第十三話 「その花の名前は「ネムノキ」。花言葉は「歓喜」「胸のときめき」
「フルール侯爵。お久しぶりでございます」
翌日。
フルール侯爵は、息子のポピーと共に黄昏の丘を訪れた。
丘の上の屋敷は、アガベと村の協力を得て、明らかに生まれ変わっていた。
……だが、侯爵はオンボロだった事すらも知らないようで、驚きもしない。
「信じられない! 君、本当にアガベなのかい!?」
侯爵より先に声を出したのは、元婚約者のポピーだ。
あまりにもアガベが様変わりしていからだ。
持っているドレスは糸がほつれ、所々、シミがある。化粧も髪型も、少女のメイドと村人達が施したものだから、「小綺麗な平民女将」にしか見えない。
「まあ、ポピー様。そんな私に見惚れないでくださいまし~♪」
久々に婚約者に会えて、アガベは嬉しさに頬を染めた。
どう見ても、相手は喜んでいないのに。
ポピーは唇を噛みしめた。
学校に通っていた時のアガベも質素だったが、ますます拍車がかかっている。もう「地味」とも言うべきレベルだ。それほど酷い環境で過ごしていたのかと思うと、辛くなった。
「ごめん。もっと僕がしっかりしていれば……」
「あら。ポピー様はすでにしっかりされておりますわ。今まで通りでいてくださいませ」
「でも……」
「さ、立ち話もなんですから、奥の部屋へ参りましょう」
アガベはフルール侯爵一行を、屋敷の奥へと案内する。
その時。ポピーの後ろに黒いマントを羽織った長身の男がいる事に、アガベは気付かなかった。
恋は盲目。彼女はポピーしか目に入っていなかったのである。
「どういう事ですかな? アガベ令嬢。村で学校を開いている、と聞いていますぞ」
円卓のテーブルと椅子を並べただけの応接室。
座り心地の悪い椅子に舌打ちしながら、侯爵は椅子に座った。
「ええ」
フルール侯爵の言い方にトゲを感じても、アガベは怯えない。
穏やかな笑顔を浮かべて、答えた。
「その通りでございますわ」
「平民に読み書きを教えてどうするのですか? そんな時間の無駄で……」
「まあ、ご興味がありますの!? さすがはフルール侯爵ですわ!」
「え」
否定的な事を言われそうになったら、その前に相手を褒める。
アガベのお得意分野だ。
「そうですわよね。羽ペンやインク、紙まで支給して下さったんですもの。村の人間がどれだけ勉学に励んでいるか知りたい。その気持ち、ありがたく思いますわ」
学校の話をしてくるという事は、すでに文具用品が村の人達に渡っている事が侯爵の耳に入っているのだろう。
ならば、それを隠すのではなく、利用するまでだ。
「いや、違う! 私は……」
「村の者達も喜んで、フルール侯爵を称えていましたわ。「あの方が領主様で良かった」と泣いている者もいるくらいです」
「……」
褒められている事を、否定するのは難しい。
ましてや、生まれながらにして上の立場に立ち、当たり前のように賛辞を受けている人間は、それを拒否する方法を知らない。
「くっ……!」
「ふふふ。あはははは!」
低い地響きのような声が応接室に響いた。
アガベは今、気付いた。
フルール侯爵一行に、フルール家の者ではない人がいる事に。
「いや、失礼」
その男は黒い帽子に、黒いマントを身に着けていた。しかも、マスクを着けている。仮面舞踏会に着けるような派手なマスクに、違和感を覚える。
「貴族の令嬢とは思えない話術ですね。素晴らしい。私はこういう常識に縛られない人間が大好きですよ」
「え。ど、どなた……?」
「これは失礼」
マスクの男は立ち上がると、胸に手を当てて、深く頭を下げた。
「申し遅れました。私、デルフィニウム=ツヴィトークと申します。ご無礼をお許しください、ブルーム辺境伯令嬢」
「……」
勝ち誇ったようなアガベの表情が……固まった。
今、彼女の頭の中では、グルグルと「デルフィニウム」という名前が回っている。
そして、愛読している書物に、その名前が刻まれている事実を思い出す。
「デ、デ、デ、デルフィニウム~~~!!!」
思わず、アガベは立ち上がる。
大股で大きい足音を立て、マスクの男に近づいた。
「デルフィニウムって……! デルフィニウムって!! あの『花と魔力の相互関係』のデルフィニウム教授ですか~~~!!?」
「おお、私の本を知っているのですか?」
優しい声色を奏で、デルフィニウムは口の端を上げた。
目の前に憧れの存在がいて、アガベの顔は真っ赤だ。
「あ、あの! 何度も! 何度も! 読みましたわ! もう~~! 読み終わった時の感動は衝撃的で、父も驚いており、素晴らしくて、万歳して、踊って……!!」
興奮しすぎて、アガベは自分でも何を言っているのか、わかっていない。
とりあえず、「大好き」は伝わってくる。
デルフィニウムは立ち上がると、アガベの前で膝を折った。
「ありがとうございます。あなたのような美しい方に読んでもらえるなんて、とても光栄です」
そして、そっとアガベの手をとると、その手の甲にキスを落とした。
それはよくある貴族同士で行う挨拶だ。
だが、アガベには格別過ぎた。
「~~~~~……!!!!」
声なき声を上げ、後ずさりをする。
そして……床に倒れこんでしまった。
「どうしたの!? アガベ」
体調でも悪くなったのかと、ポピーは心配して、声をかける。
アガベの全身は震えており、息は荒く、苦しそうに胸を押さえていた。
「もう私は無理かもしれません……」
「ええっ!」
「ポピー様……今まで、ありがとうございました……。私、幸せでした……」
「突然、なんで!?」
「全ては……愛ゆえ……ですわ」
「アガベ! アガベーー!!」
死にかけているアガベに、ポピーは焦る。
だが、父の侯爵は焦らなかった。どう見ても、アガベの顔は死に行く人間の色をしていない。むしろ、血色が良く、非常に健康そうだ。
「なるほど。ブルーム辺境伯令嬢はデルフィニウム教授の愛読者、という事ですか?」
「……そうなんですの」
侯爵の発言に、アガベはゆっくりと起き上がった。
さっきまで死にかけていた人の行動とは思えず、ポピーは目を何回も瞬きする。
「あれ?」
「まさか、こんな所でお会いできるなんて……」
アガベは恋する乙女のように、ゆっくりと改めて教授を見つめた。
椅子に座った教授は、仮面の下からでもわかるくらいの優しい笑顔をアガベに向ける。
「ふふふっ」
「ぐはっ!」
アガベ、テーブルに頭を叩きつける。
「ダメ……。……もう……しんどい……」
「ちょっとアガベ! さっきから変だよ!」
この世界には、まだ「オタク」とか「推し」とか言った言葉はない。
だが、敢えて言おう。
アガベにとってデルフィニウム教授は「最推し」なのだ!
推しのファンサに、アガベがもだえ苦しんでいるところに……。
「アガベ様。お茶をお持ちしました」
応接間の扉が開き、メイドのシャガが入って来た。
四人分の紅茶セットを乗せたトレーを持つ手は、震えて、真っ赤になっている。彼女の小さな身体では、紅茶セットは重たそうだ。
後ろからトランクのランクもゆっくりとついてきていた。
「あら、大変」
アガベがシャガの助けに入ろうと立ち上がる。
が、その前にデルフィニウム教授が前に飛び出してきた。
「シャガ」
「え」
「会いたかったですよ、シャガ」
「……っ!」
デルフィニウム教授の姿が目に入った瞬間、シャガはトレーごと紅茶セットを落としてしまった。
鋭い音を立てながら、紅茶セットが割れ、中身がこぼれ出る。
「シャガ! 大丈夫!?」
慌てて、アガベが近づく。
だが、彼女は、アガベも、床を汚した紅茶も、見ていなかった。
ただただ、教授を見つめていた。
震える目で。
「ずいぶんと探しましたよ。こんな所にいたのですね」
「ど、どういう事?」
アガベは混乱した。
シャガの様子を見るに、デルフィニウム教授と彼女は知り合いのようだ。
まさか、娘? ……いや、教授は独身のはずだ。それに「教授」と呼ばれているが、デルフィニウム教授は、スイメイ王国の筆頭公爵ツヴィトーク家の人間である。そんな由緒ある家の人間が、例え妾の子供であろうとも、我が子をその辺に捨てるとは考えにくい。
「……私に親はいません。気が付けば、魔法学の研究者に拾われ、育てられていました」
かつて語っていたシャガの生い立ちを思い出す。
魔法学の研究者。
デルフィニウム教授の事だったのか!?
……いや、冷静に考えればわかるはずだ。
膨大な魔力を込められた「魔法のトランク」。これを男爵や子爵レベルの貴族が作れるわけがない。爵位の高い研究者と言えば、彼しかいないというのに!
「さ。帰りますよ、シャガ」
紅茶の上を、教授は何も無いように踏みつける。
その長い腕が、シャガの腕を掴もうとしていた。
「シャガ!」
考えるより体動いていた。
気が付けば、アガベはシャガの前に立っていた。
まるでシャガを守るように。
「何の真似ですか? アガベ令嬢」
教授の声色は、あくまで柔らかい。
声を荒げず、ただただ困ったように首を傾げている。
悪い人には見えない。
それでも、シャガを庇わずにはいられなかった。
「……」
アガベは横目で、後ろにいるシャガを一瞥した。
小さな身体が震えている。唇は小刻みに揺れ、視線は定まっていない。息が尋常ではないくらい、荒れていた。
こんな怯えている少女の姿を見て、アガベは黙っているわけにはいかなかった。
「あの……この子は私のメイドでして……」
憧れの教授に楯突くような事になってしまい、さすがのアガベも舌が回らない。
教授は「ああ」と己の顎を撫でると、説明を始めた。
「そうなのですか。実は、この子は私のメイドであったのですよ。あなたに仕える前にね。だから……返していただきたい」
アガベの肩が震えた。
「返していただきたい」と言葉は優しいが、圧を感じる。「返せ!」と言われているような気がした。
それでも、アガベは何とか抵抗する。
「……今の、私は軟禁状態にあります……」
「そのようですね」
「だから……唯一のメイドである、この子を渡すわけにはいかないのです……。生活が出来なくなってしまいます……」
「アガベ令嬢」
冷たい声がアガベの名前を呼ぶ。
つい先ほどまで羨望の眼差しを送っていたのに、あっという間に恐怖の対象になってしまった。
「その子には気を付けた方がいいですよ。平気で人を傷つけますよ」
そう言うと、教授は着けていたマスクを外した。
「……こんな風にね」
「っ!」
アガベは思わず、顔を反らしてしまった。
教授の目の周りと額は、酷い火傷の跡で覆われていた。ケロイドによって、皮膚のほとんどが歪んでいる。一瞬でも、「人か?」と疑ってしまうほどだ。
「これは殺戮兵器です」
先日聞いたシャガの言葉が、頭の中で反芻した。
恐らく、教授の顔の火傷は、魔法のトランクで傷つけられたものに違いない。
「失礼。レディに見せるものではなかったですね」
教授は声色を変えず、マスクを着け直した。
そして、シャガの後ろに控えているトランクを見据える。
「やはり、シャガを主人として認識し、行動している。我ながら、素晴らしい道具を作ったものです」
「ん? では……これが例のトランクか!」
フルール侯爵が興味津々に立ち上がり、トランクの傍に近づいた。
だが、ランクは侯爵の方を見向きもせず、シャガにピッタリとくっついている。
「信じられん! ただのトランクではないか!」
フルール侯爵がランクに触れようとする。
しかし、ランクは軽やかに、その手をかわし続けた。
「何だ!? このトランクは!」
トランクごときに馬鹿にされていると思い、侯爵は顔を真っ赤にする。
教授は静かに窘めた。
「お止めなさい、侯爵殿。貴方を主人だと認識しない限り、トランクは貴方の自由にはなりませんよ」
「それでは、私が使えないではないか!」
「まあ。しばらくは、シャガに操ってもらうしかないでしょうな」
声を荒げる侯爵に対し、教授は淡々と答える。
そんな二人の会話を聞いて、アガベは血の気が失せた。
「まさか……」
今回の訪問の目的が分かった。
教授は、魔法のトランクをフルール侯爵に売る気なのだ!
殺戮兵器を侯爵が持つ……。
嫌な予感に、アガベは襲われた。
息子のポピーは穏やかな性格だが、フルール侯爵はそうではない。どちらかというと、血の気が多い方だ。何度かフルール家にお邪魔した時、どうして、こんな腹の黒い人からポピーのような子供が育ったのか、不思議に思ったくらいだ。
「フルール侯爵様。私はメイドもトランクも、譲り渡すつもりはございません! お引き取りを!」
思わず、アガベは啖呵を切る。
しかし、フルール侯爵は余裕のある笑顔を浮かべ、アガベに一歩近づいた。
「アガベ令嬢。忘れては困ります。このメイドの雇い主はあくまで私ですぞ」
「っ!」
アガベは反論出来なかった。
そうだ。シャガは侯爵から派遣されたメイドだ。
こっちに「譲らない」なんて言う権利はない。
「あー、それから」
わざとらしいまでに遅い口調で、侯爵は話を切り出した。
「ブルーム辺境伯の裁判の日が決まりましたぞ。このままでは有罪で間違いないですな~」
「えっ……」
「あまり私を不愉快にさせない事ですな。……優秀なアガベ令嬢なら、おわかりでしょう?」
「……!」
鋭い目つきを更に光らせ、アガベは侯爵を睨みつける。
だが、フルール侯爵はニヤニヤと笑うだけだ。
「では、アガベ令嬢。三日後、また参ります。それまでにお別れの準備をしておく事ですな」
身支度を整え、侯爵は息子に視線を送る。
「ポピー、帰るぞ」
「アガベ」
立ち去る前に、ポピーはアガベの手を優しくとった。
大きくて温かいポピーの手は、少しだが安心を覚える。
「必ず君を助ける。待っていて」
「ポピー様」
元婚約者の真摯なまなざしに、一瞬、アガベは思わず胸をときめかせる。
そう、一瞬だけ。
すぐに、心はシャガへと戻していた。自覚はないが、彼女の頭はシャガの事でいっぱいだったのだ。
「それでは、また会いましょう。アガベ令嬢」
ポピーに続いて、デルフィニウム教授が軽く頭を下げた。
黒いマントが翻り、教授は部屋を後にする。
侯爵一行の姿が見えなくなると、シャガはその場に座り込んでしまった。
「シャガ!」
アガベが声をかけるも、シャガは反応しない。
「シャガ! しっかりして、シャガ!」
小刻みに震えながら、シャガは褐色に染まった床を見つめていた。
その瞳に光はなかった。




