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③「独身男の部屋に八雲がやって来る」



 八雲(やくも)と電話で話した夜から、十日が過ぎた。彼女とは相変わらずメールを交わしているけれど、電話で会話はしていない。


 《 先輩、やっぱりまだ電話は無理みたいです…… 》


 八雲は、相変わらず鬱病を処方された薬で抑えていたが、素人の俺には平文のメールでやり取りしている彼女と、ゲーム内で嬉々として走り回るアバター越しの八雲(ふりる)、そして投薬治療を一時的に停めて茫然自失となっていた八雲の違いが判らなかった。いや、正確に言うと……



 どうして彼女の心が壊れたのか、事情を知らない俺には判らなかった。


 いや、そんな言い方をすると精神科医気取りかと思われるだろう。だがそうじゃない。そうじゃないんだ。


 正直に言うと、八雲が気になって仕方なかった。




 俺の住まいは会社が用意した短期契約マンション。しかし社宅替わりの狭いワンルームとは若干違い、広々としたダイニングキッチンとロフトのお陰で、その気になれば軽いホームパーティも出来そうな場所だ。する気は無いが。


 立地場所も職場から歩いて10分のお陰で、多少寝坊しても遅刻する心配は無いが、近所に買い物が出来る店が少なく、駅からかなり距離も離れているせいで自動車は必須だった。型落ちの四輪駆動車だが、乗り回していた元上司が結婚を機に手放す時格安で譲ってくれたお陰で、ちょっと走れば緑の濃い地域の街には良く似合っていた。



 その日は仕事も休みで、少し離れた大型スーパーで買い出しをしていた。大学卒業と共に一人暮らしを始めた割りに料理は得意じゃないが、冷食と惣菜さえあれば独身男だって普通の食事にありつける。しかも、そのスーパーは小規模な地域にだけある典型的な【地元特化型】で、充実した色とりどりの惣菜コーナーは俺のお気に入りだった。


 「……おきゅうと? 前から気になってたが何なんだ……これ」


 片手に買い物カゴを提げながら、ふらふらと店内を歩き回っていると、スマホのバイブが鳴動した。


 《 先輩! 今夜はカレーですか? 》


 八雲からのメールだったが文面を見た瞬間、思わず頭を巡らせながら店内を眺めていると、再び着信のバイブが鳴った。


 《 油断しましたね…乾物コーナーです! 》


 まるでゲームの1対1モードだなと思いつつ、彼女のヒントを元に店内を進むと、


 《 後ろですよー? 》


 背後から人の近付く気配を感じて振り向くと、メガネと帽子姿の八雲が微笑みながら立っていた。


 《 今日はお休みですか? 》

 「ああ、冷蔵庫の備蓄が切れたし色々と買い足ししなきゃならなくて……君は?」

 《 ここ、薬局が隣にあるんでたまーに来てるんです! 》


 ああ、そうだよなと思いながら白く小さい袋を提げた八雲を見て、何となく話し掛けた。


 「今日は一人?」

 《 えー、もしかして私、ナンパされてますかー!? 》


 そうメールすると可笑しそうに笑いながら薬の入った袋を抱え、小さくクルリと身体を翻し、俺から距離を取った。


 《 ウソです! 先輩は私をナンパなんてしません! 》

 「そりゃそうだが……自転車で来たのか?」


 そんな文章に「だったらしてやろーか?」と言いそうになりながら、それは止めて代わりに平凡な話題を振ってみる。


 《 はい! 車の免許、持ってないんで電動アシストのパッスですよー! 》

 「そうか、ところでお昼は家に戻って食べるのかい?」

 《 そーですねぇ……このまま帰れば、そうなりますねー 》


 八雲はそう返答すると、少し上目遣いになりながら暫くスマホのタップを停めていたが、やがてゆっくりと文章を打ち始めた。


 《 でも、せっかく外出したので、たまには違った場所で食べてみたいです 》


 ……このスーパーには一つだけ短所があって、ファーストフードやレストランは無い。つまり、八雲は外食に連れて行って欲しいのかと一瞬だけ思ったが……気弱な彼女が、そんな事をねだる訳も無い。


 しかし実際に八雲が要求してきたメールは、予想の斜め上から俺に突き刺さった……。


 《 だから、先輩の()()()にお邪魔してみたい! 》




 小さなカップサラダに鶏肉の中華炒め、それと炊き込みご飯に自家製プリン。俺一人では多くもない量だが、彼女一人では絶対に食べ切れないだろう。


 《 なんだか遠足みたいです! 》


 自分の自転車は店に置いたまま、後部座席に収まった八雲は嬉しそうだ。しかし、まさか八雲と休日に昼飯を一緒に食べるなんて、思ってもみなかった。


 車を走らせると直ぐに自室に着いてしまったが、車から降りてドアを開けてやると八雲は驚いたようで、車外に出ると同時にスマホを取り出した。


 《 お嬢様気分です! 》

 「じゃあ、俺は優秀な執事役だなー」


 《 あっ、そーゆー意味じゃないです! 》


 メールを読んでから八雲の顔を見ると、困りながら微笑むみたいな複雑な表情。


 「気にしないで、レデーファーストは紳士の(たしな)みだよ」

 《 わー! もっとお嬢様みたい!! 》


 やれやれ、今日の八雲は随分とはしゃいで……まあ、薬の影響なのかもしれないが……。




 鍵を回してドアを開けてから、八雲を中に通してやると暫く廊下でじっとしていたが、


 《 初めてラオ・パレスにきました! 》


 そう打ち終わると直ぐにゆっくり歩き始め、ダイニングキッチンの広さに驚いたのか、


 《 部屋広いです! パーリィできます! 》


 いや誰とだよと思ったが、ともかく八雲は探検気分で部屋の各所を見て回っていた。


 《 あ! お昼ごはん!! 》


 (ようや)く思い出したのか、俺の手に提げられた二人分の昼食を観てあたふたし始め、その慌てっぷりに俺は少しだけ笑ってから、


 「あー、うん……テーブルで食べようか」


 そう八雲に向かって呼び掛けると、


 《 はい! そうしましょう! 》


 気を取り直した様子で返答し、着ていたコートを脱いで部屋の中を見回した。


 「ハンガーあるから貸してごらん」


 流石に両手が塞がったままじゃメールは打てないので、八雲は俺にコートを渡すと小さく会釈してからテーブル脇の椅子の上へと腰掛けた。


 


 八雲が職場で弁当を食べる時は、必ず休憩室を利用して誰とも一緒に食べなかった。男ばかりの環境も理由の一つだろうが、ともかく彼女が食事している姿は見た事が無かった。


 《 この中華炒め、スゴくおいしい! 》

 「うん、旨いよねコレ」


 中学生にも見えかねん体格はきっと、学生時代からずーっと変わらなかったんだろう。でも、これで21才なんだよなぁ、八雲は。


 《 炊き込みご飯もおいしいです! 》

 「あそこは全部、店内調理だからね」


 薬を毎日服用している八雲だから、会社の飲み会は一度だって参加した事も無い。中間管理職で休憩時間の不安定な俺は、彼女の食事風景を想像もした事も無かった。


 《 先輩! サラダにドレッシングついてません!! 》

 「冷蔵庫にあるから大丈夫だよ」


 ……客観的に見て、線の細い八雲だよなぁ……うん。俺の眼はおかしくない。




 《 プリン、絶品です!! 》



 今判った。コイツはただ、非常に燃費が悪いだけだった。V8のアメ車みたいな娘だ。





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