scene:58 迷宮 鬼哭洞窟
演習場の一角で木剣を構えた新兵と短杖代わりの棒を持って対峙しているエイタが溜息を吐いた。
相手の新兵が興奮した表情を浮かべ、自信有り気な感じでエイタを見ている。エイタが呟く。
「何で、そんなに自信たっぷりなんだ?」
相手が傀儡工だと油断しているのが判る。
「始め!」
オスゲート上級曹長の合図で新兵が飛び掛ってきた。剣には自信が有るらしく上段から木剣を振り下ろす。エイタは小刻みにステップして木剣を躱す。
新兵がムッとした顔をし木剣を横に薙ぎ払った。エイタはヒョイと後ろに飛んで木剣を掠らせもしない。
新兵が繰り出す何度目かの攻撃を躱し、相手の力量が判った。剣の技量だけなら兵士として一人前だった。だが、基礎能力については、魔物の顕在値を取り込んだエイタと比べると数段劣っている。
見物していた新兵たちが驚きの表情を浮かべ騒ぎ始める。
「あの人、傀儡工じゃなかったのか」
「おい、あの動きを見ろよ。只者じゃねえぞ」
「……うふっ……素敵」
若干一名に問題ありそうな呟きが混じっているが、エイタの実力を理解したようである。
「クソッ……何で当たらないんだ」
すべての攻撃が躱された新兵は焦り、無理やり連続した斬撃を放ち始めた。暫く攻撃を受け流していると息を切らせ始める。……おいおい、体力なさすぎだろ。モモカだってもうちょっと頑張るぞ、とエイタが思う。
「逃げるな!」
新兵が叫び力任せの斬撃を放つ、それは隙を生んだ。振り下ろされた木剣の背を棒で叩きバランスを崩させた後、棒の切っ先を新兵の喉元にピタリとつき付けた。
「そこまで!」
オスゲート上級曹長がエイタの勝利を宣言した。その日から新兵達のエイタを見る目が変わった。
新兵達とオスゲート上級曹長が兵舎に戻って行くのを見送ったルチェス大尉はエイタに尋ねる。
「エイタは探索者だったのか?」
「まあね。今は峡谷迷宮に潜っている」
「そうか。探索者の目で見て、あの新兵達をどう思う」
エイタは新兵が戦っている姿を想像し顔を顰める。
「戦いになれば、すぐに死んでしまいそうだね」
ルチェス大尉が大きな溜息を吐く。アサルトスパと言う兵器が有るので、いきなり敗れる事は無いだろうが、苦しい戦いが続けば、すぐにミスを犯し逝ってしまいそうだ。
「新兵を鍛えるには迷宮に放り込めばいいと言われているけど、昔、新兵が迷宮で大勢死んだ所為で、ほとんど指揮官は迷宮探査を禁止しているからな……軍が所有する迷宮が有るというのに」
その言葉にエイタはピクリと反応する。
「軍が所有する迷宮だって?」
「ああ、鬼哭洞窟だ。襲われたチチラト村の近くに在る」
「そうするとウェルナー湿原の近くか」
その時、エイタの脳裏でウェルナー湿原と鬼哭洞窟が結びついた。
「謎の軍用傀儡が侵入したルートを未だに発見出来ないと聞いてるけど、その迷宮じゃないのか」
「馬鹿な、そんな抜け道が有れば、とっくの昔に軍が発見しているさ」
エイタはその通りだなと思った。しかし、迷宮に潜る口実にはなると思い付く。
「なあ、実験中隊で抜け道がないか調査するよう進言しないか。新兵に実戦を経験させるいい機会になる」
実験中隊の隊長はルチェス大尉である。但し大尉の上には参謀本部のキリアル中将がいる。中将は迷宮の利用を禁止している指揮官の一人だった。
ルチェス大尉はキリアル中将を説得してみると約束した。彼自身も新兵達に不安を抱いていたからだ。
「だけど、大丈夫なのか。迷宮で新兵に死なれたら問題になる」
ルチェス大尉は魔物調査の為に鬼哭洞窟へ入った事が有るというので迷宮の詳細について聞いた。
洞窟と聞いて狭い迷路のような迷宮かと予想するも違った。幅七マトル《メートル》程の広い洞窟が蟻の巣のように広がっている迷宮で、奥に行くほど危険な魔物が住む場所らしい。
「それだったら、アサルトスパを入れられる。入口付近の魔物なら安全だろう」
「アサルトスパのマナシールドが有るから安全だと言っているのか?」
「入口付近の雑魚なら大丈夫」
アサルトスパに装備しているマナシールドは、通常のマナシールドとは違っていた。通常は魔物や魔力を伴う攻撃だけを跳ね返す効果があるのだが、純粋な物理攻撃にも防御力を発揮する。
エイタが『結界』の魔法紋を解析し見付けた天霊紋を組み込んでいるのだ。その天霊紋は物理防御の効果を発揮し、魔法と物理両方の攻撃から守る障壁を構築するのに成功したのだ。但し、その代償として大量の魔力が必要だった。
その上、物理防御の効果は弱く弓矢の攻撃くらいは跳ね返すが、大型専用弾だと貫通してしまうようである。
「入口付近の魔物は、鬼山猫やマウスヘッドなんだが、数が多い」
ルチェス大尉が思案顔で考え込んだので、エイタが助言する。
「アサルトスパに乗ったまま、隊列を組んで迎撃すれば安全だよ」
ルチェス大尉の進言は聞き入れられ、実験中隊は演習を兼ねて鬼哭洞窟の調査に向かった。特別の許可を得てエイタとモモカ、メルミラも調査に同行する。もちろん、スパトラやアイスも一緒である。
久しぶりのエイタと一緒の旅に、モモカはご機嫌である。
「お兄ちゃん、鬼哭洞窟って強い魔物が居るの?」
「奥の方には居るらしいけど、今回は奥には行かないよ」
「何で?」
「今回は、あの兵隊さん達を鍛えるのが目的だからさ。入口付近で弱い魔物を狩りまくるんだ」
「ふ~ん、兵隊さんなのに弱いの?」
モモカは子供らしい素直な質問をする。エイタとメルミラは焦った。
「……弱くはないんだ。魔物退治は初めてなだけで慣れていないんだよ」
モモカの周りに居る新兵達が苦笑いしている。
今回の調査にメルドーガが同行したなら、防諜に気を配り軍用傀儡は荷馬車か何かに積んで移動しただろう。だが、参謀本部ではアサルトスパの存在を、それほど重要視しておらず、新兵達がアサルトスパに乗ったまま移動する。アサルトスパに乗れない者も出るので、その者達やエイタ達は徒歩で移動する。
自分が作ったのに乗れずにテクテク歩いているエイタは、ちょっとやるせない気分になった。
「自分用のスパトラが欲しくなったな」
「私も欲しいです」
メルミラが追随する。
食料やアルコール燃料、テントなどは、資材課の傀儡馬管理班が作製させたと言うアサルトスパ用の荷車に載せられていた。
因みにこの荷車をモモカが最初に見た時「リヤカーだ」と言ったので、何故か『リヤカー』と言う名称が定着してしまう。
エイタの報告書が間違って回された資材課の傀儡馬管理班は、何故かアサルトスパの運用についての研究を継続しているらしい。
軍の土地から外に出るとアサルトスパの行列は物凄く目立った。
ユ・ドクトでは偶に傀儡馬が曳く馬車などが続いて走る場合もあるが、それは三、四台である。五〇機のアサルトスパが隊列を組んで進む姿は、ユ・ドクトの人々を驚かせた。
ダブルショットボウは帆布で覆い隠され見えないようにしている。それでも隊列が道を進むと道行く人達がギョッとして道を空ける。
「ありゃ何だ?」
「軍の新しい武器じゃねえのか」
スパトラより一回り大型のアサルトスパは近くに来るだけで威圧感がある。小さな子供は親の後ろに隠れながら、恐恐とアサルトスパの隊列を見詰めていた。
「おい、キムシェの所のヒュルケンじゃないか。こいつは軍の新しい軍用傀儡なのか?」
アサルトスパに乗る新兵の知り合いが声を掛けた。
「違うよ、おじさん。こいつは騎乗傀儡だよ」
騎乗傀儡と言われても理解出来ないようだった。
「凄いじゃねえか。軍に入ったばかりなのに、こんな凄いのを乗りこなしているなんて」
ヒュルケンと呼ばれた新兵は微妙な表情をする。優秀だから実験中隊へ異動になった訳ではなかったからだ。
アサルトスパはメルドーガより一歩先に自由都市連盟の国民に認知された。
三日で目的の鬼哭洞窟に到着した。襲われたチチラト村よりユ・ドクトに近い位置にあり、少し南に行けばウェルナー湿原が有る。
新兵達は洞窟の入り口付近にテントを張る。エイタもメルミラに手伝って貰い自分達のテントを張り荷物を運び入れる。
モモカはウキウキした感じでテントに入り地面に敷かれたシートの上をゴロゴロと転がる。それを見たアイスが真似をし一緒になって転がり始めた。
「キャハハ……ごろごろ~」
「ヘカヘカヘキョ」
実に楽しそうである。
それを見てメルミラが尋ねる。
「モモちゃん、楽しい?」
「うん、キャンプみたい」
その日は食事を取るとモモカを挟んで川の字になって早めに寝た。エイタは若く可愛い女性であるメルミラと一緒のテントで寝る事に躊躇いがあり、もう一組テントを持ち込もうとしたが、メルミラに反対された。
迷宮に寝泊まりする探索者にとって、異性と雑魚寝する事はよく有る事なのだそうだ。
翌朝、日が昇ると同時にエイタは目が覚めた。モモカがエイタの胸に抱き付くようにして寝ている。
洞窟の傍に湧き水が有ったので飲水は不自由しない。エイタ達は湧き水で顔を洗い、朝食の準備をする。
今朝は干し芋と来る途中に採取した果物である。この地方にはモモカが柿と呼ぶ果物が多く自生していて、大量に採取していた。
食事が終わり装備を整えると、ルチェス大尉の所へ行った。
「そろそろ迷宮に入ろうか」
「ああ、新兵達も準備は終っているみたいだし行こう」
広い迷宮だとは言え、全員が同時に入れる訳ではない。一〇人位を選んで一緒に中に入る。案内役はルチェス大尉である。
エイタはモモカとメルミラを連れて迷宮に入った。この迷宮は巨大な蟻の巣のような構造をしているので、迷路と呼ぶほど複雑ではない。
「ここを真っ直ぐ行くと大きな空間に出るんだ」
ルチェス大尉が歩きながら説明する。この迷宮の瘴気は濃く光を発しており明かりは必要ない。
大尉やエイタ達は徒歩で進んでいるが、新兵とモモカはそれぞれの騎乗傀儡で進む。
「へえ、モモちゃんはエイタ殿の妹さんなんだ」
「そうだよ。こっちのアイスは弟なの」
いつの間にかモモカと新兵達が仲良くなっている。
新兵達にとってモモカは不安を取り除く薬のような存在になっていた。
大きな空間の前まで来て、ルチェス大尉が『止まれ』と合図した。
エイタは慎重に移動し中を覗く。マウスヘッドの群れが騒いでいた。全部で五〇匹ほど居るだろうか。
「モモちゃんとメルミラは退路を確保する為に、マウスヘッドの巣への侵入口を守ってくれ」
モモカとメルミラが頷く。
エイタは防護鎧を装備し背中にリパルシブガンを背負っている。万一に備えての装備であるが使う気はない。右手にプロミネンスメイス、左手にフィストガンを持ってルチェス大尉と一緒に中に飛び込んだ。
「一列になって我々に続け!」
アサルトスパに乗っている新兵達に命じる。エイタは壁沿いに進んで途中に居たマウスヘッドをプロミネンスメイスの『雷撃』で始末する。
新兵達は凄い数の魔物が居る場所に飛び込むからか顔を強張らせ、エイタ達に続いた。手にしっかりとショットボウを握り締めながらアサルトスパを走らせる。
連れて来た新兵達の全員が中に入ったのを確認し、ルチェス大尉が「止まれ」と号令する。
その頃にはマウスヘッドの集団はアサルトスパに気付き騒がしい鳴き声や唸り声を発している。ここのマウスヘッドは少し大きいようだ。
身長一.三マトル《メートル》ほど、身体に比べると大き目のネズミの頭には凶悪そうな眼が付いている。それぞれが棍棒やショートソード、ナイフなどで武装している。
そんな魔物が五〇匹も一斉に襲い掛かって来るのだから、当然新兵達はビビる。中には命令を待たずにショットボウを撃ち始める者まで出る。
マナシールドを張り、魔物の攻撃がしっかりと防御されているのに、魔物の殺気でパニックを起こしているのだ。
ルチェス大尉は舌打ちし。
「撃ち方始め!」
マウスヘッドの集団に向かってショットボウの弾丸が叩き込まれた。魔物の悲鳴が響き渡る。一〇丁のショットボウによる弾幕はマウスヘッドの死体の山を生み出した。
射撃はルチェス大尉が止めるまで続いた。中には全弾を撃ち尽くし焦って弾倉を交換する者も居た。
「撃ち方止め!」
最後のマウスヘッドが倒れた時、攻撃を止める。新兵達は顔を青褪めさせマウスヘッドの死体を見詰めている。
このような魔物の巣が数十個も存在するのが鬼哭洞窟で、それらの中で新兵達のレベル上げに使えそうなのは十三個だけ、他は危険な魔物が巣食っている。
新兵達の中に身体の変調を訴える者が現れた。顕在値レベルが上がったのだ。新兵を少し休ませた後、マナ珠の回収をルチェス大尉が命じた。
その後、もう一つの魔物の巣を掃討した後、引き返し新兵を入れ替え迷宮に戻りレベル上げを繰り返す。
ここの魔物は集団でいるのでレベル上げには最適だった。
一日目は新兵全員が顕在値レベルを二つほど上げた。二日目はアサルトスパのマナシールドを切って初日と同じ事をさせる。こうすると魔物中に弾幕を突破し新兵達に肉薄するものが現れる。
「ウワッ」
魔物に肉薄されアサルトスパから転げ落ちた新兵を助ける為に、モモカが魔物の顔面にフィストガンの見えない拳を叩き付ける。
それを見ていたオスゲート上級曹長が怒鳴り声を上げる。
「貴様ら、背中のショートソードを何だと思っている。肉薄されたらショートソードを使え!」
騎乗兵の武装は、メインがショットボウ、サブがショートソードとなっている。
新兵に混じってヴォレス中尉もショットボウを撃っていた。彼は頭脳派だったので、顕在値を上げるような実戦の経験が少なく、この機会に顕在値レベルを上げているのだ。
一行の中で一番顕在値レベルが高いのがエイタでレベル21、次がオスゲート上級曹長のレベル16、ルチェス大尉のレベル14、メルミラとモモカのレベル12、ヴォレス中尉のレベル5の順番になる。
ヴォレス中尉はモモカの顕在値レベルを聞いて、この機会にレベルを上げようと決心したらしい。
因みに新兵達はレベル上げ前のレベルが2か3である。顕在値レベルの高い新兵は、所属している部隊が手放すのを嫌がり、結果として顕在値レベルの低い者が実験中隊に集まったようだ。
だが、迷宮でのレベル上げにより、新兵達は顕在値レベルを四つほど上げ、期待の新人レベルにまで成長した。
最終的にだが、新兵達の顕在値レベルを2桁にしたいとルチェス大尉は考えている。
新兵に経験を積ませ鍛えると言う目的は達成出来そうなので、エイタ達は迷宮の調査を行う事にした。
2016/7/5 誤字脱字修正