プロローグ 失踪した国民的女優
居酒屋でのバイト中、店内に取り付けられているテレビに速報が入った。
“女優である宮島美麗さん(20)の失踪事件を受けて、所属事務所は今日付で無期限の活動停止処分にした”
それを見たお客さんたちは酒を飲みながら、口々に言う。
「あれだけ人気があったのにどうしてなんや?」
「借金でもあったんか、それとも男でもできて夜逃げでもしたっちゃうんかァ?」
勝手な憶測ばかり世間・マスコミ問わず飛びまくっているが、そう言われても仕方がない。
宮島美麗と言えば、知らない人はいないくらいに国民的女優と言われるほど、人気の絶頂にいた。その美貌や明るい性格も相まって、CMやバラエティー番組、ドラマ、映画など見ない日はないくらいにあらゆる方面から引っ張りだこ。とあるサイトが掲載している『結婚したい女性芸能人ランキング』でもアイドルを抜いて、二年連続一位を獲得。誰が見ても輝かしい人生でかつ、失踪する理由なんて一つも見当たらないくらいに充実しているとばかり思われていた。
だが、そんな誰もが羨む最中、二日前のこと。
宮島美麗は自宅マンションから忽然と姿を消した。朝、マネージャーが迎えに来たところ、インターホンを鳴らしても応答がなかったため、管理人を呼んで室内に入ったら、リビングのテーブルに一枚の手紙だけが残されていた。そこには『探さないでください』とだけ書き記され、財布やスマホなどはすべて部屋に残されていた。
これが現時点で報道されている人気女優失踪事件の経緯なのだが、本人は当然見つかってはいない。事務所は警察に捜索願いを提出したみたいだが、現場の状況やマンションに取り付けられていた防犯カメラから事件に巻き込まれたという点は薄いと判断され、本格的な捜索には至っていないようだ。
失踪を受けて、マスコミは連日のように報道。仕事に関してはすでに受けていたドラマや映画はクランクアップしていたようで出演していたCMに関してはもしかすると、違約金が発生する可能性があると各芸能に詳しい専門家らが発言していた。
羨望の一端にいた彼女はすべてを放り出して、今どこで何をしているのか? ニュースだけの情報をもとに考察するのであれば、ほとんど物は持たずに消息を絶ったということになる。それはつまり何を意味しているのか……。
「宮島美麗、好いちょったんだけどねぇ〜。テレビで見れんで悲しかぁ〜」
俺の隣で強烈な鹿児島弁で嘆いているのはこの居酒屋の店長である中村さん。
店長は速報を受けて、わかりやすくも項垂れてしまう。
「店長結構ファンでしたもんね」
「じゃっと。おいん毎日ん癒しやった。これからどう疲れを取っていきゃ……って、そういや、もう九時じゃね? 今日んシフト九時までやったよね?」
「あ、はい」
「じゃあもうあがってよかど」
俺は「お疲れ様でした」と店長に一言挨拶をした後、バックヤードへと移動する。
世間から姿を消した宮島美麗からしてみれば、俺の悩みなんてちっぽけなものにすぎないだろう。ロッカーからカバンを取り出すと、その悩みの種である進路希望調査票の紙をじっと眺める。
――俺は一体何者になりたいんだろう……。
小さい頃とは違い、高校生にもなると自分の身の周りに置かれた状況も鑑みて、将来を取捨選択しなければいけない。もちろん夢がある人なら、それに向かって突き進めばいいと思うが、俺自身何になりたいとかどんな仕事をしたいとかまったく考えていなかった。俺の通っている高校は別に進学校でもないため、比率で言えば進学、就職共に半々といったところ。
やりたいことを見つけるためにも進学を選択するという手もありなのかもしれないが……。
俺は従業員服から制服に着替えた後、進路希望調査票をポケットに突っ込み、そそくさと店を後にする。
提出期限は明後日。
それまでにじっくりと考えればいい。
☆
居酒屋が入っているテナントは五階建てのビルになっている。
屋上は常に解放され、入ろうと思えば誰でも行くことができる。
俺は進路について夜風にでも当たりながら考えようと思い、階段を登っていた。どうせ家に帰宅したところで両親は長期出張の不在。考え事をするのであれば、何もないビルの屋上で夜空を見ながら考えた方がよほどいい。家だと速攻でゲームとかしちゃいそうだし。
そんなことを思いながら、何気なく屋上に続く昇降口のドアノブを捻る。錆びついたようなギィーっと嫌な音がしつつも、目の前には月明かりで照らされたコンクリートが広がっていた。
いつ来ても落ち着く唯一の場所。
ほとんど誰も来ないということもあって、周りには若干粗大ゴミが置かれてたりするけど、まぁ気にしない。
「それにしてもやっぱり少し寒いなぁ……」
四月とは言えど、夜はまだ肌寒い。
屋上に向かうついでに自販機で購入したホットミルクティーで両手を温めつつ、いつもの定位置に視線を向けた時――
「え……?」
ボトン。
俺は手に持っていたホットミルクティーを思わず落としてしまった。
鉄柵の向こう側に人影がある。よくよく見ると、服装は小汚く、髪はボサボサ。長髪と体型から女性であることはわかったが……いやいやいや待て待て待て!
一瞬、幽霊なのかと思ってしまったが、どう見ても生身の人間。そもそも霊感なんてねーし。俺は今まさに自殺をしようとしている現場に遭遇してしまったわけだ。
どうするべきか……。正直、自殺をしようとしている人に遭遇したのは初めて。この世を絶とうとしているということは相当辛い目にあったのだろう。そこら辺の生半可な言葉では思いとどまってくれないかもしれない。目の前で身を投じられては一生のトラウマ……それだけは絶対に勘弁してほしい。
「あ、あのー、お姉さん? そこに立ってると危ないですよー?」
俺は意を決して、刺激しないよう慎重に話しかけてみることにした。
すると、女性はゆっくりとこちらに振り返る。月明かりに照らされた目元は赤く腫れ、頬には涙が伝っていた。
――宮島、美麗……?
風貌があまりにも変わりすぎていて、気づくのに少々時間を要してしまったが、間違いない。二日前に失踪した宮島美麗だ。
俺は内心驚きつつも、あえて気づいていないふりを続ける。
「……何かあったんですか? よかったら俺、話聞きますよ? こんな平凡な高校生ですけど、話してみたら案外楽になることだってありますし……」
芸能界は決して楽なところではないと噂で聞く。裏では枕営業だったり、セクハラまがいなことが頻繁に行われていると聞いたことがある。
彼女に何があったのかはわからないが、きっとその類なのだろう。
「…………」
宮島美麗は俺のことをしばらくの間じっと見つめた後、視線を下の方へ落としてしまう。
やはり上辺だけの言葉を述べたところで無意味か……。本音でぶつからないと宮島美麗の心には響かないのかもしれない。
俺は短いため息を吐いた後、彼女のそばまで歩み寄る。
「別に死ぬなとは言わない。時には死にたくなるような時もある。けど、目の前で死なれるのは目覚めが悪いし、ずっとトラウマとして心に残ってしまう。そうなってしまったら俺は今後一生あなたのことを恨んでしまうかもしれない」
そう口にして、俺は手を差し伸べた。
宮島美麗は少し驚いた表情を見せたが、すぐに我慢していたものが決壊したかのように再び大粒の涙を流す。
「ごめん、なさい……」
か細く震えた声が夜空に響き渡った。
テレビでは明るい性格で誰をも魅了していた宮島美麗は、もうこの世にはいない。そんな変わり果ててしまった彼女を見て、俺は胸が締め付けられる思いに駆られてしまう。
「ひとまず俺の家に来ませんか? 俺、一人暮らしなんで大丈夫です」
鉄柵の向こう側から戻ってきた彼女に今、俺がしてやれることはそれくらいしかない――。
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