38. 運河街の二人
二人って、誰のこと?
コッペルドルトの宿に着くと、クラレンスは自室となった豪奢な部屋を見廻した。
グレイデン王国の特徴が色濃い、華やかで繊細な装飾が美しかった。特産品である運河の貝灰を使った白壁が、コテで細やかな蔓草模様が描かれていて手の込んだ職人技を感じさせた。
「さすがだな。グレイデン様式は美しくて繊細だ。我が国とはやっぱり違うな」
深緑のソファに腰を下ろして、クラレンスはテーブルの上に置かれたティーカップに手を伸ばした。
「お茶はゴートベニアの物をご用意しました。少しお疲れの様に見受けられましたので」
クラレンスの視線の先には、ゴートベニアから付いて来た侍従のカールマンと侍女のバネッサがいる。口を開いたのはカールマンで、お茶請けの菓子の皿を寄こしたのは笑顔のバネッサだ。
「そうか。ありがとう。で? 結局メリーナは昼寝か?」
カールマンとバネッサが顔を見合わせて頷いた。やはり疲れていたのだろう。宿に着くとクラレンスの隣の部屋で昼寝中とのことだった。
あんなに、街を散策するのだと言っていたくせに。クラレンスは芳しいお茶を口に含むと、きっと熟睡しているであろう妹の様子を想像した。
まあ、子供だから仕方が無い。何と言ってもまだ9歳なのだから……そう思った。
今回のグレイデン王国訪問は、表向きは10年振りに咲く幻の花のお披露目を見るためだ。もっとも、その幻の花と言うのは王国の学院の温室に咲くという珍しい花で、前回咲いたのが10年前だったとのことだった。今年、その珍しい花が咲くのが判り園遊会を開催するらしく、それを取り仕切るのが王立高等学院の生徒会で、今回の生徒会長がグレイデン王国の第二王子であるエレンツィードだ。
もしかしたら、妹であるメリーナの婚約者になるかもしれない男。
確か、エレンツィードは、自分と同じ17歳のはずだった。メリーナが生まれた時に婚約するとかしないとかの話が出たらしいが……
結局、今日まで婚約の話は決まっていない。毎年ある時期になるとフワッと思い出したように話題になる事があったが、父である陛下からは何も言われていない。自分の知っている限り父も末っ子姫に無理強いはしていないし、寧ろメリーナの上には7人も姉姫がいるが、婚約者が決まっていない姫もいる。まだ早いと思っているのかもしれない。
エレンツィードが、学院を卒業するまであと1年程だ。卒業が決まれば、成人になる前に婚約者が決まるだろう。その前に、一度会って来いというのが今回の訪問の意図だ。いずれ自分が王位を継ぐことになるのなら、隣国の王族と交流を持っておくことも必要だし、義理の弟になるかもしれない男を前もって見ておくことも重要だ。
大事な妹の夫になるかも? しれない男なのだから。
そして、もう一つ。こちらの方がもっと難しいかもしれない。
「其方の伴侶になりうる令嬢がいるのか、それも見て参れ」
陛下である父は、自分の母である正妃の他にも側妃がいる。伴侶と言うのが正妃を言うのか、側妃を言うのかその時の表情からは判らなかったが……
エレンツィードが婚約者を決めかねている様に、自分も伴侶を探さなければならない時期に来ている。
「ああぁ。面倒な事を思い出した……」
クラレンスは小さな声で呟いた。
「クー兄様、あれをご覧になって?」
昼寝から目を覚ましたメリーナを連れて、クラレンスとゴートベニアの従者たちが宿専用の馬車で街中を散策する。特徴のあるゴートベニア国の衣装から、グレイデン王国の衣装に着替えて、一見すると家族旅行をしている裕福な貴族の様に見えた。
色とりどりの屋根に白い壁の家並みは、丸い窓と相まって可愛らしく見える。確かに物語やお伽話に出てくるみたいだ。馬車の窓に張り付く様にして外を眺めているメリを、クラレンスは微笑みながら見ていた。
宿専用の馬車はメインストリートまで来ると、立派な馬車寄せのあるカフェへと停まった。街一番の有名なカフェで、お菓子の街と称されるこの街の名物菓子を食べる事が出来る。
「さあ、メリ。君が食べたがっていたお菓子のある店だよ」
最初にクラレンスが馬車から降りると、メリーナの手をとって軽々と抱き上げた。
「クー兄様! 一人で歩けますし、これでは目立ってしまいますわ! 降ろして下さい」
いつものことと抱き上げたけれど、メリーナからしたら衆人環視の中で何をするのか? といったところだったらしい。侍女のバネッサが苦笑いをしているが、大人ぶりたいメリーナの気持ちを汲んでの事だろう。
「クロード様、メアリー様はお恥ずかしいのですわ。お手を繋ぐので宜しいでしょう。ねっ? メアリー様」
バネッサが、クラレンスとメリーナを偽名で呼ぶ。お忍びの散策のため、さすがに王族が本名で出歩くわけにはいかないからだ。
「そうよ。クロードお兄様?」
仕方なしにクラレンスがそっとメリーナを降ろすと、小さな手が自分の手をキュッと握った。
「さあ、早く行ってお菓子を頂きましょう!」
快活で愛くるしい少女と、美しくスラリとした青年は、その場にいた皆の視線を集めると、店の中に吸い込まれていった。
運河街のメインストリートにあるカフェ『キャナル・カフェ』
『キャナル・カフェ』は、この街の名物である菓子が有名な老舗カフェである。店は大層にぎわっていたが、店構えも立派であることから観光で訪問した貴族や、裕福な商人などが主な顧客であった。圧倒的に他よりも客層も良かった。
その店の奥、調理場を望むカウンターに数人のウェイトレス達が忙しそうに動き回っていた。店の1階は庶民用のカフェで、貴族には2階に貴族席が設けられていた。
「ねえ、ねえ、聞いた? 今、3階の特別室にお客様が入ったって! きっとどこかの国の偉い人よ!」
カウンターの前にいたウェイトレスに、案内を手伝ったウェイトレスが走り寄った。
「へえ? 偉い人? おじさん?」
「それは判んないわ。良く見えなかったけど、若い男の人がいたみたい。ちらっと後ろ姿だったけど」
「そう。じゃあ、私達は3階には近づけないわね。面倒事はごめんだわ」
「ええっ!? つまんないの。マリアンは興味ないのね? お金持ちが好きだと思ったけど」
「……」
カウンターで次の配膳を待つトレーの準備をしながら、マリアンと呼ばれたウェイトレスは肩を竦めた。
「……だって……まだ、早いもん」
「えっ? 何か言った?」
振り返った少女は、亜麻色の髪を纏めていたヘアバンドを取った。ほつれたフワフワの髪を軽く抑えるとヘアバンドで素早く止め直した。丸く垂れ目がちの碧い目がうっすらと細められたが、それも一瞬の事だった。
「まだ早いって言ったの。私、ここに来てからまだ2ヶ月も経っていないのよ? 偉い貴族様の給仕なんて出来ないわよ」
厨房から渡された菓子を受け取って、トレーにセットする。
「じゃあ、窓際の5番の席に行ってくるわ」
そう言い残して、マリアンはトレーを持った。
『冗談じゃないわ。まさか私を探しているなんてこと無いでしょうね? なるべく顔を見られない様にしなくちゃ。名前だって変えたし、元男爵令嬢がこんな所で働いているなんて誰も思わないでしょうけど』
俯き加減でホールを横切って、窓際のテーブル席に向かった。
「はい、ご注文のケーキと紅茶です」
マリアンはそう言って、菓子の皿をテーブルに置いた。
3階の偉い人も、同じケーキを食べるのか……そう思いながら。
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さて、二人ってお判りになりました?
クラレンスとあの、アリアーヌちゃんです。
二人に邂逅はありませんが、アリアーヌちゃんの
生存確認ができました。偽名を使って、王都から
遠く離れた運河の街にいました。
クラレンスの訪問の目的も判りましたので
そろそろヴィヴィちゃんに復活して
貰いましょうか。
楽しんで頂けたら嬉しいです。




