第十九話 勝利の口づけ
試合後、ゼノンが、静かにエドガーの前へと歩み寄った。
「……見事でございました、アルヴェイン公爵」
深く一礼する。
その声音には、はっきりとした敬意が込められていた。
「これほどの剣を拝見するのは久方ぶりにございます。……いえ、あるいは初めてかもしれません」
エドガーはわずかに目を細め、同じく礼を返す。
「お言葉、光栄に存じます」
「貴殿の剣は、技のみならず、心までもが行き届いておられる」
ゆっくりと言葉を選ぶように続ける。
「どうか、その御力を、今後もこの国のためにお振るいください」
一拍置いて、ゼノンの表情が、わずかに和らいだ。
「……それから」
ほんの僅か、声音に私情が混じる。
「我が娘は、勝ち気で、少々扱いにくいところもございますが……芯の通った、優しい子でございます」
それは、父としての顔だった。
「どうか、あの子のことを、よろしくお願いいたします」
深く、もう一度頭を下げる。
一瞬の静寂の後、その言葉の意味を受け止めた上で、エドガーは静かに答えた。
「……はい。必ず、幸せにします」
はっきりとした意志の篭もった返答に、ゼノンは満足げに頷くと、静かに踵を返した。
*
大会を終えた後、セシリアは、先ほどの試合で胸に残った言いようのないざわめきを振り払えずにいた。
何故なのか理由は分からない。
けれど、何故だかこのまま終わらせてはいけないような気がして、エドガーの姿を探していた。
そして闘技場を出たところで、その姿を見つけた。
すでに人の気配はまばらで、シンと静まった空気の中、セシリアはエドガーに声をかける。
「……エドガー様、……少し、よろしいですか」
振り返った彼は、どこか楽しげに目を細める。
「ああ、セシリア。どうした?」
けれど、いざ口を開こうとした瞬間、言葉が喉の奥で止まった。
(……私、この人に、何を聞きたいんだろう……?)
胸の奥に引っかかっているものはあるのに、それをどう言葉にすればいいのか分からない。
一瞬の空白に焦りが滲み、セシリアは咄嗟に別の言葉を探した。
「その……、試合前に言っていた賭けのことなのですが……。鉄は熱いうちに打てと言いますし、今日のうちにエドガー様の頼み事をきいてしまおうと思いまして。もうお決まりですか?」
試合前に約束した、負けた方が、勝った方の頼みを一つ聞くという賭け。
セシリアはその賭けに負けたので、頼みを聞かなければならなかった。
我ながら、咄嗟に思いついたにしては、良い内容だと思った。
エドガーは一瞬だけ考えるように視線を下げ、そして、顔を上げてセシリアを見て、ふっと笑った。
「そうだな」
ゆっくりと、セシリアへと近づいて、唇を耳元に寄せる。
「では……、キスを、してくれないか」
「…………は?」
エドガーのそのその一言で、先ほどまでセシリアの胸の奥に残っていた言いようのないざわめきが、一気に霧散した。
代わりに浮かんできたのは、呆れに近い感情だった。
(……やっぱり、そういうことを求めてくるのね)
以前の、庭園での出来事が脳裏をよぎり、セシリアは思わず小さく息を吐いた。
(だから警戒していたのに……!)
試合前の簡単に煽られてしまった自分を、今更になって、心の中で責めた。
「どうした、固まって。もしかして聞こえなかったのか?キスをしてくれと言ったんだ」
エドガーが再度、同じことを言ってくる。
「……いえ、聞こえています」
わずかに疲れたような声で答えながらも、視線を逸らすことはしなかった。
エドガーは、そんなセシリアの様子を察してなのか、少しだけ拗ねた様な口調で言葉を重ねた。
「……あれだけ頑張ったんだ。それくらいの褒美を貰ったっていいだろう?」
そして、そこで一度言葉を止めた。
わずかな沈黙の後、その表情が、とても真剣なものへと変わる。
「……特に、準決勝と決勝の試合に見合う褒美は、あなたのキス以外に思いつかない」
あまりにも真面目な声音に、セシリアの胸がわずかに騒いだ。
冗談ではないと分かるからこそ、どう応じればいいのか分からなかった。
(……本気で言っているのよね、この人は)
そう思うと同時に、なぜか頬に熱が集まってくる。
純粋な困惑と、それから、どこか気恥ずかしい気持ちとが、胸の奥で入り混じる。
「……騎士に二言はないわ」
セシリアはら小さく息を整えて、覚悟を決めた。
あの時、約束したのは他でもない自分自身だ。
一歩踏み出して、エドガーの頬に顔を近づける。
そして、ほんの一瞬。
そっと触れるだけの軽いキスを頬へと落とし、すぐに離れた。
「……これで、よろしいですか」
絶対に今、真っ赤になっている筈だと自分でも分かるほどに、顔が熱い。
エドガーは一瞬きょとんとした後、ふっと息を漏らした。
「頬か……」
どこか物足りなさそうに呟く。
「と、……当然です!」
思わず強く言い返してしまう。
その反応に、エドガーはくすりと笑った。
「まあ、今のところはそれでも良いか。セシリアの可愛い顔も見られたしな」
「……っ!」
低く甘い声で囁かれ、セシリアは言葉を失う。
呆れていたはずなのに、結局、こうして振り回されている。
胸の奥が、妙に騒がしくざわめいているのを感じながら、セシリアはただ、その場に立ち尽くすしかなかった。




