43 溢れ落ちる記憶
──オルステッドとメトゥが戦闘を開始した頃。
階層構造になっているゴミ処理場の中層階にて。巨大なパイプから流れ着いた廃棄物が見事なゴミの山を形成していた。その山のふもとには、これまた粗大ゴミのような風貌をした少女が横たわっている。彼女は血と廃油の水溜まりを広げながら、ギクシャクと関節を動かす。
「……ぅ、ここは、どこ……? そ、そうだ、イチ君が、悪い人に捕まってる……私が助けなきゃ」
機械の少女キュウは、オーバーヒートした足腰の運動補助装置を強引に稼働させ、産まれたての魔物のような不格好な体制で立ち上がる。バキッ。と、派手な音を立てて何処かのパーツが弾け飛んだ。痛みはあるが、今更だ。
「私、気絶して……? そ、そうだ。へ、へ、変な女に邪魔されたんだ。何回倒しても復活するから、ま、負けちゃった」
キュウは辺りを見回して、直ぐに、ここがゴミ山であると理解した。大量の生ゴミや死体の異臭が、鋭敏化された嗅覚に突き刺さる。ゴミの中では人間の子供ほどの大きさがある蛆虫が無数に湧き、用途不明な器具が暴走状態のまま散乱している。
キュウはおもむろに自分の頭部に手を当てて、感情増幅器と、新しく増設した思考補助器具のスイッチを入れた。これが無いと彼女が論理的に思考することは難しい。
「た、たた……助けっ、イチ君を助けなきゃ……ぁがっ、ぐぅぅ……頭痛い、考えなきゃ……! 私、何をしたら良いんだっけ……」
時間と共に勝手に切り替わる思考、チカチカと色彩が点滅する脳内、幾何学模様に変化する幻覚を振り払って、キュウは必死に頭を働かせる。子供でも思い至るような直線的な結果に辿り着くことすら、今のキュウには困難を極めた。
「そうだ、邪魔な敵が居たら、倒せって言われて……敵、敵はどこに……匂いが分からない、敵が何処にいるのか……イチ君の匂いもしない……」
雑多な異臭に妨害されて、キュウの犬並みの嗅覚が働かない。無駄な情報だけが鼻から脳に突きぬけ、グズグズの肉塊混じりの鼻血が滴り落ちる。それでもキュウは鼻を鳴らすのを止めない。それしか今の彼女に出来ることはなかった。
「に、匂いを感じなきゃ、見つけなきゃ……敵、せめて敵だけでも……い、今はイチ君の匂いは追わなくて良いから……だから、敵だけでも」
キュウの脳内が歯車の音を立てて切り替わる。彼女の記憶回路から、これまで決して消える事が無かったイチとの思い出が崩れ落ちる……代わりに、敵の匂いを正確に思い出した。
「──っ! み、みみ、見つけた……でも、同じ匂いが沢山ある……? これは、きっと無視しても大丈夫な敵だ。あの金髪の男の人が、イチ君を守ってるはず……私が行くべきなのは、別だ。もっと、もっと、一番匂いが濃い所……!」
頭の中がどんどんクリアになっていく。キュウの脳に残された少ないリソースの、その大半を侵食していた"イチ"という要素が消される度に、彼女の思考は鋭く正確になっていった。
……かつて一人の少女が言った。キュウは、イチの傍に居ない方が強くなるのだと。それはある意味では正しかった。これまでキュウは強くなる為に多くの物を捨ててきた、健康な肉体、正常な心拍数、痛みを伴わない呼吸、自由に動く足、誰かと触れ合える力加減、それといくつかの感情。最後に残ったのは、どうしても捨てる事の出来ない大切なもの。それすらも彼女は今日捨てたのだ……そして代わりに得た。かつて幼少の頃、イチのみが知っていた彼女の本来の性能。常に冷静沈着で、何者よりも優秀だったという頭脳を。
「──ぃっ、痛……また脚部が故障してるのかな。早く直さないと、戦闘に支障が出るかも……あとは武器、戦うための武装が足りない。ゴミの中にはきっと使える物が埋もれてるはず……それに」
キュウはぶつぶつと喋りながらゴミ山を漁る。その手際は非常に良く、機械によってリミッターが外れた腕の筋力すら完全に制御しているようだった。
「……あった、工具だ。部品になりそうな物も沢山ある。これで故障箇所を直せる。それと、武器は……この剣が良さそうかな。光ってるし、強い魔力を感じる」
明確に危険な物品や生物を避けながら、キュウは一瞬にして必要な物品を探り当てた。そして手に取った工具を使って自身の修理を始める。その手際はかつて世話になった三級改造屋にも引けを取らず、むしろ作業のスピードだけならば圧倒的に上回っていた。
当然と言えば当然だ。彼女はこれまで何百回と自分の身体が弄られる光景を見てきたのだ。知能さえ正常に戻れば、自己修復など簡単な事だった。
「……うん、動く。これで最低限は戦えるはず。敵の強さは私より上……だけど、今なら勝てる。勝って……勝って、どうするんだっけ?」
キュウは動きを止めて数秒間だけ思考し、そして直ぐに思い至った。──想い人に会うのだ。そんなのは決まっている。会って、そして褒めてもらう。当たり前だ、その為にここまで来たのだ。
「うん、うん。大丈夫、覚えてる。しっかり覚えてるから、だからもう少しだけ待ってて……今は、敵の事だけ考えなきゃ」
確固たる意志に満ちた言葉とは裏腹に、キュウの義眼ではない方の瞳はグラグラと揺れる。これまで一度だって忘れた事はなかったはずの男の事が、ほんの一瞬だが、頭から消え失せたのだ。
その事実は、キュウを酷く不安にさせた。
「私は敵を倒す。今はそれだけを考えれば良いばず……うん、私は間違ってない。敵を倒さなきゃ、時間が無い……な、泣いてる暇なんて、無いのに……」
彼女の蛍光色の義眼から、血とオイルが流れる。だがそんな軽微な故障にかまける時間はない。キュウは機械仕掛けの足を一歩前に踏み出した。
修理したはずの足は、何故だか前よりも重く感じた。




