第1話 なんちゃって吸血鬼
心地よい陽射しが、天窓から容赦なく射し込んでくる。
エーリス・ノクターナルはその誘惑に抗う事をせず、大きなあくびをすると静かに目を閉じた。
周囲の喧騒が、眠りを誘うような子守唄に変わっていく。
とうとう受付カウンターを仕切る壁に身を預けて、さらに深い眠りに…………――コツコツと床を鳴らす音が聞こえた。
まさに雑踏をかき分ける……いや切り裂くような足音に、エーリスの理性が危険信号を出すが、本能はだらしなく惰眠を貪る事を選び続ける。
コツコツ、コツ!
足音は強く高鳴り、最後はエーリスの真後ろで止まった。
今さら本能も警鐘を鳴らす。
が、時すでに遅し。
身も凍るような殺気を感じた時には、
ゴン!
およそ人が出していい音じゃない音が頭蓋骨に響き、さらに強烈な衝撃が脳天から体を貫いていった。
「いっ…………たぁーーー!」
叫んでエーリスは椅子から転げ落ちる。
「な、な、なに考えてるんですか!? マル先輩!」
倒れたまま、じんじんする頭を押さえて涙目で抗議するが、エーリスを見下ろす目は凍えるように冷たい物だった。
「なにって? 仕事をサボるかわいい後輩に愛のある指導だけど」
「あい? いやいやいやいや、私、一瞬綺麗なお花畑で、陸に上がったお魚さんたちとピチピチ踊る映像が見えたんですけど!?」
「お前がメルヘン趣味とは知らなかったな」
「違うよ! 死にかけたって言う比喩……」
さらに抗議しようとするエーリスだったが、細くなった眼光に二の句をなくしてしまう。
「……で? お前はいつまでそうして寝てるつもりだ?」
いや、これはマル先輩の攻撃に悶えて倒れてるんですけど!
なんて言葉が口から出そうになったが、コツっと存在を示すように鳴るマル先輩のハイヒールにビビッてズバッと立ち上がった。
直立不動でマル先輩を見上げるエーリス。そこでやっと彼女、マルガレーテ・サラバンドの剣呑な気配が和らいだ。
「まったく、お前は。少しは自分の立場ってのをだな――」
が、小言は続く。
マルガレーテはため息を吐きながら、視線をエーリスの左手、そこに着けられている銀の腕輪を見た。
これは『エトランジュ』の証。
この世界はアーステリアと呼ばれ、よく異世界の住人が迷い込んでくる事がある。
迷い込んでくるのだから、当然彼らはなんの信頼も信用も持ち合わせてない。それを国が労働と納税を対価に保証する……そんな契約をした証であり、そんな稀人を総じて『エトランジュ』と呼ぶのだ。
「えー、そうは言いますけど。この状況じゃ、お昼寝くらいしか出来ませんもん」
エーリスは邪魔そうに腕輪を撫でながら、視線をマルガレーテから外して部屋をグルっと見た。
ここは王都アムルタ。その東門の近くに建てられたギルドの中だ。
エーリスはそこの受付嬢なのだが……、彼女が座るカウンターの前には誰も並んでない。どころか誰もいない。
勘違いしないで欲しいが、ギルド内にはうじゃうじゃ冒険者はいるのだ。
でもエーリスの仕事はなにもない。
「受付嬢にサキュバスの娘なんて座らせるんですもん。みんな、そっちに並んじゃうじゃないですか」
理不尽だとエーリスが口を尖らせて、ギルドの外まで連なる列を見れば、
「種族で差別はいかんだろ」
正論で殴られる。
「……」
だからエーリスは無言で並ぶカウンターを見てやった。
このギルドの受付カウンターは五つある。でも現在受付を担当しているのはエーリスと、サキュバス娘のリセエンヌだけだったりする。残り三つは空席だ。
「…………」
流石にマルガレーテもこれには思うところはあるのだろう、互いに数秒見つめ合ってしまう。
先に視線を逸らしたのはマルガレーテ。
「そうだな。サキュバスのリセエンヌに対抗出来るのは、吸血鬼のエーリスだと期待した私が間違ってたな。そりゃ、スキル無しのなんちゃって吸血鬼だもんな。すまん」
自嘲気味に笑って、完全に同情する視線を向けてくる。
「うわー、負けそうだからってそれを出すのは卑怯ですよ! そんなんだからいい歳して一人――」
そこまで言って、エーリスはやっちゃったよと後悔する。
マルガレーテは笑っている。
でも、周囲の空気が三段ほど冷たくなった気がするほどの殺気が溢れていた。
「ん? なんだって?」
にこやかに笑いながら、マルガレーテが一歩近づいてくる。
当然、エーリスは一歩下がるのだけど、後は受付カウンター。逃げ場ない。
「ちょ、じょ、冗談ですよ、マル先輩。やだなー」
冷や汗だらだらに言い訳するが、マルガレーテの歩みは止まらない。
もう額がくっつくレベルに顔を寄せられてしまう。
「ほら、もう一回言ってみ」
エーリスの身長は百五十もないのに、マルガレーテは百七十近くある。普段から見下ろされる圧力が強いのに、これはさらにプレッシャーが半端なかった。
ならばエーリスに取れる手段は一つだけ。
バッと姿勢を正し最敬礼、
「はい! 私、エーリスは仕事中に昼寝をするダメダメなんちゃって吸血鬼であります!」
ギルド内に響く声で叫ぶが、他の職員も冒険者たちも気にしない。
マルガレーテはきっちり十秒エーリスを冷たい目で見てから、満足げに離れた。
「わかってるじゃないか。なら、ちゃんと仕事をしな」
「はい! 喜んで!」
いそいそと倒れた椅子を直し始めるエーリスだったが、マルガレーテはまだ真後ろに立っていた。
「……えと、なんですか、マル先輩。私、ちゃんと仕事しますよ。え、もしかしてまた看板背負って、出張受付ですか? 勘弁してください。外は暑い」
なんて言葉を吐き続けるエーリスだったが、なぜかマルガレーテは一転本気で心配する顔になっていた。
「どしたんです? マル先輩? 更年期で――キャン!」
マルガレーテの手刀が頭を襲う。本日二度目の衝撃にエーリスは堪らず蹲った。
(この人、手加減っての知らなすぎだよ。ヤバイよ、いつかホントに体を真っ二つにされるかも。人間のくせになんでこんなに強いのよ。ギルドなんかで働いてないで、その怪力活かして冒険者になれよ。そしたらめちゃくちゃムズいクエストふってやるのに。……いや、後で殺される、それ)
なんて脳内妄想して痛みを逃避していれば、マルガレーテが一枚の紙を差し出してくる。
「げぇ!」
それを見てエーリスは露骨に顔をしかめた。
それは本社出頭命令書だった。
内容は研修とだけ書かれているが、不真面目な職員に対する指導だってのは暗黙の必然になっている。
「まったく、いい加減真面目に働かないと本当にクビになるぞ。いつまで私が庇ってやれるわけじゃないんだからな」
「ぶー、真面目に働いてるのに」
「それを判断するのは上だからな。こうして冒険者たちに混じって私たちの評価をしてるって話は、ずっと前からあるし、悪事を働く職員や冒険者を処刑する裏職員もいるって噂もあるしな。くれぐれもそんな噂のお世話になるなよ」
「流石にお昼寝してただけで粛清されたら、私泣きますよ」
「ふふ、そうだな。お前に出来るのは昼寝くらいか。まぁ、ちゃんと大人しく研修を受けて来い」
心配そうにするマルガレーテだったが、最後には笑ってそう言った。
エーリスは嫌そうに命令書を受け取って、
「じゃ、行って来まーす」
そんなマルガレーテの声に押されるように、重い足取りでギルドを出た。




