第十一話
馬車を往復して食糧を買う頃には陽が傾き出していて……教会に戻る頃には夜の帳と静寂が辺りを包んでいた
森に僅かに入っている教会は、本当にごく稀に魔物が周りを彷徨くことがある。……といっても、何やら教会近くには結界が張られているらしくて、彷徨く魔物は人間に敵意を持ってないものだ。……いやまぁ、こっちが攻撃したら流石に別だけど
中に荷物を運んでいるとき、何やら興味深そうに見ていた狐の様な魔物。ぬいぐるみサイズのその子はフスフスと鼻を鳴らして此方を見ていた……名前はたしか、アースフォクスとかなんとか
「どうした、レン」
「んー……なんかね。小さい魔物が見てるなぁって。……アースフォクスだっけ?」
「どれ。……ああ。そうだな。それも殆ど生まれたての。大人になるとそれはそれは大きいぞ?上位の魔物だからな」
「そうなんだ…迷っちゃったのかな。……夜行性の子だし、きっと大丈夫だよね」
立ち止まっていては作業が進まない。神父様のオムライスとプリンが待っているので運搬を再開する。……それにしても、大きなもふもふはいいなぁ………従魔術も覚えたくなる
ナオのステータスを以前見せてもらったとき、確かナオはレベル3まで獲得していた。この辺りの森の魔物ならば大抵従えられるらしい……この辺りは弱い子ばかりなんだって。レーヴェディアが言ってた。現世風に言うならば、スライムなどの序盤の敵、くらいだろうか
ちなみにこの世界のスライムも勿論弱いが……分裂も早く、毒持ちや、魔法を使ってくる奴も居て……侮ると大怪我の元になるし、他の魔物と出てきたときが厄介なんだそう
そもそも街周辺だから弱い魔物しか居ないわけで、ほんの少しでも森の奥に入ってしまうとアウトだ。迷って帰ってこられなくなったり、上位と呼ばれるスライム達なんかよりずっとずっと強い魔物たちがウヨウヨいる
弱い魔物なんかは、害意や急な繁殖さえ無ければ狩られないのを分かってるので教会にちょくちょく遊びに来る子もいる。動物だけでなく、魔物とも共存出来てるのが初めはびっくりした
「これで最後。あとは自分の服だから自分で持ってくよ」
「うむ。………まだ居るのか?」
「うん。此方に来ようとする素振りも見せるけど……なんかそわそわして落ち着いてない。行ったり来たりしてる」
「怪我をしてる様子もなさそうだしな…とすると、空腹か何かか?」
「林檎あげてみる?」
「あまりよくはないんだが……まだ赤子だしな。一つくらいよかろう」
お許しが出たのでアースフォクスへ向けて林檎を放る。…無闇矢鱈に近付いて警戒されても仕方ないし、攻撃されたら……うん、神父様が倒しちゃうだろうからこれがお互いのためだ。
何度か此方と林檎を見比べると……かなり勢いよく食べ出した。やっぱりお腹が空いていたらしい
「可愛いね」
「可愛くとも魔物は魔物。攻撃の構えを取ったら倒す」
「分かってる。…だから近付かなかったの。……神父様が心配して倒してくれたんだとしても、きっともやもやしちゃうもん。…理解と心って連動してくれないの。不思議」
「仕方あるまいて。それが感情というものだからな。……さぁ、おいでレン。少し遅くなったが夕飯にしよう」
「うん」
服が入った袋を持って、神父様が開いていてくれた扉を通る
ただいま、と声を出せばまだ少しひんやりした手が頬を擽た……此処が我が家。街外れの小さな教会
自室に服を片付けて、ちょろちょろと神父様の周りでお料理のお手伝いをする。玉ねぎに目がしぱしぱした。神父様はお料理の手際もすごく良くて近くで眺めてるのがとても好き。いいよね、トントントントンってリズミカルに聞こえる包丁の音。こういう生活音は安心して眠くなる
前世よりも生きている心地が堪らなくして……今日も神父様のご飯は美味しい
とろっとろのたまごに、少しだけケチャップを掛けて、しっかりと味がついたチキンライスと一緒に頬張る
太りにくいからいっぱい食べれる、なんて思っていたけど……誰かと一緒に食べるご飯は気持ちがいっぱいになっちゃって少しでも満腹に感じる
……実際はあまりお腹に入ってないから成長期特有の消化の早さですぐお腹空く。燃費が悪いことこの上ない
だから、食事の時は半分はしっかり黙々と食べて、半分を越えたらお喋りしていいと神父様に約束した。……お残しは怒られるので勿論完食することが大前提である
「どうだった、街の雰囲気は。慣れそうか?」
「賑やかで楽しそうだった。休日はもっと人が居そうだし……もっと煩そう…」
「少し離れた村の者もやって来るだろうし、活気は確かに今日以上だろう。……いずれ音に慣れなくては冒険者としてやっていけない。…これからはたまに街へ降りてみるといい。危ない人には何かをあげると言われても着いて行ってはいかんぞ
何なら町を探索するならギルドの誰かを連れていくといい。暇なやつくらいいるだろう」
「ちゃんと悪い人は見分けられるってば」
神父様は過保護な節があって……そんな子供じゃないと膨れて見せても穏やかに笑うばかり
神父様には身内が居ないらしい。だから本当の娘のように心配してくれるし、怒ってくれる。……精神年齢はとっくに肉体年齢の何倍にもなってるので、怒られることは早々ないが。……ワンピースで木から飛び降りたときくらいだったはず
でもそんな優しい神父様が好きで……この穏やかな時間も好きだ
………しかし、気になる事があって上手く集中できない。
「………神父様」
「気付いておる。……見ておるな、物凄く」
神父様の後ろ、少し離れたところにある窓に……さっきの魔物が張り付いて此方を見ていた
それはもう、なんなら食事を始めた頃から見ていたので気になって気になって………というか、なんでまだ居たのか不思議だ
鼻先をこつ、こつ、と窓へぶつけてはふわふわの尻尾が揺れる
まだお腹が空いているのかもしれないが……下手に上げて、狩猟することをしなくなっては困る。というか、そんなことになれば親に襲われそう
「カーテンを閉めるぞ」
「うん。仕方ないよね」
神父様が紺色のカーテンを閉ざすと……キィイイと、嫌な音がした
離れていても聴覚をダイレクトに刺激するそれに両耳を塞ぎ、近くで食らった神父様も耳を塞いだ。首筋がゾワゾワする……!!
「やめんか!!!」
ばっ、とカーテンと窓を開いて怒鳴った神父様。その隙間を縫うように金色が抜けた
あ、と思う頃には足元にぴたりと座っている狐。……なんで?と神父様に視線を向けると額を抑えていた………頭痛起こしてばかりで申し訳ない、今度ハーブティーでも入れて上げよう
「お前、駄目だよ入ってきちゃ。森へお帰り。お母さんとか居るでしょ」
言葉が分かるかは知らないが、一声掛けながら神父様の方へ逃げるとそれを追うようにてこてこと着いてくる。大変可愛い。ふわっふわの尾が大変魅力的だ
それでも心を鬼にして窓の外を指差すも…こてりと首を傾げて鳴き声を上げるだけ。可愛い。……いやいや、駄目だ
「此方来ちゃダメだってば。………神父様」
「あー……待て、調べてみるから…」
逃げ回ってもただ後ろを引っ付いて来るだけで……敵意を向けてこないから困った。あととっても可愛いのが大変困る。…表情が緩んじゃうのを必死に我慢した
離れないから神父様にヘルプを出すと、額を抑えながらも魔物について調べてくれるようで本棚から書物を取り出してぺらぺらと捲り……深いため息を溢した
「レン、すまん。私が迂闊だった」
「どうしたの?」
「……どうやら一部の魔物は、初めて食糧を持ってきたものを親、あるいは家族と認識するらしい」
「………つまり?」
「………お前さんを家族と思っている様なんだ」
きゅう、と肯定するかのように鳴いた狐モドキ
ぱたぱたと揺れる尻尾の音だけが教会内に響く。……家族、家族って認識しちゃったのか…
「まぁ、なんとかなるんじゃないかな。いい子そうだし。従魔術学んだらこの子を一番にしようかな。適応あるらしいし」
「いやいやいや、待て。順応早すぎんか?それにこやつが今すぐ従魔にならない以上、お前を襲う可能性もあるんだぞ?」
「家族を襲う子なんて居ないし、そうなったら神父様に助けてもらうもん」
ふふん、と胸を張れば深い…ふかぁい溜め息を返された。解せぬ。……だって可愛いものは愛しい、正義だ。こんなキラキラな目を向けてくるんだもん。天秤がずっとガタガタ言ってた。…家族と認識されてると知った途端一気に片方に落ちたけど。ちょろくないよ、気の所為気の所為
「家族と思われてるなら私が世話する。ナオに教わって従魔にする。…だから、お願い」
「……分かった。…数少ないお前さんの頼みだ。……ただし、今この場で従魔術を叩き込む。取得できなければ其奴は放り出す。よいな?」
「……分かった」
食べ終えた食器を片して、ちゃんと机も綺麗にして……神父様の前に立つ。因みに片してる間もずっと後ろをてこてこと引っ付いてきた狐モドキ。当然とばかりに見上げてくるのでただひたすら可愛かった。神父様もね、微笑ましい顔してたの知ってるんだから。……まぁ、だからといって言ったことを曲げるような人では無いので会得できなかった場合この子は放り出されてしまうのだが
さて、神父様は有言実行タイプだし、絶対だ。逆に言えばちゃんと会得して認められれば今後この子に危害を及ばせたり、意地悪をする、なんてことはない
取得できなければ本当にこの子は追い出されるし……あまり煩くするようであれば倒すだろう。私の安全のためだ、分かってる。
魔術なんて使ったことはないけれど…どちらにしても引けなかったんだ。なら今すぐ、付け焼き刃でも取得するしかない
「従魔術とは、文字通り魔物を従え、己の僕とする魔術
レベルが高ければ高いほど、上位ランク…一言で言えば強い魔物や、敵意がある魔物でさえも捩じ伏せて意のままに操れる
無論、誰もが取得できるものではない。従魔術を覚えているものの多くが、人の上に立つ者だ。他の意思に破れず、むしろそれを支配する才能があるもの。…それがこの魔術の根底に存在する。即ち適正があったとしても従えられるかどうかは実力次第
───改めて聞こう。お前さんは取得できるか?」
スッ、と瞳を細めた神父様は……何時もの優しい神父様じゃない。試すような、そんな視線
ぴりぴりと全身の毛が逆立つような心地、怯えて尻込みしそうな脚。神父様が神父様じゃないみたいに感じてしまうのは…きっとこの慣れない感覚のせいだろう……それに初めてのことはなんだって怖いし、上手くいくかなんて分からない。その焦りもほんの少し
…それでも
「取得する。こんなところで根を上げてたら、ナオの傍になんて居られない」
身内の圧ごときに当てられて竦んでいるようなら、到底王族の傍に居ることも、そこまでのしあがることなんて出来るわけがない
だから、頑張る。怖くたって諦めるわけにはいかない
神父様の口角が少し緩んだ気がして、けれどまた威圧感のある声が響く
「口では幾らでも言えよう。実力で示せ」
「分かってる」
深く息を吸って、片手を翳す。従魔術の発動方法は以前教わった
身体に満ちる魔力を知覚し、編むように放出。アースフォクスとまず自身を繋ぐ。トンネルのように繋がったこの道こそ、従魔術の要となる魔力パスと呼ばれるもの
焦らず、ゆっくりでいい。細く繋がった魔力を少しずつ、太く、強固な繋がりに……鎖で繋ぎ合うイメージで紡いでいく
繋ぐパスが強くなればなるほど、アースフォクスの魔力も此方側へ流れてくる…身体に馴染まないそれは、パスを無意識に破壊してしまうため一定の太さで止まってしまった
……まだ従魔術は完成していない。ここでパスを途切れさせてしまえば神父様は失敗と見なすだろう
だから、この太さを維持したまま、太くする方法を感覚で探る。術の感覚ややり方は人それぞれ過ぎて参考にならない
まず受け入れようとすれば、パスは太くなったが脆い。向こうの意思だけが反映されてる状態だから獣の知性と本能が反し合って崩れやすくなる
逆に捩じ伏せて飲み込もうとすれば、細く、強固なものになる。恐怖による支配は確かに絶対だけど……そこに繋がりなど存在などするはずがない。確かに支配は従魔術の根底なれど、これは私にあってない
と、なれば……相手の魔力を受け入れつつそれを越える魔力で繋ぐしかない
これねじ伏せて取り込もうとするのと比べて難しいなんてもんじゃない。相手の魔力を内側に取り込みつつ制御し、自身の魔力を流してるのだ。マルチタスクなんてもんじゃない、と悪態をつきたくなるが……やるしかない
ゆっくり、確実に、丁寧に
細い糸を幾重にも重ねて強固なものにするように、それを束ねて形にするように……呼吸が僅かに乱れ疲労感が襲うが、それでも紡ぐ。太い一本のトンネルではなくて、細い糸を何本も積み重ねて太い糸にみせるような…そんなイメージ
呼吸と合わせて魔力を放ち、次第に狐モドキとも呼吸が重なる。ゆっくりとパスを紡いで重ねていく。……一重、二重、三重、……八重、九重、十重
何重にも硬く、確かに。私達だけの絆を結ぶ
ピンッと糸が張り詰めたような感覚がしていつの間にか閉じていた目を開けた。……同時に、腰が抜けてお尻から後ろに倒れた……うっ。床固い
「………ふむ」
「……………失敗?」
見下ろす神父様を見上げ、乱れた呼吸を少しずつ戻していく
失敗だったらどうしよう。感覚だけど、魔力も殆ど残ってない。あの子を逃がす時間稼ぎもこれでは出来そうにない……最悪、恥を忍んで「神父様なんて嫌い!!」を発動するか……?効くかどうかはわかんないけど、一瞬くらいは固まってくれそうだ
「そう眉を寄せるでない。大丈夫、成功だ。」
「……はぇ…」
思わず変な声が出た。…よかった。その一言に尽きて……肩の力が抜けて、起き上がるのも億劫になったのでその場に大の字で転がる
それを見て楽しげに笑う神父様に手を借りて程なくして起こして貰い……特攻してきた狐モドキを抱き締めた
「きゅ、きゅぅ。きゅ…!」
「んむ、む、……成功だって。一緒に居られるね」
「何度か無駄打ちするかと思ったが……まさか魔力を使い果たすほど一回に込めるとはな。流石にやりすぎだ。方法が分からないならまずは感覚を探りなさい」
「……ごめんなさい。気をつける」
一回に掛けていたから、やっぱり魔力は残らなかったか……確かに普通に考えたら何度か試して調整したりするものなのに。…神父様は「まぁ、初めてだからな。よく頑張った」と褒めてくれるが初めから気づいておくべきだった
切羽詰まるとどうしても視野が狭くなるな……直さなくては
「さて、では最後に……名を授けろ。それで従魔術が完成する。名とは個を縛り、存在の証明となるものだからな。繋がったパスを通じて彼奴に伝わり、主従関係が確立される」
「そうなんだ……君の名前、もう考えてたんだ」
すっ、と金色の耳へ唇を寄せて囁くように名を呼んだ。嬉しそうに可愛い鳴き声を上げ、これでもかとくっついてくる狐
否、名を_______