②「初めての音声通話で八雲と話す」
後部座席から降りた八雲は少しだけ頭を下げ、直ぐに実家の門を抜けると逃げるように扉の向こう側に消えていった。
まるで、今までの出来事が夢の中のような非現実感を伴いながら覚めていくと共に、自分の行動の意味を反芻する。
八雲は、初めて男性と一緒に出掛けたそうだった。つまり、彼女の人生に何かの切っ掛けになったのだろう。
なら、俺の人生に彼女はどんな意味を持つのか。只の元上司と元部下の関係だった二人が、車に乗って買い物をした(当然だが支払いは俺が済ませた)。
……おいおい、何を考えてるんだ?
只の買い物じゃないか。普通の出来事だし、別に肉体関係があった訳じゃない。それどころか、手すら握っていやしないんだ。
まあ、そんな程度の話だ。そのうち、彼女も症状が改善して……
《 また、薬を飲んで早く治るようにしますね! 》
治るのか、本当に?
《 もしかしたら、治ればまた、働けるようになるかもしれませんし! 》
もし、俺に何らかの原因があったとしたら……二度と会わない方が良いんじゃないか?
別れ際に送信されたメールに眼を通した後、車のギアをパーキングからドライブに入れて、ブレーキを離した。
コロコロとした体格の茶色いクマが、前転しながら茂みを抜けて匍匐前進に移行し、そのまま藪の端から狙撃用ライフルを構え、静かに時を待つ。
《 一人逃げました! 》
八雲がフレンド通話で報せると、建物の二階から敵が飛び降りて車両に向かって疾走する。
息を停めながらタブレットのボタンを長押しし、レティクル内の中心に目標を捉えながらボタンを離す。
ドッシュッ、というくぐもった発射音と共に50口径の弾丸が直進し、幸運にも相手の黒いヘルメットを撃ち抜いた瞬間、
【 LAST TARGET KILL!! 】
字幕と共に派手なエフェクトが画面を駆け巡り、ファンファーレと共に画面がスローモーションに変わった。
《 イイイイィエーーイッ!! 》
《 クロクマさん、グッジョブ!! 》
《 クロクマさんGG!! 》
《 やった! やりました!! 》
フレンド達の祝福と共に画面がリザルトに移行し、予想を遥かに上回るクレジットと経験値がチャージされ、思わず頬が弛んだ。
《 いやいや、ふりるサンが押し出してくれたからだよ 》
《 そんな事ないです! クロクマさんの実力で勝ち取った勝利です! 》
賑やかに踊りながら互いを称え合うパーティールーム内で、八雲とメッセージを交わしていた俺だったが、流石に明日も出勤する手前、そろそろ落ちるつもりでアバターを操作して手を振らせる。
《 あ、クロクマさん落ちますね? 今夜はお疲れ様でした! 》
《 お疲れ様っーす! 》
《 乙乙っす! 》
《 また一緒にやりましょーね!! 》
《 それじゃー落ちますね 》
そうメッセージを交わしながら接続を切り、タブレットから視線を離した。
その瞬間、ブーッとスマホが振動し、メールの着信を報せる。
《 先輩! お疲れ様でした! 今夜はもう寝るんですか? 》
《 まあ、そのつもりだったけど八雲は? 》
ゲームを離れた直後に八雲がこうしてメールする事は珍しくなかったが、サーバーから落ちた俺を気遣って長い時間メールする事は稀だった。しかし、あの買い物から彼女は時折昼間でもメールを送る回数が増えていた。
《 今夜は気分が良いので、もう少しだけ起きていたいんです! お付き合いしてもらえませんか? 》
……やれやれ、明日の出勤に響かなけりゃいいんだが。そう思いながら、でも彼女の提案を断る気にはなれなかった。
《 ああ、付き合うよ。何か話したい? 》
……ん? メールが来ない。いつもなら、直ぐに八雲から返信が来るんだが。
そう思い暫く待っていると、突然スマホからメロディが流れ、その慣れぬ着信音に驚かされた。勿論、画面には【 八雲 】の二文字が映ってはいるが……そんな筈は有り得ないぞ?
「はい、もしもし……や、八雲か?」
通話許可ボタンを押しながら声で答えると、かなり長い沈黙が流れた後、八雲の声を久し振りに聞いた。
「…………ゃ、………」
いや、流石に何を言ってるのか全く判らない。声が小さいと言うよりも、囁く声がマイクに捉えられないのだ。
「心配しなくてもいいから、ゆっくりで構わないぞ?」
自分でも滑稽だなと思いながら、少しでも八雲が話せるように俺から話す気になる。とは言え、一体何を話せばいいか全く判らん……。
「あー、そうだな……八雲はいつからゲームを始めたんだ?」
「……は……じめた……のは、よ、よねん……まえ」
「そうか、四年前か……って、あのゲーム確か十八歳未満はダウンロード出来ないんじゃないか?」
「……お、とさん……の、パ、ソコン……アドレス、つかって……」
「あー、そうか……案外、八雲もワルなんだなぁ」
「……わ、わる? ……おじさ……ん、みたい……」
「あー、そうだよオジサンだよ!」
辿々(たどたど)しい会話を繰り返しながら、八雲に向かって俺はいつもより砕けた調子で話し掛けると、スマホの向こうから小さな声が微かに聞こえ、それが彼女の笑い声だと気付いた瞬間……何故か、俺の眼から涙が溢れてきた。
「……あー、そうかぁ……、八雲もそうやって、笑えるんだなぁ……」
「……せ、んぱい……ど、した……の?」
俺の声の変化に気付いたのか、八雲はほんの少しだけ大きな声を出しながら尋ねる。勿論、泣いているだなんて俺は言いたくなかった。
「あー、うん……ちょっと、嬉しくてさ……八雲の声、結構綺麗だなって思っ……っ!?」
だからと言って、そんな言葉が出るとは思ってなかったが……八雲め、今お前が黙るのは反則じゃないか!
「……きれ…い……そー、なんだぁ……」
と、噛み締めるように八雲が呟いた後、何の前触れも無いまま通話は切れてしまった。俺はそのままツーッ、ツーッ、と電子音が流れるスマホを暫く眺めていたが、
《 先輩っ!! 照れちゃったんで寝ます! 》
八雲から一方的にメールが送信され、その夜は夜が明けるまで一通も通知は来なかった。
そして、翌朝俺は寝坊した。




