16 一緒になる
広い湯船を独占するように使っている赤髪の女性と俺の目が合う。髪と同じ色の美しい瞳だ。
いや、瞳だけではない。全てが作り物のように整った貌をしている。歳は恐らく俺とそう変わらないだろうが、あまりに美形すぎて正確には分からない。
俺が彼女の顔に見蕩れている間、どうにも言えない沈黙と立ち込める湯気が狭い空間を満たした。
「……誰?」
お湯に髪を浮かべてリラックスしながら、ぽつりと女が口を開く。それはこっちのセリフだと言いたかったが……風呂に乱入したのは俺の方なので強く言える立場でもない。
「俺の名前はイチ。この家でヨシマサの弟子として世話になってる」
「弟子……父さんの?」
「父さん!?!??」
今なんと言った? 父さん? この女があいつの娘だって? そんな馬鹿な! 美人すぎる。あのオッサンの面影が全く無い。妻の血か? というか既婚者だったのか?
俺があまりの混乱に言葉を失っていると、彼女の方も何やら不可解な顔で浴槽から上がった。磨かれた彫像のようなきめ細やかな裸体が顕になる。
「……父さんが弟子なんか取るわけない。貴方、一体何をしたの?」
「な、何もしてないって。少しはカラダ隠せよ」
「どうやって父さんに取り入ったの? 教えて、私も父さんの弟子になりたい」
「本当に何もしてないって! むしろオッサンが強引に俺を──」
「強引に? 父さんの方から? 私はそんなふうに構って貰ったことないのにズルい。才能? 貴方ってもしかして才能があるの? とてもそんな風には見えないけれど」
彼女は無遠慮に距離を詰めてきて、俺の目と鼻の先まで顔を近付ける。お互いの髪と肌が触れ合い、俺の浴びたドロドロの血液が彼女の美しい肉体にまで張り付く。
「ちょ、近っ──待てよ! 血がついてる! 汚れるって!」
「汚れなんて、もう一度お風呂入れば良いだけ……ん? 汚れ? もしかして職人には汚れが必要なの? 綺麗好きはいけないこと? 確かに父さんはいつも臭いわ。それに私は貴方のように血塗れになった事も無い。それが原因?」
彼女はより積極的に体を押し付けてくる。魔物の穢れた血が、お互いの肌を少しずつ赤黒く染めていく。
「な、何してんだよ! おい誰か、誰か来てくれ! 助けろキュウ!」
「貴方の体、どこも改造していない……私と同じ。父さんと同じ。私たちは何が違うの?」
「ひぃっ、助けてくれシィ! なんかヤバい女が詰め寄ってくる! しかも美形だ! ニナと同じくらい美形なんだ! 俺おかしくなりそうだ!!」
「……色々な名前、知らない名前。友達が多いのね、そこが私との違い?」
一人でブツブツ呟きながら、彼女は俺の腕を引いて風呂に飛び込んだ。バランスを崩した俺は頭から浴槽に突っ込む。透き通る水面が薄汚れた赤茶色に染まった。
「ゴボッ、ゴババッ!?」
「もっと聞かせて。貴方の話を……職業はなに? 家族はいる? 好きな食べ物は?」
「──ブハッ! はぁっ、はぁ!? 何!?」
「ごめんなさい、私の方が先に自己紹介するべきだった。名前はアメノ・ハキリ。ハキリとだけ呼んで。好きな食べ物は培養肉、苦手な物は虫。得意な事は何も無いけれど、鉄を触るのが好き。普段は外縁居住区で野宿して屑鉄を拾い集めているの」
訳のわからない事を捲し立てながら、ハキリと名乗った女が俺に覆いかぶさって体重を掛けてくる。風呂場の手すりに捕まっていなければ今にも沈められそうだ。
「な、何だって? 何の話をしてるんだ!?」
「貴方のことを教えて。詳しく、詳細に、隅から隅まで……そう、例えば、好きな女のタイプは?」
「自立してる女!」
俺は即答してハキリを突き飛ばす。彼女は後頭部を壁に打ち付けながら、それでも俺から目線を逸らさない。
外の廊下からのんびりとした足音が聞こえてくる。少し遅れたが助けが来たようだ。
「よぉ小僧、どうしたんだ大きな声出して……あぁ?」
来たのは面倒そうな顔をしたヨシマサだった。彼は俺とハキリの顔を交互に見て、眉間に皺を寄せる。
「ハキリか? いつの間に帰ってたんだ? ……おい小僧、娘を口説くなら先に俺に許可を取るんだな」
「違う! こいつが勝手に!」
「俺の娘が軽い女だって言いてぇのか?」
「冗談言ってる暇があるなら助けてくれ!」
状況を理解していないヨシマサは渋々といった様子で、俺とハキリの首根っこを持ち上げて風呂から出た。
──俺たちはひとまず服を着てから、皆がいる地下の部屋に集まった。そこで改めてハキリが自己紹介をする。
「私の名前はアメノ・ハキリ。趣味は屑鉄集め。特技は何も無い。将来の夢は父さんの跡を継ぐこと……よろしく」
「えー! オジさんの子供!? うっそぉ、全然似てないよ!」
「養子ッスね。迷宮の川底で拾って来た子供ッス」
キュウとシィがとても正常な反応をする。それはそうだろう、俺もまだ信じてない。
「失礼だぞ馬鹿共! どう見たって俺の子供だろうが!」
「証拠とかあるんスか? 実子かどうかは親が隠せば分からないことッスよ」
「ぐ、ぬぅ……! 嫁に聞けば分かるんだが、その唯一の証人がもうこの世に居ねぇからなぁ」
「へ? あー。その、それは……ッス」
サラッと吐き出された重たい事実に、シィが言葉を詰まらせる。
人間が死ぬ事など珍しくもない世の中ではあるが、こんなに美しい子供を持つ妻だ。さぞ綺麗な人だったのだろうと考えると、その死が途端に重大に感じるのも仕方ないだろう。
「……お願いがあるのだけど」
重苦しい空気の中でハキリが口を開く。
その視線は、やはり真っ直ぐ俺に向いていた。
「なんだよ」
「私、貴方と一緒になりたいの。朝は隣で起きて、昼は外まで着いて行く、夜は二人で食事をして、また同じ寝床に入る。そんな時間を永く永く過ごしたい……それって、とても良いアイデアじゃない?」
──次の瞬間、俺は頭を鷲掴みにされ、足を車輪で踏まれ、腕を捻り上げられた。
「やっぱ口説いてたんじゃねーか!」
「なんスか今のプロポーズ! 私の居ない所でどこまで話を進めたッスか!?」
「これは多分イチ君が悪いよ。ごめんなさいしようね? できる? 早くしよう?」
訳が分からない。俺は今、何をされている? まさか、こんな意味不明なことで仲間に殺されかけているのか?
──あ、肩の関節が外れた。
「痛い痛い痛い! 何だ! 俺が何をした!? どうしろって言うんだよ!」
「……お願い、私を受け入れて」
「ダメだ許さん! 断れ小僧!」
「絶対に拒否するべきッス! 余計な重荷が増えるッスよ!」
「私はイチ君を信じてるよ、だから謝ろう? もう片方の腕が外れる前に」
この場で唯一正気を保っている俺には分かる、ハキリが言っているのは恐らくプロポーズではない。なので無闇に断ることは出来ない。
しかし断らなければ、ギリギリと締め付けられる俺の左腕は間もなくキュウに外されるだろう。車椅子とシィの体重が丸ごと乗っかった左足は潰れっぱなしだし、頭蓋骨にもヨシマサの指がゴリゴリとめり込んできた。
そんな中、全てを丸く収めるために俺が選んだ行動は……。
「この馬鹿共……全員ぶっ飛ばしてやるから頭を冷やせ!」
その場の全員を、単純に打倒する事だった。




