第二話「その花の名前は「ハーデンベルギア」。花言葉は「運命の出会い」」
スイメイ国の首都より離れた国境沿いの村「黄昏の丘」。
アガベの父親・ブルーム辺境伯が治めていた領地のすぐ隣だ。しかし、ここに来て、いかに自分の父親が優れていたか、アガベは思い知らされた。
「酷い……」
まず、アガベがしばらく住む屋敷が、オンボロなのである。
丘の上に建てられたその屋敷は、壁からすきま風が吹き、冬と言うわけでもないのに、どこか寒かった。窓はいくつか閉まらないし、廊下や部屋の隅は埃がたまっている。
それから、窓からの景色。
実家のアガベの部屋からは、綺麗な深緑に覆われた森が見えた。季節ごとの花が咲き誇り、手入れもされていたので、それはそれは美しかった。
が。
この屋敷から見える森は、まるで「お化け」だ。草木は伸び放題で剪定されておらず、空は青空が見えるのに、森の中は暗く不気味そのものであった。
「裁判が終わるまで、ここで暮らすようにとの命令です」
「こんなところで……?」
アガベ嬢は開口した。
こんなボロボロの屋敷、平民の家の方がマシに思える。
「見張りの兵を二人残して、我々は帰ります。夜はしっかりと戸締りをしてください。森の中から、「闇ウルフ」が出てきて、時々、村を襲っているようです。ここも安全とは限りません」
「なんですって?」
長い髪を揺らし、大きな瞳を吊り上げて、アガベは隊長兵に迫った。
国境沿いは、よくモンスターが出る場所でもある。だから、魔力の強い兵が配属される場合が多い。
「魔物に襲われるかもしれないのに、二人だけ? その二人、魔法は使えるのかしら?」
闇ウルフは、どこ国にも生息しているモンスターだ。それほど強くはない。
魔法が使えれば、敵ではないのだが……。
「使えません。平民出身ですので」
「っ!」
アガベは目の前の隊長兵を殴ろうかと思った。
いくら犯罪を疑われた辺境伯の娘だからって、見張りが平民出身の兵二人?
魔法は貴族しか使えない神業だ。平民では話にならなかった。
「あ~……。なるほど。つまり、私に「死ね」っておっしゃるのね。それは、ここの領主の指示なのかしら? 死ぬくらいなら文句を言ってから死にます! 領主の元に連れて行きなさい!」
今まで自分を殺してきたアガベだが、今はそのタガが外れている。
せっかく努力しても、この有様なのだ。馬鹿馬鹿しくなって、本当の自分をさらけ出していた。
「無理です。遠すぎます」
淡々と応える隊長兵に、アガベは鼻で笑った。
「領地一つがどれだけ広いのよ? それほど時間がかからないはずでしょう!」
「領主はフルール侯爵です」
「え」
アガベは我が耳を疑った。
フルール侯爵?
ポピーの父親で、大勢の前で私に恥をかかせた?
「フルール侯爵は、首都に近い街「華美の集い」と国境沿いの村「黄昏の丘」。この二つの領地を持っているのです。……華美の集いでの仕事が忙しく、なかなかここには来られませんが」
「……」
アガベの心の中で、何かが引っかかった。
今は反逆者の娘だが、一時はポピー=フルールの婚約者であった自分だ。それなのに、「ブルーム家と領地が隣接している」なんて聞いた事がない。
父親のブルーム辺境伯でさえも知っていたのかさえ、怪しい。隣の領地が誰なのか気になる事はあっても、深く調べたりはしない。自分の領地を治める事が第一優先だからだ。
偶然にも、お互い知らなかった? ……いや、不自然だ。
意図的に、どちらかが隠していたと考える方が自然である。
しかし、なぜ?
「例え、行けたとしても、女相手に侯爵が話を聞くとは思いません」
「……」
アガベは隊長兵を睨みつけた。
だが、それしか出来なかった。
隊長兵の言う事は正しい。
何度も言うが、この国で女性があれこれ言うのは、許されない。
魔力が弱い。それだけの理由で、取り合ってはくれないだろう。
「しかし、辺境伯令嬢にここで一人住めとは申しません。定期的に、国から日用品が届くよう手配してあります。それと……世話をするメイドを連れてきました」
「メイド……」
メイドの存在を聞いて、アガベは少しほっとした。
今まで、料理も洗濯も掃除もした事が無いお嬢様なのだ。
いきなり、「一人でやれ」は過酷すぎる。
「入れ」
隊長兵に連れて来られて、一人のメイドが入って来た。
十歳前後の少女だ。少し黄ばんだ白いエプロンを身に着けている。
滑車のついた革製のトランクを手にしていた。ここに来たばかりなのだろうか?
「いっ!」
メイドの姿を見て、アガベは思わず一歩後退した。
汚すぎる!
一回も洗った事がないのか、黒く長い髪が油脂によって光っている。荒れているし、毛玉もいくつか見えた。前髪まで伸びており、顔が全く見えない。
身体からは悪臭が漂っている。思わず、顔を背けたくなるような異臭に、アガベは顔をしかめた。
「ど、どこの浮浪児……?」
「半年前に、華美の集いにありますフルール侯爵の門の前をウロウロしていたのです。「仕事を下さい」というので、メイドの下働きをさせていたらしいです」
「なんで、こんなに汚いのよ!?」
「湯浴みを嫌がるようです。フルール家や諸侯達の前に出るわけではないので、放っておかれたようでして」
「そのトランクは?」
アガベは顎で、メイドのそばにある革製のトランクを指した。
奇妙なトランクだ。煙突のような筒が付いている。
「わかりません。離しても、気付けば持っているようです。開ける事も出来ません」
「こわっ……」
アガベは少女を一瞥した。
少女は何も話さない。いや、そもそもどこを見ているのか、どんな表情をしているのかさえ分からなかった。
「では、裁判が終わるまで、ここで大人しく過ごしてください」
兵隊長は頭を下げて一歩下がる。
ついでに、少女に挨拶を促した。
「ほら。これから、お前の主人になる方だ。挨拶をしろ!」
「……」
少女は黙って、一礼をした。
脂まみれの黒いベールが邪魔をして、やはり表情は見えなかった。