37 恋は血の味
「はぁ〜、今日も疲れたなぁ」
言葉とは裏腹に楽しげ声を出して、女はベッドに倒れ込むと愛おしそうに毛布にしがみつく。
その柔らかな感触をひとしきり楽しむと、女はニマニマと口角を歪めた笑みを浮かべて、抱いていた毛布を取り払った。
「やぁキミ、ボクが居ない間も元気にしてたかい?」
ボソボソと枯れた声で喋る女、"メトゥ"は、顕になったベッドの上で拘束されて蹲る"俺"に向かって白々しい笑顔を見せた。それに俺はぎこちなく笑い返す。
「お前には俺が元気に見えるのか?」
「さぁね、ボクにとってはどちらでも良い事さ。それよりも大切な事がある」
メトゥが期待に満ちた顔で、ベッドのうえをにじり寄りってくる。
「なんだよおい、こっち来るなよ」
「酷いじゃないか。この前まではあれほど優しかったのに、なぜ怒っているんだい?」
「こんな場所に監禁されてるから……って言いたい所だけど、今はもっと不愉快な事があるかも」
「ふひっ……それってもしかするとぉ、これかな?」
──ぐちっ。胃が裏返るような不快な音。メトゥが自分の指を喰いちぎった音だ。
ボタボタとシーツを血で汚しながら、メトゥは自分の左手の小指を咀嚼する。そして、その血塗れの唇を、俺の口にねじ込んで来た。
「っんぐ────ぐぼぁっ! げほっ、ごぉ、ぉえっ! や、止めろ!」
「あー、吐いたら駄目じゃないか」
口移しされたペースト状の指を、俺は咳と共に半分ほど吐き出す。逆に言えば半分は飲み込まされたという事だが。
「ふ、ざけんなよ……! お前、次やったら絶対に殺してやるからな……!」
「ふひひっ、それは嬉しいね。ボクも早くキミに殺されたいよ」
恍惚とした表情で肩を震わせながら、メトゥはまた自分の指を齧る。
「楽しいなぁ。誰かと食事をしながら会話をするのがこんなに楽しいなんて、数日前までのボクは知らなかった。ねぇ、次はボクにどんな感情をぶつけてくれるのかな? 怒り? 憎しみ? ボクはそろそろキミの弱音が聞きたいな、悲哀に満ちた懇願とか……あぁ、いや、愛の告白なんかでも一向に構わないけれど」
「……本気で言ってるのかよ」
「む? 冗談を言うのは好きだけれど、キミに対してはボクはいつでも本気さ」
ぐちっ、ぎちっ、ぶちっ。メトゥの左手から順番に薬指、中指、人差し指が消える。彼女の口の中では血管が引き裂かれて血液が吹き出し、派手な音を立てて骨が噛み砕かれ、潰された肉がニチニチと存在を主著していた。
「キチガイが」
「ひひっ……んちゅっ」
何度目かも分からない口付けは、毎度の如く、鼻を突くような血肉の風味だった。
血の匂いなんて、泥鼠を殺し続けてとっくに慣れたと思っていたのに、俺は我慢できずに胃が空っぽになるまで吐いた。
そして吐いたのと同じ分だけ、またメトゥの身体を食わされた。
──────
煌びやかな装飾が施された壁面、高価な素材で造られた調度品、そして卓上に並べらた溢れんばかりの果実の山。そこはまるで豪邸にあるような一室だった。しかし異質なことに、その壁の一部は頑丈な鉄格子で出来ている。まるでこの部屋に何者かを収監しているかのようだ。
それが誰なのかと言えば、候補は一人だけ存在する。この部屋の中心にある豪華絢爛な寝具に、金髪の美少女が寝かされていた。
まるでそれ自体が美術品であるかのような、造物的な美しさだ。
「御加減は如何です?」
鉄格子の外から声が聞こえる。まるで外縁居住区のチンピラのような風貌をした男が、少女に向けて軽々しい態度で語りかけていた。
少女は目を開けて、不愉快そうに鼻を鳴らす。
「オルステッド……私をこんな場所に監禁するなんて、正気? 私がここから出たら、加担した使用人のカス共は皆殺しだけど?」
「ふむ。監禁と申すのでしたら、ニナ様が実行なされたのも同じ事では?」
「私のは良いのよ! アイツは閉じ込めてやるのが正解なんだから。断言するけど、あのまま放っておいたら"もっと危険な奴"に捕まって、もっと酷い目に遭うわよ」
「一理ありますな。しかし、あのような事はニナ様の為になりません。貴方様の行為がある種の庇護だとするのなら、私の狼藉も同じようなモノだと考えて頂きたい」
心底軽い調子で、しかし真剣な眼差しを持って語るオルステッド。それを聞いてニナは意外そうな目を向ける。
「私の為? 何を言ってるの、アンタは」
「おや、これはよもや! まさかエゴの塊であらせられるニナ様が、そのような事を仰るとは!」
「……質問に答えろ、ゾンビ野郎」
「これは失敬! そしてどうやらニナ様はお気付きでないようですので、この際、私がキッパリ申し上げましょう!」
オルステッドは良く響く声で高らかに叫び、鉄格子を力強く握って、ニナに真実を突きつける。
「ニナ様は、かの御方に恋をしております」
「…………は? へ? 恋? いやアンタ、急に何を言って」
「むむ! これほど執着しておいて、まさかそれ以外に理由があるとでも言うのですか? 御両親の反対を押し切って本家を飛び出し、小汚い制服を見に纏い、血と泥に塗れた掃除屋などという仕事に身をやつして、半ストーカーと化し……最終的には拉致監禁。恋は盲目にも限度が御座います!」
目頭に涙さえ浮かべながら、オルステッドはあらん限りの声量を持って力説する。それに対してニナはただ困惑するばかりだ。いつもの冷徹で冷静で冷酷な彼女はどこにも無い。あるのはただ顔を赤くしてあたふたする少女の姿だった。
「いや、いや、違うわよ。私が掃除屋になったのは底辺共の生活に興味があったからで、そこで偶然たまたまアイツに出会っただけ」
「嘘を申してはなりません! ニナ様は幼少の頃に一度、彼に会っております!」
「────っ!」
ニナは遂に言葉すら出なくなり、飛び起きるようにして鉄格子に向かうと、隙間から手を突っ込んでオルステッドの胸ぐらを掴んだ。
「アンタそれ以上喋ったら殺すから! 絶対に!」
「今更なにを隠す必要が御座いましょうか!? 私は存じております! 貴女様がいつも呟くあの独り言、その時の憂いに満ちた眼差しを! あれは正しく恋に苦しむ重症患者のごとし──」
ベラベラと喋る最中のオルステッドがニナの剛腕により引き寄せられ、鉄格子に衝突する。ニナはそのまま腕を思いっきり引っ張り、ギヂリと細い隙間にねじ込まれたオルステッドの頭部は見事に潰れて生命活動を停止した。
「はぁ、はぁ……コイツ、口を開けば阿呆な事ばっかり言って、気色悪いのよ」
「に、ににニナ様! お気付きになって下さい! 彼を物理的に捕まえたとしても、それはニナ様の為にはなりません! 心をモノにするのです! 貴方様の恋を叶えるのです!」
「まだ息があったの!?」
「私は不死身ゆえ!」
「なら死ぬまで殺してやる!」
頭部がグシャグシャになったまま喋るオルステッドに対して、恥も外聞もなく喚き散らすニナ。
そこに、気まずそうな咳払いが響く。オルステッドの背後にはいつの間にやら黒服の女が立っていた。
「……何を、なさっているのです?」
「おぉ、その声は監視屋の! えぇと、名前は何でしたかな?」
「はぁ。オルステッドさん、そこを退いて下さい。私はニナ様に用があるだけですので」
黒服の女はオルステッドの首をねじ切り、遠くへと蹴り飛ばす。そして鉄格子の中のニナに向き直り、深刻な表情で口を開いた。
「定期報告に参りました。率直に申し上げますと、例のターゲットがゴミ処理場の用務員に監禁されました」
……その報告を聞いて、ニナは目を丸くして絶句し、オルステッドは生首だけの状態で爆笑した。




