第1話 お持ち帰り
バイト先の居酒屋が入っているビルから徒歩三十分。いつもなら電車で帰宅しているところだが、相手が国民的女優である以上、あまりひと気のある場所を通るわけにはいかない。ましてや訳ありであることも考えるとなおさらだ。
普段以上に疲労感が溜まった体はもう鉄そのもの。あっちこっちの節々から悲鳴が上がり、今歩いているのもやっとのくらい。
それなのに自宅の玄関ドアを開けると、当然のように中は真っ暗。両親が長期間の出張とあって、この後の家事も俺一人でこなさなくちゃいけないことを考えると、マジで地獄。
ひとまず一時保護を目的に連れてきた彼女を家の中に入れ、そのまま浴室まで案内する。汚れたままでは衛生面的にも悪いからな。彼女にはシャワーを浴びるように指示をし、その間に二階にある両親の部屋へと移動する。
――着替えは……これでいいよな?
背格好的には俺の母と同じくらいだ。クローゼットから残っていた母の衣類(長袖のTシャツとスウェット)を引っ張り出すと、バスタオルも含め再び脱衣所の方へと戻る。
「は、入りますよー?」
脱衣所のドア越しからシャワーの音が微かに漏れ出ている。
しっかりと入浴してくれていることに対しての安心感とともに自宅の浴室に母以外の女性が使っていることに対してのドキドキ感が増していく。
念の為、数回ノックしたのちに中へ入ると、すりガラス越しから国民的女優の裸体がぼんやりと浮き彫りになっていた。
――うっ……思春期真っ盛りの男子には刺激が強すぎるだろ……。
状況からして不謹慎かもしれないが、やはり自分は男なんだなと改めて実感させられてしまう。今、自分の家の浴室にはあの国民的女優である宮島美麗がシャワーを浴びているなんて夢ですら見たことがないと言うのに……。それだけ非現実的なことが今、目の前で起こっているというわけなのだが、
「せ、洗濯機の上に着替えとタオル置いておきますね!」
「……」
俺はシャワー中の宮島美麗に向かってそう伝えると、すぐに脱衣所を後にする。
彼女自身に一体何があったのかはわからない。ただ、今は落ち着いてもらうことが何よりも大切だ。俺が宮島美麗にしてやれることは何があるだろうか?
俺はリビングのキッチンに移動すると冷蔵庫の取っ手に手をかける。
自殺を考えてたくらいだからこの二日間、宮島美麗は何も口にしていないかもしれない。見た限り、頰もなんだか痩せこけているように窺える。作ったところで食べてくれるかはわからない。だが、このまま放っておいて、のたれ死んでしまっても困る。冷蔵庫には卵とケチャップ、魚肉ソーセージ、ピーマン、玉ねぎ、コンソメが残っていた。棚の方には白ごまと乾燥わかめがあったからオムライスとわかめスープくらいなら作れるだろう。
俺はさっそく食材を取り出すと、いつものように手際よく調理を始めた。
一人暮らしを始めてからというもの、ほぼ毎日のように自炊をしてきたため、料理は結構自信はある。誰かに振る舞ったことは今までないため、少し不安ではあるけど無事に口に合うといいんだけどなぁ……なんて思うのは女々しいだろうか。
☆
オムライスとわかめスープがちょうど出来上がった頃。リビングには入浴から戻ってきた宮島美麗がテーブルの席についていた。
まだ髪は半乾き状態だが、小汚かった容姿はすっかり綺麗になり、シャンプーのいい匂いが漂っている。少し艶かしい雰囲気ではあるけど、テレビで見るよりも数倍綺麗な彼女に内心ドキドキしながら出来上がった渾身の手料理を目の前に差し出す。
「お腹空いてますよね?」
「……っ」
「美味しく出来てるかわからないですけど、食べてくれませんか?」
「……」
宮島美麗は一度俺を見た後、差し出されたオムライスとわかめスープの方に視線を落とす。
だが、見つめるばかりで一向に手をつけようとしない。
腹が減っていないということはないと思うが、やっぱり精神的な部分が作用しているのだろうか? パッと見た感じだと、どこか鬱っぽいように感じる。本来なら速攻で病院へ連れて行きたいのだが、彼女の抱えている問題や周りの状況から判断して、それは極めて難しい。せめて食事だけでも少しでもいいから摂ってもらいたいが……
「あ、そう言えば、まだ自己紹介していなかったですよね?」
俺も宮島美麗の前の席に腰を下ろすなり、まだ名乗っていなかったことに気が付く。
ビルの屋上で出会ってからすでに一時間半。俺が言うのもなんだが、名も知らない出会ったばかりの男子高校生の家までよくもついてこれたものだ。普通なら何をされてしまうのかわからないという恐怖心からあまりついていかないと思うが……自暴自棄にでもなっているのだろうか?
「近くの高校に通っている二年の影山一希って言います」
「……一希、くん……」
宮島美麗は俺の名前を聞くなり、ポツリと消え入りそうな声で呟く。
それからして、伏せがちだった視線をこちらへと向ける。
「私のことは……もう、わかってるでしょ?」
細々とした声で問われた俺は、しばらくの間黙り込んでしまう。
やっぱり世間で知らない人はいないくらいに有名だっただけに知らないふりをしていることが安易にバレてしまっていた。というか、逆に知らない方がおかしいもんな……。あれだけテレビで活躍していたわけだし。
「……女優の宮島美麗さん、ですよね?」
俺は恐る恐ると言った感じで訊ねてみる。
すると、それに対し、宮島美麗は静かにコクリと頷いてみせるのみだった。
「……何があったのか聞かないの……?」
「俺からは無理に聞いたりしませんよ。たださっきも言った通り、話したら気持ちが楽になることもあるので、宮島さんが話したいと思ったら聞かせてください。それよりご両親とかはいないんですか? 一度実家とかに連絡した方が――」
「いない。私、施設育ちだったから……。実の両親がなぜいないのかもさっぱりわからない」
「そう、でしたか……」
思わぬ地雷を踏んでしまい、場は静まり返ってしまう。リビングに取り付けられているアナログ時計の針音が無情にもチクタクと大きく鳴り響いていた。
このままではいつまで経っても状況は変わらない。彼女自身、どうしたいのかすらも不明確だし、かと言って、無理に聞き出すのは先ほどから言うようにあまりよろしくはないだろう。
オムライスの湯気がだんだんと薄く小さくなっていくのを目にしながら、俺は一度深呼吸をする。
「気晴らし……とはいかないですが、俺の過去の話を聞いてもらえませんか?」




