第229話 もう一歩、踏み出した
ホブゴブリンの塒の攻略を開始してから3時間弱。
現在時刻はすでに2時45分を過ぎている。
当初の予定で言えば残り時間たったの15分。
だが、その時間が迫っているからとこのタイミングで撤退を選ぶには、あまりにも踏み込み過ぎた。
それでも、ラインは決めなければいけないだろう。
撤退を選ぶラインというよりは、この時間を過ぎたらT君やその他を呼び出して実力行使に移行するというラインだ。
正直に言えば、今のタイミングでT君を呼び出して攻め込めば、本館に残るホブゴブリンのボス(暫定予想)の討伐までは成ると思っている。
それをしていないのは、ボスを討伐したタイミングで人狼のようなおかわりボスが来る可能性を懸念しているからだ。
おかわりボスがくること、そのものが問題なのではない。
問題にしたいけれど、そこに文句を言うのは半ば諦めた。
問題は、この先の展開が読めないこと。
理想は、順調に暗殺に成功し、おかわりもなく終わること。
これが一番理想だが、とりあえず理想というだけで置いておく。
ボスの暗殺に時間をかけすぎて、おかわりが来たタイミングで制限時間を大幅にオーバーしている場合はどうなる。
おかわりボスの強さによるが、T君その他もろもろを呼び出して死闘に勝ったとしても、制限時間内に入り口まで戻れなければ、俺はおそらく死ぬ。
言うまでもないが、この五階層で俺はまだ吸血蝶をはじめとした昼間の対策ができてない。
その状態で、昼間にフィールドに放り出されて生き残れるビジョンが見えない。
地下が安全だったら、ワンチャンあるか……?
時間を気にしてT君その他を呼び出して攻め入ったとしたらどうなる。
制限時間を超過していなかったとしても、このパターンはきつい。
おかわりで普通に死ぬ可能性が十分ある上に、仮に倒せたとしても時間をかけすぎたら昼に殺されるパターンが待っている。
ただし、おかわりがなかったとすれば、問題なく生還できるので、もしもの場合は賭ける価値もあるだろう。
攻略を諦めて引き返すのも、一応選択肢ではある。
一見するとこれまでの全てが無駄に思えるが一つだけ利点はある。
それは、ここまで使ってきた時間をゼロに戻せること。
丸一日という時間を無駄にして、制限時間をリセットし、明日改めて総力戦となるだろうが、これだけは言える。
今日だけは、生きて帰ることができる。
長ったらしく述べてみたが要するに、こういうことだ。
暗殺が順調にいけばそれでいい。
だが、いかなかった場合、命をかけて攻略するか、命を大事にして諦めて帰るかの選択肢があるということ。
……自分で言っておいてなんだな。
ここで、命を大事にで日和るのが一番ありえない気がするな。
相手の戦力はこれだけ削ったのだ。
今が、踏み込むタイミングだ。
だったら、どこまで踏み込むか。これに尽きる。
もちろん、ホブゴブリンの塒──オブジェクトの攻略と同時に、ここが安全地帯となる可能性もあるにはある。
ただし、そうなる保証などどこにもない。
結局は、これも命を賭けたギャンブルに違いはない。
(命がけの選択肢があまりにも多すぎる)
思わず心の中で嘆いた。
これまでに時間をかけ過ぎたのがいけないのだろうか。
せめて人狼戦がなければ、もう30分は余裕があったのに。
ゲームだったら与えられた制限時間で攻略できればクリア、過ぎたらゲームオーバーと割り切れるだろうに。
現実は、そのあたりを自分の裁量で選ばなければいけない上に、答えも用意されていないのが、辛い。
ただ、本館攻略に入れば、流石に時間がやばくなったら改めて考える、とか言っていられないだろう。
今のうちに、デッドラインは決めておくべきだ。
(安全マージンを食いつぶしても、どうあがいても帰還に1時間。四時には、集落から入り口までダッシュできる態勢にしたい)
(となると、あと一時間十五分ですか。仮におかわりのボス戦を三十分と想定すると、三時半がデッドラインになりますね)
T君を温存するなら、そうなる。
T君抜きで三十分は楽観しすぎだろう。
仮にT君抜きで突破するなら、一時間は見ておきたい。
(暫定的にまとめると、十五分で諦めて助っ人を呼ぶか、四十五分で頑張って暗殺をこなすかというところですか)
(オススメは?)
(三十分頑張って、そこでダメだったら改めて考える、ですかね)
(…………)
少し考えて、俺は頭を振った。
さっきから、失敗したときのことばかり考えているなと。
失敗したときに、どうリカバリーするかばかりを、考えているなと。
ダンジョンは、たぶんそういうのじゃない。
不屈の精神を見たいやつもいるかもしれないが、俺に求められているのはきっとそうじゃない。
作戦に成功して生き残るか、失敗して死に物狂いで生還するか。
取れる道は、多分その二つしかない。
そういう時のための力ばかり、俺は与えられている気がする。
(クミン、今からわがままを言ってもいいか?)
(……どうぞ)
(暗殺はこなす。失敗したらT君を呼び出してなんとか制圧する。制限時間のことは一旦忘れておく。それでおかわりボスが来たら)
(来たら?)
(死に物狂いでなんとかする。勝った後のことは、勝ったらその時考える)
作戦というよりは、臨機応変な行き当たりばったりだろうか。
話を聞いたクミンは、言いたいことがいくつもあったように逡巡するが、やがて諦めたように首を振った。
時間が勿体無いと思ったのだろう。
(わかりました。上杉さんが覚悟を決めるならウチもお付き合いしますよ。ただ、暗殺は真面目にやりましょう)
(悪いな)
作戦は決まった。
ここまで来たら、目の前のことに全力作戦だ。
これまでと同じように、まずは本館に取り付いて聞き耳で中を探る。
内部には、これまでと違ってまだ起きているゴブリンの気配を感じた。
思わず、ため息が出そうになる。
それでも、慎重に外から見て回って、一つ大きな点に気づく。
気づいてしまった。
(クミン)
(罠かもしれません)
(しかし、スキルにはトラップの感はない)
俺が思わず確認してしまったこと。
それは、明らかに一回り大きい、ホブゴブリンのボスらしきモンスターが寝ている寝室が、窓から覗ける状態でそこにあったことだ。
これまでは、数の問題や位置の問題で、常に玄関から侵入して暗殺を決行していた。
だが、このボスは状況が違う。
玄関から入れば、まだ起きている見回りのゴブリン達を抜けてここまで来ないといけない。他に、どれだけのゴブリンがこの本館にいるのかは見当もついていない。
それが、この寝室に直接侵入できれば、全てスルーすることができてしまう。
そしてそのスキルを持った相棒が、今隣にいる。
またとない好機。
あるいは、これ見よがしな罠。
そのどちらかだった。
(安全性を考えても、ここでボスを直接狙えるのはでかいぞ)
(…………それは、そうですが)
俺は改めて、窓から手鏡で中を見る。
罠らしきものは、どこにもない。
そこにあるのは、これまでよりも上質な寝床を作って眠りについているボスと、立てかけてあるボスの装備だけだ。
ボス自身は木のベッドを作って寝ているが、床は他と変わらず土だ。
トンネルで気づかれる可能性は、低い。
トンネル作戦の有用性もまた、今日で最後かもしれないのだ。
ここが、賭けどころに思えた。
(もし失敗して起きたとしても、その時はT君を呼ぶだけだ。大筋に違いはない)
(…………わかりました)
結局、ボスの暗殺は降って湧いた幸運を信じることになった。
ボスの寝室と外をつなぐトンネルを掘るのに、五分。
その間、俺は深呼吸を繰り返していた。
ボスを倒して『はいクリア』とはならないかもしれない。だが、それができたらほぼ攻略のようなもの。
本館には別館以上の気配を感じるが、ホブではないただのゴブリン混じりでもある。
ホブだけを相手にするわけではないし、引き続き攻略するにしても、ここから逆走できたら相手の油断も誘える。
暗殺は、ボスの寝室から始めるのがベストだと、自分で自分を納得させる。
そして、ついに時間が来た。
(簡易ですが、掘り進めました。上杉さんには少し狭いと思いますが、通れるギリギリなので我慢してください)
ボスの寝室への直通通路を開通させたクミンの声に、頷いた。
クミンが掘ったトンネルは、斜めに開いた幅50センチ程度の小さな穴。
だが、貴重なショートカットだ。
俺のために入り口を斜めにしてくれているので、這う形で穴に入る。
真っ暗なトンネルは五メートルもなく、ゆっくりと下り、ゆっくりと上る。
そしてすぐに、これまでのホブゴブリンとは比較にならない存在感を示す、ボスの足元につながった。
そして、そこで俺はピタリと動きを止めた。
(上杉さん。止まらないでゆっくりと這い出してください。ウチも続きます)
(いや、来るなクミン。寝ていても、危機感が働いている)
(…………え?)
夜の闇のなか、目の前のホブゴブリンはぐっすりと眠っている。
八畳程度の広さの寝室で、ターゲットが呑気に首元を晒している。
そのはずなのに、俺の危機感スキルは、はっきりと赤い存在感を放ち続けている。
不用意に近づけば、死の危険がある。それを感じる。
(クミンも入ったらそれだけでアウトかもしれない。俺が一人でいく)
(……お気をつけて)
これ以上、寝室の中の気配を増やすのは得策ではないと思った。
そして、俺は危機感の揺らぎに目をこらしながら、静かに、静かにボスの首元へと近づいた。
一メートル半、まだ安全地帯。
「……………………グゴォ」
小さないびきが漏れる。
確実に寝ている。その確信がある。
だが、危機感は動いている。
すでに、赤の領域の一歩手前だ。
首を落とすにはさらに近づかなければ。
鍾馗を構え、振り抜くには適切な距離を取らなければ。
近づくなという本能と、現実の合理が喧嘩をしている。
深呼吸をした。
ゴブリンはどこまでいっても臭い。
…………。
…………。
…………。決めた。
呼吸を止めた俺は、危機感が赤を示すゾーンに一歩、足を踏み入れる。
背中に寒気が走る。だが、何もない。
まだ、何もない。
確実に死地に入ったという直感が働くだけ。
そのまま、もう一歩。
じっとりとした寒気が、さらに広がる。
だが、あと一歩。あと一歩はいる。
踏み込む足が、そこにいる。
呼吸を止めているのか、呼吸の仕方を忘れたのか。
自分でもわからない。
だが、もう一歩、踏み出した。
斬り下ろすための足を、踏み込んだ。
──────。
何もない。
ぐっすり寝ている。
安堵はない。
危機感は消えない。
そこからは一瞬だった。
俺は、最後の一歩を踏み出すと同時に、鍾馗を呼び出し、闇を纏わせ、渾身の一撃を放つ。
確実に首を切り落とす。その意志だけを刃に乗せ、過去最高の一撃をボスの首元に叩き込む。
鍾馗の刃が、ボスの首に沈み込む。
直後、危機感が電気のように走り、俺は反射的に体をよじる。
刃が、途中で止まる。
最初にホブゴブリンの首を軽く刎ねようとしたときと、同じように。
自分が何をしたのか、と思う前に、俺はわき腹に違和感を覚えた。
痛いわけじゃない。なぜか、寒い。
目はそちらに向けなかった。
ただ、眠っていたホブゴブリンの顔を見ていた。
ホブゴブリンの目が、開いていた。
俺を見つめるでもなく、体が攻撃を感じて、自動で反撃したと言わんばかりに。
目を見開きながら、右手をどこかに突き出していた。
手の行方は見なかった。
体には尋常じゃない寒気が走っていた。
(ああああああああああああああぁああああああああぁっっぁああああ!!!!)
心の中だけで悲鳴をあげた。
口は必死に食いしばっていた。
ホブゴブリンボスの口も開く。
させないとだけ、強く念じた。
力任せに食い込んだ鍾馗を引き斬る。
即死は発動しない。
まだ、殺せていない。
叫ばれる……!
だが、ホブゴブリンのボスの口は言葉を発しなかった。
発することができなかった。
ごぽっとした血を吐き出しただけだった。
どこかに突き出していた右手で首元を押さえた。
俺は、引いた鍾馗を、もう一度突き出した。
今度は斬るのではなく首を突いた。
トンっという手応えが返る。
ホブゴブリンの命に届く、大切な何かを、右手ごと貫いた予感があった。
果たして、それは真実だった。
ボスの大きく見開かれた目が、俺を見つめ。
そしてボスは光になって消えていく。
直後、先ほどまで立てていたはずの体から、力が抜ける。
足をつき、必死に上体を起こす。
ごっそりと気力のような何かが抜けた感覚。
そこで初めて、自分の体を見た。
わき腹のあたりに、抉れたような穴がぽっかりとあいていた。
致命傷という言葉が、頭に浮かんだ。




