第1話 空腹は敵
この世界は魔族に支配されていた。
我々平民は魔族に怯え、金のある貴族は傭兵を雇い、さらに金のある国王とその側近は重厚な壁の城と近衛兵に守られていた。
平民たちの集った街は領主を頼りにするしかないが、領主が近場にいない街もある。そんな街の住人は、自衛団をつくったり、少ない金を集めて傭兵を雇うしかなかった。
畑の食物は魔物に食い荒らされ、魔物の食い残しで凌ぐ日々。街と街の交流も、魔物の増加とともに減っていく。それは食料品だけでなく医薬品、服飾品の不足も意味していた。
そんな最中だった。俺が人生の岐路を間違えたのは。
『君も勇者になろう! 勇者申請に通れば毎月10万G! 魔族を倒すごとに報奨金あり!』
今思えばあまりにも胡散臭い。それでも、そんな嘘に飛びつくくらいには困窮していた。明日の食べ物をどこに探しにいくか。街の畑が荒らされて、そんなレベルの話だったんだ。
いつ貼られたかも分からないチラシをじっと見て、内容を頭に叩き込む。空腹と絶望で項垂れている住人を横目に、俺は家へと帰った。
家にはさっきの住人達と同じ顔をした両親が、黙ったままテーブルについていた。
「……おかえり。お茶、飲む?」
「いや、いい」
それだけ返事して2階に続く階段を上る。お茶っていったって、どうせ街の周辺か、下手したら整備されていない街道の脇から生えた雑草を乾燥させたもの。土臭くて、とても美味しいものではない。それでも、腹の足しにはなった。
そして俺は寝て、数日悩んだ末に読者のご想像通りに勇者申請しにいった。両親は止めたが聞かなかった。雑草を乾燥させたお茶じゃない、ちゃんとした飲み物が飲みたい。たらふく飯が食いたい。
街を出た俺は、空腹で倒れそうになり、魔物に怯えながら城下町に向かった。途中で魔物に出会わなかったのは奇跡だった。今思えばその時魔物に食い殺されていた方が余程マシだったかも知れないが。
飢えを凌ぎながら、時折川で体を洗い、比較的安全そうな大木の根の陰で寝た。そうしてようやく城下町へ着いた。
「腹が減った……」
街に着いた時の最初の言葉がそれだった。自分の住んでいる街に比べて道が整備されて美しいとか、住人に活気があるとか、花壇に色とりどりの花が咲いているとかはどうでも良かった。
ただ、街道に並ぶ出店から香る旨そうな肉の匂いが鼻腔をくすぐり、自分が空腹だということを思い出させた。
「兄ちゃんも勇者志願者かい? それにしちゃ今にも死にそうだが」
俺があまりにも物欲しそうに見ていたのか、屋台のオヤジが話しかけてきた。俺よりも戦いに向いていそうな筋骨隆々の男。髪の毛は遠いどこかへ忘れてきたらしい。
「ああ、はい。そうなんです。チラシを見て来たんですが……」
「やっぱりそうか! それならそこの坂をずっと登って行ったところに広場がある。そこに登録所があるから行ってみるといい。しかし見上げたもんだ、危険な仕事だってのに」
「……どうせ魔物に殺されるならせめて闘った方がマシですから」
俺は少しだけ嘘をついた。死にそうだと思ったことは何度もあるが、殺される気は毛頭なかった。
ただうまい飯と安定した日常が欲しかっただけだ。
「殊勝だなぁ。ほれ、選別だ。そんなにフラフラじゃあ坂道を登る途中でぶっ倒れちまうよ」
ハゲは俺に何かを投げ渡した。反射的に受け取った俺は、乾燥して汚れた自分の両手が掴んでいるものを見下ろした。サンドイッチだった。肉入りの。
あの時のサンドイッチの味は今でもよく覚えている。本当に美味しかった。久しぶりの肉、新鮮な野菜、手の込んだソース。
見た目に反して繊細な味を作るものだと感心した。あのサンドイッチがもう一度食べたい。もう一度……。
周囲を覆う土煙、折れた剣、敵も味方も分からぬ程入り乱れた死体。
そんな景色をぼうっと眺めながら、俺は膝をついていた。
「あぁ、あのサンドイッチが食べたい」




