謝罪と別れ
意気込んで街に戻ったものの、それですぐに手がかりが見つかるほど甘くはなかった。
当たり前だが通行人はすっかりいなくなっていたし、近くの商店の者に騒ぎを見ていたか訊いてみても、男の身元は判らなかった。そこで作戦を変えて『魔法使いの老女』にはどこへ行けば会えるかと質問してみたが、猜疑の目を向けられ、警戒されただけ。
丸一日を棒に振って、出した結論は「明日また出直そう」だった。
「上手くいけば、明日も子供達の何人かは来てくれるだろうから、あの女の子のことを訊いてみよう。騒ぎが起きたのは子供達が帰った後だし、噂が広まるにもあと一日ぐらいは猶予があると思う」
「そうですね。どのみち今日はこれ以上、動けませんし」
ビードも、薄暗くなった通りを見渡して同意した。ハルタシュはとうに付き合うのを諦めて、自分の用事を片付けるべく立ち去っている。
宿に帰ると、主も常連客も、いつもと何ら変わりなかった。どうやら噂は届いていないらしい。ちょっとした揉め事ぐらいなら、この街では大して興味を引かないのだろう。
翌日アトゥリナはいつもの時間を待ちきれず、ビードを連れて早々と同じ場所へ向かった。幸いなことに彼の読みは当たり、昼下がりになると、顔馴染みの子供がぱらぱらと集まってきた。
「ごめんよ、皆。今日は歌を聴かせてあげられないんだ」
謝ったアトゥリナに、落胆と不満の声が浴びせられる。歌い手としてはありがたい限りなのだが、心苦しくも今は応じられない。
「ちょっと訊きたいんだけど。よく一緒に来ていた女の子、昨日もいなかったよね?」
「シィマのこと? 病気なんだって」
幼い少女が小首を傾げて答える。アトゥリナはうなずいた。
「そうらしいね。だから、お見舞いに行きたいんだけど……誰か家を知ってるかい?」
子供達は戸惑いがちに顔を見合わせ、てんでにうなずく。アトゥリナは疑いを招かないよう微笑を絶やさず、案内を頼んだ。途中の露店で見舞いの果物を少し買い、中心部から離れて雑然とした住宅地へ入っていく。
「あそこ」
小さな手が指差したのは、漆喰塗りの一軒家だった。中心部によくある集合住宅よりは恵まれた環境だろうが、それでも、一軒家と呼ぶのが憚られるようなつましさだ。
アトゥリナは礼を言い、騒がしくしたらいけないから、と子供達を帰らせて、ビードと二人だけでその家に向かった。
木製の扉の脇に、古びた呼び鈴がついている。アトゥリナが遠慮がちに二回鳴らすと、しばらくして女が顔を出した。
「どなた……?」
最初は訝しげな様子だったが、すぐに彼女はアトゥリナの背負う五弦琴を目にし、はっと顔をこわばらせた。
(閉められる!)
咄嗟にアトゥリナは手を伸ばし、扉を押さえる。女の目に怒りの火が灯った。
「すみません」
アトゥリナは手を離さないまま、頭を下げた。
「お怒りなのは知っています。疫病神だと思われていることでしょう。でもどうか、お願いします、あの子に会わせてください。償いをさせて欲しいんです」
「帰って」
女が歯の間から鋭くささやいた。屋内に人の気配がしないところからして、父親は外へ働きに出ているのだろう。この機会を逃せば後がない。アトゥリナは意志の力をこめて、女の目を見つめた。
「少しでいいんです。その後でなら、殴られても叩かれても構いません。どうか、シィマに会わせてください」
「会って何をする気? あの子はまだ寝込んでいるのよ。毎晩うなされてるわ。全部あんたのせいで」
「お願いします」
アトゥリナは繰り返し、半歩進み出る。女がじりっと後ずさった。さらに半歩。アトゥリナが敷居をまたいでしまうと、女は諦め、扉から手を離して奥へ下がった。抵抗するだけはした、と自分を納得させているのか、ぎゅっと我が身を抱いて。
「……少しだけよ。今はあの人、仕事に出てるけど。シィマの具合が悪いから、早く帰ってくるかもしれない。見つかったら殺されても知らないからね」
「ありがとうございます。これ……少しですが、お見舞いに」
アトゥリナは深く頭を下げ、女に果物を渡してから、視線で示された子供部屋へ向かった。女も用心してついて来る。
静かに扉を開けると、やりとりが聞こえていたらしく、少女とまともに目が合った。シィマは小さな胸を上下させ、熱に潤んだ目でアトゥリナを見上げる。
アトゥリナは傍らにしゃがみ、汗ばんだ額をそっと拭ってやった。謝りたいと思って来たはずなのに、少女を前にすると、それは間違いだったと気付かされた。
(謝ってどうするつもりだったんだ、私は)
許してもらおうと考えていたわけではない。だが、ただ謝りたいというだけでも、それを受けた相手は、許すか拒むか決断し、その結果を負うことを強いられる。
(こんな幼い少女を、余計に苦しめるだけじゃないか)
馬鹿だった。アトゥリナは己を情けなく思いながら、少女に微笑みかけた。
「……怖い思いをしたんだね」
ささやいて、そっと頬を撫でる。シィマは瞬きした。唇が震え、何かをつぶやく。それが憎悪の言葉でないことを祈りながら、アトゥリナは少女の頭を撫で続けた。
「大丈夫、もう大丈夫だよ。じきに良くなるからね。ちゃんと元通り、すっかり元気になれる。……君は悪くない」
口をつくままに言葉をかける。不意に少女の目が揺らぎ、大きな涙の雫がこぼれた。
「……ほんと?」
かすれ声が問うた。アトゥリナは思わぬ反応に一瞬詰まったが、すぐにうなずいた。
「ああ、本当だよ。君は何も悪くない」
「……ごめ……なさい」
「え?」
「ごめん、なさい。行っちゃだめって、言われてたのに、……言うこと聞かなくて、ごめんなさい……っ」
シィマは絞り出すように謝り、顔を歪めて泣きだした。薄毛布を引っ張り上げ、隠れてしまおうとする。アトゥリナは愕然となった。
悪いのは君じゃない。私なのに。
そんな言葉が喉元までせり上がる。だが、それが何の役にも立たないこともわかった。恐らく少女は、両親から心配のあまり激しく叱責されたのだろう。なぜ行ったんだ、いけないと言っただろう、言うことを聞かないからこんなことに――と。そしてさらに、互いをなじり己を責める父母の姿をも、ベッドの中から見たに違いない。
全部自分のせいだ、自分が悪い子だったせいだ。シィマがそう考えるのも当然だろう。
アトゥリナは毛布の上から肩に触れ、穏やかな声を保って話しかけた。
「いいんだよ。謝らなくていい、君が悪いんじゃない。……誰も、悪くない」
優しく投げかけられた言葉に、シィマが恐る恐る毛布を下げて、目だけを見せる。
「ただ、皆が少しずつ、すれ違ってしまっただけだから。君も、お父さんも、お母さんも……皆、悪くない。大丈夫、君は良い子だよ、シィマ」
「……ほんと?」
「本当だよ。絶対に、本当だ」
言いながらアトゥリナは、シィマの額に指先で模様を描いた。それから仕上げに、そっと軽く唇をつける。訝しげな顔をしたシィマに、彼はにっこりして見せた。
「これでもう、怖い夢は見ない。安心してお休み」
「……お兄ちゃん、まほう使いなの?」
問う声には怯えと、相反する期待とが含まれていた。アトゥリナは迷い、背後を確かめる。戸口に控えているビードが、察してうなずいた。いつの間にか女は立ち去っている。大丈夫、聞かれてはいない。
アトゥリナはベッドに屈みこみ、うんと声を潜めて答えた。
「誰にも内緒だよ。少しだけ、本当に少しだけ、魔法を使えるんだ。二人だけの秘密。いいね?」
二人だけ、と言われてシィマは小さく息を飲み、こくんとうなずいた。それから恥ずかしそうに微笑む。
「お兄ちゃんの目、とっても不思議。初めて見たときは、深い青色だったのに……今は、なんだか少し……紫色にきらきらしてる」
「善い魔法使いのしるしだよ。さあ、もうお休み。次に目が覚めたら、すっかり良くなっているからね」
アトゥリナが頭を撫でてやると、シィマはおとなしく目を瞑った。
ほどなく少女は眠りに落ち、深く安らかな寝息を立て始める。それを確かめてから、アトゥリナは静かにそばを離れた。抜き足、差し足で部屋を出て、そっと扉を閉める。ギッとも鳴らさず無事に閉められると、アトゥリナは思わずふうっと息をついた。
居間に戻ると、女がテーブルに両肘をついて顔を覆っていた。その手がしきりに涙を拭っているので、アトゥリナは問いかける目でビードを見たが、彼女も小首を傾げただけだった。二人の当惑をよそに、女がつと立ち上がる。そしてアトゥリナの前まで来ると、ゆっくりと深く頭を下げた。
「ありがとう」
「顔を上げてください。私は何も、感謝されるようなことはしていません」
慌ててアトゥリナが言うと、女は小さく苦笑をこぼし、アトゥリナの手を取った。
「悪くない、大丈夫、って。本当なら、あたし達が言わなきゃいけない言葉だった。あの子に、一番にそう言ってあげなきゃいなかったのに。……ありがとう。あんたが言ってくれたから、あたしも……救われたわ」
「…………」
「正直、この三日ほどは酷かった。あたしも主人も、怒鳴り合ってばかり。お前が悪い、あんたが悪いって。そんな場合じゃないのに。だから……ありがとう、坊や」
女は両手でアトゥリナの手を包み込み、ぎゅっと握る。彼が複雑な顔をしたので、ぷっと小さく失笑した。
「嫌だ、そうよね。坊やは失礼だったわ。王子様なんですってね」
「いえ、まあ、その。坊やでも構いませんけど」
アトゥリナは曖昧に応じてから、手を離してもらえるのを待って、慎重に切り出した。
「それで、あの……シィマを傷つけた、魔法使いというのは」
「逃げたわ」
途端に女は笑みを消し、切り捨てるように短く答えた。視線をそらし、ゆっくり居間をうろつきながら、アトゥリナを見ずに続ける。
「あの子が帰ってきて、何があったのかようやく聞き出した後で、主人が激怒して飛び出してったんだけど。警備兵に突き出して、吊るし首にしてやる、って。でも、手ぶらで帰ってきた。今から思えば、逃げてくれて良かったわ。下手したら主人が殺してたかもしれない。そうしたら、どうなっていたことか」
娘のことだけでも大変なのに、父親が殺人犯として捕えられ裁判になりでもしたら。そのまま家庭は完全に崩壊していただろう。
女は足を止めると大きなため息をつき、改めてアトゥリナを振り返った。
「シィマ、本当に良くなるかしら?」
「……すみません、私は医者ではないので……。でも重症には見えませんでしたし、熱もほとんど下がっているようでしたから。きっと、大丈夫だと思います」
アトゥリナの答えに、女は「そう」とつぶやいた。医者でないのは承知のはずだが、何かを期待していたのに当てが外れたような声音だった。
そこでビードが不意に口を開いた。
「アトゥリナ様は、勘の鋭い御方です」
唐突な発言に、女が驚いて目をしばたたく。ビードは眉一つ動かさず、淡々と続けた。
「昔から殿下の予感は、よく当たりました。殿下が大丈夫だとおっしゃるなら、恐らくその通りになります」
「本当に?」
女がやや疑わしげに、アトゥリナ本人に質す。勘の鋭い王子様は、困り顔でちょっと頭を掻いた。
「断言できるほど確信はありませんが。予想通りの結果が出た、という経験は何度かありますよ」
それが何のゆえか、彼は知っていた。皇族の血に伝わると言われる、特殊な能力だ。さきほどシィマが、紫色にきらめいている、と言った瞳が、その証である。
伝説に残るエンリル帝はもちろん、それ以前の時代から、デニスの皇族には不思議な力が備わっていた。その力を行使する時、彼らの瞳は深く鮮やかな紫色に変わる。力の種類は様々で、勘が鋭いだけのこともあれば、光の障壁で人や物を吹き飛ばした例もある。叙事詩によればエンリル帝はもっと派手なことを行ったらしいが、現在はそれほど極端に強い力の持ち主はいない。
アトゥリナも、自分の力がさほどではないと知っているので、確信を持って「必ず治癒する」と断言することはできなかったのだ。
それでも女は、少し安心したようだった。重ねて礼を言う女に別れを告げ、アトゥリナとビードは外へ出た。父親に見つかったらまた面倒なことになるので、とりあえずその場を離れる。しばらく歩いてから、ぽつりとアトゥリナはつぶやいた。
「きっと良くなる、か。我ながら無責任だね。デニスにいた頃なら医者を遣ることもできたのに、お金も権力もないというのがどういうことか、骨身に染みるよ。これがラウシール様だったら、無一文の一人きりでも、その場であの子を癒してしまわれただろうに」
「アトゥリナ様は、ご自身にできる最良のことをなさいました。誰もがラウシール様やエンリル帝のような力を持っていたら、この世は苦しみのない楽園か、さもなくば地獄になっていたでしょう。人には人の世があります。それで良いではありませんか?」
ビードが珍しく饒舌になっている。アトゥリナは思わしげに彼女を見つめ、ふと口元をほころばせた。
「……そうだね。君の言う通りだ」
うん、と小さくうなずいて、すうっと息を吸い込む。空を仰ぐと、鳥が一羽、雲の下を横切って行った。
「さて、と。ハルタシュを捕まえて、いつ出発できるか相談しよう」
気がかりはひとつ解消したが、どのみちもう長くは留まれない。シィマの災難と魔法使いの失踪はいくらか話題になるだろうし、そうなればアトゥリナの関与も知れてしまう。子を持つ親は警戒して、彼を好ましからざる人物の一覧に加え、警備兵にもそれを伝えるかもしれない。
シィマが快復すればじきに、『瞳が紫色に輝く善の魔法使い』の噂も広まるだろう。アトゥリナは子供の秘密を過信してはいなかった。
「何を荷造りすればいいかも、聞いておかないとね」
アトゥリナは思い当たってつぶやき、不安に眉をひそめる。自分で旅支度をするのは、これが初めてだ。ハルタシュは町まで五日ほどだと言ったが、その間の飲み水や食料はどうすれば良いのか、アトゥリナには見当もつかなかった。
ビードが彼の胸中を察し、いつもの平坦な口調で「お任せ下さい」と応じる。万事我々が整えます、殿下は安んじておくつろぎを、という従者としての態度。場所が宮殿でも、見知らぬ異国であっても変わらない。アトゥリナは微笑んだ。
「いつもありがとう。でも、私も自分に何が必要かぐらい、知っておかなければね。ハルタシュに馬鹿にされるのは悔しいし」
途端にビードが渋面になる。あの無礼な小童が、とでも言いたげだ。アトゥリナは笑い出した。
「堪えておくれよ、ビード。彼とはこれからしばらく、朝から晩まで顔を突き合わせていることになるんだからね」
「殿下のお気に障らないのであれば、差し出た真似はいたしませんが」
「うん。無理に愛想良くしろなんて言わないよ。とにかく、荒地に放り出されない程度に接してくれたらね」
愉快げに笑う主君を、ビードは少しばかり恨めしそうに見つめる。ややあって、彼女は珍しくぽそりと小声で反撃した。
「それはむしろ、殿下の方こそお気を付けて頂きたいものです」
「嫌だな、君までそんなことを。私はただ、彼と親しもうとしているだけだよ」
わざとらしくおどけたアトゥリナに、今度はもう何も言い返さず、ビードは黙って切なげに空を見上げたのだった。