13 それから
――エストレイア王国、ローレンツ帝国との正式な協議が始まる。同盟への第一歩。
新聞の見出しには大きくエストレイア王国の王太子カミルと、ローレンツ帝国の皇帝テオドールの並んだ写真が掲載されていた。その隣には王太子を支える聖女フィオナの姿もある。
数か月前、突如方針を和平に変えた王太子に周囲は気でもおかしくなったのかと大混乱になった。しかし時を同じくしてローレンツ帝国でも突如皇帝が配下達に武装を解除するよう命令を下し、隣国と和平を結ぶために動き出した。もちろん状況はそんな簡単にはいかないらしく反対する声も多くあったらしい。エストレイア王国の国王や大臣達はもちろん最初は大反対だったらしい。しかしカミルの説得により、国王達は急に大人しくなり、すべて彼に任せると決めたらしい。帝国内では反乱を起こそうとした者もいたようだがそれは皇帝によってあっという間に鎮圧されたという。
そんな紆余曲折を経て、ようやく初めての和平へ向けての協議が始まったのだった。
今日明日と、エストレイア王国の王城にローレンツ帝国側の皇帝をはじめ、大臣達が招かれている。
写真で久しぶりに見るカミルもテオドールも少々痩せて見えて、その苦労がしのばれた。
「今度、大きなパンケーキを焼いてあげましょうかしらね」
新聞を閉じてロゼッタは外を眺めた。
美しく整えられた庭園は季節の花々を咲かせている。室内でも庭を楽しめるようにと作られたガラス張りのサンルームから見る庭は美しいけれど、喫茶ビクトリアの店内から見えた人々が行き交う町の風景が懐かしく思えた。
ロゼッタはあの話し合いの後、アディノルフィ家の屋敷へ戻っていた。
テオドールもカミルもフィオナも、それぞれ自分達のやるべきことをがんばっているのに、いつまでも逃避していてはいけないと思ったのだ。
(マルシオ様は元気にしているかしら)
突然屋敷に帰ると言い出したロゼッタをマルシオは特に驚くことも攻めることもなく頷いた。
『そうですか。帰れる家や家族があることはとてもいいことです。あなたのパンケーキをふるまえばきっとご家族も喜んでくれますよ』
そして喫茶ビクトリアはコーヒー専門店に戻るだけだ、と穏やかに微笑んだのだった。
マルシオはこれからも亡き妻の名前を付けた喫茶店で一人コーヒーを淹れ続けるのだという。またいらしてください、と言われてロゼッタは深々と頭を下げたのだった。
いずれ顔を出したいと思うのだが、現在は両親からの監視が厳しくてそれはしばらく無理そうだった。
それも仕方がないことだった。
婚約破棄騒動の後、突然姿を消したロゼッタが帰って来たことでまたアディノルフィ家の屋敷は大騒ぎになった。母は号泣し、父からは大目玉をくらい現在は屋敷で謹慎中の身だ。家出している間どこにいたのかと聞かれて、喫茶店で働いていたと言ったら母は驚きすぎて気絶してしまった。
(まあ、こればかりは本当にわたくしの自業自得ですからしかたありませんわ)
散々両親や周囲に迷惑をかけたのは事実なので、現在の処分は大人しく受け入れているロゼッタだった。
ゲームのように悪役令嬢として処刑さる未来よりはずっとマシだ。
(これからどうしましょう……)
エストレイア王国とローレンツ帝国が和平を結ぶことになり、ゲームとはまったく違う未来がこれから始まるのだろう。王太子妃になるという未来が白紙になってしまったロゼッタは、これから先のことをぼんやりと考えていた。
父は現在、ローレンツ帝国との協議のために大忙しでロゼッタの今後のことは先延ばしになっていた。カミルと国王からは慰謝料と大量のお詫びの品が届いていたが、当然まだ腹を立てているようだった。しかしそれでも今は国の一大事として、国王の側近の仕事を優先しているようだった。
状況が落ち着けば、もしかしたらロゼッタに新しい婚約者を見つけてくるかもしれない。
そんなことを考えていると、ふっと頭に浮かぶ顔はあるのだが、もうずいぶんと会っていない気がした。
「さて、パンケーキでも焼こうかしら」
こんな時は手を動かすに限る。余計なことばかり考えてもいいことはないのだ。サンルームから出てきたロゼッタを見て控えていた侍女が着いてくる。
「お嬢様、また厨房にいらっしゃるのですか? 奥様に怒られますよ」
「大丈夫ですわ。この前フィオナ様がいらっしゃった時にわたくしの焼いたパンケーキをおいしいと食べてくださってましたでしょう?」
フィオナとは不思議な交流が生まれていた。
屋敷から出られないロゼッタにフィオナから手紙が届いたことが始まりだった。
フィオナはずっとロゼッタのことを気にしていた。ロゼッタはもう吹っ切れているのだが、周囲から見れば事情はあれど彼女はロゼッタからカミルを奪った存在だ。手紙には改めてロゼッタへの謝罪と、パンケーキで気持ちが救われたことへの礼が書いてあった。そんなことがあってから、時折彼女を屋敷に招いて一緒にお茶をするようになったのだ。先日はパンケーキの作り方を教えてあげた。
周囲は困惑していたが、こうやってロゼッタがフィオナと親しくすることで彼女をよく思わない者達を黙らせることもできる。
それに気取らずに付き合える友人ができたことがロゼッタも嬉しかったのだ。
(フィオナ様はとても素直でカミル様の格好悪い話なども聞けるし結構おもしろいのですわよね)
王太子と聖女の婚約は法律により決まった強制的なものだったので少々心配していたが、どうやら二人は仲良くやっているようでロゼッタは安心した。
そしてもうひとつ、気になることをフィオナは言っていた。
『不思議なのですけど、ロゼッタ様のパンケーキには癒しの力があるように思うのです。聖女の癒しの力と同じような……。もしかしたらロゼッタ様も聖女の素質がおありなんじゃないでしょうか』
ザシャも同じようなことを言っていた。
そして暇を持て余していたロゼッタは考えてみた。聖なる力は国を憂う優しい心優しい乙女に宿るという。ゲームの世界では完全にその力はフィオナに宿った。それは悪役令嬢ロゼッタが憎しみに心を支配されてしまったから。けれどこの世界では違うのではないだろうか。ロゼッタは前世の記憶を取り戻し悪役令嬢の道を選ばなかった。
もしその聖なる力が二分され、ロゼッタにもわずかにその力が宿っていたとしたら。
その結果、フィオナの聖女の力は安定せず旅に出られなかったのでは――……。
(……なんて、ただの想像ですけれど)
すべてはただのロゼッタの想像だ。
ロゼッタは、ただ食べてくれる人の笑顔を思いながらパンケーキを焼くだけだ。
いつものようにボウルに卵を割り入れ泡立てる。段々と白く雲のように粟立ってくる生地を眺めていると、テオドールのことを思いだす。
当然だが屋敷へ戻ったことでテオドールに会うこともなくなってしまった。
三日に一度は喫茶店にやって来る常連だったので、なんだか変な感じだ。
(必ず迎えに来るから待っていてほしいと言っていましたけれど……)
美味しそうにパンケーキを食べていた気の抜けた顔が懐かしい。きっと今頃は皇帝として忙しく働いているのだろう。それもロゼッタのためにだ。テオドールの言葉に嘘はないとわかっている。けれどやはり会えなくなると不安は募るのだった。
そして思い出すのはテオドールからの口づけだった。
そこではっと我に返ったロゼッタは慌てて首を振る。
(たった三カ月ほど会わないだけで、不安になったり寂しくなったりなんてわがままですわね! わたくしも自分にできることを考えなければなりませんわ)
とはいえ、ただの侯爵家の令嬢でしかないロゼッタにできることなどあるのだろうか。
眉をひそめて考えながらパンケーキを焼いていく。
テオドールはロゼッタのことをすごいと言うけれど、いまだにその実感はまったくない。
焼けたパンケーキは少々焦げてしまった。
「失敗なんてわたくしらしくありませんわ……」
焦げたパンケーキを一口食べて、その苦さに思わずロゼッタは渋い顔をした。
一人で食べる昼食はあまり味がしない気がした。
そのとき、ふと視線の先の開いた窓からひらりと一通の手紙が落ちてきた。
「一体どこから……?」
窓の外は庭園だ。
周囲には誰の気配もない。
けれど、『ロゼッタへ』と書かれた手紙にはっとして慌てて中身を取り出した。
『ロゼッタに会いたい。君の焼いたパンケーキが食べたいよ』
「…………」
「お嬢様、どうかされましたか?」
お茶のおかわりを持ってきた侍女が立ち尽くしているロゼッタを見て心配そうに首を傾げた。
くしゃりとロゼッタは手紙を握りしめると速足で部屋を飛び出した。
「お、お嬢様!? どこへ行くのですか」
「城へ行きますわ。父のところへ行ってまいります」
「そんな、奥様に叱られます!」
「すべてわたくしの責任です。そう伝えておきなさい」
慌てふためく侍女を置いてロゼッタは馬に飛び乗った。乗馬は数年ぶりだができないことはない。あっという間に馬は屋敷を飛び出しロゼッタは城へと向かったのだった。
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