第2話
背の順でペアになった生徒と楽しそうにラリーする彼女を、少年は見ていた。
「ねぇ、いつまであの子と付き合うの?」
「なんで?」
「お互い楽しくなさそう」
少女の言葉に小さく微笑むと、小さく首を振る。
「楽しいよ、俺は」
「そう見えないって言ってるの。それに、あの子がそんなに楽しくなさそうだって思ってるってことだよね」
「いつも同じ顔をしてるから、比べるものがないだけだよ。あの表情で、心は思いっ切りはしゃいでるかもしれないよ?」
少女がため息を吐くと、少年は寂しそうに笑った。
「分かってるよ、本当はそんなことないって。でも…」
言葉を切ると、顔を正面に向ける。目の前には彼女。勢い良くラケットを向けて来た彼女に微笑む。
「女の子とサボってないで、授業でくらい運動して」
「苦手なことはしたくない」
「試合して勝てって言っているわけじゃないんだから。だだラリーをするだけ。良いから早く」
彼女は少年の腕を掴むと、無理矢理立ち上がらせようとする。しかし少年は意地でも立ち上がらない気でいる。
「赤ちゃんが転んだって誰も嗤わない。けど、大人になって割合の計算が出来ないと嗤われる。将来嗤われたいなら、無理にとは言わないけど」
「運動や芸術系はセンスというものがあるから、一概には言えないと思う」
「じゃあ一生いちいち言い訳していて」
パッと手を離すと、背を向けて歩き出す。
「待って」
座ったまま彼女の手を握ると、ぐっと引き寄せる。
「なに?」
「え…あ…もしかして、分かってた?」
戸惑う少年に、ふっと笑いかける。
「うん」
下手に引き寄せられると転んでしまうが、彼女は少年の前に普通の顔をして座っている。
「本当、ズルいよね…」
ため息を吐いて立ち上がると、微笑む。
「その代わり、今日は甘い物が食べたいな」
「分かった」
彼女の返事は淡泊なものだったが、軽く左手首を回したのを見て少年は再度微笑んだ。嘘を吐くときの癖だからだ。
***
部活動を終えた少年は、彼女が待つ教室へと急いだ。
「お待たせ…って寝てる?」
教室には小さな息遣いだけが響いている。そっと近づくと、なにかの教科書とノートが広げられているのが分かった。
「宿題でも出たのかな。真面目だもんね」
唇に引っ付いてしまっている髪を取ろうとして、頬に触れてしまう。その瞬間、彼女がパッと目を開く。
「ごめん、起こしちゃった?」
「大丈夫。それより、下校時刻もあるし早く行こう」
身体を起こすと机に広げられていたものが露わになる。化学の教科書とノートだ。化学の担当教師は長期の休みでも宿題を極力出さないことで有名である。
少年の視線が机に広げられていたものに移ったのを見て、慌てて閉じるとノートの背表紙を上にする。
「なんで隠すの?」
「ノリ的に変だから」
「友達ってなんだろうね」
ぐっと拳を握ったかと思うと、平手打ちが少年の頬にヒットする。
「気の置けない友達がいて良かったね」
どうせ私には同じ仮装して仲間意識を持たないと友達認定しないし、出来ない人しか周りにいないよ。けど、それのなにが駄目なの?
そうは思っても、彼女はそれを口にはしなかった。
口にしてしまったら、回答があるだろう。それが反論出来ないほど正解に近ければ、どうなってしまうのか。彼女はそれが怖かった。
「そういうことじゃ…」
「じゃあどういうこと?」
「俺はただ…君に笑っててほしいだけ」
少年の目から、一粒涙が零れ落ちる。
困惑した彼女だが、平静を装って静かに問いかけた。
「なんで泣くの」
「言われたくないことだったよね、ごめん」
「私たち…付き合ってるんだよね」
呆然とした表情で小さく言われた言葉。それに少年は驚いた表情を見せたが、大きくしっかりと頷く。
「じゃあせめて、いつか自分が笑わせたい。それくらい言えないの」
縛り付けるような目標を口にしなくたって良い。出来もしないことをやるなんて言わなくて良い。
「願望まみれの不確定な未来すら、口に出来ないの」
「そんなことを求めてるなんて全く思わなかったよ。だって、俺はアクセサリーでしょ?」
寂しそうな、それでいて嬉しそうな、そんな歪な笑顔を浮かべている。その瞳からは今にも涙がボロボロと溢れ出しそうだった。
「君が俺のことを好きじゃないことは告白する前から分かってた。だから返事の理由にも見当がついてた。だけど友達が別れても別れようとする気配はない。俺は楽しいし、その理由を考えないようにしてた」
「誰でも良かったわけじゃない。それ…」
「否定しないんだ」
彼女の言葉を遮って言うと、微笑む。細くなった目から涙が零れ落ちる。
「全く損得勘定のない関係なんて、ほとんどない。そう表現出来るようなことを思っていることを否定はしない」
なにかを振り払うように、少年は小さく首を振る。
「明日にしよう。今日はもうなにも聞きたくない」
「時間が空けば、全て言い訳に聞こえる」
「言い訳でしょ?」
涙は止まっていたが、微笑みは絶やさないでいた。彼女には、その全てが気に入らなかったのだろう。拳を握り、少年を睨みつける。
「分かっていて付き合っておいて、いざとなったらただの被害者なんてご都合主義も良いところだね」
「…帰ろう」
言うと早々と背を向けて歩き出す。彼女の机の上には少年が来たときのまま筆記具が置かれていた。
長い通学路、復路のゴール付近で彼女はある青年を見つけて声をかけられる。彼女は周囲を見回し、大人がいることを確認すると笑顔を作って応えた。
彼女に声をかけたその青年は、いくつか適当な会話をした後に彼女が通う高校の方向を見て小さくため息を吐いた。
「高校生だと免許が取れないから通学も一苦労だよね」
「うん。良いよね、大学生」
「大学生は大学生で大変なんだよ?」
むくれた表情をする青年を見て、彼女は不自然なほど穏やかに微笑んだ。
「高校生と言えば、恋だね。恋人はいないの?モテるだろうなぁ」
「…いる、けど、喧嘩した。別れるかも」
優しく彼女の頭を撫でる。
「そう。それなら、お互いにそんなに大切じゃないんじゃないかな」
俯いた彼女は明らかに嫌そうな顔をしていたが、特になにか言うことはなかった。しかし青年の言葉に眉をひそめる。
「どういう意味…?」
「互いに強く干渉し合って、それを許し合える関係。それが僕は理想だなって」
「趣味とかちょっとしたルーティンならね」
その瞬間、彼女には青年が歪んだ笑顔を見せたように見えた。
「あまり遅くなると心配させるし、もう帰るね」
「うん。またね」
彼女は小さく手を振ると、残りの帰路を急いだ。
…なんだろう、今一瞬見せた笑顔。ゾッとした。あんな笑顔、見たことがない。
***
長い通学路、往路のゴールである学校へ着くとため息を吐いた。
「おはよう。ため息なんて吐いてどうしたんだ?」
「おはよ。喧嘩した」
「初めてなんじゃないか?」
彼女は頷くと、下駄箱のドアを閉めた。
「原因は昨日着てたTシャツか?」
ニタニタと笑う友人に言われて、初めて思い返す。
「そういえばなにも言わなかったなぁ…」
「触れにくかったんだな」
「かもね」
単に服に興味がないだけでは、と思ったが口にはしないでいた。
「それにしても、一体なにしたら仙人みたいな、あんなヤツが怒るんだ?」
「仙人って…それに私が悪い前提なの?」
「だからため息吐いてるんだろ」
確かに私は、自分が悪くないなら悩まないかもしれない。というか…別れたいと思っていたのに、どうして悩んでいるんだろう。
「聞いてやっても良い」
「気分の良い内容じゃないし、いいよ」
「そうか。じゃあまぁ、糖分でも補給しろ」
鞄から1枚の板チョコを出す。その鞄からは複数の同じ板チョコが覗いている。しかし誰に作るのかは聞かず、小さく微笑んでお礼を口にした。
教室へ入ると、既に来ていた属している友達グループに挨拶。
「来てるわよ」
視線向けながら言われた方向を見ると、少年が彼女の席に座って待っていた。
「珍しいわよね。なにしたのよ」
「また私が悪い前提だよ…」
「ふーん…。早く行ってあげなさいよ」
小さく頷くと少年の方へ向かう。
「おはよう」
「おはよう。どうしたの。朝の短い時間で終わることだとは思わないけど」
「様子を見に来ただけだよ」
少年は立ち上がって椅子を明け渡す。
「放課後、待っててね」
微笑みを残して教室を出て行った。




