邂逅
自分達一行を含む、虎人族の巨人討伐隊百五十余名は自身の疾駆騎竜を駆って一路北にあるという人族の街、タジエントを目指していた。
半島全体を耕作地にしたのか、何処を見回しても人の手の入った畑が延々と広がっており、その人の為せる業に純粋に驚きを禁じ得ない。
遠くの畑の真ん中には幾つかの家屋が集まった外壁の無い小さな集落も見えるが、こちらの世界ではあまり見ない光景だ。
あの岬の根元に築かれた城壁のおかげで、この地には陸側からの魔獣の侵入の危険性が無いからこそ出来た村落なのだろう。
だが普段は長閑な田園地帯であろうその景色も、今や不穏な影に包まれていた。
畑の中に残る巨大な踏み荒らしたような跡──それが、幾筋も緑の田園地帯に尾を引くように描かれ、真っ直ぐに一点を目指している。
間違いなく巨人達が通った跡なのだろう。
そして田園地帯の中に走る整備された街道になるのか──その幅の広い道を荷物を背負った家族連れや、着の身着のままの姿の人族を多く見掛けた。
彼らは大型の乗騎に乗った虎人族の物々しい一団を見るや、畑の影に身を潜めて息を殺して此方が通り過ぎるのを待って、またそこからやや駆け足で走り去って行く。
獣人族の一団を見て騒ぎ立てる事無く、怯えて逃げ出して行くという事は、もう既にタジエントの街に巨人が侵入しているのかも知れない。
彼らはあの歩く災害のような存在から逃げ出して来たのだろう。
ホウ族長を初めとした虎人族の戦士達は、睨み据えるだけで逃げ出していく人族の姿に不機嫌そうに鼻を鳴らし、再び前と視線を戻して先へと進んで行く。
「壁の内側にる人族はどれも軟弱そうな奴ばっかだな。壁さえ無ければ大した事ないな」
逃げ惑う人族の背中を笑う一人の虎人族の戦士の声に、周囲の者が同調する。
「だが、我らがこの地に近づく事が出来なくなった壁を築いたのもまた人族だ」
そんな彼らの軽口を窘めるように、先頭を進んでいたホウ族長が肩越しに睨むと、一団に一切の笑い声が無くなった。
日が西にだいぶ傾き、空の色が茜色に変わりつつある頃、一団はタジエントの街を一望出来る場所まで来ていた。
そこで見た街の光景は、赤々と燃えるタジエントの街並みだった。
赤く染まった街の奥から悲鳴と怒号が木霊し、さらに不気味な咆哮があちこちから立ち昇る。
そして時折、煉瓦造りの家の屋根の上に黒巨人の姿が見え隠れしていた。
街には半島の入り口で見た様な高い城壁は無いが、丁度巨人の背丈程の高さの街壁があったのだろう。しかしそれも今はあちこちが崩れ落ちて、その大きく開いた穴から街の中の様子が窺える。
そしてその穴から多くの人族の住民が逃げ出してきており、中に獣人族の姿もあった。
それを見たホウ族長が当初の予定通り、獣人族の救助と保護の為に分けた七つの部隊を各方面から街へと潜入させる為の準備に入った。
「いいか!? くれぐれも余計な人族にまで手を掛けるな! 獣人族や我らの同胞を解放する事だけに専念し、邪魔する者だけを排除しろっ!! 戦士の矜持を忘れるな!! 行け!!」
ホウ族長の号令の元、各部隊の長に任じられた者達が他の戦士達を従えて街へと入って行く。
街自体はかなり大きく道の幅も狭くはないようだが、路地ともなれば疾駆騎竜で入れない場所も出て来るだろうという事で、通りを確保する乗騎部隊と、徒歩で屋内探索する部隊とに分けて街へと入った。
ホウ族長を中心とした部隊は街の外で待機し、残された乗騎の管理と、脱出して来た獣人族の保護の為に後方待機となっている。
ホウ族長はどちらかと言えば前線へ出て暴れる型かと思ったのだが、考えてみれば虎人族は殆どが前へ出ようとする種族のようなので、敢えて後方で構える事を良しとするからこそ、彼は平原の最大部族の長をやっているのかも知れない。
そんなホウ族長に会釈して、自分達も戦場のようになっている街へと足を向けた。
今回、自分を含めたアリアンとチヨメの三名だけの少数精鋭部隊は徒歩による遊撃部隊として、虎人族の救助などで苦戦を強いられてる場合の援護、邪魔な敵性勢力の排除を目的として街へと入る。
これはホウ族長から命じられたものでは無く、自主的に提案した部隊目標で、端的に言えば探索して出会った敵を叩く──といういつもとあまり変わらない内容だ。
「では行くとするか、アリアン殿、チヨメ殿も」
後ろで控える全員に視線を合わすように、振り返り尋ねる。
「要は以前にチヨメちゃん達と行った解放作戦と同じよね?」
アリアンはいつも通り獅子王の剣の柄に手を掛けて、街の様子にその金色の双眸を眇めた。
「……うむ」
アリアンに頷き返しながら、隣に立つチヨメに視線を向けてると彼女は此方に視線を合わせる様に顔を上げて一度頷くと、大きく息を吐きだした。
「……ボクも大丈夫とは言いませんが、今やれる事をします」
「きゅん!」
しっかりと答えを返して来たチヨメに続いて、頭の上のポンタも元気良く鳴いた。
「すまんな、皆。我がプリマスで“悪魔の爪”を求めたりしなければ、こんな事にはならなかったやも知れぬのに」
そう言うと、チヨメは首を振ってそれに答えた。
「いえ、アーク殿がこちらへと来る事がなければ、消息を絶っていた仲間の姿を見る事も無かった筈です。……だからこれはきっと良かった事です」
何処か自分に対する納得を含ませるかの様にして言葉を紡ぐ彼女に、自分は特に然るべき言葉を返す事が出来ず、ただ唸る様に返事をした。
「……そうか」
あの黒巨人を先導した者がかつてのチヨメの仲間なら、この街の何処かにいる可能性が高い。それはチヨメも感じているのだろう。
しかし不死者となってしまった者を元に戻す方法などあろう筈も無く、もし出会えばまた敵対する事になる。
「では行くぞ! 皆、いつもの通りに!」
そう言うと全員が自分の背や肩に触れて備える。随分と慣れたものになった、そう思いながら魔法を発動させた。
「【次元歩法】」
景色が一瞬で変わり、今は崩れた街壁の内側へと入っていた。
壁に近い住居や通りには人影が無く、巨人に襲撃された時点で既に崩れた壁から街の外へと逃れたのだろう。火災が発生し、勢いよく火の手が燃え上がる音がやけに大きく聞こえる。
そしてそんな炎の音に混じって、街の奥の方から剣戟やら悲鳴が流れてきた。
さらに通りに沿って【次元歩法】を繰り返しながら進んで行く。通りには崩壊した住居の瓦礫が道を塞いでいたりするので、乗騎隊は巨人達が通ったであろう通りはあまり通れないだろう。
街の規模もかなり大きい事からも、ホウ族長が言っていたように全獣人族を解放する事は難しいに違いない。
しかしだからと言って際限なく殺戮を繰り返す巨人を放っておき、混乱に乗じる時間を稼ぐというのも、元人間だった身としては如何なものか。
とりあえずあの黒巨人は見つけ次第倒しても構わないだろう。なにせ最初の報告の通りであれば、まだ二十匹程はいるのだ。
「チヨメ殿、どうだ?」
自分のその端的な質問に、彼女は静かに首を振る。
彼女は忍者という職業柄、人の気配に敏感であるから周囲の様子を探って貰っているが、これは結構大変だと今更ながらに思う。
以前のローデン王国の王都での場合は、事前に刃心一族が解放する者の目途をつけて、段取りが整っていたから事を運ぶのは然程でもなかった。
しかし今回のこのタジエントは下調べなどが一切出来ていない状態なので、何が何処にあるかも不明だ。
まずは何か足掛かりなるようなモノを探さなければならない。
そして何度目かの転移の後に、通りの先にある少し開け場所へと出た。中央に石像の飾られた噴水が置かれたそこは、街中にある広場だったのだろう。
周辺の家屋から火の手が上がっており、広場へと非難してきた人族の姿幾人か確認出来る。
さらにそれを守る形で軽鎧に盾と槍で武装した兵士達が、全身鈍色の甲冑を纏った騎士達と激しい交戦を繰り広げていた。
「なんだ? どうなっている? この街は巨人に襲撃されているのではなかったのか?」
目の前に広がる光景に思わず出た疑問に、アリアン達も戸惑ったような表情で首を振る。
再び視線を戻すと、軽鎧姿の兵士の持つ槍が相手の甲冑騎士の兜を弾き飛ばした所だった。
広場の石畳に金属音を響かせながら転がる兜。
しかし兜を飛ばされた甲冑騎士は何事も無かったかの様に、再び手に持った剣で兵士と対峙して互いの武器を交差させていた。
だがその兜の取れた甲冑騎士の中身を見て、皆が息を飲む気配が伝わってくる。
その甲冑騎士の鎧から上に覗く顔は人のそれではなく、自分と同じ骸骨の顔がそこにはあった。
「アリアン殿、我がいるぞ! もしや、あれらの甲冑騎士は全部我か!?」
「そんな訳ないでしょ! あれ全部がアークだったら──って、これ前にもやったわよね?」
自分の素っ頓狂な声に、いつものアリアンの冷静な突っ込みが入る。
「しかしこれはいったいどういう状況なんでしょうか? あの甲冑の方は明らかに不死者です」
チヨメが相手の甲冑騎士を観察するように目を細め、その小さな鼻をひくつかせる。
しかしそれではますます状況が判断出来ない。
なぜこの街に全身甲冑を纏った不死者がこんなにも溢れているのか、しかもあの不死者が纏っている鎧は明らかに人の手に因る物だ。
一体や二体程度なら死んだ騎士か兵士が不死者となって、埋葬品の武具を身に纏っている説明はつくだろうが、今広場にいる甲冑騎士は十体以上いる。
しかも瓦礫をよじ登って広場に姿を現す数が徐々に増えてきていた。
「ここで何かを言っていてもしょうがあるまい、兵士を助けて事情でも聞いて来るか!」
そう独りごちて、広場へと躍り出ると、背中に担いでた『聖雷の剣』を抜き放って一気に甲冑騎士へと向かう。しかし此方のその姿を見た、人族の兵士は新たな甲冑騎士が現れたと見て一斉に盾を構えて槍を繰り出してくる。
まぁここで説明する事でもないし、中身的には決して外れてはいないのだ。
人族の兵士を大きく迂回するように躱し、彼らが対峙していた甲冑騎士に一閃した。
空を切る音と共に、甲冑がまるで紙のように斬り裂かれて、石畳に金属と骨の雨を降らせる。
全身甲冑だがそれ程厚みはなく、大した材質でもないようだ。普通の剣や槍ならば通さないだろうが、神話級の『聖雷の剣』の前では段ボール程度の強度変わらない。
「巨人を狩るつもりだったものが、まさか同族を狩る事になるとはな……」
そんな愚痴を零しながら、さらに剣を振る。その度に骸骨甲冑が音を立てて、吹き飛び、千切れ飛んでガラクタの山となっていく。
そして十体以上いた骸骨甲冑は、即席ラーメンが出来るより早く、文字通り藻屑と成り果てた。
「こんなものか……。それで、ちとその方らに尋ねたい事があるのだが?」
剣を肩に担ぎ振り返ると、そこには呆気に取られた表情で槍を構える人族の兵士達と、この街の住民達の顔があった。状況がまったく把握出来ていないといった表情だ。
此方が少し話をしようと足を前に出すと、彼らはあからさまに恐怖の表情をとって槍を構える。
「アーク、後ろ!!」
後方から剣を抜いて駆けて来るアリアンを視界の端に捉え、その彼女の言葉の意味するところを理解して、左手に持った盾を構えて後ろから跳んできた剣の軌道にあてる。
硬質な金属音を響かせて、此方に奇襲を掛けて来た相手が宙を蹴った。そしてその反動でさらに跳躍すると、今度は目の前にいた人族の兵士へと斬りかかり、次々にその凶刃を振るって彼らを血の海に沈めていく。
「サスケ兄さん!!」
その彼の姿を見て、一際動揺し、声を上げたのはチヨメだ。
彼女のその名前を呼ぶ声に反応したのか、表情の無い幽鬼のような顔を此方へと巡らせた。
そして此方が反応を示す前に、何処からか聞き覚えのある咆哮が頭上から振ってきて、足元の石畳に大きな影が差した。
それに気付いて即座に【次元歩法】を発動させて難を逃れる。
先程まで立っていた場所には身長六メートルもある黒巨人が武器を手に立っており、足元の石畳はもはや原型すら留めず粉砕されていた。
危なかった、あんなもの踏みつけられれば押し花の様になってしまう。
黒巨人が咆哮を上げて、手に持った巨大な石斧をサスケの居た場所へと振り下ろした。しかしサスケはその攻撃を悠然と躱し、周囲の建物の壁を蹴ると、そのまま宙を蹴って屋根へと消えた。
「ま、待って! サスケ兄さん!!」
それを見てチヨメも後を追うように、狭い路地へと入って三角跳びをするように壁を駆け上がって行くと、サスケの消えた屋根の方角へと跳ぶ。
アリアンはチヨメ達消えた方角を心配そうに眺め、此方と黒巨人を見て、自身がどちらに向かうべきか迷うような仕草でいた。
「アリアン殿はチヨメ殿達の方を頼む! こっちのデカブツは我のみで十分だ!」
その自分の言葉を受けてアリアンは一度屋根の上を見上げた後、此方向かって頷くと、そのままチヨメ達が消えた方角の路地へと消えた。
そして広場に残ったのは黒巨人と自分の二人だけどなる。
黒巨人が武器を手に振り返り、此方を見下ろす。首がないので、大きな黒目が下を向く形で上から覗かれる様は、あまり気持ちのいいもではない。
黒巨人が持っていた武器を大きく振り上げる様を眺め、自分も手に持っていた剣を構える。
剣に光が集まっていき眩く輝き出す、それを一気に垂直に地面へと突き立てた。
「【審判の剣】!」
瞬間、黒巨人の足元の地面に魔法陣が展開すると同時に、そこから光の剣が上方に向って聳立し、巨人の身体を下から突き刺した。
巨人の大口から光の剣が突き出て、辺りに金属的な反響鳴り響き、巨人を貫いた光の剣がまるでガラスのように砕け散る。光の破片が辺りに散らばるその中で、巨人の身体が大きく震えた。
「ふむ、体毛は固いようだが、尻はやはり巨人でも同じか」
地面に突き刺したを抜き、崩れ落ちる巨人を背に広場を立ち去ろうとすると、煉瓦の住居が崩れた路地の一画に一人の少年の姿を見つけた。
剣を鞘に戻し、その少年へと近づくと、彼は明らかに恐怖の表情で持っていた角材を両手で握って此方へと突き付けてきた。
そしてそんな少年の背後では、瓦礫に足を挟まれた女性が頭から血を流して倒れていた。
「……お願い、あなただけでも、逃げ……て」
少年の母親と思しきその女性は、弱々しい口調で少年に語り掛ける。しかし角材を構えた少年は涙を零しながら、その彼女の提案を拒否した。
「母ちゃんを置いてけないよ! 母ちゃんと一緒じゃないとヤダよ!」
何やら此方を悪者にして盛り上がっている所を申し訳ないが、別に自分は少年もその母親もどうこうする気はない。が、目の前の少年には自分が先程の骸骨甲冑と同じように見えているらしい。
「きゅん! きゅん!」
首筋に巻き付いていたポンタも加勢して、此方が怪しくない人物である事を説明、してくれている筈だが、やはりそれも効果はない。
そこで腰に括りつけていた秘密道具の存在を思い出し、後ろに顔を向けてその秘密道具──水筒の中身を呷った。飲んだ瞬間、全身が震えて急激な頭痛が伴って目の前が霞む。
それを無理やり抑え込んで、大きく息を吐き出す。恐らく先程の全身の震えは、肉体が戻った事に因ってそれまでに蓄積された感情の揺り戻しがあった為だろう。
巨人との接近戦をした時の感情の負荷が原因としては濃厚か。
深呼吸を一つして再び視線を少年へと戻すと、兜を脱いで素顔を晒す。
「……おじさん、人族、じゃないの?」
少年がこちらの尖った長い耳を見て、訝しむように首を傾げる。
「我はエルフ族だ。知っておるか? エルフ族は魔法が得意でな、怪我を治す魔法も使えるのだ」
兜を被り直しながらそう言うと、少年の顔に喜色が浮かんだ。
「か、母ちゃんも治せるの!?」
少年のその問いに黙って頷くと、少年の背後に庇われていた母親に近づく。母親の頭に回復魔法を掛けて血が止まったのを確認して、瓦礫をどけて今度は挟まれていた足にも魔法を使う。
足が折れているようだ、少し強めの回復魔法が必要か。
「おじさん、本当にエルフ族なの? エルフ族は神様の技を盗んだずる賢い種族だって聞いたよ」
その少年の話に思わず仰け反りそうになる。
どうやら彼の話を聞くと、ヒルク教の教えとしてそんな風に教会で習うそうだ。
「ふむ、では坊主の周りの人族に狡賢いと思う者は、唯の一人もおらなかったのか?」
そう言って尋ねると、少年は何かを思い出したのか嫌そうに顔を顰めてから首を振った。
誰か身近に心当たりが居たのだろう。
「物を盗む者がいて、その者が人族なら人族は全員物を盗むのか? 坊主も、坊主の母ちゃんも人の物を盗むのか? 先程の話はそういう事だろう?」
「母ちゃんも、オレも人の物を盗んだりしないぞ!」
自分のそんな他愛もない話に、少年は声を荒げて反論する。
回復魔法を掛け終えて、少年の母親の足の状態を見て頷く。大丈夫だろう。
「す、すみません。ありがとうございます」
少年の母親の礼に首を振り、立ち上がった。
「街の壁の外はまだ比較的安全だった。道中は物陰に隠れて焦らず進んだ方がいい」
そう言うと母親はふらふらと立ち上がって、再び頭を下げる。そんな母親を心配そうに見上げる少年を見下ろして、少年の方にもついでに回復魔法を掛けた。
「坊主、母ちゃんをしっかりと守れよ」
回復魔法の光を不思議そうに眺めていた少年は、自分のその言葉に大きく頷くと、母親の手を引いて広場を抜けて通りに姿を消した。
さて予想外に時間を取られた、まずは自分も屋根の上に登って様子を探るか。
誤字、脱字などありましたら、ご連絡宜しくお願い致します。