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水妖の涙  作者: 蒼野理人
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「もう、お帰りになるのですか?」

「そういう契約でしたから」


 先日までの鬱蒼とした天気が嘘のように晴れ渡り、部屋の窓からは陽光がさんさんと差し込む。

 その光を横顔にうけながら、アルマントは形良い唇に笑みを浮かべながらラウラと、そしてエンジュを見つめた。


「残念です。もう少しこちらでゆっくりしていただこうと思っていたのですよ。このあたりは別荘地として有名ですが、そのほかに古代王国の遺跡があるのをご存知ですか」

「え! こここ、古代遺跡!? こ、ここにあるんですか!」


 らんらんと目を輝かせるラウラに、アルマントはにっこりとほほ笑む。


「ええ。ここにはかつてこの地を治めていたという王国の神殿があるんです」

「神殿……!!」


 遺跡。それも古代王国の神殿!

 高額報酬の依頼だけが取り柄の依頼かと思ったら、こんな美味しい話が隠れていたなんて!

 なにしろ、冒険者にとって遺跡というのはどの時代においてもあこがれの地だ。

 書物に書かれている英雄譚などでは、秘宝を捜しに遺跡を探検するという話が多い。だが、実際はそんな冒険というものはほとんどない。

 そもそも王都周辺にある著名な遺跡は王家のものだ。それらは大抵王位継承のための宝物を保管する場所だったり、霊廟だったりする。たかだか冒険者程度にそのような場所の立ち入り許可が下りるはずもなく。ましてや無断で入ろうものならいたるところにしかけられているであろう古代魔法に焼き殺されかねない。

 それが、堂々と探検できるなんて。


「アルマントさん! ぜひ!」

「ありがたい話ですが」


 一も二もなく飛び付いたラウラを、エンジュが冷静に遮る。


「今日中には王都にもどらなくてはいけません。せっかくですが」

「エンジュ!」


 ラウラは思わずエンジュの袖にしがみつく。


「明日でもいいでしょ。折角の古代神殿だよー」

「駄目だ」

「エンジュだって、この前行ってみたいっていってたじゃないー」

「駄目だ!」


 ラウラの手を振り払い、エンジュはアルマントを見据える。


「……そういうことなので」

「わかりました。残念です」


 そう言ってちらり、とほほ笑んだアルマントは隅に控えていた侍従に視線を投げた。

 万事心得ているとういう面持ちで侍従は近づくと、二人の前に両手よりも大きな革製の袋を差し出した。


「これは?」


 不思議そうに見つめるラウラに、アルマントはにっこりとほほ笑む。


「お約束の報酬です」

「え?」


 ラウラは絶句し、アルマントを見つめる。


「でも、これって……」

「最初の契約の時の話よりも随分多いように見えますが」


 エンジュの胡乱げな視線に、アルマントは苦笑いを浮かべる。


「……元々父が用意していたものに私が少しばかり足しました」

「足したって……」


 それにしたって多すぎる。元々の報酬も高額ではあったが、ぱっと見る限りその倍。いや少なく見積もっても三倍はある。

 多いに越したことはないが、それにしても。

 あまりに分不相応の額に戸惑うラウラの隣で、エンジュが呆れたようにため息をついた。


「なるほど。口止め料というわけですか」

「え? そ、そうなの!? てっきり、がんばったからかと思った……」


 思わずふりかえったラウラに、エンジュは顔を顰める。


「あのな……、お前が何をがんばったというんだ」

「な、何ってあのクソ寒い湖にはいったじゃん!」

「それにしたって多すぎるだろう。バカだな、お前は」

「バカっていうな!」


 眉をつりあげるラウラに、アルマントがぷっと吹き出した。


「実際、ラウラさんには父を助けていただきましたからね。そのお礼ももちろん入っていますよ」

「それはどうも」


 アルマントの言葉はあくまで建前。それがわかっているのだろうか。

 投げやりなエンジュの言葉に、アルマントは唇に笑みをのこしたままちらりと部屋にいたもう一人――侍従に視線をやる。

 すると、またもや何もかも承知しているといった面持ちの侍従は、まるで機械仕掛けの人形のようにうなずき、そして部屋を後にした。

 扉が閉まる音が響き、足音が遠ざかっていく。

 やがてそのの音がふつり、と消えると同時にアルマントの顔から笑みが消えた。


「今回の件、すべて忘れてください」


 吐き出されたアルマントの声は酷く苦しげだ。


「……こんなところでシーレンベック家を途絶えさせるわけにはいかないんですよ」

「なるほど」


 腕組みをし、うなずくエンジュとは対照的にラウラは小さくそんな、と呟く。


「そんな。ただの噂じゃない。証拠だって無いんでしょ」

「たしかに証拠はありません。ですが」


 アルマントは軽く頭を振り、そして息を吐く。

 子供が望めなかった原因は伯爵の方にあったらしい。

 だからいくら外に子を作ろうとしてもできなかったのだ。だが、そこで仕方ないと、ああそうですかと納得できるもような話ではなかった。

 大抵の場合、実子が望めない、もしくは実子が希望よりも劣るときは、養子を迎え入れることは決して珍しいことではない。

 だが、伯爵は血縁にこだわった。いや、こだわったのは伯爵夫人の方かもしれない。

 どちらにしても真相を知る夫人はすでにこの世になく、伯爵自身もまるで光に吸い込まれてしまったように意識を奪われ、すでにこの世の人ではない。おそらく王都にはもう二度ともどることはできないだろう。

 結果的に言えばアルマントにとっては幸運だったのかもしれない。

 王妹の夫となる以上、彼にはわずかな疑念も命取りになりかねない。

 すでに恐怖にとりつかれていた伯爵がとんでもないことを言いだす前に闇に葬られたのだから。

 それを、もしかしたらあの幽霊は望んでいたのかもしれない。

 我が子のため、死してなお子を守ったということだろうか。それとも、自らの恨みを晴らしたかっただけなのだろうか。

 どちらにしてももう、誰にも本当のことはわからない。


「アルマントさん、あの……」

「大丈夫ですよ。ラウラさん」


 心配そうに見つめるラウラに、アルマントは微笑んだまま彼女の肩に手を乗せる。


「私は前から決めていたのです。伯爵家の後継ぎとしてこの家を守っていこうと」

「……で、でも」

「父はともかく、母は私を愛してくれたんですよ。それこそ命をかけて」


 母とは夫人のことだろうか。それとも――その時だ。ラウラの肩にあった彼の手を、エンジュがつかみ上げた。


「いい加減にしてもらえないか? こいつは馬鹿だから一度信じてしまうと、とことん相手を信じてしまうんでね」

「はあ! ちょっとエンジュ、あんた何、失礼なこと言ってんの?」


 慌てて彼を止めようとするラウラを、エンジュは冷たく見おろす。


「失礼? 何が失礼なんだ? お前こそ、どうせ今の話をまるっと信じて子爵が可愛そうとか、大変だとか思っているんだろう」

「当たり前でしょ!」


 どうして疑わなければいけないんだ。そう返すラウラにエンジュは心底あきれたようにため息をついた。


「だからお前はいつまでもバカなんだ」

「エンジューッ!」


 失礼すぎる上に、言いがかりにしてもほどがある。

 地団駄を踏みながら怒り狂うラウラに、アルマントはくすりと笑みを漏らす。


「それでもあなたは彼女を見捨てない。どれほど大切かわかりますね」

「見捨てられないだけだ」

「そうですか? 可愛くてしかたがないと言っているように、私には見えますけどね」

「残念ながら、俺はそこまで悪趣味じゃない」


 吐き捨てるように言い放ち、エンジュは掴んでいたアルマントの手を放り投げるように離し、空いたその手でラウラを自分の後ろに引き込んだ。


「あんたがどこで何をしようと勝手だが、これ以上こいつをまきこむのはやめてくれ。いくぞ、ラウラ。こんな場所にもう用はない」


 吐き捨てるように言い放つと、エンジュはくるりと踵を返す。

 そしてラウラの手をつかんだまま、屋敷を後にした。

 たった数日のことだが、屋敷の外はまるで景色がかわっていた。空を覆うばかりに立ち込めていた雲はどこかに消え、差し込む光により山脈を覆う雪もまるで金剛石のように輝き、その光が湖に落ち、湖底にある蒼玉を輝かせた。まさしく守護者の魂。


「何が守護者だ。バカバカしい」


 水妖の間違いだろう。そう呟いたエンジュにラウラはそうかな、と首をかしげる。


「私はいいと思うけどな。ちゃんと守っていたと思うよ。まあ、やり方がちょっとアレだったけどさ」

「守った……ね。一体、誰が何から守ったのやら」」


 ふっと鼻で笑い、エンジュは歩きだす。


「早くいかないと野宿になるぞ」

「ちょっと待ってよ!」


 彼を追うように歩きだしたラウラは、ふともう一度湖を見たくなり振り返る。

 湖面はあの時のことなど嘘のように、差し込む陽光と湖底の蒼玉により金剛石もかくやというほどの輝きをみせていた。

 山から拭き下ろす風が湖面を揺らし、いくつものさざ波をつくる。


「……あ」


 ざん、とぶつかりあった波しぶきが空中に光を舞いあげる。

 それが一瞬、人の形のようにも見えた。だが、ラウラが数度瞬きをする間にそれは霧散してしまった。

 そういえば、最初にあの光を見た時もここだった。

 ラウラはふと視線を湖畔の屋敷へと向ける。そして彼の部屋のあたりへ視線を彷徨わせた。その時だ


「ラウラ! 行くぞ!」

「あ、うん」


 小さくうなずきラウラは湖に背を向ける。

 相方を追って走り出した彼女が森の中へ吸い込まれると同時に、屋敷のいくつもある窓の一つがぎしり、と開いた。


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