↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
6/6

第6話 自由を駆ける雷

  翌朝、梅田地下の駐車場に四人が揃った。


 コンクリートの壁には、昨日までなかった青白い扉が浮かんでいる。周囲は見慣れた駐車場なのに、扉の前だけ空気が冷たく感じられた。


 近づくと、視界に文字が現れる。


《硝子の回廊》

《難易度:初級》

《攻略完了まで途中退出不可》

《死亡した場合は安全区域で復活します》

《残機がない場合、復活は行われません》


「……初級、ね」


「その顔、ムカデを思い出してるでしょ」


 リンが俺の横から表示を覗き込んだ。


「いや。誰が難易度を決めてるのか気になってさ」

「そんなに信用できない?」

「あれがチュートリアル扱いだったら、さすがに苦情を入れたい」

「どこに?」

「それを今から調べようと思ってた」

「後にして」


 そう言って笑ったリンも、扉から目を離さない。


 この世界に来てすぐ、俺たちは巨大なムカデと戦った。傷は消えても、牙が顔のすぐ横を通り過ぎた感覚は覚えている。


 残機は、最初に与えられた二つだけ。


 復活できるからといって、死んでいい理由にはならない。


 この一週間、リンとは何度も魔法の練習を重ねた。最初は氷針を一本出すだけでも苦労していたのに、今では氷の壁や拘束も、少しずつ使い分けられるようになっている。

 ただし、ムカデを止めたあの広域魔法――氷界封域《フロスト・ドミニオン》だけは、一度も再現できていない。

 俺も同じだ。焔銃剣の扱いには慣れてきたけれど、あのときの炎をもう一度出せと言われても、自信がなかった。


 技が増えても、失った残機は戻らない。だからこそ、今日は四人で無事に帰りたい。


「タツヤ、今日は無茶しないでよ」

「善処します」

「約束して」

「……分かった。約束する」


 リンが満足そうに頷くと、コトネがぴんと手を挙げた。


「コトネも約束します! いっぱい頑張ります!」

「コトネちゃんには頑張りすぎない方を約束してほしいな」

「ええっ! 頑張っちゃ駄目なんですか?」

「帰り道の体力も残しておかないとね」

「……それは難しいです!」


 そこは自信を持って言わないでほしい。


「コトネ」


 シュウゴがコトネの隣に立つ。


「俺の見えないところまで一人で走るなよ」

「はいっ! シュウゴさんも置いていかれないでくださいね!」

「……努力する」


 真剣に答えるシュウゴを見て、リンが口元を押さえた。


「タツヤ」


 シュウゴが俺を見る。


「中に入ったら、指揮はお前に任せていいんだな」

「はい。ただ、四人で戦うのは初めてです。俺が見落としたら、遠慮なく言ってください」

「ああ。俺も気づいたことは伝える」


「コトネも気づいたら言います!」

「頼りにしてるよ。走る前にも一声かけてね」

「はいっ!」


 今の返事は頼もしい。……五分後も覚えていてくれるといいんだけど。


 互いの戦い方は、まだ十分に知らない。それでも四人で戦うと決めた。


 今日の目標は、敵を何体倒すかじゃない。帰って、また四人で笑うことだ。


「よし。行こうか」


 俺は青白い扉に手をかけた。


 重い扉が、ゆっくりと開いた。


     ◇ ◇ ◇


 扉の向こうには、透明な柱が何本も並ぶ長い回廊が続いていた。


 厚い硝子の床の下に、黒い岩盤が透けている。左右の柱も、壁も、天井さえ鏡のようだった。


 前を歩くシュウゴが三人に増えて見えた。角度が変わると、今度はリンの姿が壁の奥へ消える。


 足音だけは四人分。……目より耳を信用した方がよさそうだ。


 背後で扉が閉まる。


《入場を確認しました》

《攻略完了まで退出できません》


「本当に閉まっちゃいました!」

「そう書いてあったからね」

「でも、ちょっとドキドキします!」


 コトネが胸に手を当てて笑う。


 俺は焔銃剣《イグニス・バヨネット》を呼び出した。

 リンも氷話杖《フロスト・コーラー》を手にする。


「そういえば、二人の武器って、ちゃんとは見せてもらってなかったわね」


 シュウゴが手を開いた。


 現れたのは、黒と金の大盾。岩を重ねたような厚い装甲が、肩から膝までを覆うほど大きい。


「大地盾《ガイア・バルワーク》だ」

「おお。頼りになりそうですね。元は何だったんです?」

「段ボール箱だ」

「……段ボール?」

「仕事で毎日のように荷物を運んでいた」


 俺は大盾を見直した。


「ずいぶん出世しましたね、その箱」

「俺もそう思う」


 この人、時々こちらが返事に困るくらい真顔だ。


「土や岩を動かせる。ただ、何もない空中に岩を作るのはまだ難しい。地面とつながっている方が力を使いやすいんだ」


 シュウゴが盾の先で床の継ぎ目を指した。そこから小さな岩の突起がせり上がる。


「じゃあ、岩盤が見える場所なら有利ですね」

「ああ。逆に、硝子だけの場所では無理をさせないでくれ」

「分かりました」


「次はコトネです!」


 少女が待ちきれない様子で右手を上げた。


 黒と金の太刀が光の中から現れる。細い紫電が刃を走り、握っただけで小さく空気が鳴った。


「雷命刀《らいめいとう》です! 格好いいでしょう!」

「うん。すごく綺麗だね」

「えへへ! 元は病院で、いつも握っていた点滴スタンドなんです!」


「点滴スタンドから刀か……」


 俺は自分の銃剣を見た。


「工具が銃剣、段ボールが盾、点滴スタンドが太刀。武器によっては現金が出るやつもあったのかな」

「そんなものあるわけないでしょ」

「リン、現実的すぎない?」

「タツヤほどじゃないと思うけど」


 コトネが声を立てて笑った。


 その笑い声を、硬い音が遮った。


 かつん。


 回廊の奥から蹄の音がした。


 次いで、金属が床を擦るような音。


 さらに、頭上から甲高い鳴き声が重なる。


「……敵が多そうだな」


 正面の暗がりに、硝子の角を持つ鹿が現れる。


《硝角鹿(グラスホーン)》


 鹿は十頭近い。さらにその背後には、槍を構えた透明な兵士が七体、横一列に並んでいた。


《硝子兵(グラスソルジャー)》


 見上げると、天井の梁の間から十数匹の黒い蝙蝠が次々と飛び出してくる。


《残響蝙蝠(エコーバット)》


「……いきなり全部乗せか」

「タツヤ、数が多い!」

「ああ。ちょっと予想外だね」


 鹿が前列、槍兵が後列。蝙蝠は鏡の天井に映り込み、実際より何倍もいるように見えた。


 左右の太い柱の間だけが狭い。ここで敵を受ければ、一度に相手をする数を減らせる。逃げれば蝙蝠に背を取られる。


 ……よし。中央に集めよう。


「シュウゴさん、中央をお願いします! リンは左右の通路を塞いで! コトネは俺の後ろ、まだ走らないで!」

「分かった!」

「はいっ!」


 シュウゴが前へ出て、盾を床に打ちつけた。


「ここは通さん。大地錨《グランドアンカー》!」


 盾の下から岩の杭が伸び、硝子の継ぎ目を通って床下の岩盤へ食い込んだ。


 先頭の鹿が、角を低く構えて突っ込んでくる。


 ――ガンッ!


 巨体が盾にぶつかり、床を揺らした。


「……重いな」

「大丈夫ですか!」

「ああ。今のうちだ!」


「そこは通さないわ。氷棘壁《グレイシャルウォール》!」


 リンが杖を振り下ろす。


 シュウゴの盾の左右に、鋭い氷の棘をまとった壁が立ち上がった。


 回り込もうとした鹿たちが進路を塞がれ、足を止める。


「タツヤ! 今よ!」


「ナイス、リン!」


 俺は銃口を向けた。


「散れ! 焔散弾《フレアショット》!」


 火弾が扇状に広がり、前列の鹿の角や脚に炸裂する。


 何頭かがよろめき、砕けた角が床を滑った。


 だが、その向こうで硝子兵が一斉に槍を構えた。


 鹿の背後から、長い槍の穂先が突き出される。


「……まずい! シュウゴさん、頭を下げて! リンは右の柱へ!」


 シュウゴが盾の陰に身を沈める。


 直後、一本目の槍が盾の上端をかすめ、甲高い音を立てた。


 二本目は右側へ伸びたが、リンが先ほど作った氷の障壁に突き刺さる。


「……危なかったな」


 シュウゴが低く呟く。


「鹿の肩越しに槍を突いてくるのか。厄介ですね」


 槍兵は突き終えた直後、穂先を引き戻すのに一拍かかる。


 その隙なら届く。


「シュウゴさん、あと少しだけ正面をお願いします! リン、左側の鹿を止めて!」


「分かったわ!」


 リンが杖を向ける。


「――そこまで。霜縛《フロストバインド》!」


 左側の鹿の前脚が凍りつき、動きが止まった。


 俺はその脇を抜け、左の柱に身を寄せる。


 正面の盾に気を取られていた硝子兵が、慌てて槍を引き戻した。


「……遅い!」


 銃剣を構え、一気に踏み込む。


「喰らいつけ! 焔牙斬《ブレイズファング》!」


 炎の牙が兵士の胴体を斜めに切り裂いた。


 硝子の破片が飛び散り、青白い光へと変わっていく。


 だが、安心する暇もなかった。


 上から、耳を刺すような鳴き声が降ってきた。


 鏡の壁いっぱいに黒い翼が広がる。どれが本物だ?


 頭上の空気が鋭く鳴った。そちらへ身を引いた瞬間――


「上!」


 リンの声と同時に、蝙蝠が急降下してきた。


 俺は身体を伏せた。尖った翼が頭上をかすめる。


 正面を塞がれている間に、頭上から切り込まれる。敵に三種類いる意味が分かった。


「コトネ、俺たちの上を頼める?」

「任せてください!」

「ただし、離れすぎないで!」

「はいっ!」


 コトネの足元で、小さく雷が弾けた。


「雷走《ボルトラン》!」


 少女が、俺たちのすぐ右から飛び出す。


 右の柱を蹴って跳び上がり、俺たちの頭上をかすめた蝙蝠を斬り上げた。


「まとめて、いきます! 雷環斬《ボルトサークル》!」


 太刀が円を描く。


 紫電が頭上へ広がり、降りてきた蝙蝠をまとめて切り裂いた。


「……速っ」


 思わず声が漏れる。


 だが、コトネは止まらなかった。


 着地した勢いのまま、兵士の背後へ駆け抜けようとする。


「コトネ、そこまで!」


 俺が叫んだときには、遅かった。


 柱の陰にいた別の兵士が、横から槍を突き出した。


「……っ!」


 コトネが身体をひねる。


「――閃駆《フラッシュダッシュ》!」


 紫電が床を走り、槍先が空を切った。


 避けられた。けれど、着地したコトネの背後には鹿がいる。


 俺は銃剣を握り直した。


「コトネ、伏せて!」


 少女が身を沈める。


 俺は足元に炎を走らせ、二人の間へ滑り込んだ。


「焔迅歩《ブレイズステップ》!」


 鹿の角を刃で受け流す。


 腕に強い衝撃が走った。踏ん張りきれず、靴底が床を滑る。


「くっ……!」


 まずい。次の突進は受けられない。


「タツヤ!」


 リンの杖から冷気が走った。


「――そこまでよ。霜縛《フロストバインド》!」


 鹿の前脚が凍りつき、目の前で動きが止まる。


 俺はその首筋を銃剣で斬り抜いた。


 砕けた鹿の向こうから、シュウゴの声が飛ぶ。


「二人とも、戻れ!」


 盾の前にはまだ鹿が残り、槍兵が柱の外側へ回り始めていた。頭上では蝙蝠がまた輪を作る。


 このまま受け続けたら、先にこっちが尽きる。


「……分かりました。シュウゴさん、正面の床を崩せますか!」

「できる。だが、足場ごと失うぞ」

「全員、柱の手前まで下がります。敵が固まったところをまとめて!」


 シュウゴが短く頷いた。


「リン、上の蝙蝠を引きつけて! コトネ、俺のところまで戻って!」

「分かった!」

「はいっ!」


 リンが杖を上げる。


「――連なって、凍りなさい。氷晶連鎖《クリスタルチェイン》!」


 冷たい光が一匹の蝙蝠に触れ、隣へ、そのまた隣へと広がった。


 群れの中央が凍りつき、翼を動かせなくなった蝙蝠が落下してくる。


 コトネが戻る。シュウゴも盾の固定を解き、俺たちと同じ位置まで退いた。


 追ってきた鹿が柱の間で詰まり、その後ろの槍兵も足を止める。角と槍がぶつかり合った。


 ……ここだ。


「今です!」


「割れろ。地裂衝《アースブレイク》!」


 シュウゴの盾から衝撃が床下へ走った。


 敵の足元だけ、硝子が大きく割れる。岩盤が盛り上がり、鹿の脚が取られ、兵士の槍先がばらばらに揺れた。


 落ちてきた蝙蝠が折れ重なった鹿に衝突する。逃れた数匹も、リンが撒いた氷針に進路を塞がれた。


 リンは右の柱の陰、コトネは俺の隣。シュウゴは中央。炎を振るう左側に、味方はいない。


「俺が左を片づける。コトネは右、リンは逃げる敵を止めて!」


「はいっ!」


 俺は前へ踏み込み、銃剣を大きく振った。


「まとめて薙ぎ払う! 焔旋斬《フレイムサイクロン》!」


 炎の弧が左側へ広がり、足場を失った兵士たちをまとめて薙ぎ払う。


 右では、コトネが雷をまとって駆け出した。


「今度はコトネの番です! 雷影乱舞《サンダーワルツ》!」


 紫電の軌跡が、柱と崩れた床の間を縫う。


 紫の軌跡が交差するたび、鹿の角が砕け、兵士の槍が折れた。


 最後に逃れようとした蝙蝠をリンの氷針《アイスニードル》が射抜いた。


 硬い音が途切れる。


 目の前には砕けた床だけが残り、魔物たちは一体残らず光になって消えた。


「……終わった、かな」


 俺がそう呟いた直後、コトネが両手を挙げた。


「やりましたー!」


「うん。すごかったよ」

「えへへ! コトネ、強いでしょう!」

「想像してたよりずっと強かった。特に速さは、ちょっと反則だね」


 コトネが嬉しそうに笑う。


 その笑顔を見てから、俺は声を落とした。


「でも、さっきの槍は危なかった」

「……はい」

「コトネが強いのは分かった。だからこそ、俺たちが追いつけないところまで行かないでほしいんだ」


 少女は太刀を見下ろした。


「コトネ、走れるのが嬉しくて……つい」


 さっきまでの勢いが、少しだけ弱まる。


 俺はしゃがんで目を合わせた。


「怒ってるわけじゃないよ。助けに行こうとして、間に合わなかったら嫌だから」

「……分かりました。次はちゃんと戻ります!」


「……俺からも一つ」


 シュウゴが口を開いた。


「戻ろうとした判断はよかった。あのまま進んでいたら守れなかったからな」


「本当ですか?」

「ああ」


 コトネの顔がぱっと明るくなる。


 コトネの肩が小さく上下している。強くても、疲れないわけじゃないらしい。


「無理は禁物よ。まだ終わってないんだから」

「はいっ!」


 俺も壁にもたれた。


 ほんの短い戦いだったはずなのに、腕が重い。


 勝てたのは四人で位置を守ったからだ。コトネの速さだけでも、俺の炎だけでも足りなかった。


 ……まだ、息を合わせる練習は必要だな。


     ◇ ◇ ◇


 しばらく休んでから、俺たちは先へ進んだ。


 途中に魔物の姿はない。崩れた床の左右には、柱に沿って割れずに残った足場があった。俺たちはそこを一人ずつ慎重に通り、向こう側へ渡った。


 その先には細い通路が一本だけ続き、奥に大きな扉が見えていた。


 扉の表面は鏡になっている。


 近づくと、映った四人の姿の奥で、赤い光が一度だけ瞬いた。


「……嫌な演出だな」

「中に何かいるのかしら」

「たぶんね」


 シュウゴが盾を構え直す。


「体力はどうだ?」

「俺は大丈夫です」

「私も」

「コトネも行けます!」


 俺はコトネの顔を見た。息は落ち着いているように見えた。


「コトネ。無理そうになったら、ちゃんと言ってね」

「はいっ!」


 四人で扉を押す。


 向こうには、円形の広間が広がっていた。


 床一面に、靴底が濡れる程度の黒い水が張っている。壁には大小の鏡が並び、天井の高いところまで光を反射していた。


 広間の中央には、鏡を貼りつけた巨大な岩の塊がある。


 それが、ゆっくりと動いた。


 岩が軋み、太い腕が持ち上がる。


 人間の三倍ほどの高さを持つ巨兵が立ち上がった。


《BOSS:鏡晶巨兵(ミラーゴーレム)》


 胸の奥で、赤い光が脈打っている。


「……初級の基準、やっぱり聞いておきたいな」

「後にしなさい!」


 リンが叫んだ直後、巨兵の拳が振り上げられた。


「散れ!」


 四人が左右へ飛ぶ。


 拳が床に叩きつけられ、黒い水が跳ね上がった。


 割れた硝子が雨のように散る。


 俺は広間の左側へ着地した。シュウゴは中央で盾を構え、リンはその後ろ。コトネは右側にいる。


 距離は十分だが、この配置を崩したら互いの援護が届かなくなる。


「シュウゴさん、正面を! リンはその後ろから援護! コトネはまだ待って!」


 俺は左から焔銃剣を構えた。


 巨兵の胸で赤い光が脈打っている。


 いかにも弱点らしい。こういう分かりやすいものほど、まず確かめるに限る。


「穿て! 炎弾《ファイアバレット》!」


 炎弾が胸へ一直線に飛ぶ。


 だが、赤い光へ届く直前、鏡の装甲がそれを弾いた。


 火弾が斜め上へ跳ね、天井の鏡に赤い反射を残して消えた。


「……反射するのか」


 巨兵の右腕が青白く光る。


 次の瞬間、光の刃が俺へ飛んできた。


「タツヤ、左!」


 リンの声で身を投げ出す。


 光の刃がすぐ横の鏡へ当たり、角度を変えて戻ってきた。


「危ない! 氷盾《アイスガード》!」


 薄い氷の盾が俺の前に現れる。


 光の刃が氷を砕き、勢いを失って床へ落ちた。


「助かった!」

「鏡に跳ね返るみたい。気をつけて!」

「了解!」


 ただでさえ巨体なのに、部屋そのものまで武器にしてくるらしい。


 巨兵が再び拳を振り下ろした。


「シュウゴさん!」


「止まれ。土壁《クレイウォール》!」


 床下から岩が盛り上がり、巨兵の拳の進路へ斜めに壁を作った。


 拳がぶつかり、土壁が砕ける。


 だが、わずかに軌道がずれた。


 シュウゴのすぐ脇を拳が通り過ぎる。


「……まともに受けるのは無理だな」

「ですね。逸らすだけで精一杯です!」


 俺は巨兵の足元を見た。


 水の下には岩盤がある。シュウゴの魔法が通るのは分かった。


 問題は、攻撃を当てる場所だ。


 鏡を正面から撃っても駄目だ。動くための継ぎ目なら、どうだ。


 巨兵が一歩踏み出した。


 その瞬間、右膝の裏側に黒い隙間が見えた。


 もう一歩。


 今度は左膝の裏が開く。


 関節の隙間までは、鏡で覆いきれないらしい。


「リン、左足の着地点を凍らせられる?」

「できると思う!」

「シュウゴさん、右膝の外側を押してください! 巨体を傾けたい!」

「分かった」


 俺はコトネを見る。


「コトネは右側で待機。俺があの赤い部分を露出させるから、トドメは任せた!」

「はいっ!」


 リンが床へ杖を向けた。


「足元、見てる? 冷紋《コールドシール》!」


 巨兵の左足が踏み出される先で、水面が白く凍りついた。


 巨兵がその氷を踏む。


 つるりと足が滑り、上体が左へ傾く。


「突き上げろ。岩槍突《ストーンスパイク》!」


 床下から岩の槍が伸び、右膝の外側を押し上げた。


 巨兵が膝を折り、肩から床へ傾く。


 引きつれた胸の鏡の間に、細い黒い継ぎ目が現れた。


「今だ!」


 俺は左から走り込んだ。


「焔迅歩《ブレイズステップ》!」


 炎の勢いを足に乗せ、一気に距離を詰める。


 銃剣の刃を、露出した継ぎ目へ斜めに振り下ろした。


「割れろ! 焔牙斬《ブレイズファング》!」


 炎の牙が胸の装甲に食い込み、一本の亀裂を走らせた。


「よし!」


 だが、赤い核までは届かない。


 巨兵が膝を起こす。


 俺が退こうとした瞬間、左腕が横から迫った。


「タツヤ!」


 リンの声が聞こえる。


 回避するには遅い。


 俺は銃剣を横に構えた。


 ――ゴンッ!


 重い衝撃が腕を突き抜ける。


 身体が床を滑り、黒い水を跳ね上げながら柱の手前まで転がった。


「……っ、痛いな」


 息を吸うと、胸がずきりとした。


 骨は折れていない。……そういうことにしておきたい。


「タツヤ、大丈夫!?」

「何とか! ちょっと大きめの平手打ちをもらっただけ!」

「冗談言ってる場合じゃないでしょ!」


 怒っている。


 ……心配をかけたのは俺だから、言い返せない。


 巨兵の胸を見る。


 亀裂は残っている。


 また膝をつかせても、俺一人であの装甲を割り切る前に腕が来る。


 そのとき、巨兵の胸の赤い光が強くなった。


 壁の鏡が、順番に青白く点灯していく。


「……リン、壁!」


 俺が叫ぶより早く、光の刃が放たれた。


 壁で跳ねた光が、別の鏡へ移り、さらに折れ曲がる。


 真正面から撃ったはずの刃が、いつの間にか背後から迫っていた。


「みんな、シュウゴさんへ!」


 シュウゴが大盾を立てた。


「任せろ。岩砦《ロックフォートレス》!」


 岩の壁が盾の左右にせり上がり、四人の前に短い防御陣地ができる。


 光の刃が岩壁を削る。


 一撃、二撃。


 砕けた石が水面を叩いた。


 コトネが俺の隣に滑り込んでくる。


「タツヤさん、大丈夫ですか!」

「うん。少し痛いけど、まだ動けるよ」

「よかった……」


 返事をしたコトネが、すぐに膝へ手をついた。肩が小さく震えている。さっきの混戦から雷を使い続けていた。


「コトネ、無理なら――」

「大丈夫です!」


 声は元気だ。でも、額に張りついた髪と浅い呼吸まではごまかせていない。


 俺はもう一度、巨兵を見た。


 鏡の攻撃が止み、赤い光が少し弱まる。


 ……ん?


 胸の亀裂が、さっきより開いている。


 赤い光が強くなるたび、亀裂が内側から押し広げられる。攻撃の直後、わずかに戻る。


 ……核が力を使う瞬間に装甲が緩むのか。


 次の攻撃が来れば、確かめられる。


「シュウゴさん、もう一度だけ片膝をつかせられますか!」

「できる。ただ、同じ手は警戒されるだろう」

「ですよね」


 巨兵がこちらを向く。


 右足を引いて、拳を振り上げた。


 さっきと同じ動き。


 いや、違う。


 狙いが、盾の正面より少し内側にずれている。


 あれは盾を砕くためじゃない。壁ごと、後ろの俺たちを押し潰すつもりだ。


「全員、左へ!」


 俺は叫んだ。


「シュウゴさん、受けずに逃げて!」


 シュウゴが盾を引き抜き、岩壁の左端から離れる。


 直後、巨兵の拳が防御陣地を叩き潰した。


 岩が砕け、水が天井近くまで噴き上がる。


 もし、あそこに残っていたら。


 考えたくもない。


「……助かった」


 シュウゴが短く言った。


「いえ。たまたま気づいただけです」

「その『たまたま』が大事なんだろう」


 コトネを右側へ回し、シュウゴとリンには左の岩盤近くを取ってもらう。俺は二人より半歩前へ。


 巨兵の足を見る。


 拳を床へ叩きつけた反動で、右足に大きく体重が乗っている。


 胸が前へ傾いた。核の赤い光が一段と強まり、さっき撃ち込んだ亀裂が広がる。


 ……やっぱり。攻撃の瞬間、鏡の装甲に隙ができる。


 今なら、いける。


「リン! 右足だけ止めて!」


「――そこまで。霜縛《フロストバインド》!」


 凍った霜が右足首へ絡みつく。


 巨兵が足を抜こうとするが、ほんの一瞬だけ動きが止まった。


「シュウゴさん、左膝!」


「持ち上がれ。地脈隆起《テラライズ》!」


 床下の岩盤が盛り上がり、巨兵の左足を押し上げる。


 右足は凍りつき、左足は持ち上がる。


 体勢を崩した巨兵が、片膝をついた。


 胸の亀裂が大きく開く。


 今度は俺も無理に正面へ飛び込まない。


 巨兵の左腕が届かない位置から、銃剣の銃口を亀裂へ向けた。


 焔銃剣の銃口へ炎を絞る。


 鏡が緩んだ一瞬を待って、引き金を引いた。


「炎弾《ファイアバレット》!」


 炎弾が亀裂へ入り、内側で弾ける。


 ぱきん、と高い音がした。


 胸の鏡が大きく割れる。


 赤い核が、むき出しになった。


「見えた!」


 俺は右側にいる少女を振り返った。


「コトネ!」


 コトネが雷命刀を握り直す。


 脚はまだ震えている。それでも、俺から目を逸らさなかった。


「……はい」


「行けそう?」


 コトネは一度だけ、自分の足元を見た。


 水面に、紫電が小さく走る。


「コトネ、ずっと……こんなふうに走ってみたかったんです」


 さっきまでとは違う、静かな声だった。


「なら、もっと走ろう。俺たちが道を作る」


「……はいっ!」


 点滴スタンドから生まれた刀。病院での日々を、俺はまだ知らない。


 でも、走るのがどれほど嬉しいかは、あの笑顔を見れば分かる。


 今日だけの自由には、したくなかった。


 巨兵の胸が赤く輝いた。


 装甲の破片が動き、核を隠そうとする。


「リン! 胸の周りを止めて!」


「任せて!」


 リンが杖を高く掲げた。


「咲きなさい。氷華散撃《フロストブロッサム》!」


 花弁のような氷片が広がり、核の周囲へ集まっていた鏡の破片を打ち据えた。


 閉じかけた装甲が止まる。


 巨兵の左腕が、コトネの進路を塞ぐように振り下ろされた。


「シュウゴさん!」


「止まれ。土壁《クレイウォール》!」


 岩壁が腕の内側から突き上がる。


 拳の軌道がわずかに外へずれ、コトネの前に道ができた。


 だが、巨兵はまだ動ける。


 右腕が持ち上がり、コトネへ伸びようとした。


「俺が止める!」


 俺は巨兵の正面左側から、コトネへ伸びかけた右腕の下へ駆け込んだ。


 銃剣の刃が炎をまとい、低く下がった肘の継ぎ目へ突き刺さる。


「焔刃《フレイムエッジ》!」


 炎の刃が関節の隙間を焼き、腕の動きを一瞬鈍らせた。


「コトネ、今だ!」


 コトネが小さく息を吸う。


 右足を引き、雷命刀を低く構えた。


 その姿を見て、俺は気づいた。


 最初の戦いでは、見えた敵へそのまま飛び込んでいた。


 今は違う。コトネは核だけを見ている。俺たちが作った道を確かめ、戻る先に一度だけ目をやった。


 もう、ひとりで走っていない。


「コトネ、もっと走りたいです。明日も、その先も……みんなとずっと一緒に!」


 紫電がコトネの足元へ集まる。


 一瞬、広間が静かになった。


「無影雷閃《ファントムブリッツ》!!」


 ――紫電が、走った。


 コトネの姿が視界から消える。


 黒い水面に紫の亀裂が走り、次の瞬間、その光は巨兵の胸を真横に貫いていた。


 次に姿が見えたとき、コトネはもう巨兵の向こう側へ着地していた。


 一拍遅れて、赤い核に一本の亀裂が走る。


 その亀裂が、内側から一気に広がった。


 鏡の鎧が割れる。


 岩の身体が軋む。


 巨兵は何かを掴もうとするように腕を伸ばし――そのまま、無数の光となって崩れ落ちた。


《BOSS:鏡晶巨兵撃破》

《硝子の回廊をクリアしました》

《ドロップアイテムを各メンバーの所持品へ収納しました》

《帰還用ゲートが開放されました》


 広間の奥に、淡い青色のゲートが現れる。


 誰も、すぐには動かなかった。


「……終わった?」


 リンが呟いた。


「たぶん。二段階目が始まらないことを祈るよ」


 俺は銃剣を下ろした。


 コトネは巨兵の向こうで片膝をついている。


「コトネ!」


 駆け寄ると、コトネが顔を上げた。


「……えへへ。どうでした?」


「すごかった。最後、全然見えなかったよ」

「本当ですか!」

「うん。あれはちょっと、速度違反かもしれない」

「ええっ!? コトネ、捕まっちゃうんですか!?」


「タツヤ!」


 後ろからリンに睨まれた。


「……冗談です」


 コトネがほっとしたように笑う。


 けれど、立ち上がろうとした瞬間、膝が折れた。


「……あれ?」


 倒れるより先に、シュウゴが身体を支えた。


「無理するな」

「ちょっとだけ、頑張りすぎちゃいました……」

「ちょっとには見えんがな」


 シュウゴが膝をつき、コトネの顔を確かめる。


「痛むところは?」

「どこも痛くないです。脚がふにゃふにゃするだけで……」

「なら、しばらく休め」


 コトネが小さく頷く。


 シュウゴは少し間を置いてから、言った。


「……よくやった」


 その一言で、コトネの顔がぱっと明るくなった。


「はいっ!」


 リンもそばへしゃがむ。


「次は、倒した後もちゃんと歩けるくらいにしようね」

「はい! コトネ、もっと上手に戦います!」


 俺は三人を見た。


 シュウゴが盾で攻撃を逸らし、リンが足場と装甲を止め、コトネが核を貫いた。


 俺も少しは仕事をした。……吹き飛ばされる役だけじゃなくてよかった。


 誰か一人だったら、届かなかっただろう。


 四人で勝ったんだ。


「……俺たち、結構いいチームですね」


 思わず口にすると、シュウゴが頷いた。


「ああ。悪くない」

「そこは『最高だ』くらい言ってくれてもいいですよ」

「……調子に乗るな」


「ほらね」


 リンが楽しそうに笑った。


「タツヤにはそれくらいでちょうどいいのよ」

「味方がいないなあ」


「いますよ!」


 コトネが手を挙げた。


「コトネ、タツヤさんの味方です!」

「ありがとう。救われたよ」

「でも、リンお姉ちゃんの味方でもあります!」

「……うん。それが一番いい」


 シュウゴまで小さく笑った。


     ◇ ◇ ◇


 帰還用ゲートを抜けると、俺たちは梅田地下の駐車場に戻っていた。


 壁にあった扉は消え、いつものコンクリートだけが残っている。


 武器をしまい、地下街へ向かう。


 コトネはシュウゴに肩を貸してもらい、ゆっくり歩いていた。リンはその隣で、何度もコトネの顔を覗き込んでいる。


「……今日も、ちゃんと帰ってこられたね」


 リンが俺の袖を軽くつまんだ。


「約束したからね」

「ふふ。次もよろしく」

「もちろん。でも次は、もう少し穏やかな場所がいいな」


「例えば?」

「工具売り場とか」

「……どうしてそうなるのよ」

「見てるだけで落ち着くんだよ」

「私は別の場所がいい」


 即答だった。


 そのとき、前を歩くコトネが振り返る。


「あの、コトネ、お願いがあるんですけど……」

「ん? どうしたの?」


「ケーキが食べたいです!」


 リンが目を丸くした。


「さっきまで立てなかったのに、大丈夫?」

「はいっ! いっぱい頑張ったら、甘いものが食べたくなっちゃいました!」


「何のケーキが食べたいの?」

「チーズケーキです!」


「もう決めてるんだ」

「えへへ。ダンジョン入る前からずっと食べたかったんです!」


 リンがコトネの髪をそっと撫でた。


「じゃあ、いつものカフェに行きましょうか」

「やったー!」


 コトネが一歩だけ速く歩いて、すぐにふらついた。


 シュウゴが慌てずに支える。


「……走るな。今は歩け」

「はーい!」


「でも、座ってケーキを食べるくらいならいいでしょう?」


 俺が聞くと、シュウゴは小さく息を吐いた。


「……それなら構わん」


「よかったね、コトネ」

「はいっ!」


 少女が笑い、リンも笑った。


 少し後ろから三人を見る。


 つい昨日まで、隣を歩いていたのはリンだけだった。今日は四人分の足音がある。


 誰がこの世界を作ったのか、まだ何も分からない。


 でも、一人じゃ届かなかった場所へ、四人なら行けるかもしれない。


「タツヤ?」


 リンが振り返った。


「また考えごと?」

「いや。四人って、いいなと思って」


 リンは少しだけ驚いた顔をして、それから柔らかく笑った。


「……そうね。私もそう思う」


 前では、コトネがシュウゴにチーズケーキの話をしている。


 せめて明日、誰と歩くかくらいは、俺たちで決めたい。


 俺は三人の背中を追い、カフェ《Keybell》の灯りへ向かった。


――第6話 完――

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。