3-6 本章の結論と次章への接続
本章では、少子化という現象を、意識や価値観の問題としてではなく、条件の問題として整理してきた。結婚は恋愛の結果ではなく生活契約であり、子どもは本来未来への投資として成立していた。そして現代では、その投資がリスクへと変質し、長期的な選択が合理的に回避されるようになった。その中心にあるのが、本書で定義した「貧困」である。
ここで改めて強調しておきたいのは、本書における貧困とは所得の不足ではないという点である。一定の収入があっても、将来が読めなければ長期契約は成立しない。来年の収入が保証されない、雇用の継続が不透明である、突発的な出来事によって生活が一気に破綻する可能性がある。このような状態では、人は長期的な責任を伴う選択を避ける。それは恐怖や怠惰ではなく、合理的な判断である。
結婚や出産が減少している現象を、個人の意欲や精神性の問題として説明する議論は多い。しかし本章で確認してきたように、判断材料が不足している環境では契約は結ばれない。結婚が成立しないのは恋愛観が変わったからではなく、生活契約としての前提条件が揺らいでいるからである。同様に、出生数の減少も子ども嫌いが増えたからではない。長期投資として成立しなくなった条件の下で、人々が合理的に選択した結果にすぎない。
さらに重要なのは、こうした個人の合理的判断が社会全体に集積したとき、社会そのものが静かに停止していくという点である。結婚が減少し、出生数が減り、消費が抑制され、長期的な投資が減少する。この連鎖は未来の仮説ではない。すでに現実として観測されている変化である。社会は突然崩壊するのではなく、更新が止まることで徐々に機能を失っていく。
この停止を、道徳の崩壊や世代の問題として理解することは容易である。しかしそれでは原因を見誤る。本章が示してきたのは、人々の選択はむしろ一貫して合理的であるという事実である。問題は個人ではない。長期的な予測可能性を失った社会構造そのものにある。
したがって、本章の結論は明確である。少子化は道徳問題ではない。意識の問題でもない。経済構造が合理的判断を止めているのである。人々が結婚しないのではない。結婚が成立する条件が失われている。人々が子どもを産まないのではない。子どもが投資として成立する環境が消えている。この理解を前提にしない限り、どれほど政策や呼びかけを重ねても、現象は変わらない。
では、なぜ社会はここまで予測不能になったのか。なぜ雇用の継続性は弱まり、所得の安定は失われたのか。この変化は偶然の積み重ねなのか、それとも制度として設計された結果なのか。もし制度が関与しているのであれば、問題は個人の努力では解決できないことになる。
次章では、この問いに対して具体的な制度の視点から検討を進めていく。派遣労働の拡大と消費税の構造が、どのようにして社会の予測可能性を低下させ、悪循環を生み出したのか。本章で固定した前提、すなわち「貧困とは将来予測不能な状態である」という理解の上に立ち、その制度的背景を解体していく。




