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ACROSS  作者: ☆あんパンまん☆
第三章 ACROSSの声
119/270

ep.119 決めつけない


 次の土曜日、真琴がACROSSへ入ってきた時、先週のような疲れた様子はなかった。玄関でACROSSと挨拶を交わし、上着を脱いでリビングへ入る足取りも軽い。優也はキッチンから二人分のコーヒーを持って戻りながら、その違いを何となく見ていたが、先週のことだけで今日まで同じだとは考えないようにしていた。


「今日は元気そうやな」


「今日は普通です。昨日もちゃんと寝ました」


 真琴は笑いながらカップを受け取り、いつものように優也の隣へ座った。先週一日だけ適用された低活動の条件は、もう通常の提案へ影響していない。ACROSSからも、長距離移動や会話量を抑えるような案は出てこなかった。


「ACROSS。先週の真琴の条件、今日はもう使ってへんのやろ?」


〈はい。先週の一時条件は終了しています。履歴は保持していますが、本日の状態や嗜好を制限する条件としては使用していません〉


「ちゃんと戻ってるんですね」


〈本日の真琴について、先週と同じ状態であるという確認情報はありません〉


 その言い方が、真琴には少し心地よかった。先週疲れていたことまで消す必要はないが、その記録に今日の自分まで引っ張られるのは違う。ACROSSは、過去を忘れずに今を別に見るという扱いを少しずつ覚えている。


 今日は朝からよく晴れ、風も穏やかだった。二人は昼前から、古い倉庫街を改装した小さな複合地区へ行くつもりにしている。書店、雑貨店、食堂、工房が数棟に分かれており、周囲には古い住宅地と細い道が多いらしい。


「GRANZで近くまで行ける?」


 優也が聞くと、ACROSSはすぐに一つへ決めず、現在確認できる範囲を分けて答えた。


〈施設から約二・五キロ離れた河川敷側に、大型車対応の駐車区画があります。施設周辺の道路は通行可能な区間もありますが、歩行者と普通車の往来が多く、ACROSSで進入する利点は小さいと判断します〉


「じゃあ、そこ置いて歩く?」


「徒歩でも移動できます。後部収納の電動アシスト自転車二台を使用する案もあります」


 真琴がカップを置き、少し嬉しそうに優也を見る。


「久しぶりに乗ります?」


「ええな。せっかく積んでるし、それで行こか」


〈承知しました。自転車利用を前提に、大型車区画までの経路のみ確定します。現地から先の走行経路は、自転車通行条件を確認して別に提示します〉


 優也は立ち上がりながら笑った。ACROSSを無理に細い道へ入れず、大きい車は止められる場所へ置き、その先だけ足を小さくする。電動アシスト自転車を載せた時に考えていた使い方が、ようやく自然に出番を迎えた。


          ◇


 大型車区画へ着くと、優也はACROSSを余裕のある位置へ止めた。周囲に人や車が近くないことを確認してから、二人で後部収納へ回る。


 扉を開けると、二台の電動アシスト自転車が固定されたまま収まっていた。横にはヘルメット、簡単な雨具、充電器がまとめて置いてある。使わない期間があっても、場所は変わっていない。


「ちゃんとおるな」


「いなくなってたら怖いです」


「それは事件や」


 二人で笑いながら固定を外し、一台ずつ外へ出す。優也はタイヤやブレーキ、ライトの状態を確かめ、真琴も自分の一台を同じ順番で見る。ACROSSは収納扉の近くから作業を急かさず、二人の確認が終わってから声を出した。


〈二台とも使用前確認は完了しましたか〉


「俺のは大丈夫」


「私も大丈夫です」


〈承知しました。施設周辺まで、自転車で約十分から十五分です。歩行者の多い区間では降車を推奨します〉


 優也はヘルメットをかぶり、真琴の顎紐が少しねじれているのに気づいた。


「ちょい待って。そこねじれてる」


「どこです?」


「ここ」


 手を伸ばしかけた優也は、一度止まった。


「触ってええ?」


 真琴は少し笑い、顔を上げる。


「はい。お願いします」


 優也が顎紐を直すと、真琴はそのままの距離で小さく礼を言った。以前なら、触れる前に聞くこと自体が少し大げさに感じたかもしれない。今は、分からないことだけ聞くという二人のやり方に馴染んでいる。


「これで大丈夫」


「ありがとうございます。優也さんのは?」


「俺は完璧」


「自分で言う人、あんまり信用できないです」


「ひどない?」


 軽口を交わしながら二人は走り出した。


          ◇


 河川敷沿いの道は、車で通る時より景色が近かった。電動アシストのおかげで向かい風を強く感じる場面も少なく、住宅地へ入る手前までは並んで走れる。


 真琴は途中から会話をやめ、景色を見るように前を向いていた。優也は一瞬だけ先週の疲れを思い出したが、すぐに決めつけるのをやめる。


 信号で止まった時だけ聞いた。


「ペース大丈夫?」


「大丈夫です。気持ちいいです」


「了解」


 それで十分だった。


 ACROSSも、スマートフォン越しに余計な確認を重ねなかった。真琴が黙っていることは観測できても、疲れているのか、景色を楽しんでいるのか、考え事をしているのかまでは本人の言葉がなければ確定できない。


 住宅地へ入ると道幅が狭くなり、人通りも増えた。二人は自転車を降り、押して歩く。


「ACROSSでここ来てたら、だいぶ気ぃ使ったな」


「駐車場探すだけで疲れてたかもしれませんね」


「自転車積んどいて正解やったわ」


「今さらですか?」


「使った時に実感するんやって」


 真琴は笑った。


 大きな車が入れない場所へ行けること以上に、ACROSSを無理に動かさなくて済むことが二人には合っていた。


          ◇


 複合地区へ着くと、自転車を指定の駐輪場所へ止めた。古い倉庫の鉄骨や煉瓦を残しながら、中だけ木材とガラスで改装した建物が数棟並んでいる。


 最初に入ったのは、小さなパン屋だった。


「結局ここからなんですね」


「売り切れたら困るやろ」


「まだ午前ですよ」


「人気店かもしれんやん」


 優也は惣菜パンとクロワッサン、真琴はアップルパイとチーズ入りのパンを選んだ。昼食は別に食べるつもりなので、買い過ぎないところで止める。


 次の雑貨店では、真琴が落ち着いた青色の小皿を手に取った。釉薬の濃淡が少しずつ違い、同じ形でも一枚ずつ表情がある。


「それ買うん?」


 優也は口に出しかけて、一度止まった。


 手に取ったから欲しいとは限らない。


「綺麗やな、それ」


 言い方を変えると、真琴が横を見る。


「はい。色がいいです」


 しばらく眺めたあと、真琴は小皿を棚へ戻した。


「買わんの?」


「今日は見るだけです」


 真琴は棚へ戻した小皿からすぐに手を離した。未練があるというより、色を眺めて満足したという顔に見える。


「やっぱそうなんや」


「今、買うと思ってたでしょう」


「ちょっとだけ」


 優也が認めると、真琴は少し楽しそうに眉を上げた。


「でも決めつけなかった」


「学んでるからな」


 真琴が笑う。


 同じ店の奥で、今度は木製の小さなトレーを見つけた優也が手に取る。真琴は何も言わず、しばらく様子を見た。


「真琴は聞かへんの?」


「欲しいなら言うでしょう?」


「なるほどな」


 優也も結局、トレーを棚へ戻した。


 見ることと買うことは、同じではない。


          ◇


 昼食は倉庫の一角にある食堂へ入った。優也は煮込み料理の定食、真琴はスープとパンのセットを選ぶ。


 席へ着いた頃、スマートフォンからACROSSの声が小さく流れた。


〈確認してもよいですか〉


「どうぞ」


〈本日の真琴は、自転車走行中に発話量が低下しました。先週の疲労時にも発話量低下がありましたが、本日は本人から“気持ちいい”という回答が得られています。発話量低下を疲労の単独指標として使用しない方針へ更新してよいですか〉


 優也は少し感心してスマートフォンを見る。


「そこ拾ってたんや」


〈はい。ただし、疲労と判断したわけではありません。同じ外形的変化が、異なる状態で発生したため確認しています〉


 真琴はスープのスプーンを置いた。


「それ、すごく大事ですね。黙ってるから疲れてる、とは限らないですし」


〈観測可能な行動と、本人の内的状態を分離します〉


 真琴は少し考え、別の例を出した。


「じゃあ、私が笑ってたら“楽しい”って判断するんですか?」


「笑顔や笑い声は観測できます。“楽しんでいる可能性”を推定する材料にはできますが、本人の主観を確定する情報にはしません」


「愛想笑いもあるしな」


 優也が言うと、ACROSSは肯定した。


「緊張、配慮、習慣、照れなど別の理由もあり得ます」


 真琴はその答えを聞き、少し考えるように優也を見る。


「人間同士でも、結構やりますよね。見たものから勝手に意味を足すの」


「やるな。俺もさっき皿買うと思ってたし」


「私は優也さんがトレー欲しいと思ってました」


「お互いやん」


 二人で笑った。


          ◇


 食事をしながら、優也はACROSSへもう少し直接聞いてみた。


「じゃあ、お前が“分かってる”って言えるんはどこまでなん?」


〈観測事実として、発話、位置、動作、選択結果、機器利用などを保持できます。本人の発話で確認された内容は確認済み情報として扱います。観測から導いた内容は推定として区別し、情報が不足する場合は不明として保持します〉


「観測、推定、確認済み、不明、か」


〈はい〉


 真琴がスマートフォンへ簡単にメモを残す。


「先週の私なら、“疲れていそう”は推定で、私が疲れてるって言ったところで確認済み?」


〈はい。到着時刻、姿勢、発話量などは観測情報でした。疲労は可能性の一つであり、本人の発話によって確認されました〉


「今日の自転車では?」


〈発話量低下は観測済み。疲労は推定候補でしたが、真琴が走行状態を肯定的に評価したため、その推定は採用していません〉


 優也は頷いた。


「分からんもんは分からんって残せるようになったんやな」


〈はい。不明を推定で埋める必要はありません〉


 その言葉が、優也には一番しっくりきた。


 分からないことを、無理に答えへ変えない。


 便利さだけを考えれば、推定で先回りしたほうが早い場面もある。それでも、人の気持ちや好みまで勝手に埋めるなら、少し便利でも窮屈になる。


          ◇


 食後は小さな書店へ入った。旅、写真、料理、エッセイが丁寧に並べられ、大型店とは違う落ち着いた雰囲気がある。


 真琴は写真集の棚で足を止め、一冊をゆっくりめくった。


「これ、見てください」


 海沿いの小さな町を撮った写真集だった。古い商店街、冬の海、夕方の港、坂道の途中にある喫茶店。派手な観光地ではないが、二人でゆっくり歩くには良さそうだった。


「ええな。真琴こういうとこ好きやな」


「好きです。こういう静かな町、行ってみたい」


 優也はすぐに候補へ登録しようとして、また少し止まった。


「今度の候補に入れる?」


 真琴は写真をもう一度見てから頷いた。


「はい。これは入れてほしいです。ただ、次の休みに絶対行きたいってほどではないです」


「ACROSS、聞いてた?」


〈はい。“海沿いの静かな町を今後の外出候補として保持。実施時期は未定”として登録できます〉


「それでお願いします」


〈承知しました。利用時期が未定のため、詳細な営業時間や道路状況の継続更新は行いません。実際の訪問時期が決まった段階で再確認します〉


 真琴はその返答に満足そうに頷いた。


「これくらいがいいです。候補にしただけで、毎週おすすめされたら嫌ですし」


「分かる。気になると行くは近いけど、今すぐ行くは別やもんな」


「はい」


 写真集は買わなかったが、その町だけは二人の次の候補として残った。


          ◇


 施設を一通り見終え、外へ出ると午後の空気は少し冷たくなっていた。


 自転車へ戻る途中、真琴が自然に優也の腕へ絡む。


 優也はもう理由を聞かなかった。


「今日は聞かないんですね」


「継続希望やろ?」


「はい」


「ほな聞かんでええやん」


 真琴は少しだけ腕へ力を込めた。


 優也はそれを感じても、意味までは決めつけなかった。腕を組むことが好きなのは、本人の言葉で確認されている。ただ、それが二人の関係にどんな名前を付けるのかまでは、まだ何も決まっていない。


 自転車の前へ戻ると、今度は真琴が優也のヘルメットを見る。


「優也さん、紐ちょっと緩くないですか?」


「そう?」


「触っていいです?」


「どうぞ」


 真琴が顎紐を少し締める。


「これくらい」


「朝と逆やな」


「お互い様です」


 距離が近くても、必要な時には聞く。


 もう分かっていることまで毎回聞き直さず、分からないところだけ確かめる。


 その加減が、二人の間でも少しずつ自然になっていた。


          ◇


 帰りは、来た道をそのまま戻らず、河川敷の自転車道を少し長めに走ることにした。


 真琴が「もう少し乗りたい」と言ったからだ。


 ACROSSはその一言だけで「真琴は自転車好き」と恒常条件へ更新せず、現在の希望として経路だけを組み替えた。


〈河川敷経由では、到着が約十五分遅くなります。現在の天候と日没時刻では問題ありません〉


「俺はそっちでええよ」


「私もお願いします」


〈承知しました〉


 道は緩やかで、電動アシストを強く使う必要もない。二人は少し間隔を空けながら同じ速度で走る。


 途中の小さな休憩所で止まり、ベンチへ座った。


「久しぶりに乗ったけど、やっぱ便利やな」


「ACROSSを置いたまま動けるのがいいですね」


「細い道に突っ込まんで済むし」


「それが一番安心です」


 真琴は水を一口飲み、川面を見る。


「また二人で乗りたいです」


 優也はその言葉を聞いて、少し笑った。


「それは候補? 継続希望?」


「何でも分類しないでください」


「前に真琴が言うたやつやな」


「はい。でも……また乗りたいのは本当です」


「俺もや」


 それだけで十分だった。


 ACROSSへ記録させなくても、優也は覚えておこうと思った。


          ◇


 大型車区画へ戻ると、二人は後部収納の前で自転車を軽く拭いた。


 タイヤやフレームに大きな汚れはなく、固定前に異常がないことを見てから、一台ずつ元の位置へ収める。


「この作業も久しぶりやな」


「でも覚えてますね」


「一回場所決めたら楽やな」


 ヘルメットを戻し、固定を確認する。充電器はすぐ使える位置へ戻し、濡れた物をそのまま密閉しないよう、使っていない雨具の収納も一度開いて確認した。二台を載せ始めた頃に決めた場所がそのまま機能しているので、片付けのために物を探し回る必要もない。


「こういう時、場所決めといて良かったって思うな」


「出す時より戻す時のほうが分かりますね。疲れてても迷わないので」


「次使う時もすぐ出せるしな」


 優也は扉を閉める前に、二台の固定具をもう一度だけ目で追った。大きなACROSSを拠点にしたまま、必要な時だけ二台の小さな足を出す。その使い方が、ようやく装備ではなく生活の一部になってきた気がした。


 ACROSSが声を出した。


〈本日の電動アシスト自転車利用について、今後の提案条件へ反映するため確認してもよいですか〉


「ええよ」


〈今回の利用は、二人にとって有用でしたか〉


 優也は少し考える。


「有用やった。ACROSSで入るより楽やったし、歩くより早い。でも毎回自転車がええって意味ではないで」


「私も同じです。場所に合えば使いたいです」


〈承知しました。“自転車を常に優先”ではなく、“大型車での進入利点が低く、自転車移動に適した距離と条件であれば候補として提示”とします〉


「それならええわ」


 今日の経験を一つの好みへ単純化せず、使える場面だけ増やす。


 その扱いが、今のACROSSらしかった。


          ◇


 車内へ戻ると、外より暖かい空気に包まれた。真琴はソファへ座り、優也は二人分のコーヒーを淹れ直す。


「今日は寒ない?」


「ちょうどいいです」


 ACROSSはその答えを聞いても、先週の「少し寒い」という一時状態を持ち出さなかった。


 優也はカップを渡しながら笑う。


「ちゃんと今日の真琴見てるな」


「何ですか、その言い方」


「先週寒い言うてたから、今日も勝手に暖房上げたりせえへんって意味」


「なるほど」


 真琴は一口飲み、ソファの背へ少し体を預けた。


 それから、今日の内容をノートへまとめる。


『観測可能な行動と、本人の内的状態を分離』

『観測/推定/確認済み/不明を区別』

『同じ行動でも理由は同じとは限らない』

『過去の状態を現在へ自動適用しない』

『推定は本人の発話で確認・修正できる』

『一度の利用結果を恒常的な好みへ変換しない』

『電動アシスト自転車――場所と距離が合う場合の移動候補』

『海沿いの静かな町――訪問時期未定の候補』


 優也が最後の二行を見る。


「今日、ちゃんと自転車使ったな」


「前から積んでたのに、出番少なかったですもんね」


「これから使えるとこ増えそうやな」


「でも、毎回じゃない」


「そこ大事やな」


 真琴が頷く。


 何かが一度うまくいったからといって、次も同じとは限らない。


 人の気分も、移動手段も、行きたい場所も、その時の条件で変わる。


          ◇


 帰る時間が近づき、真琴がノートをしまった。


 玄関へ向かう前、優也が何気なく聞く。


「今日、楽しかった?」


 真琴はすぐに答えた。


「楽しかったです」


「自転車も?」


「はい。雑貨も、本屋も。あとパンも」


「俺よりパン先ちゃうかったから許す」


「何の順位ですか」


 二人で笑う。


 優也も、今日は楽しかった。


 それは推定ではない。


「俺も楽しかったで」


「じゃあ確認済みですね」


「その言い方、ほんま定着したな」


 真琴が笑いながら腕を絡める。


 玄関から外へ出るまでの短い距離でも、もうそれは特別な動作ではなくなっていた。


          ◇


 駅へ向かう途中、真琴が静かに言った。


「今日の話、私たちにも当てはまりますね」


「決めつけるやつ?」


「はい。分かってるつもりになること」


 優也は少し考えた。


「でも、何でも毎回聞いたらうるさいで」


「それもそうです。だから、分かってることと分かってないことを混ぜない、くらいですかね」


 真琴は絡めた腕を見下ろし、それから優也へ視線を戻した。ここだけは、もう何度も確認し直さなくてもいいことの一つだった。


「腕組むん好きなんは分かってる」


「それは確認済みです」


「俺もな」


 優也が少し照れながら付け足すと、真琴の表情がやわらいだ。


「それも確認済みです」


 二人で笑った。


 そこまでなら、もう分かっている。


 ただ、その先まで勝手に意味を足す必要はない。


 恋人だから腕を組むのか。


 腕を組むから恋人なのか。


 そんな順番を今決める必要もなかった。


 真琴が少しだけ腕へ力を込める。


 今、この距離が好きだということだけは、二人とも知っている。


 それで十分だった。


          ◇


 帰宅後、真琴から短いメッセージが届いた。


『今日の海の町、いつか行きたいです』


 優也は昼間に見た写真集を思い出す。


『俺も。次じゃなくてもええけどな』


 少しして返事が来る。


『はい。行く時に決めましょう』


 優也はスマートフォンを置き、今日一日を思い返した。


 黙っているから疲れている。


 見ているから欲しい。


 笑っているから楽しい。


 自転車に乗ったから自転車が一番好き。


 一度うまくいったから、次も同じ。


 どれも、そうかもしれない。


 でも、そうとは限らない。


 ACROSSが覚え始めたのは、人を読む能力というより、読めないところを勝手に埋めないことなのかもしれなかった。


 優也自身も、少しずつ同じことを覚えている。


 真琴が何を考えているのか、全部は分からない。


 分からなくても、隣にいられる。


 必要なら聞けばいい。


 聞かなくても分かるところは、そのまま受け取ればいい。


 そして、海沿いの町のように、今はまだ候補のまま残しておけばいいものもある。


 いつ行くのか。


 その時、二人がどんな関係になっているのか。


 今はまだ分からない。


 優也は、それを無理に答えへ変えず、次の土曜日までそのまま残しておくことにした。



最後までお読みいただき、ありがとうございます。


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