30 ゴミ処理場と焔
「──また知らない天井だな」
目を覚ました俺の口から、恥ずかしいくらいに有り触れた台詞が出てくる。迷宮に住んでいれば見覚えのない場所で目覚める事なんてザラだろうに。
「随分と冷静な奴。自分の置かれてる状況が分かってるのかい?」
視界の外からしわがれた声が聞こえる……起き上がって見ると、そこには不健康そうな風貌の女性が座っていた。
バサバサの髪を無造作に流し、顔には深いクマとそばかすを湛えている。露出した首と肩口は酷い乾燥肌で、炎症まで起こしていた。
その酷い声質からして、少なくとも老婆であると思ったのだが……どうやら単に声が枯れているだけらしい。元の素材がそこそこ美人なだけに残念な要素が満載だ。
「んんんん、キミぃ。退屈なくらい静かじゃないか。もしや知らない人間に介抱されるのに慣れているとか?」
「そうだな。目覚めた傍から知らない奴に話しかけられるのも、直近で二回目だし」
俺がそう言うと、何がおかしいのか女はニマニマと笑いながらベッドに頬杖をついて距離を詰めてくる。
「へぇ、やはりゴミ処理場で寝るような奴はどこかおかしいね」
「ゴミ? 何の話だ?」
「自覚が無いのか? さてはキミ、ジャンキーだね? 若いのに駄目じゃないか、クスリほど無駄に金銭を消費する趣味は他に無いよ」
勝手にヤク中だと認識されてしまった。俺の何処を見ればそんな風に思えるのだろう。こんなにも健康的な顔をしている好青年を捕まえて、全く持って失礼な話だ。
「ふむ……やはりクスリだ。顔に出ているよ。黒々としたクマと、死んだような瞳、酷い肌荒れ、髪質も最悪……可哀想に末期だね。ちょっと歯茎を見せてごらん」
「ふざけるな、お前こそ人の事をとやかく言える状態じゃないだろ。明らかに声質が外見年齢に見合ってないぞ。さては病人だな?」
感情のままに俺が発した言葉を聞いて、彼女は少し顔を伏せてうっすらと口角を上げる。そしてニヤついた表情をそのままに、また喋り始めた。
「ひひっ。キミさぁ、ヤク中じゃないってんなら、どうしてあんな場所に転がっていたんだい?」
「どうしても何も、俺は迷宮の奥地から帰って来ただけだ」
「それで、どんな経路を辿ったらゴミ処理場に終着するって?」
「知るか! 俺はただ、よく分からない椅子に座らされて、気付いたらここに居たんだよ。迷宮の消灯区画って場所から……そう、六千八百いくつとかいう深度から帰るために、椅子に座ったんだ」
それを聞いた彼女は引きつった顔をして右目を細める。──良く知っているぞ。これは、可哀想なものを見る目だ。
「ふぅん? 強い幻覚……いや、記憶障害か。何れにしても厄介なのを拾ったなぁ」
「厄介で悪かったな。これ以上お世話にならない為にも、さっさと出て行くよ」
「いやいや、それは止めておいた方が懸命だよ。なにせ街は物騒だからね」
何を言っているのだろう、この女は。
居住区が物騒なのは今に始まった事じゃない。道を歩けば人の首が落ち、歩かなくても建物が倒壊し、数日に一度は魔物が侵入してくるものだろうに。
「あぁ、疑っているのかい? 本当に今は危険なんだ。特に最近は"進化教団"の奴らが活気付いていてね。何やら良い事でもあったようで、日課の"人攫い"をこれまで以上のペースで行っているそうだ」
「進化教団? 何だよそれ、どうせ小規模な営利組織だろ」
「……無知な奴だねキミは。今週だけで九十二人もの犠牲者が出ているんだよ?」
「関係無い」
俺はベッドから立ち上がって部屋を見渡す。どうやら女の私室のようだ。室内は広くはないので出口もすぐに見付かった。
「あぁ待ちたまえ。危険なのはそれだけじゃないよ。ロロクシ暗殺事務所って知ってるかい? 東部じゃそこそこ有名な暗殺屋のグループなんだが、期待の新人が入ったとかで殺しの依頼が増えてるって話だよ。しかも最近の仕事範囲がこの付近に集中してる」
「だから何だ。暗殺屋なんて一般人の俺には無関係な奴らだろ」
「それもそうなのだけどね……まぁ、一番まずいのはそれじゃない。キミはここ最近で最もホットな事件が何か知ってるかい?」
"ここ最近"と言われても、俺は目覚めたばかりだし、迷宮に行ってからどれだけ時間が経っているかも分からないのだから知りようが無い。
少なくとも俺が出発する前までは、そんなに多くの事件があったようには思えないが。
「実はだね、これも近所で頻発している事件なんだが、人間が突然発火するらしい。何の前触れもなく燃え始めるから対処が難しく、被害者の数は四百を越えているそうだよ」
「はぁ……それで?」
人体が自然発火するくらい、そこまで珍しいことでもない。何か悪い物でも食べたのだろう。犯人はきっと人気チェーンの飲食店だ。
「まぁまぁ焦らずに聞いてくれ。実はこの事件、既に犯人は分かっているのさ」
「そうだろうな。居住区で事件を起こして、監視屋に見付からない訳が無い。あいつらは四六時中どこかを見張ってるイカれた連中だから」
「その通り。結論から言うと、この事件は魔術による通り魔殺人だった。だから監視屋たちは警備屋と執行屋、そして戦闘屋たちに連絡して犯人を追ったそうだ」
「有り触れた話だな」
居住区で犯罪を犯した者には基本的には警備屋と執行屋が派遣されるが、凶悪犯が相手の場合は戦闘屋が送られる事もある。理由は単純に強いからだ。
この三種の職業には、人類の中でも取り分け殺し合いに長けた人材が集まっている。
警備屋は主に正義感と対人能力が高い人物が集められる職業だ。民衆を守るために犯罪者と戦う事が多く、相手が人間ならば戦闘屋以上のポテンシャルを発揮する。
執行屋は無慈悲で、無感情な人物で構成された職業だ。相手が何者であろうと処刑し、その為には自分の命さえ厭わない。彼らは罪人を殺す機械だ。精神的な強靭さは高い階級の掃除屋にも匹敵する。
そして戦闘屋は、基本は魔物を殺処分するための集団だが、相手が人間を超越したバケモノだった場合は実に重宝する。過去の事件では大規模な魔術攻撃を生身で突破し、巨大な戦闘ロボを素手で破壊し、不死身の肉体を得た暴徒の集団を単騎で蹂躙したという記録がある。
どんな犯罪者だろうと、彼らに勝てるわけがないのだ。
「つまり、その犯人は既に処分されたんだろ?」
「いいや。追跡部隊を全滅させて、現在もこの東部居住区を放浪中だよ」
──なんと負けていた。どうやら人類きっての武闘派も意外と大した事はなかったらしい。
「そうかそうか、じゃあもうお終いだな。ここに隠れてても運が悪かったら燃やされるんだろ? じゃあ俺は出て行くからな」
「本当にせっかちな奴だ。折角キミが倒れてる所を拾ってやったのに、ボクの苦労は水の泡なんだね?」
彼女の言い分を無視して、俺は部屋の扉のドアノブを捻る。
──そう言えば、どうして彼女はゴミ処理場なんかに居た俺を発見できたのだろう。あそこは居住区の中でも、突出して危険な場所だというのに。
「もう行くのかい。キミ、ここを出るなら本当に気を付けた方が良いよ。死ぬからね」
その言葉を待たずして俺は扉を押し開けた。その瞬間、凄まじい熱気が部屋を満たし、巨大な機械の稼働音が喧しく響き渡った。
俺の視界には、何処までも続くような長いベルトコンベアと、見上げるほど巨大な"炉"が建ち並んでいた。
「な、なんだ!? あっつ! ここ何処だよ!?」
「何度も話に出てきただろう? ゴミ処理場だとも。東部居住区の全てのゴミを、一手に請け負う場所さ。ちなみにボクはここの"用務員さん"だよ」
「嘘だろ……!?」
まさか、ここがゴミ処理場だったとは。実物を見るのは生まれて初めてだ。
まるで溶鉱が溜まったプールのようにグツグツと燃え盛る炉が景色いっぱいに広がり、その中心では、日常生活では想像も出来ないような量のゴミが滝のように炉に流し込まれている。
ゴミ山の中からは、絶えず悲鳴のような音が聞こえてきていた。
「あれは何を処理してるんだ? 大量のゴミに混ざって生き物みたいなのが燃やされてるぞ」
「さぁね。でも一つ確かなのは、あれらも全てどこぞの誰かが棄てたゴミって事さ」
それはそうだ。ここに行き着いた以上は、全ての物は平等にゴミなのだろう。だからこそ恐ろしい。
ゴミ処理場は全てを受け入れる。そこに例外は無い。住民が毎日出す家庭ゴミも、研究所がドボドボ捨てる廃液も、ビニール袋に包まれた死体や生きた赤子、果ては違法に飼育した魔物だって、棄てられたならば平然と燃やす。個人がどう足掻いても処理できない面倒な代物が、毎日のように棄てられてくるのだ。
「あの悲鳴の原因、ゴミが多すぎて正確には分からないけど、なんか白いナマモノが大量に運ばれてくるように見える。きっとあれが燃えながら叫んでるんだ」
「何かの組織が秘密裏に作った怪物だろうね。異常なほど数が多くて、個体ごとの再生能力も高いようだ。手に負えないから棄てたってコトさ」
「凄い光景だな。うわ、次は重機が流れて来たぞ。それも一台や二台じゃないな? 総額で幾らになるんだ?」
建設工事用の巨大な重機がまるで玩具のように積み上がってベルトコンベアに運ばれてくる。一体誰が、どんな理由で棄てたのか、とても気になる。なんて勿体無いんだ。
「そんなに気になるなら近付いてみるのはどうかな? 金銀財宝なんて言葉じゃ足らないくらいの逸品が、文字通り"掃いて捨てる"ほど流れて来るだろうね」
「そ、それは……やめとく」
「賢明だね。行こうとしたら流石にボクも止める所だったよ、こっちにまで被害が来たら堪らない」
ゴミ処理場には立ち入ってはならない。そんなのは掃除屋の間じゃ常識だ。居住区においてゴミほど危険な物はないからだ。
ゴミの中には人間じゃ対処できないような強大な魔物や、街が火の海に変わる兵器なんかが含まれている。むしろそれならまだマシな方で、邪教徒が呼び出した悪神の化身や、秘法によって蘇った太古の英雄、あらゆる願いを叶える宝玉など、人類の手には負えない物が湯水のように流れ着くのだ。
宝探しの気分でゴミ処理場に立ち入って二度と帰って来なかった先人を、俺は数え切れないほど見てきた。
「そうだ、言い忘れていたけどね。ボクがキミを発見する前に怪しげな団体がここに来たよ」
「それって黒服を着たコワモテの集団か?」
「やはり関係者だったんだね。事情は知らないが、彼らは何やらボロボロに風化した椅子をこっそりと棄てに来たようだったよ」
なるほど、椅子か。身に覚えがあり過ぎる。恐らくオルステッドの仲間だろう。
「まぁ、ボクには関係の無い事だけど、キミは彼らに謝った方が良いね。なにせ彼らのうち半数はここで死んだのだから」
「は? 死んだ?」
「丁度、ゴミ溜めの中に怒り狂う闘神が紛れていてね。聖光を放つ翼を生やした使徒を数百体余り召喚して、軽く神話戦争の真似事を始めたのさ」
「……それで?」
「ボクはゴミ処理場の用務員さんだから、それを見過ごす訳にもいかないだろう? 微力ながら戦争に参加させて貰ったよ。最後は黒服のリーダーらしき男が、闘神と相討ちになって終結したんだ」
なんて凄まじい与太話だろう、一つも信じられる要素が無い。しかし嘘をつく理由も無い筈だ。
つまり、こいつは。
「"虚言癖"だな?」
「ひひひっ、キミは面白い事を言うねぇ! そんなに疑うのなら見学でもするかい? 用務員さんの仕事をさ」
彼女は細い肩を震わせてケタケタと笑いながら、俺を押し退けて部屋を出る。
「──あぁ、いや。いっそ見学と言わず体験してもらおうかな? キミ、面白い蟲も飼っているようだしね」
そう言って、鬱屈とした病人のような風貌の女は、獰猛な獣のように笑った。
これは、薮蛇という奴だろうか。




