利を確信していた。吸血鬼は既に地面に落下し、ボロ雑巾のようになっている。
『やって、くれるな……だが、我は真祖である。その上で、我は愚かな同族たちとは違う。最も優先すべきは尊厳や、気格などではなく、真の知恵を持ち、繁栄を極めること……敗北は、恥ではない。種さえ残れば、後はどうとでもなる』
「何を言っているんだ? お前は今から死ぬんだよ」
ライは吸血鬼の頭部を踏み付けて、侮蔑した態度で首を傾げる。
「……ライ、さっさとトドメを刺せ。トーガのようになりたいのか」
「始まってすぐ馬鹿みたいにぶっ飛ばされた奴が、偉そうに喋るな。瀕死の雑魚二人は黙って見ていろ」
「テメェも腕失くしてんじゃねーか。そもそも俺は無事だっつの、ピンピンしてるわ」
三人の戦闘屋が吸血鬼を囲んで軽い調子で言葉を交わす。もはや吸血鬼に逆転の目はなく、死を待つのみとなっていた。
『我は真祖であり、父である。種族を栄えさせ、高貴なる血を惜しまず、遍く広がらせる。我は他の愚者とは違う……我を殺したとして、既に意味など無い。迷宮は近いうちに吸血鬼のものとなる』
「おいライ、早く殺そうぜ。さっきからこいつウルセェよ」
「ちょっと待て、面白そうな事を言ってる。もう少しくらい聞いてやっても──」
そんなライの言葉を待たずして、セダラが吸血鬼の頭を踏み砕く。
「あぁ!? 何をするんだセダラ!」
「……油断をするなと、最初に言ったのはお前だろう。ライ」
「そうは言ってもだなぁ!」
先程まで死闘を繰り広げていたとは思えない調子で、ライはセダラに食ってかかる。その様子を面白そうにトーガが眺めていたが……暫くすると三人とも飽きてしまい、彼らは何事も無かったかのように帰路についた。
こうして真祖討伐はあまりにも呆気なく終了した。──迷宮に、幾らかのはぐれた眷属種を残して。




