33.我儘
「千住くんの相談相手って、芽繰ちゃん?」
「……え?」
千住くんと芽繰ちゃんが、同時にわたしを見た。わたしは「ほら」と千住くんに視線を返す。
「前に言ってたじゃん。えーと、悩ませちゃって申し訳ない……だっけ。ごめん、うろ覚えで。でも、千住くんが普段からいろいろ相談してる相手が芽繰ちゃんで、なのにほかのことまで相談したら頼りすぎてる気がして嫌だ……みたいな話じゃなかったっけ? ……あれ、違う? 記憶違い?」
千住くんの顔が真っ青だ。見ると、芽繰ちゃんの顔色も似たようなことになっている。
……ちょっとわたし、空気読めてなかったかもしれない。
「ご、ごめん。いま言う話じゃなかった……よね……?」
「いや、もっと話してくれていい」
直護くんが振り返る。
その目は鋭くて怒っていることは明らかだったけれど、口調は千住くんに向けられたものと比べるとすごく柔らかく感じた。
「え、と……もっとと言われると……うーん」
事細かに覚えているわけではないから、困ってしまう。
そのときの記憶を必死に頭から抽出しようとしたが、千住くんが「ま、待って!」と叫んだ。
「たしかに甘楽さんとそういう話はしたけど、今回のこととは関係ない……! その相談はあくまでも静芽のことについてで……!」
「はいはーい。これ以上直護を怒らせたくないなら、黙ってようね。始めに嘘をついたんだから、言葉を重ねてもあんまり意味ないよ」
時雨くんが千住くんににっこりと微笑む。その横顔は、いつにもましてうさんくさい。もしかすると、時雨くんも怒っているのかもしれない。
「実乃。その普段からしてるっていういろいろな相談の、具体的な内容は聞いたか?」
「うううーん……芽繰ちゃんにどんな相談してたかまでは言ってなかったような……。千住くんが婚約者さんとのことで悩んでて、それわたしじゃなくてもっと事情を知ってる人に相談しなよって言って……それで話終わっちゃったし……」
「焚と話したのはいつだ? 教室じゃほとんど絡みなかったよな?」
「えーっとね……そう、夏休み! わりと入ってすぐくらいだよ。ほら、わたしが初めて図書室から本借りてきた日!」
「なら、少なくともキャンプの事件のあとか。へえ。いろいろ相談、ね」
「ふふふ。相談してるってわりには、ふたりが学校で話してるところ、滅多に見なかったよね。てっきり仲が良くないのかと思ってたけど……そう思わせたかったのかな?」
直護くんと時雨くん。ふたりの圧に押されて、千住くんは視線をさまよわせている。
芽繰ちゃんは何度か口を開いたり閉じたりしていたけれど、最終的には千住くんを睨んでいた。芽繰ちゃんのその表情は、まるで味方というより敵を見るかのようだ。
芽繰ちゃん、実は千住くんのこと嫌いなのかな? ——と思ってから、あれ、と首を傾げる。
時雨くんは先ほど、『仲が良くないのかと思ってた』と言った。しかしわたしは逆に、芽繰ちゃんと千住くんが仲良しだと思っていたのだ。だからいまの、敵を見るような芽繰ちゃんの表情に驚いたのだが——なぜわたしは、ふたりが仲良しだと認識してしまっていたのか。
しばし考えてみて、「そうだ」とひとつ思い出したことがあった。
「ゴールデンウィークの、侵入者が来たとき——芽繰ちゃん、千住くんと一緒にいたよね?」
「違う……!」
泣きそうな声で千住くんが叫んだ。そこからさらに言葉を続けそうな気配があったが、直護くんから「黙ってろ」と睨まれて口を閉ざす。
「実乃はあのとき、三箇の部屋にいたって言ってたよな」
「うん。わたしとあやめちゃんと手鞠ちゃんで遊びに行ってて、千住くんが芽繰ちゃんを呼び出して、芽繰ちゃんは外に行って……。だからわたしたち、休日に会ったりしてるんだねーって話したんだよ、たしか。それでなんとなく、わたしは芽繰ちゃんと千住くん、仲がいいのかと思ってた」
「へえ。興味深い話だな、焚?」
「違う……違うんだ! 巻き込みたくなかったから芽繰ちゃんを呼び出しただけで——」
「寮生なら、寮内の見取り図や警備員の配置を外部に漏らすことも簡単だよね。侵入場所は副委員長の部屋から近いところだったはずだし…………ふふふ、想像が膨らむなあ」
「芽繰ちゃんはなにもしてない……! 全部自分がやったことで……!」
「そこまで必死になられると、ますます怪しく見えるってもんだが」
直護くんの発言に、時雨くんが「うんうん、わかる」と頷く。
「それに、副委員長も関わっているなら、当然そのお姉さんも疑うべきだよね」
「静芽は本当に関係ないッ!!」
思わず肩が跳ねた。
いままでにないくらいの怒声。千住くんは射殺しそうなほど鋭い眼差しで、時雨くんを睨んでいる。
——でも、そのセリフって……。
わたしは芽繰ちゃんへと視線を移す。
わたしだって、芽繰ちゃんを疑いたいわけじゃない。できれば、ただ巻き込まれただけであってほしい。
けれど、本当に関係ないのがお姉さんの方なのであれば、芽繰ちゃんの方は……と考えてしまうのは自然なことだろう。わたしだけじゃなく、直護くんと時雨くん——そして、芽繰ちゃんも同じ考えを持ったはずだ。
芽繰ちゃんは、先ほどまでの敵を見るようなものとはまた違う、嘲笑と諦めを混ぜたような目で千住くんを見ていた。
それに気づいていないのか、千住くんはさらに言葉を重ねる。
「本当に、本当に静芽は関係ないんだ……! だから——」
「関係あるに決まってるでしょ。全部あの女が仕組んだことよ」
静かに、冷静に、冷徹に言ってから、芽繰ちゃんはため息をついた。
一瞬、千住くんの顔が、なにを言われたのかわからない、というような呆然としたものに変わる。そしてすぐに、絶望に塗れた表情へと変化した。
「め、芽繰ちゃん、なにを……」
「たしかにわたし、知ってたわ。姉と焚がしてること。相談されたもの。まさしく、実乃の言った通り。焚の相談相手はわたし。静芽から犯罪計画を持ち掛けられてる、どうしようって」
「待って……違う……待って、芽繰ちゃん……」
「でもね、わたしの言い分も聞いてほしいの。薬を混ぜたのは焚だし、実乃を閉じ込めたのだって焚でしょう。わたしは知ってたけど言わなかっただけ。ねえ、是橋くん。わたしの言いたいこと、わかってもらえる?」
「芽繰ちゃん!」
悲痛な声で、千住くんが芽繰ちゃんの名前を呼ぶ。
けれど芽繰ちゃんはそれを無視して、直護くんだけを見つめていた。
直護くんも同じく千住くんを無視して答える。
「つまりそれは、薬が混ざっていると知ってて、実乃に水を渡したってことでもあるよな」
「……ハッ、残念。そうよね、それも知ってる。あなたがうちの馬鹿どもと違って、簡単に騙されてくれないってことくらい、知ってたわよ」
「芽繰ちゃん……」
わたしが名前を呼ぶと、芽繰ちゃんは千住くんのときのように無視はせず、こちらに目を向けた。
「まさか実乃から刺されるなんてね」
「え……」
いま芽繰ちゃんが責められているのは、わたしの発言のせい——ってことを言いたいんだろうか。
どう返したらいいのかわからず、「ええと……」と口ごもった挙句、わたしは「ごめんね……?」と言ってしまった。
「そっちが謝るの? 実乃のそういう呑気なところ、嫌いよ」
くすくすと時雨くんの忍び笑いが聞こえる。直護くんは、わたしに向けたものか芽繰ちゃんに向けたものか判断できないため息をついた。
そこへ、わたし以上に呑気な声が割り込んでくる。
「はーい、ちくっとしますよー」
「えっ。——ゔっ」
情け容赦ない女医さんの手が、わたしの腕に注射針を突き刺した。心の準備もまだだったのに。
針が刺さっているところ、血液が抜かれていくところは見たくなくて、目をつぶる。
閉ざされた視界の向こう側で、だれかが歩く気配がした。
「お前は謝る気はないのかよ」
「なくはないわよ」
そろりと目を開くと、直護くんが芽繰ちゃんの真横に立ち、彼女を見下ろしていた。
芽繰ちゃんは、直護くんを見上げる目つきと口調こそ強気なものの、体は半歩引いたように反らされている。
「でも、いまはイヤ。姉が実乃に謝って、それからわたしにも謝ったら、わたしも実乃に謝ってあげる。それまでは、絶対に謝らない。絶対に」
お姉さんがわたしに謝るのはともかく、お姉さんが芽繰ちゃんに謝る? 犯罪に協力させてごめんなさい、ってことだろうか。
千住くんを見れば、彼は虚ろに「静芽はちがう……ちがう……」と繰り返している。なんというか、その姿がすごく哀れで——もういいや、と思ってしまった。
だって、謝罪する気がない人に無理やり謝罪させても意味ないし、千住くんはこれ以上の情報を言いそうにもないし、かわいそうだし。
知り合いが犯罪行為みたいなことをしていたのはビックリだったけど、もういいや。甘楽実乃が憎くて憎くて殺してやりたかった、っていう話だったら、ショックが大きかったんだろうけれど、そういう雰囲気でもなさそうだし。
注射針が腕から引き抜かれる。
「はい、これでおしまいです。ご気分が優れないなど、ございませんか?」
女医さんのにこやかな問いかけ。彼女の穏やかな様子を鑑みるに、特筆すべき異常は見つかっていないということだろう。
この部屋の空気感に飽き始めていたわたしは、急かすように質問を返した。
「わたし、もう大丈夫ですよね? 文化祭行ってもいいですか?」
「あら……」
困ったように女医さんの眉が下がる。ちらりと直護くんの方に目を向けてから、またわたしへと視線を戻した。
「採血などの検査結果が出るまで、もう少しお待ちいただけると……」
「もう少し?」
「ええ、もう少し」
「具体的には……?」
「一、二時間でしょうか。なにもなければ、ですが」
「ぶんかさい……」
事件が起こったなんて気づいていない生徒たちは、いまごろ楽しく、あるいは忙しく文化祭を満喫しているはずだ。
時間的に飲食系のお店は大繁盛していることだろう。予定では、わたしたちもそこにお客さんとして混ざっていたのに。各所で行われている劇やライブのいくつかは絶対観ようと決めていて、直護くんと一緒にタイムスケジュールをチェックしていたのに。
がっくりと肩を落とすと、直護くんが「実乃」と近づいてきて、わたしの前に膝をついた。
執事服で跪かれると……なんかこう、それっぽいというか……うん、悪くないかも。
「俺の心配に付き合わせて悪いと思ってる。でも、聞き分けてくれ。ランチは時雨に買いに行かせるから、ここで食おう」
わたしの両手をとってぎゅっと握りしめてくる直護くんのうしろで、時雨くんが「ええ? 僕?」と嫌そうな声を出す。
「食後のデザートもあわせてのんびり食ってりゃ、一時間なんざあっという間だ。な?」
「んー……でもそしたら劇が……。友丸くんのクラスのやつ……」
「それは時雨にスマホで撮ってもらおう」
「ねえ、僕って実は直護の使い走りか奴隷だったりしたかな? せめて先に、僕の許可をとろうよ」
「じゃあ許可しろ」
「いいよ」
いいんだ。
思わず笑ってしまった。
時雨くんって性格はちょっとよろしくないし、なんで直護くんは友達やってあげてるんだろうなんて失礼なことを考えたときもあったけれど、こういうあっさりしたところが気に入っているのかもしれない。
「実乃ちゃん。僕が直護の我儘を聞いてあげるから、きみも直護の我儘を聞いてあげて」
「実乃。結果が出て問題ないことがわかったら、そのあとは好きにしていい。俺もなんだって付き合うから。頼む」
低いところから、ほんの少し眉を下げた直護くんがじっと見つめてくる。
……そんな顔されて、そこまでお願いされちゃったら、もう。
「し……仕方ないなあ」
文化祭を最大限に楽しみたい気持ちは山々なので、あくまでも『直護くんのために』『渋々と』の態度で頷くと、それでも直護くんは心底ほっとした表情をしてくれた。
本当に、めちゃくちゃ心配症なんだから。
「代わりに、あれだよ。一時間我慢したぶん、たくさん楽しませて甘やかしてくれないとイヤだからね。わたしの我儘とかお願いも聞いてもらうからね」
「もちろん」
「二時間我慢することになったら、二時間ぶんだからね」
「わかってるよ」
「…………んへへへ」
この交換条件なら、おとなしくしておくのも悪くない。
なにしてもらおっかなー。そろそろ直護くんからキスしてほしいって言うのはアリかな? そ、そんなこと言ったら、『最後まで』ってことになっちゃうかな? えへー、考えただけでドキドキするー! どうしよっかなー!
そんなはしたないことを考えながらにやにやしていると、おもむろに直護くんが立ち上がった。
「つーわけなんで。検査結果、はやめに頼みます」
「はい。承知いたしました」
直護くんの言葉に一礼して答えた女医さんは、助手さんもしくは看護師さんの女性を連れて足早に退室した。
そして、直護くんがわたしに背を向ける。
「おい、教頭」
——わあ。先生に対して、なんて乱暴な声かけ。
でも教頭先生は怒る気配もなく、「はい」と答えた。今回の件、先生たちをそれほど委縮させるものだったのだろうか。もしくは先生たちも、わたしみたいにそういう接し方をされるのがお好きという話なのかもしれない。
「あとの報告は後日でいい。ただし、梅のブルームの方もきっちり詰めとけよ」
「あ、あのぅ……」
教頭先生が返事をする前に、うしろの方にいたスーツ姿の若い男性がそろりと手を挙げる。
「あまりブルーム様にストレスをかけるべきでは……」
「管理もろくにできねぇ管理機関が、偉そうに口出しか? うちの実乃にストレスがかかってんだよ。いますぐ引きずり出してこいとまでは言ってねぇんだ、恩情ってもんだろ」
「は……あはは……。そっすよねぇ……」
「そいつらももう邪魔だから、さっさと連れて行け」
直護くんが追い払うように手を動かすと、わたしと直護くん、それと時雨くん以外がぞろぞろと廊下へ移動する。
千住くんは大人に引きずられるようにして、芽繰ちゃんは自分の足でしっかり歩いて退室。見えなくなるまでそのふたりを見つめていたが、どちらとも視線は合わなかった。
「時雨」
直護くんが財布を投げる。時雨くんは「はーい」と難なくそれをキャッチし、「なに買ってきても文句言わないでね?」と少し不安になることを言い残して出ていった。
——これで、ふたりきり。
そう思った瞬間、直護くんが覆いかぶさるように抱きついてきた。そして、深い深いため息が降ってくる。
「えっと……お疲れさま?」
「なんで他人事なんだよ」
ぎゅうう、と腕に力を込められて、少し息が詰まる。思わず「ふへへ」と笑みがこぼれた。
「マジであいつらどうしてやろうか。ぶん殴りてぇ」
なんとも恐ろしい言葉が耳元で聞こえる。
「そんなこと考えてたの? 直護くんが悪人になっちゃうからダメだよ」
「実乃は殴る権利があるぞ。俺がどんな手を使ってでも庇ってやる」
「やんないですー。絶対わたしの手も痛くなるもん。痛いのやだ」
「…………いろいろ言いたいことはあるが」
腕の力を緩めて少し体を離した直護くんが、はああぁ、とまたため息。
今日だけで何回目だろう——と思ったら、とっさにその口をキスで塞いでいた。
「なっ——」
「ふふん。学校だから、わたしを捕まえてもこれ以上はできないね?」
「……お前」
直護くんがこわいお顔で睨んでくる。
そんなことしても、わたしをドキドキさせるだけだって知ってるくせに。
「直護くんからしてくれてもいいよ?」
「勘弁してくれ……」
うなだれるようにして直護くんが隣に腰を下ろす。
——ふむ。やっぱり単に言ってみるだけじゃダメか。
ちゃんと『直護くんの我儘聞いて文化祭我慢してるんだから、わたしの我儘も聞いて』っていう言い方をしないと、本当にいつまで経ってもキスしてくれない気がする。
「直護くん————」
いろいろと耐えてくれてる直護くんには悪いけど、気軽にわたしの我儘を聞くなんて言った方も悪いんだからね、という気持ちで口を開いた——その瞬間だ。
「はい! ピザお待ち!」
バァン! と勢いよく扉を開けて時雨くんが登場した。
「はやすぎない……!?」
「ふふふ。僕は好かれているからね。道行く子にちょっと声をかけたら、この通り譲ってもらえるんだよ。……あ、対価はちゃんと渡したからね?」
これだけじゃ足りないでしょ、なんて言いながら隅のテーブルに箱を置き、時雨くんはまた扉の向こうへ行ってしまった。
「ピザか……。腹の調子はどうだ? 食えそうか?」
直護くんの質問に、わたしのお腹がぎゅるるると返事をする。
「ふはっ。テーブル、こっちに寄せるか」
「うん……ありがと……」
——くっ……! キスの雰囲気じゃなくなってしまった……!




