第二話 奇跡
時が戻り始める。
今起こっている事象を説明するのには、その言葉が最適だ。
銃を持ち出していた警官は、それを手元にしまい先程僕に職質をしていた場所へと後退するように戻っていく。
娘を殺され狂っていた母親は笑顔を取り戻し、元々歩いていた道をまた辿り始める。頭部を失ったエリという人は縫合跡も残さずに頭部を取り戻し、母親と同じく笑顔でスマホをいじる様子を見せる。
今ここにいる僕を除く全ての人、物が逆再生されているのだ。ビデオテープを早戻ししている時のように、不可逆的な事象すら覆し元あった状態へと道を辿りながら戻っていく。
僕が今地面に投げ突き刺した剣を引き抜かない限り、これは永遠に続く。これが、とある過去をきっかけに僕の得た魔法の力の一つだった。
やがて戻されていく時の中で、先程十字路を駆け抜けていった人物、つまり犯人が登場する。そいつは手に持ったナイフを腰にしまい、後ろ歩きでちょうど僕の目の前を歩き始めたのだ。
事件が起きる十数秒ほど前、そういった所だろう。……このくらいがちょうどいい。僕は、剣を引き抜いた。
時は正常に動き出す。前へと。
「だはっ」
少し位置が悪かった。時が動き始めた途端、僕と犯人であろうそいつはぶつかった。犯人はやや驚いた様子を見せたが、特に気にすることもなくそのまま歩き始めた。
もちろん、今から首を刈り取ろうとする親子二人の方へと。
恐らく相手からすれば、僕がいきなりここへ現れたことになるから、直接触れていない他の人からすればまだしもぶつかった人物からすれば異常事態のはずだ。それでこの反応なのはもう、殺すことしか頭に無いからなのだろう。
僕は一歩も動くことなく、犯人の後ろ姿を目で追っていた。
まだだ、事態が起きようとするその瞬間まで、僕は動いてはならない。事前に事件を防ぐことは簡単だが、それでは僕が異常者扱いされてしまう。ましてや、こんな剣を振りかざそうものなら即逮捕されるだろう。
警察というものはつまらないもので、何かが起きてから行動を始める。だから助けられるものも助けられない。……そのせいで……。
「……ちっ」
ああ、今は関係なかったんだった。
とにかく今は動かず、目立たず、ただその時を待つのだ。エリという女性を助けるには、この方法しかない。
「鈍化する剣、クロック・ダウン・アルカナム」
僕は、誰にも聞かれない程の小さな声でそう呟いた。直後、剣から鈍い緑色の光が一瞬放たれた。なに、この程度じゃどうってことはないだろう、日差しの影響もあって光には皆気がつきにくいはずだ。
周囲の動きが鈍くなる。動画の再生速度で言えば、0.2倍速程度だろうか。
この力で、僕はその時を見極める。
そうやって犯人の手元を観察していると、親子二人の影を踏み込み、射程圏内に入り始めた頃になってナイフを取り出し始めた。
やや長手のそれを逆手に持ち、親子に気づかれないよう足を踏み込む際の動作も静かにし、ゆっくりと凶器を振り上げる。
まだだ、まだその時じゃない。
振り下ろす際の動作も、僕にとっては亀が一歩を踏み出す時のようにノロく見えた。流石に動画を一時停止してフレームレート毎に確認する程とまではいかずとも、その一瞬一瞬犯人がしようとしていることくらいは手に取るように分かる。
ちょうどギリギリ視覚に入ったのか、それとも気配に気がついたのかは分からないが、ここで母親が後ろに居る何かを確認しようと振り返った。
だがまだだ、まだ早い。恐らく今はまだ母親もその何かを判別できていない。この犯人に制裁をくだすなら、もう少し待たねばならない。
そしてやがて、来るべき時が来た。
犯人の振り下ろしたナイフが、エリという人の首元に刺さりかける。恐らく、間隔で言えば産毛に触れた程度の距離だ。
瞬間、僕は即座に犯人の元へと移動し、手に持っていた剣でそのナイフを下へと弾き飛ばした。そして、剣がナイフに触れたと同時に、低速になっていた世界が元に戻る。
力が解除されたのだ。
途端に周囲で起こった異常事態を察知し、犯人と親子二人はすぐに僕の方を向いた。中でも親子二人は僕と犯人を錯乱でもしているのかと疑う程に二度三度と見比べる。
状況を理解したのか、母親はエリという人の腕を強引に引っ張り僕らの元から離れた。だが、てきとうに眺めていても分かるほどにその腰は引けていた。
「え、エリ……あ、あああなた今その、その人にナイフで刺されそうに……!」
「え、なに、一体どういうこと?」
ナイフが触れかけた首元を後ろ手で押さえながらエリという人は言う。対して、母親は完全に気が動転している。
まぁけれど、先程の狂った様子と比較すれば大分マシだ。僕が正しい方法でこの場を収めれば、きちんと状況報告はしてくれるだろう。
「な、なんだよお前、一体どこから……」
それより、犯人が今の状況を飲み込めていないようだった。
「んー、ずっといたっていう事にしておく」
「お、おいヤバいだろあれ。とにかく警察呼べよ!」
「確か近くに……私呼んでくるね!」
やがて周辺をうろついていた人々も事の異常さに気が付き始める。中には、面白さ見たさに野次馬も所々居るようだ。
さて、当事者以外にとっては何が起きたのか全く分からないだろう。今のまま警察が到着すると面倒だ。何を吹き込まれるか……。
それまでに何とかしなくちゃならない。
僕は、何か考える時に人差し指で机をトントンと突つくように、握っていた剣の先を地面に打ちつけた。
「……くっ!」
犯人は途端に走り出した。その先には、先程弾かれた凶器のナイフがある。獲物を失いどうしたらよいのか判別がつかなくなったのだろう。
ちょうどいい。
僕もそれに合わせて走り出した。一心不乱に、視野を狭めて走る犯人より、今果たすべきことを正確に知っている僕の方が、遥かに速く動けることは明白だった。
無駄に力を使うまでもない。
「せいっ!」
僕は剣を振りかざし、刃の方ではなく面の方を犯人の頭部目掛けて振り下ろした。まぁまぁ重量のあるそれは、ただ走ったままに振り下ろしただけで結構なダメージになったようで、犯人は直ぐにその場で倒れ込んだ。
重心無くくたびれる様子から、気絶したようだ。
親子の方を振り返ると、親子共に恐怖と混乱に満ちた目つき、表情でこちらを見ていた。無理もない。
ただ、こちらも時間が無かった。なんせ警察が来れば、どう足掻いても面倒なことになるからだ。だから僕は、取り乱すことなく冷静に、その場から母親に向けて微笑むようにして話しかけた。
「よかったですね、エリさん、助かって」
「……どうして、娘の名前を?」
「あ」
最後の最後で失態をおかしてしまった。けれどまぁ、これはこれでいいだろう。
少しの間を置いて、僕は問いに答えた。
「嫌だな、あなたから聞いたんですよ。とにかく、助かってよかったです。それじゃ」
別の理由を考えるのが面倒だったから、正直に答えた。母親は納得のいかない表情を浮かべているが、不信感は拭えたような様子だったから問題ない。
僕は多くを語ることなく、その場を去ろうとした。だが、親子二人に背を向けたところで呼び戻される。
「あの、よく分かりませんけど、エリを助けていただいたんですよね。名前は存じ上げませんが、ありがとうございます」
母親が僕に向かって頭を下げると、エリという人もそれに続いた。
……少しは、この剣を振るう価値があったかな。
僕はそれに対して何か返すことは無く、予備で持ち歩いていた包帯を慣れた手つきで剣に巻き付けながらてきとうな路地裏へと消えることにした。
なんとなくその空気に水は差せなかったのか、状況に混乱し飲まれて動けなかったのかは分からないが、そんな僕を止める人は誰一人いなかった。
その後、先程聞いた警官二人の声が路地裏に響いた時、微かだが母親の声がもう一度聞こえてきた。
「奇跡が起きたんです」
……奇跡と呼ぶには程遠い力だけれど。
でも、少しは報われた気がした。
全然朝から仕事なんですけど、勢いで書いちゃった。あの、僕も時間を巻き戻して欲しいです。




