第32話
「わかったみたいっすね」
「ふぅーっ」と、息を吐き出し、肺の中を空にしてから、新鮮な空気を吸い込み、気持を落ち着かせる。
冷えた背中も、日差しの温かさを感じられるようになった。
「……ハイ」
左右を見回し落ちたナイフとバレッタを探し出し、拾い上げ、ナイフを折りたたみバックにしまう。
バレッタを取り付けようとすると、「鏡使うっすか?」と犬山が言ってきたので、「お願いします」と答える。
私は化粧ポーチなど持ち歩いていないので、鏡を持っていなかったが、犬山は鏡を持ち歩いているらしい。
さすが女子高生。
と思ったが、犬山はナイフを私の顔に近づけると横にした。
一瞬ぞくっとした。人にナイフを向けちゃいけないでしょ。
ブレードには私の顔が映し出されていた。よく砥がれたナイフはまるで鏡のようだった。
「……」
ナイフを鏡代わりにするなんて、戦場の兵士のようだなと思いつつも、私は映された虚像を見ながら髪を整えた。
「ありがとうございます」と、礼をし、表情を作り、「仕事の話をしましょうか」
と、犬山の猫目を見つめて私は言った。
「さっきまでとは違って、プロの目っすね」とにやりと笑うと、ナイフのリングに指をかけくるくる回し、ホルスターにしまった。
私も犬山も話をする準備に話を聞く準備が出来た。
色々あったが、捜査開始だ。
「エリちんにはこれから生存者の六人と会ってもらうっす。あっ、一人はうちっすね。事情聴取ってやつっす。事件直後の現場の映像もうちが撮影をしているっすけど、まず容疑者の六人の話をしてから見せるっす」
犬山は携帯を取り出し、画面を指差しながら言った。
携帯のカメラで撮影したと言うわけだろう。
事件現場の映像があるのは助かった。殺し方や現場の状態で、犯人特定の手がかりになりそうだった。
「わかりました」と、答える。
「容疑者に会うのは二時間目以降として、それまでに事件の経緯と、被害者の情報、容疑者の情報を話すっす」
コクッと頷き、腕時計に視線を落とす。時刻は八事五十分。一時間目が終るまで、あと三十分と言ったところだ。
「あっ、わかっていると思うっすけど、ここからは応法学園の機密事項になるっすから、記録はなしっすよ」
シャツに刺したペンを取り出そうとしたところ、釘を刺された。
「メモもダメですか?」
「もし事件解決の為に必要なら、メモくらいならいいっすけど、固有名詞が分かるようなものはダメっすね」
固有名詞が書けないとなると、かなり搾られるなと思ったが、学園の成り立ちが成り立ちだ。私はこっくと頷いた。
犬山は屋上のフェンス際まで歩くと、くるりと向き直り、「立ち話もなんすから、座りましょっす」と言い、腰を下ろし、私を手招きした。
犬山に促され、私も横まで歩くと、隣に腰を下ろした。
コンクリートは日差しを受け、スカート越にでも熱されているのがわかった。
「まず、事件があったのは一昨日の四時間目の十一時三十五分から、十二時五分までの間っすね。十二時五分に第一発見者が死体を見つけて、職員室に連絡をし、現場保存したっすね」
その三十分の間に、十六人の人間を殺したことになる。
単純計算で一人二分かからず殺したのか。
「うちのクラスは総勢二十二人なんすけど、当日の欠席者はゼロっす。遅刻者は一名。それがうちっすね」
「犬山さんは――」と、話しかけると、「ワンちゃんって、呼んでくださいよ」と言われた。
……呼ばないといけないのか。
ワンちゃんと呼ぶのも恥ずかしいが、呼んだらこの緊迫した雰囲気が台無しになるような気がした。
「えっと……慣れてきたら必ず呼ぶので……今はシリアスに犬山さんと呼ばせてください……」と、正直にいい、頭を下げる。
考えてみると、昨日から頭を下げっぱなし泣気がするな。私のお辞儀って軽いな……。
頭を下げたのが利いたのか、あとで必ず呼ぶといったことが利いたのか、「わかったっすよ」と犬山は答えた。
あとで呼ぼう……きっと呼べるはずだ。
気を取り直し、「犬山さんは何時に登校してきたんですか」と、聞きなおした。
「うちは十二時に門をくぐったっすね。で、教室に来たのは十二時五分っす」
十二時五分に登校してきたと言う事は……。
「第一発見者は……」
「うちっすね」と、犬山は答えると、「これがミステリー小説なら、第一発見者のうちが怪しく思えるとこなんすけど、アリバイとかはあとで話すので、楽しみにしてるっす」と、自分が犯人と疑われる場面だと言うのに、飄々と答えた。
確かに第一発見者を疑うのがミステリーの鉄則だが、私は探偵ではない。
殺し屋のパートナーだ。
犯人を見つけて警察に突き出す訳でも、懺悔をさせる訳でもない。
ただ刑の前に突き出すだけだ。
ただ刑に殺させるだけだ。
犬山は、「死体の状況なんすけど」と、話を進めた。
「死体は、刺殺と斬殺されていたっす。つまり一人残らず惨殺されていたってことっすね」
ざんさつと二回言われたが、頭の中で話の流れからして、斬殺と惨殺に変換していると、犬山は話を続けた。
「死体の様子はあとで映像で見せるっすけど、切断面やナイフを抜いた跡を見ると、相当な腕利きだと思うっす。無理に突き刺して肉が潰れたり、骨に当たって刃が止まってしまった様子は見られなかったっすね。言い方は可笑しいっすけど、綺麗な傷しかなかったっす」
死んだ十六人の中には組織の人間が、三人はいた。その中で綺麗な傷しか付けずに殺したことからも、犯人の技量の高さが窺えた。
そして全て刃物で殺していることも分かった。
つまりは……。
「銃は使わなかったんですね……」
「遺体からも、壁からも銃弾は見つからなかったすね。銃創がないんで、銃を使わなかったのは間違いないっす」
突然教室に踏み入り、マシンガン等を乱射して殺したわけではないらしい。
「銃を使って皆殺しにした犯人なら、まだ可愛げもあるんすけど、刃物を使って助けも呼ばせずに全員殺したとなると、化け物以外の何者でもないっすよね。いやぁエリちん達にしたら大変な仕事っすね」
犬山はそう言うと、「あはははっ」と、まるで他人事のように笑った。
私には笑う余裕など、どこにも無かった。
犯行の手口を聞き、私の中で犯人が途轍もない化け物のように思えてきたからだ。
刑一人で本当に殺せるのか?
私の技量では、戦う刑に手を貸すことはできない。
私が出来ること、それは刑が有利に戦えるように、一つでも多く情報を仕入れることしか出来なかった。




