ep.62 夜を分ける場所
両親との一泊から数日が過ぎても、GRANZには新しい変化が起きなかった。優也は前回の反省どおり、何かを広げようとはせず、仕事帰りに屋内車庫へ寄ったときも、通路の状態と外観を確認する程度に留めている。鑑定には相変わらず『拡張状態』『状態――安定』と出ており、外から見た車体にも違いはなく、四人で泊まったことで見えてきた「夜になるとリビングが寝床へ変わる」という不便についても、ノートへ残しただけで、それ以上は触れないようにしていた。
とはいえ、一度身体で覚えた不便は、意識して忘れようとしても完全には消えない。両親と泊まった夜、リビングを全面ベッドへ変えたことで前後の動線が分かれ、前方の降下式ベッドで寝ていた真琴がトイレへ行くために、いったん就寝状態を解かなければならなかったこと。翌朝にも、まず寝床を片付けてソファとテーブルを元へ戻し、ようやくいつものリビングとして使えるようになったこと。どちらも一泊なら笑って済ませられる程度だったが、二泊、三泊と続けば少し面倒になるだろうとは思う。ただ、それだけのために今すぐ何かを変える必要はないという判断も変わっておらず、次の休みは真琴と二人だけで近場へ出掛け、GRANZを普通に使うことにした。
前日の夜、電話で予定を合わせながら、優也は念押しするように言った。
「今度はほんまに何も検証せんからな。温泉入って、飯食って、寝て帰るだけ。空間も測らんし、鑑定もせん。前回は親おったから楽しかったけど、ずっと気ぃ遣ってたし、今回は普通に休みたいわ」
『わざわざそこまで宣言するところが少し怪しいですけど、普通に旅行するなら私も賛成です。ただ、もし何か変化が起きたら、そのときは見るんですよね?』
「……そら変わったら見る。見て見ぬふりするほうが怖いやろ」
『それなら十分です。最初から変化を起こそうとしない、という意味なら』
真琴の声に笑いが混じり、優也も「信用ないなあ」と言いながらつられて笑った。
◇
翌日、二人は昼前に車庫を出た。今回の行き先は大阪からそれほど離れていない郊外の温浴施設で、前にも近くを通ったことがある場所だった。大型車でも入りやすい区画を確保してあり、観光の予定はほとんど入れず、途中で気になる店があれば寄る程度にしている。
GRANZの運転にもかなり慣れてきたとはいえ、優也は最初のころに決めたやり方を崩していなかった。細い道は避け、曲がる前には余裕を取り、見えにくければ無理をせず止まる。慣れたから確認を減らすのではなく、確認すること自体を自然な動作へ変えていくほうが自分には合っていると分かってきたからだ。助手席の真琴も、以前ほど周囲へ神経を張り詰めずに済むようになり、必要なときだけ道路状況を伝え、それ以外は窓の外を眺めながら普通に話している。
「今日は後ろ、静かですね。前回ずっとお母さまの声が聞こえてたから、余計そう感じます」
「母ちゃん、乗ってる間ずっと何か見つけて喋ってたもんな。父ちゃんまで途中から景色の話し出したし、あれはあれで賑やかで良かったけど、今日は別の車みたいやわ」
「でも、ご両親かなり楽しんでましたよ。お父さまも帰りはずいぶんリラックスしてましたし」
「次もう考えてるらしいで。母ちゃんから『秋どこ行くん』って来た。俺まだ何も決めてへんのに、向こうの中では開催確定してる」
真琴が笑い、優也も笑った。会話が途切れたあとも、車内にはエンジンと路面の音が穏やかに続いている。以前なら大型車を運転していることそのものが一日の主題になっていたが、今は少しずつ「移動している時間」へ変わってきていた。
◇
目的地へ着いたのは午後で、区画へGRANZを収めて水平を確認し、運転席と助手席を回転させると、二人は特に何をするでもなくリビングへ座った。真琴が冷蔵庫へ飲み物を入れ、優也は窓から外を眺める。テーブルもソファも後部の主寝室も、前方の降下式ベッドもいつもどおりで、数日前に四人で泊まったときの忙しさが嘘のようだった。
「やっぱ二人やと広いな。親と泊まった翌週やから余計そう思うわ。通路も今の幅なら、もう何も気にならへん」
「前はここですれ違うたびに、どちらかが止まってましたからね。でも便利なほうにはすぐ慣れますし、そのうち元の幅を写真で見ても『こんなに狭かったっけ』ってなると思います」
「元戻ったら絶対文句言うで、俺」
「そのときは最初の写真を見せます。『これが本来の幅です』って」
「余計つらいやつやん」
二人で笑ったあと、優也は改めて車内を見回した。四人で泊まったときには「寝る場所がもう一つあれば」と思ったものの、二人なら何の問題もない。真琴は後部の主寝室、優也は前方のベッドを使えば、夜になってもリビングを潰す必要がなく、わざわざ生活空間を作り替える必要もない。
「二人用としては、もう十分完成してるんちゃう? 通路も広なったし、今のところ大きな不満ないやろ」
「私もそう思います。細かい用品を足すことはあっても、間取りとして困るところはほとんどないです。だから、このまま空間拡張が一回だけで終わっても、私は別に困らないですよ」
「俺もや。最初から広げるために買った車ちゃうしな」
優也はそう答えながら、自分でも以前より自然にそう思えるようになっていることに気づいた。
◇
夕方までは近くを散歩し、温泉へ入り、施設内で夕食を済ませた。GRANZへ戻るころには外がすっかり暗くなっていたが、二人だけなので寝る準備も簡単で、優也が前方のベッドを下ろし、真琴が後部の主寝室へ自分の荷物を移せば、それだけで夜の形になる。テーブルもソファも昼のままで、どちらかが夜中に起きてもリビングはそのまま使えた。
「やっぱ楽やな。四人のときはここ全部寝床にしたから、座る場所なくなったやろ。今は夜中に水飲みたくなっても普通に座れるし、朝になっても最初からリビングが残ってる」
「一泊なら四人でも十分でしたけど、毎回あの切り替えをするとなると、確かに少し手間でしょうね。夜と朝で同じ場所の役割が変わるから、人数が増えるほど準備も片付けも増えますし」
「四人のときも、ここがリビングのまま残せたら楽やろなとは思うけど……まあ、今は二人やし関係ないか」
そこまで言って、優也は自分で続きを止めた。真琴が横目で見たので、先に「考えただけやで。広がれとも言ってへんし、何も試してへん」と釈明すると、真琴は少し笑いながらも、「前回も最初は『あと少し広かったら』と考えただけだったでしょう」と返した。
「それ言われると怖いな。でもほんまに今日は何もせえへん。使って、寝て、帰るだけ」
「それならいいです。何も起きないなら、それが一番普通ですから」
二人はそのまましばらくリビングで話し、夜が深くなってから、いつものように真琴が後部へ、優也が前方のベッドへ分かれた。
◇
翌朝、優也はコーヒーの匂いで目を覚ました。時計を見ると、自分より先に真琴が起きていたらしく、前方のベッドから身を起こすと、キッチンで湯を沸かしている姿が見えた。
「おはよう。コーヒーの匂いで起きたわ。ええ目覚ましやな」
「じゃあ次から目覚まし要りませんね。ただし、毎朝私が淹れる前提にはしないでください」
「そこまで図々しくないって。……たぶん」
「最後の一言で全部怪しくなりました」
二人で笑いながら朝の準備を始めた。優也はベッドから降りると、使った壁面のステップを収納し、降下式ベッドを天井側へ戻してから顔を洗った。真琴はパンと簡単なサラダを並べる。前回の四人旅では、朝になるとまず寝床を片付けなければテーブルを使えなかったが、今日は最初からそのまま朝食を始められるので、同じ車内とは思えないほど動きが少なかった。
「結局、二人で使う分には今のままで十分やな。通路広がった分だけちょっと得したくらいで、これ以上何も起きんでも困らへん」
「それでいいと思います。何か能力があると分かったからって、毎回使わなきゃいけないわけじゃないですし、今のGRANZでも十分すぎるくらい快適です」
「せやな。これで終わりなら終わりで、普通に旅したらええ」
優也はそう言ってコーヒーを飲み、朝食を終えると帰る準備を始めた。
◇
荷物をまとめ、キッチンを片付け、優也が後部の主寝室へ忘れ物がないか確認しに行ったときだった。シャワー室を過ぎ、後部へ続く通路へ入ったところで、壁に見覚えのない縦の線があることに気づいた。
最初は収納扉の継ぎ目かと思ったが、その場所には収納も扉もなかったはずで、昨日何度も通っている。優也はすぐには触れず、少し離れた位置から見直した。縦の線は床近くから天井近くまで続き、よく見れば片側に指を掛けられそうな小さなくぼみまである。色も素材も周囲の壁と同じなので、意識しなければ見過ごしそうだが、どう見ても単なる傷や継ぎ目ではなかった。
「真琴、ちょっと来て。これ、前からあったか見てほしい」
呼ばれて来た真琴は、優也が指した壁を見るとすぐ表情を変えた。
「……ないです。少なくとも、こんな縦の継ぎ目は昨日見てません。扉みたいにも見えますけど、ここには何もなかったはずです」
「やっぱそうやんな。昨日ここ普通に通ったし、俺もこんなん見た記憶ない。しかも、また朝や」
前回も、一晩過ごした翌朝に通路が広がっていた。二人はその共通点に気づいたが、だからといってすぐ結論を出すことはせず、まず写真を撮り、触る前に状態を残すことにした。
◇
真琴がスマートフォンで壁全体と継ぎ目の近接写真を撮っている間に、優也は車外へ出て同じ位置の外壁を確認した。外側には何もなく、窓も扉も増えていなければ、車体が膨らんでいるようにも見えない。昨日までと同じ外観のままなのを確かめてから車内へ戻ると、縦の線は当然のようにそこへ残っていた。
「外は変わってへん。見た目だけなら昨日と同じや」
「なら、いきなり開ける前に鑑定してみましょう。前回も状態が出ましたし、何か分かるかもしれません」
「了解。じゃあ、この部分だけ意識してみる」
優也は壁全体ではなく、線の入った部分へ意識を向けた。
『鑑定』
頭の中へ、前回とは少し違う情報が浮かんだ。
『追加空間――形成』
『用途――未設定』
『外部寸法――変化なし』
『接続――安定』
『魔素反応――微弱』
優也はすぐ口に出さず、一度最後まで読み、それからもう一度確認した。
「追加空間……形成。用途は未設定。外部寸法は変化なしで、接続は安定。魔素反応は微弱やって」
「追加空間、ですか。前回は確か『内部容積――拡張』でしたよね」
「うん。今回は言葉が違う。通路が広がったんやなくて、この向こうに別の空間ができたって意味に見える」
「ただ、『用途未設定』なのが重要そうですね。寝室とか収納とか、何か完成した用途が付いてるわけではない」
真琴は壁を見ながら、少し考えるように続けた。
「昨日、私たちは四人のときもリビングが残れば楽だとは話しました。でも、寝室を作れとは言ってません。もし生活上の必要に反応したのだとしても、具体的な完成形まで決めているわけではないのかもしれませんね」
「空間だけ先に作って、何に使うかはこっち任せってことか」
「そう見えます。ただ、まだ扉を開けてもいないので、そこまで決めつけるのは早いです」
優也も頷き、二人でもう一度写真と鑑定結果を記録してから、ようやく扉らしき部分へ触れることにした。
◇
優也がくぼみに指を掛けて軽く引くと、ほとんど抵抗も音もなく扉が内側へ開いた。その向こうには、昨日まで存在しなかった小さな空間があった。
広さは大きな部屋と呼べるほどではないが、大人が一人入って身体の向きを変えられる程度の余裕があり、床も壁も天井もGRANZの既存内装と同じ落ち着いた仕上がりになっている。窓はなく、家具も収納も見当たらず、ベッドらしきものも何もない。空間だけが、まるで最初からそこに設計されていたように滑らかにつながっていた。
優也は入口から中を覗き込み、扉の内側に小さなスイッチがあることに気づいた。真琴へ一度目を向けてから触れると、天井の照明が普通に点灯し、さらによく見ると上部には既存の居住区に似た小さな吹き出し口もある。
「……電気まで来てる。空調も動いてるっぽいな」
「少し風を感じます。温度も他の場所とほとんど同じですね。ただ、これだけで既存設備と同じ仕組みだとは言えません」
「分かってる。でも見た目だけなら、後から無理やり穴開けて作った感じ一切ないな。ほんまに最初からあったみたいや」
「そこが一番おかしいです。外には、この容積が入る場所がないですから」
優也は入口に立ったまま数秒迷ってから、ゆっくり一歩だけ中へ入った。床は普通に体重を受け、壁へ手を当てても違和感はない。真琴も入口から中を確認し、照明や空調の状態を見たが、その場で「ここを寝室にしよう」とは言わなかった。
「今日ここで寝て試す、とかは無しやな」
「無しです。まず車庫へ戻って、外側も含めてもう一度確認しましょう。走ってもこの空間が安定しているか、それから数日経っても変わらないかを見てからです」
「俺も今は寝る気せえへん。広さだけ見たら簡易ベッド置けそうやけど、用途未設定って出てるなら、先に決めつけんほうがええやろな」
「そのほうがいいと思います。むしろ、ベッドまで勝手に作られなかったことは少し安心材料かもしれません。優也さんが何となく思った完成形を、そのまま勝手に実現しているわけではなさそうなので」
「俺が昨日『ゲストルーム欲しいなあ』とか本気で考えてたら、ホテルみたいな部屋出てきてた可能性あるんかな」
「そういう想像を始めると、また止まらなくなるので今はやめましょう」
「はい」
優也は素直に返事をし、二人は一度扉を閉めた。
◇
帰り道は、前回以上に慎重になった。運転席から感じる車体の幅や長さは変わらず、ミラーにも外形の異常は見えない。追加された小部屋は車内後方にあるため走行中に直接確認できないが、広い休憩場所へ停めたところで二人とも後ろへ移動し、扉を開けて状態を確かめた。
「残ってるな。広さも変わってへんし、照明も普通に点く」
「当然みたいに言わないでください。消えてたら、それはそれで相当困ります。ただ、一度できた空間は短時間では戻らないという点は、通路拡張と共通しているかもしれませんね」
「車庫戻ったら、いつもの外寸の目安も見よう。俺の感覚では絶対変わってへんけど、念のため」
「はい。あと、照明や空調が既存設備とどうつながっているのかも気になります。でも、今の段階で壁を外したり分解したりするのはやめましょう」
「それは俺もせえへん。何につながってるか分からんもん開けるの、普通に怖いわ」
二人は小部屋をもう一度確認してから扉を閉じ、残りの帰路では空間の話ばかりにならないよう、次の休みにどこへ行くかという普通の旅の話へ戻した。
◇
屋内車庫へ戻ったあと、最初に確認したのは外側だった。シャッターとの位置関係、左右の余裕、いつも目印にしている車体前後の位置を見ても、少なくとも普段確認している範囲では変化がない。追加空間ができた場所に対応する外壁にも膨らみはなく、新しい窓や通気口が増えた形跡も見当たらなかった。
「やっぱ外はそのままやな。前の通路も十分おかしかったけど、今回は部屋一つ分の空間が増えてるのに外が同じって、さらに訳分からん」
「はい。前回は、無理に考えれば『壁の位置が少し変わった』ように見えなくもありませんでした。でも今回は、昨日まで何もなかった壁の向こうに、扉を開ければ人が入れる空間があります。外側にはその容積が存在する余地がないので、普通の構造として説明するのはもう難しいです」
「真琴にそこまで言われたら、ほんま終わりやな」
「医学でも工学でも、普通には説明できません」
真琴は冗談ではなく、事実を確認するように言った。優也も笑いかけたものの、すぐ真顔へ戻った。
◇
二人はリビングのテーブルへ座り、その日の出来事を一つずつ整理した。通路が広がったときは、二人で暮らす中で同時に動きづらいという不便が何度も積み重なったあとに変化が起きた。今回は、四人で一泊したことで「生活する場所と寝る場所が重なる」という別の不便を経験し、その後、二人で泊まった夜に「四人でもリビングを残せたら楽だ」と話した翌朝、用途の決まっていない追加空間が現れている。
「やっぱり、何かしら生活上の必要に反応してるようには見えるな。ただ、俺が頭の中で思った通りに作ってるわけではなさそうや」
「私も、その可能性は前より高くなったと思います。通路のときは、必要な場所だけ広がった。今回は寝室ではなく『用途未設定の追加空間』だけができた。共通しているのは、完成品を渡されるんじゃなくて、生活に必要な余裕だけが増えていることです」
「一段手前だけ用意してくる感じやな。こっちが使い方決める余地を残してる」
「そう見えます。ただ、『GRANZが考えている』とはまだ言わないでくださいね。何かの仕組みが条件に反応しているだけかもしれませんし、人格があるみたいに扱うには早すぎます」
「そこまでは思ってへんよ。ただ、こっちの要望をそのまま叶える自販機みたいな能力じゃないのは分かってきた」
真琴はそれなら、と頷き、記録へ視線を戻した。
◇
追加空間をどう使うかについては、その日は決めなかった。真琴は、少なくとも数日間は形や環境に変化がないかを確認し、照明や空調が安定しているかを見るべきだと言い、優也も同意した。何の仕組みで成立しているのか分からない以上、いきなり人を寝かせる気にはなれないし、ベッドや家具を置けば、それ自体が次の変化へ影響する可能性もある。
ただ、扉を閉めてしまえば車内は以前とほとんど変わらず、後部へ続く通路の途中に新しい扉が一枚増えただけだった。邪魔になるわけでもなく、用途が決まっていないからこそ、今は空のまま置いておける。
「このまま何も入れんかったら、ほんまにただの空き部屋やな。親の次の旅行までに安全確認できたら、荷物置きくらいには使えるかもしれんけど」
「それくらいからなら考えてもいいと思います。ただ、寝室にするかどうかはもっとあとでいいです。『四人で泊まるとき不便だった』からといって、すぐゲストルームに決める必要はないですから」
「了解。使い道は、実際に使いながら考える」
優也はそう言って小部屋の扉を閉めた。不思議な現象のはずなのに、扉が閉まると妙に普通に見えるところが、かえって落ち着かなかった。
◇
真琴が帰ったあと、優也は一人でGRANZに残り、リビングでコーヒーを飲みながら後部へ続く通路の途中に増えた扉を眺めた。
最初の拡張では、二人がすれ違えるようになった。今回の変化では、まだ何にも使っていない小部屋が増えた。どちらも、優也が「こういう能力が欲しい」と考えて作ったものではなく、旅をし、誰かと暮らし、実際に不便を感じたあとに、必要な余白だけが増えている。
もし今後も同じなら、GRANZは最初から完成形を目指す必要がないのかもしれない。使って、不便が出て、必要なものが見え、それから変わる。普通の家なら改装や増築と呼ぶようなことを、この車は外側を変えずにやってしまう。
「……ほんま、何になっていくんやろな」
誰もいない車内で呟いても、もちろん答えは返ってこなかった。それでも、優也にはなぜか「まだ途中なんやろうな」と思えた。
不思議なのは、怖さだけではなく、少し安心もあったことだった。もし昨日の会話をそのまま拾って、いきなり立派な寝室や豪華なゲストルームまで完成していたら、優也はもっと強い不気味さを覚えていたと思う。しかし現れたのは、家具も用途もない空の部屋だけだった。何に使うかは、まだ自分たちで選べる。
その余地が残っていることが、今は大事だった。
◇
帰宅した夜、優也はノートを開き、その日の出来事をできるだけ感情を入れずに整理した。
『二人で一泊――通常利用』
『翌朝、後部通路側に新しい扉を確認』
『鑑定――追加空間形成/用途未設定/外部寸法変化なし/接続安定/魔素反応微弱』
『内部――空の小部屋。照明・空調あり』
『走行後も維持』
『外部――変化確認できず』
『当面、用途を決めず経過観察』
書き終えたあと、少し離れたところにもう一行加えた。
『拡張は「広さ」ではなく「使い方」に反応している可能性――未確認』
通路が広がったときより、今回のほうが明らかに大きな変化だった。それでも、すぐ次を試したいという気持ちは以前ほど強くなかった。むしろ、一度できたこの空間が数日後も同じなのか、普通に走っても問題ないのか、照明や空調が安定しているのかを見ないまま次へ進むほうが、今は怖い。
両親との一泊で気づいた不便は、たしかに形を持った。ただ、その形は完成したゲストルームではなく、何にでもなれる空の部屋だった。必要な余白だけを作り、何に使うかは自分たちで決める。もし本当にそういう現象なのだとしたら、次に大事なのは「もっと広げること」ではなく、この余白をどう使うかを生活の中で決めていくことなのだろう。
優也はノートを閉じる前に、前のページへ書いた言葉を見返した。
『広さより先に、そこで誰と何をするか』
今回できた小部屋にも、たぶん同じことが言える。部屋が増えたから寝室にするのではなく、誰が、どんなときに、何のために使うのかが先にあるべきだ。
スマートフォンへ残した写真を開くと、そこには家具も窓もない小さな部屋が写っていた。何もないからこそ、見ているといろいろな使い方が浮かんでくるが、優也は一つずつ考え始める前に画面を閉じた。
今はまだ、それでいい。
次の旅で困ることがあるなら、そのとき考えればいいし、何も困らないなら、しばらく空のままでも構わない。GRANZを完成させることが目的ではなく、この車で過ごす時間を増やすことのほうが、自分にとっては大事なのだから。
そう考えると、新しく増えた扉も少しだけ違って見えた。未知の能力が開いた入口というより、これからの暮らし方を急いで決めなくていいと示す、空白のような場所だった。
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