4-1 雇用は安定から流動へ移された
ここから少しだけ、話の角度を変える。
第3章までは、少子化を止めている直接原因として「将来予測不能な貧困」があることを確認してきた。重要なのは、それが誰かの努力不足や性格の問題ではないという点だ。
では次に考えるべきことは、その「予測不能な状態」がどこから来たのかである。
それは自然発生したものなのか。それとも、誰かが意図して作ったものなのか。
この章では、その問いに踏み込む。
昔の雇用が完璧だったとは言わない。長時間労働もあったし、組織に縛られる息苦しさもあった。転職が難しいという問題も確かに存在していた。
しかし一つだけ、現在とは決定的に違う前提があった。
それは「時間が味方だった」ということだ。
働き続ければ、収入は緩やかに上がる。年齢を重ねれば、立場も変わる。会社に残り続けること自体が、将来の予測材料になっていた。
もちろん未来は保証されていなかった。しかし、完全な霧の中ではなかった。
見通しというものが、かろうじて存在していたのである。
ところが、ある時期から雇用の前提が変わり始める。
キーワードは「流動化」である。
雇用は固定的すぎる。もっと柔軟にするべきだ。市場に合わせて人材を動かせるようにするべきだ。
こうした主張は、効率化の文脈で語られた。
企業が変化に対応しやすくなる。無駄なコストを削減できる。国際競争に勝てる。
確かに、企業の側から見れば合理的な話である。
問題は、その合理化がどこに影響したかだ。
雇用が流動化するということは、裏返せば、継続が保証されなくなるということである。
以前は企業がある程度引き受けていた不確実性が、個人側へ移された。
会社が将来を保証しない。だから、自分で将来を確保してください。
言葉にすればそれだけの話だが、生活の側から見れば意味はまったく違う。
例えば、結婚を考えるとき。
以前なら、「今の会社にいれば大きく崩れないだろう」という前提があった。完全ではないが、予測は可能だった。
しかし、雇用が流動化すると、その前提が崩れる。
来年も同じ収入があるか分からない。
契約が更新されるか分からない。
部署ごと消えるかもしれない。
これでは長期的な意思決定は極めて難しくなる。
結婚や出産は、数年単位ではなく、十年単位で続く選択だからだ。
ここで誤解してはいけないのは、流動化そのものを悪と断定しているわけではないという点である。
柔軟な働き方が必要な場面もある。多様な選択肢が生まれたこと自体は否定できない。
しかし、制度として何が起きたかを冷静に見る必要がある。
それは、「企業のリスクが軽くなり、個人のリスクが重くなった」という構造変化である。
そして、もう一つ重要なことがある。
この変化は副作用ではない可能性が高いということだ。
しばしば、雇用不安は制度改革の意図しない結果のように語られる。しかし本当にそうだろうか。
企業の固定費を減らす。
人件費を変動費化する。
市場の変化に迅速に対応する。
これらを実現するためには、雇用が安定しすぎていては困る。
つまり、不安定さは「起きてしまった問題」ではなく、「機能として組み込まれた要素」である可能性がある。
もしそうだとしたら、見えてくる景色は変わる。
個人が不安を感じるのは、努力が足りないからではない。
制度の設計として、不安定が前提にされているからだ。
ここで話は、少子化へ戻る。
将来が読めない社会で、人は長期的な選択を避ける。
これは感情論ではなく、合理的な行動である。
リスクが高いなら、リスクを取らない。
それだけのことだ。
だから結婚をしない人が増え、出産を先送りする人が増える。
そして、それは個人の価値観の変化として説明されてきた。
だが本当にそうなのか。
価値観が変わったのではなく、合理的な判断が変わっただけではないのか。
雇用が安定から流動へ移された。
この事実は、単なる労働市場の変化ではない。
人生設計そのものの前提を書き換えた出来事だったのである。
次に見るのは、この流動化を具体的な形で実装した仕組みについてだ。




