第十一話 「その花の名前は「シャガ」。花言葉は「反抗」」
貴族が嫌い。
人に指示する人間も嫌い。
たくさんの人から認められ、尊敬されている人間も嫌い。
だって、そういう人達は大抵、陰で誰かをいじめているから。
……私を育てた教授のように。
「この役たたずが!」
親のいない私を引き取ったのは、縁もゆかりもない魔法学の研究者だった。
「教授」と呼ばれ、各地を渡り歩き、講習会を開いては称賛されていた。
「水を入れすぎるなと言ったはずですよ! 見なさい! 枯れたでしょう!」
研究材料の草花の管理が上手くいかないと、床に叩きつけられ、何度も何度も殴られた。
食事を与えられない事なんか、しょっちゅうだった。
そうやって出来上がった論文『花と魔力の相互関係』は、当時の貴族達に衝撃を与えた。
「なんと素晴らしい!」
「革命的ですな! さっそく我が領土にも、たくさん花を植えましょう」
「あなたは我が国の誇りですよ」
私への暴力を苗床にして書かれた論文を、みんなが褒め称えている。
吐き気がした。
それでも、私は逃げなかった。
彼が私に与えたのは、暴力だけではなかったから。
「いいですか。これから、あなたには勉強をしてもらいます。私の考えが正しければ、あなたも魔法が使えるはずです」
知識も与えてもらったのだ。
私は勉強が楽しくて、仕方が無かった。
知識が、語彙が、文字が、私の身体に入るたび、私は自由になれるような気がした。
貴族は「学校」という場所で、勉強をするらしい。
学校。
どんなところなんだろう? 知識を得る場所なんて、ワクワクする。
「やった! やったぞ!」
20,000文字を覚えたあたりだろうか。
講習会を行った宿泊先で、ついに私は魔法が使えるようになった。
私が……魔法を……。
手の上で浮かぶ水の玉を見て、私は言い知れぬ恐怖と胸の高鳴りを感じた。
「お祝いだ!」と、教授は酒を瓶ごと口に含み、ゴクゴクと飲み始める。
「さあ、次は魔法のトランクです!」
「っ!」
「魔法のトランク」と聞いて、私は青ざめた。
それは、『花と魔力の相互関係』を書いている途中で、教授が思いついた魔法道具だ。
魔力は、近くに咲く花の数・種類によって増大する。
ならば、常に花を持ち運べた方がいい。
そう考えた教授は、この「魔法のトランク」を作成した。
草花の大きさ・特徴に関係なく、たくさんの花を詰め込む事が出来るトランク。
その作成の過程で、教授は気付いた。
「花に魔力を直接注ぐと、その花の「花言葉」にちなんだ強力な魔法を発動する」事に。
そこで、トランクに筒が付け足された。
ここまで来ると、子供の私でも分かった。
これは……武器だ。
花言葉は、いい言葉ばかりがあるわけではない。
ネガティブな言葉もある。
スノードロップに、大勢の人間が魔力を込めたら……と思ったら、ゾッとした。
だが。
「これを全ての人間に使えるようになったら、きっとみんな、驚きますよ」
教授は楽しそうだ。
研究者や学者という生き物は、皆、そうなのだろうか。
「楽しそう」「面白そう」「みんなが驚く」という子供のような好奇心で行動する。その先を考えない。
目的の為に、教授は動物をたくさん殺した。
もう「魔法のトランク」は、誰もが使える代物ではなくなっていたのだ。
花というのは、それぞれ咲く条件が異なる。それを無視し、花の大きさも無視し、トランクが揺れても中身が無事なように、重力も無視した。言葉だけでトランクを動けるようにし、花びらも取り出しやすくした。
あまりにも膨大な魔力を重ねた為、誰もが気楽にトランクに触れる事が出来なくなってしまった。
最初は、野良猫をトランクの主人にしようとした。その結果、猫はドロドロに溶けてしまった。
「……!」
あまりの異様な光景に、私は嘔吐してしまった。
だが、教授は「もっと改良する必要がありますね」としか言わず、その死体を私に片付けさせた。その時の教授の目は、「宝物を探す少年」のように輝いていた。
教授は何度も改良を重ね、何度も動物実験を繰り返した。その度に野良犬や野良猫、ネズミの死体が山になった。
そして。
ついに、私で実験しようと言うのだ。
「私に楯突くのか!」
私が嫌がると、教授の拳が私の頬に炸裂した。
酔っているせいか、いつもより重い拳だ。
「何度も改良したのですから、今度は成功します! ……たぶんね」
ドロドロに溶けてしまった動物たちの姿が、私の脳裏に浮かぶ。
私もああなってしまう。
「さあ、実験だ!」
「いやっ!!」
長い前髪を揺らして、私は懸命に抵抗した。
それでも、教授は容赦しなかった。強引に私の腕を掴み、トランクの取っ手に近づける。
嫌だ、嫌だ! 嫌だ!!
まだ死にたくない!
どんなに強く願っても、子供の私が大人の教授に勝つわけがなかった。
「トランクよ。新しい主人だ! 盛大に迎えるがいい!」
「いやぁぁぁ!!!」
取っ手が私の手に触れる。
身体がドロドロに溶けて……。
溶けて……。
いや、溶けない。
「……?」
私は震える己の手を見つめた。
特に、変わったところはない。
「おお!」
すぐそばで教授が歓声を上げる。
待ち望んでいた結果を前にして、キラキラと目を輝かせていた。
「よ、よしっ! では、命令してみなさい!」
「え」
「馬鹿者! 分からないのですか!? 何でもいいから、花びらを出すように、トランクに指示をするのですよ!」
「……」
私が死んでもおかしくない実験だった。
でも、教授はただ嬉しそうに、目の前の結果だけを見ている。
ああ。
ダメだ。
このままでは、私は殺されてしまう!
「……イチハツを……」
私はポツリと、花の名前を呟いた。
トランクの筒から薄紫色の花びらが出てきた。
床に落ちた花びらを手に取る。それは、白いトサカ状の突起物がある特徴的な形をしていた。
間違いなく、イチハツだ。
ついに、魔法のトランクは完璧な形で完成したのだ!
「やった! やったぞ! ついにやったぞ!」
教授は小躍りをして、全身を震わせて喜んでいる。
その隙に。
私はこっそりイチハツの花びらを集めた。
イチハツは、藁の屋根に植えると防火作用があると言われている。そこからついたイチハツの花言葉を、教授が知らないはずがない。
完全に油断している。
逃げ出すなら今しかないのだ。
「……ん? 何をしているのですか?」
私が花びらに魔力を込めている事を、やっと気づいたらしい。
だが、遅い。
私はありったけの魔力をイチハツの花びらに込めた。
「その花の名前はイチハツ。花言葉は……」
火炎!
その言葉を唱えるやいなや、私の手の中で炎が立ち上がった。
「……!」
正直、自分で自分が怖かった。
自分の手が燃えているのだ。
しかし、どんなに手の神経に意識を向けても、熱さを感じなかった。
「ひっ!」
だが、あの教授が怯えている。
毎日のように、私を殴り蹴り飛ばした男が、私を見て震えている。
こんなチャンスはもう無いだろう。
今までの辛くて悲しい生活から逃れるべく、私は意を決し、手の中の炎を教授に投げつけた!
「やっ!」
「ぎゃああああ!!!!」
そこからは無我夢中だった。
背後に響く教授の悲鳴を聞きながら、夜中だと言うのに、部屋を飛び出し、逃げ出した。
ただただ、走って走って走って走って……。
走って、走って……。
走って……。
どれくらい経ったのだろう?
気付けば、息を荒くして、私は倒れこんでいた。
空を仰げば、満天の星。
綺麗だった。
そばに、あの男はいない。
自由だ。自由になったのだ。
だが、怖い。
震えている我が手を、そっと優しく撫でる。
最後に見た、教授の顔。
炎は、教授の顔を呑みこんでいた。
ひょっとして、死んでしまったかもしれない。
自分は人を殺してしまったのだろうか……?
そう思うと、怖くて仕方がなかった。
「……っ!」
何かの気配を感じて、私は起き上がった。
いけない。
街の外れまで来てしまっている。
モンスター達に見つかってしまう。
「……あ」
起き上がって、絶望した。
見つかってしまう、ではない。
もう取り囲まれていた。
相手の顔に飛び込み、目と鼻を塞いで窒息死させるモンスター。
鈍色スライム!
闇の中でも、その身体が銀の光を放っている。どこに目があるのかは分からないが、私を囲んでいるところを見ると、獲物として私を狙っているのが分かった。
戦う?
いや、数が多すぎる。
鈍色スライムは、明るい光を嫌がる性質がある。
私が照明魔法を覚えていれば、問題ないのに……。
そんな事を悔やんでいると、カラカラと乾いた音が近づいてきた。
「え?」
スライムの群れから出てきたのは、教授が作った「魔法のトランク」だ。
私の横に着くと、動きが止まった。
「……どうして……?」
私は周囲を見渡した。
スライムだらけで、教授の姿は見えない。
トランクだけが、私のところにやって来た……?
私が主人だから?
宿屋での契約は、成立していたのか。
しかし……、トランクがこうやって勝手に動くなんて。
こうも離れてしまっては、作り手である教授は面白くないはずだ。
度重なる魔法を織り交ぜる事で、トランク自体に意志が芽生えてしまったとしか思えない。
「……」
鈍色スライムたちが、ジリジリとこっちに迫って来る。
考えている余裕はない。
「オレガノを出して」
私が指示を出すと、トランクの筒から小さな薄紅色の花びらが出てきた。
地面に落ちる前に、私はそれらを手にとる。
「その花の名前は「オレガノ」。花言葉は……「輝き」」
眩いばかりの光が、手の中で炸裂した!
鈍色スライムはその光に驚き、ほとんどのスライムは退散してしまった。
やがて、光は私の手を離れ、頭上に浮遊。
それは、花火のように明るかった。
その明るさがいつまでも消えないので、残ったスライム達も全て逃げ去ってしまった。
「助かった……」
私は地面に座りこむ。
そばにいるトランクのおかげだ。
私は感謝の気持ちを込めて、トランクの取っ手を撫でる。
トランクは嬉しそうに、体を揺らした。
「ふふふ……」
この時、私は生まれて初めて、心の底から笑った。
トランクは、初めて出来た私の仲間だ。
なんて皮肉なのだろう。
私の心身を壊そうとしていた教授が、私の心身を癒す道具を生み出したなんて。
「ありがとう」
私はお礼を言うと、その場で眠り込んでしまった。




