タジエントの崩壊1
タジエントの市街地、その住宅の屋根の上で自分は周囲を見回して溜め息を吐く。
「チヨメ殿らは何処へ行ってしまったのか……さっぱり見当がつかんな」
そんな独り言を呟きながら、あちこちで火の手の上がる街並みを眺めては、時折【次元歩法】を使って移動して周辺の様子を探る。
骸骨甲冑を見つけたら、とりあえず屋根の上から魔法攻撃などして倒しているが、いったい連中はどれだけの数がいるのだろうか。もう既に百体以上は粉砕している筈だ。
あとは黒巨人の方も更に追加で一匹仕留めた。
さすがに複数相手には難しいが、単体相手であれば隙を突いての浣腸【審判の剣】が一番効果的だな。
労力は最小限に、効果は最大限に。
そんな事を考えていると、頭の上でポンタが鳴いて何かを知らせてくる。
「きゅん!」
「ぬっ、何だ、ポンタ?」
そう尋ね返しながら周囲に視線を配ると、屋根の上に一匹の黒巨人を見つけた。
屋根の上は見晴らしがいいから、巨人が姿を現せばすぐに分かって便利だ。
だが建物の間や下の状況はまったくもって不明となる。
このタジエントの街は三階建てが多いので、六メートル程の巨人では建物の影に埋もれてしまい、屋根の水平線を見ている限り街中の様子などは分からない。
あと困るのは屋根が手抜き工事されている場合だ。自分の全身甲冑で屋根に乗ると、時々底が抜けて屋根裏部屋に落ちてしまったりする。
黙っていれば巨人の仕業という事になるだろうが、この全身鎧姿で屋根に乗るのは根本からして間違っていたのかも知れない。
そんな事を考えながら、視線の先に見える黒巨人の背後に座標を合わせる。
「【次元歩法】!」
距離的には三百メートル程か、一気に黒巨人の背後へと移動すると、背負っていた剣を取り出して先制攻撃を放つ。
「【審判の剣】!!」
黒巨人の足元に展開された魔法陣から巨大な光の剣が出現し、それが狙い違わず巨人の尻の正中線を突き刺して、胸部に開いた大口から切っ先が覗く。
そして光の剣が砕け散り消えると同時に、黒巨人の巨体が傾いで屋根から落ちて、下の通りの石畳に叩き付けられた。
だが上から見た様子だとまだ僅かに息があるようだ。なんという生命力。
しかしそこへ細い路地から姿を現した骸骨甲冑達が、黒巨人へとわらわらと近づいて行くと、手に持った武器で止めを差し始めた。
「……奴らの行動原理がよく分からぬな」
最初、骸骨甲冑たちはタジエントの住民や兵士を襲っていた。
そもそも今回の黒巨人に因るタジエント襲撃は、チヨメの仲間であったサスケを使って巨人を誘引して行われたと考えるのが妥当だろう。
サスケ本人が計画して人族の街を襲わせた可能性もあるが、それだと彼が何故行方知れずになった後に不死者となって姿を現したのか、そこに疑問が残る。
多分にチヨメ達の元仲間だった者を疑いたくないというのもあるだろうが。
とりあえず巨人を街に招き寄せた勢力があったとして、骸骨甲冑もその勢力が用意したとするなら、普通は巨人を攻撃しないだろう。
だが世の中はそう都合よく運ばない事もある。
目標に向かって虎と狼を放ったにも拘わらず、目標を放ったらかしで虎と狼同士で争う事だって普通に考えればありそうなものだ。
しかし時折、骸骨甲冑はタジエントの住民を襲わず、その前を素通りする姿も何度か見た。
もしかして甲冑が同じだけで、中身は人族であったりもする者がいたりするのか。
だが自分が倒した甲冑は漏れなく人族や獣人族を襲うとしていた者達だったので、遠慮無く魔法をぶっ放した訳だが、いったいこの街は何が起こっているのか。
そうこうしている内に骸骨甲冑達が執拗に叩きのめしていた黒巨人が往生し、甲冑連中がまた何やら獲物を探すような素振りを見せ始める。
そんな連中の目の前に、屋根の上から屋根瓦を引き剥がして落としてみた。
通りの石畳にあたり、屋根瓦は派手な音を立てて砕けたにも拘わらず、そちらに一瞬注意を向けた程度で、すぐに通りを後にしようと去って行く。
今のはどう見ても中身が人族などの類ではないだろう。
音には反応を示したが、その屋根瓦が何処から落ちてきたのかを確認しようとしなかった。
「ますますもって訳が分からないな……」
そんな考察に時間を取られていると、また何処からともなく巨人の咆哮が聞こえて来た。
日はもう随分と傾き、空の色は夕闇色に染まりつつある。
さらに今一度、巨人の咆哮が響き、人々の悲鳴が風に乗って流れてきた。
巨人の咆哮に反応するように、頭の上のポンタが尻尾を揺すってある一点の方角に向く。
自分もその出所を探すように視線を巡らしてポンタが向いている方角へと顔を向ける。
するとそこに大きな通りの先、街の中央付近にある目立つ大きな建物が目に入った。
二つの高い尖塔に繋がる形で巨大な建物が聳えている。その造りや趣はやや異なるが、似た様な建物を東の帝国にあるライブニッツァ領で見た覚えがあった。
あれも恐らく同じ物なのだろう──ヒルク教の教会だ。以前近くで召喚魔法を使った際に、派手にふっ飛ばした事が記憶に新しい。
その街の中央付近にある教会へと続く大通りに何匹もの黒巨人の姿が確認出来た。
そして黒巨人達の前を散らばりながら蠢く細かい粒にしか見えないそれは、逃げ惑うこの街の住民達だろう。そんな彼らから視線を外し、空の夕闇を睨み据える。
そろそろ辺りが夕闇に包まれて見通しが悪くなり始める頃だ、そうなれば転移魔法は格段に使いづらくなる。
本来の目的は街の混乱に乗じて囚われた獣人族を解放する事だが、だからと言ってあれだけの数の黒巨人をそのまま放置していれば街への被害は相当な物だ。
否、もうすでに現在進行形で被害は拡大している。ここから見る限りでは、教会周辺に集まってきている黒巨人は全部で七匹。
大きく息を吸い込み、背中に担いだ『聖雷の剣』を引き抜いて、背中の『テウタテスの天盾』を左手に持ってその重さを確かめるように動かす。
「きゅん!」
此方の戦準備を察知してか、頭の上に乗っていたポンタが素早く首筋へと下りると、その場でマフラーのように絡みつく。わさわさと綿毛の尻尾が右目に掛かるので微調整をする。
「行くか…」
小さく長く息を吐き出しながら【次元歩法】を発動させて、教会周辺の敷地外に設けられた広場が見渡せる建物の屋上へと転移した。
教会はこの街のどの建物よりも大きく、装飾にも凝っているが、北の大陸の帝国領で見た教会よりは華美さは抑えめのようだ。
そして一番特徴的だと思えたのは、教会の敷地に沿って高い壁が築かれている事だろうか。
あまり前の世界では敷地周辺に壁を築いていた教会の存在に覚えがない。教会の理念的に開かれた場所というものがあったと記憶しているが、どうだったろうか。
しかしここは異世界だ。
まだ街があまり大きくなかった頃に、魔獣被害からの避難場所として指定されていたのかも知れない。
今も黒巨人に追われた人々が、次々と教会の門へと殺到して阿鼻叫喚の絵図を繰り広げている。
逃げ惑う人々を追い掛けながら広場へとやって来た黒巨人達が、まるで踊り食いするように次々とその胸に開いた大口へと人を掴んでは放り込み、ここまで嫌な咀嚼音が聞こえてきていた。
その光景は見ているだけで気持ち悪くなりそうだ。
教会を取り囲む壁の内側の敷地へと何とか逃れられた人々にとっても、そこは安全な場所という訳ではなかった。
教会内部へと逃れたそれらの人々を追って、一部の黒巨人達が有り余る膂力で手に持った石器を教会の壁に向かって振り下ろしたのだ。
轟音と悲鳴。
崩れた壁の大穴に喜々として入り込んだ黒巨人達は、まるで嗤うような咆哮を上げて内側の者達を蹂躙し始めていた。
壁に遮られてその様子はここからでは詳しく見えないが、壁の向こうから漏れ出て来る悲鳴と慟哭がその壁の先の光景を如実に伝えてくる。
剣の柄を握る手が微かに震え、その反応に思わず自身の右手を覗き込む。
あの光景の中に飛び込む事に恐怖を覚えているのか? 何故?
そう思って少し前に怪我を負って倒れていた女性を助けた時の事を思い出して、剣を屋根へと突き刺し、自身の兜を取って顔に触れてみる。
いつもの硬く冷たい、骨の顔ではない。
指先に感じる確かな肌の感触に溜め息を吐く。
龍冠樹の霊泉を飲んで、まだ効果が切れていないらしい。
この巨人の群れを前に足が竦むような感情──そう、肉体が戻った事に因って恐怖の感情がありありと甦り、元に戻った肉体の足枷となって自身の自由を奪う。
何度か自らの手を握り込む動作をして、感情の抑制を試みる。
どんなに肉体がオーバースペックであっても、操る側の精神が経験、修練を積んでいなければ宝の持ち腐れだなと、やや自嘲気味な笑いが零れる。
「きゅん?」
そんな自分をポンタは首筋に巻き付いたまま、心配するように見上げてきた。
「……なんでもない、ポンタ。これはいい経験になる。肉体を取り戻した状態で敵と対峙する、その場合の心の鍛錬だと思えばいい……」
ポンタに言葉を返しながら、自らに言い聞かせるかように、拳を作って兜の上から自身の額をノックしながら一度深く瞑目する。
「……よし」
予習としてこれからの戦闘で使えそうな戦技スキルなどを幾つか心の内にピックアップして、屋根に突き刺してあった『聖雷の剣』を気合いと共に引き抜いた。
広場にいる七体の黒巨人の内、集団から少し離れた奴をまず狙う事にする。
戦術の基本と言えばまずは奇襲。
──そう言えば、この世界へと来た当初に戦いとなった盗賊集団、あれも確か今のように奇襲で殲滅したのだったか。
有り余る能力を持ちながら情けない事だが、こればかりは徐々に経験を積んでいくしかない。
標的とした黒巨人の背後に座標を合わせて剣を構え、魔法を発動させた。
「【次元歩法】!」
家屋の屋上から一気に広場にいた一匹の巨人の背後をとる形で転移すると、構えていた剣を振り被って戦技スキルを発動させようとした。
そこへ何処からともなく、教会の内外に轟く様な大音声で男の声が響いた。
『もうもうもうもう!! ボクちんのお家に勝手に入って来て、勝手に壊すなんて!!』
腹の底から響くような、何処か精神を不安にさせるような声音。
しかしその不気味な声から発せれる言動は何処までいっても幼稚で、けれどもそれが却って薄気味悪いように感じさせる。
『もう怒ったからねぇ!! みんな細切れになっちゃえ!!』
その幼稚で不気味な声が波のように周囲に広がった次の瞬間、教会の敷地と街を隔てていた壁の一部が派手な轟音と共に吹き飛んだ。
逃げ惑っていた人々も、そんな彼らを捕食していた巨人達も、その壁の向こう側から少しづつ影を濃くして迫る巨大な何かに視線が縫い付けられていた。
そしてそのもうもうと立ち込める土煙の奥から現れたのは、黒巨人達の醜悪さなど笑って流せる程度のものだと気付かされる程に、醜悪で、不気味で、異形の塊だった。
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