第3話
いつもの通り少年を教室で待っていた彼女だが、下校時刻5分前になっても少年は来ない。
ため息を吐いて立ち上がると、教室を後にする。
いつも長いと感じている通学路をいつにも増して長いと感じながら、彼女は俯いてトボトボと歩いた。
復路も終盤になる目印の建物。真新しい家々の端。その家の住民が外にいた。彼女の姿を認めると、心配そうな表情を作る。
「大丈夫なの?さっき治道くんが慌てて探してたわよ」
治道というのは、彼女と昨日道で会った青年の名前である。
「連絡してみます。ありがとうございます」
心当たりがない、という風を装うが、内心は少し焦っていた。昨日余計なことを言ってしまったと思ったのだ。
電話をかけるためスマホを見るが、通知はなかった。疑問に感じながら発信すると2コール目で繋がる。
「探していたって聞いたけど、どうしたの?」
「え…あ、そっか…。電話すれば良かったんだ」
青年の言葉に、彼女は笑ってみせる。
「だっていつも、いつでも会えるから…!」
「昔はそうだったね。寒いだろうから家で待っていて」
「い、今は家に誰もいないから…」
「思春期の男子みたい」
恐らく抗議であろう言葉が聞こえ始めたが、面倒がって遮る。
「遠くにいるの?」
「少し遠いけど、車だからすぐだよ。待ってるね」
「うん」
通話を切ると、ため息を吐いた。
昨日のことを心配してくれているんだとは思う。だけど、私にはなにも話すことなんてない。
昨日の今日だし、探し回ってくれた人に電話一本というのも申し訳ない。なにより、大人に知られている。
行くけど…けど、気が重い。
「あーあ…、面倒だし世界滅ばないかな」
お決まりの言葉を口にした彼女の足取りは重かった。
自宅の向かいにある、青年の家のインターフォンを押す。
「おかえり」
「えっと…ただいま」
「あがって」
笑顔で玄関のドアを大きく開ける青年に、首を振る。
「ここで良い。自分の家の目の前だし、流石に悪いと思って来たけど、話すことなんてないよ」
「恋人と別れたんでしょ?」
ここでも彼女は首を振る。
「そんな出鱈目誰から聞いたの」
「同じ部活の友達がいるでしょ?友達の弟なんだよ」
喧嘩したことしか知らなくても、噂話なんて尾ひれがつくことなんて当然。でも知ったのは今朝。家で話すならまだしも、わざわざ連絡をすることかな。
喧嘩の内容も、今日どうするのかも、なにも言っていない。
昨日私が言ったことから想像を膨らませただけなら、そう言えば良い。変。
「部活に顔を出したから、そう思ったのかもしれないね」
「うん、それで心配になって…。今もひとりだし」
「仲直りしてもひとりで帰って来たよ。こんな距離を往復させたりしない」
心配そうな顔になる青年から視線を逸らす。
「仲直り出来なかったんだ」
「ただ話せなかっただけだよ。明日話す」
「逃げたんだよ。そんなヤツ止めた方が良いよ」
なにも知らないのに、なんなの。ただの近所のお兄さんがなにを言っているの。
この人ほんっっっっとに嫌。
「タイミングというか、運というか、そういうの悪いんだよね。多分頼み事を断れなかっただけ。怖がりだから」
「怖がりだから逃げたんだよ」
整理が必要なことなんだと思うし、急ぐ理由もない。気長に待つよ。
彼女はそう言おうとしたが止めて、軽く左手首を回す。
「素直になれないときの仕草…変わらないんだね」
寂しそうな顔をして、彼女の左手を見る。彼女の視線がその方向に向けられた瞬間、抱き寄せる。
「止めて」
「小さい頃から僕のこと好きだったよね?だけど5つ上だから諦めてたんだよね?だから昨日僕に言ってくれたんだよね?」
「なに…言って…」
頭でも打ったの?
「別れるべきだよ。別れて僕と付き合うべきだよ」
「ふざけないで。仮に別れたとしても貴方とは付き合わない。あと、高校生にみだらな行為をするのは例え合意の上でも犯罪だから」
「そうだね。付き合ってるってなると、自然とそういうことを想像しちゃうし」
え…?私の言ったこと、ちゃんと聞いていたの?
「小さい頃から好きなんて、思い過ごし。今も昔も好きじゃない」
「照れなくても良いんだよ」
全然聞きやしない。よく知らない人か近所じゃなかったら騒ぎにしても良い。だけどコイツは駄目。
どうせ大人は妹にするつもりでとか、不愉快な思いにさせるつもりはなかったとか、そういう言い訳を信じる。
私の方がおかしいってされる。そんなの勘弁。
撫でられた肩から、悪寒が広がっていく。
「アンタなにしてんだ!」
正確な家の場所は教えていないのに、ここまで来られたのはどうして。もしかして後を付けて…?いや、今は些細な問題。
「見て分からない?私を襲っている」
「いや、まぁそうだけど…そういう“なに”じゃないだろ。良いや。そんで、なんで逃げられないって感じでもないのに逃げないんだ」
「大人はこの人の方が好き。それが現実。だから逃げられない」
仮装はある程度好きなものが選べる。だけどその“ある程度”っていうのは現実に沿っている。そして、現実は諦めるしかない。
それが私の世界。
ネアンデルタール人ならお風呂のためだけに移住しようなんて思わないはず。だって、お風呂がそもそもないだろうし。
それが当時の人間の世界。
小さく首を傾げたが、やがて小さく頷く。
「この団地は事実関係より、その人への感情が大事ってことだな」
恐らく原因は一生の買い物である家で失敗していること。ここが価値ある場所だと思い込みたいように、第一印象が良かった人間の悪行を認めたくない。
一帯が歪んでしまっているのだから、特定の誰かのせいだとは思う。だけど、私にはどうでも良い。
大人は歪んでいて、間違っている。それがこの団地の現実。
「僕が先に行動を起こせば詰みだけど、のんびりしていて良いの?」
「明らかに自分が有利なこの状況でなにもしないってことは、なにも出来ないんでしょ?帰って良い?」
にっこり笑うと一歩引く。
「このことは秘密にしてあげるから、帰りな」
「女の子に乱暴しようとして一体なに言ってんだ」
「帰ろう」
「は…!?」
不愉快だけど仕方がない。玄関にある防犯カメラの死角を上手く利用して立ちまわっている。少なくとも音声がなければ証拠にはならない。
「それより聞きたいことがある」
「ああ…」
友人はキッと青年を睨むが、彼女は青年に目もくれず自宅の玄関のドアを大きく開けて友人を見る。
「入って」
「今の今で警戒心ねぇのかよ」
「通すのはリビングだし、お母さんがいるから。それに、君をあれと同じに扱うつもりはないよ」
小さく頷くと恐る恐る玄関に足を踏み入れる。玄関が開いた音に気付いて母親が来ていた。
「おかえり。お友達?」
「ただいま。そう友達。少し話すだけ」
「お邪魔します」
「ゆっくりしていってね」
にこりと笑って小さくお辞儀するとリビングのドアを開ける。
ソファに座ると、彼女は促すように視線を向けて待った。
「春田が時間までに行けなかったのは俺のせいだ、ごめん。俺が雑用を頼んだ」
「どうして?」
「彼氏とか恋愛とか、興味がないのは知ってたからな。だから…いつまでも付き合ってないで別れれば良いと思って」
歪んだ者の傍には歪んだ者しかいない…か。類友だね、類友。
でも、手に入れられないと分かっていてもって気持ちは分からないなぁ…。
「明日話せば分かることなのに?」
「馬鹿だよな」
自傷気味な友人を無視して、ほぼ無表情のまま続ける。
「それで、なんでここまで来たの?」
視線を逸らすと、ぐっと手を握った。
「“そういうの”は止めて。踏み込んだことを話すつもりはないから」
「……ここに来たのは、少しは落ち込むだろうから励まして…あわよくばって感じだな。いつ声をかけようかと迷ってる内に見失って、偶然辿り着いた」
「分かった。なにか飲んで行く?」
普段学校で浮かべる、薄っぺらい笑みを浮かべている。友人は少し寂しそうな顔をして小さく首を振った。
「いや、帰る。悪かったな」
「助けてくれてありがとう。また明日」
少し柔らかい笑顔に微笑みを返す。
「ああ、また明日」




