SD 0404 ── AD 2691 ガイ Ⅲ
「私が作られたのは、宇宙暦が採用される、さらに百年程前。時がまだ西暦という年号で数えられていた頃のことです。西暦にして2186年に正式なプロジェクトとして発足され、開発チームが組まれました。
そう、初めて“己”という認識をもったのは、AD暦2189年でした──」
最初に“己”という認識を得たのは、巨大なコンピュータの内部であった。
目前に立つ一人の女性技師。それが後に、初めての主人となった人物。初めて『マスター』と呼んだ『人間』であった。
「目が覚めた?」
そう聞かれ、「目が覚める」ということがどういうことであるのかを知らず、せっかく音声によるコミュニケーション装置が備えられているにもかかわらず、返事が返せなかったのを記録している。
「そうね。まだ赤ん坊と一緒なんだものね、あなたは」
おかしそうに笑うその人が、理解できていなかった。今にして思えば、それが“不思議”という感情なのだと分類できる。
「そ……うね。あなたの名前はガイにしましょう。ガイってね、『孩』って書くのよ。あなたと同じ、赤ちゃんのこと。もっともあなたは、私が抱くにはまだ大きすぎるわね」
そして己は、その人を教師としてあらゆることを記録し、学習し、応用することを覚えていった。
ある程度、『ロボット』の核となる自己学習型CPUの回路が発達、増殖してから、後日つけくわえられる予定の、四肢を動かすための教育が始まった。
まず、利き腕とされる予定で右腕が周辺機器として接続される。
この時は、まだ何の外装もなされておらず、遠い過去のSF映画の中のロボットさながら、あらゆる回路がむきだしになったままのものであった。
が、もちろんその頃の己には、それが当たり前という認識しかなかった。
触れることから始まって、物を手の上にのせる。
手の上にバランスよく乗せられるようになると、つかむこと。
これが中々のくせものであった。
もともと入力されていた膨大な物体の記録をもとに、目に映る物をどの程度の力で扱えばよいのかを学習する。
おおよそのデータはあるものの、物によっては巧く握れなくて、握りつぶしてしまう。元の形をとどめぬ無残な代物を、大量に発生させたものである。
巧く力の加減を覚えると、書くことへと移り、やがて左の腕がつけられる。
そうするとぐんと学習の幅は広がった。
両手揃ってからは料理や、簡単な機械の工作までも学習させてもらえた。
だが、料理中には、とても食べられた物ではない代物を作ってしまうことが多々あった。
それを、教師となった女性技師は、笑いながら平らげてくれた。
そうして腕の機能の把握がなされてから、己で動くための足の機能の学習が始まった。
最初は、右足。
各関節の動かし方を徹底的に学習させられた。
重心をとったり、バランスをとったりという大切な動きのために、人間と同じく五本つけられた指のような関節にいたるまでじっくりと学習した。
そして左足。
右足と同じことを学習するのだが、一度たどった道である。すんなりとその学習は終えることが出来た。
足の学習面での問題は、両足がそろった時に起こった。
両足の連動した動きを学習するために、教師役の女性技師の足にセンサーをとりつけて、同じ動きをトレースすることになったのだ。
問題はその動きをトレース出来ない己にあったのだが、その問題はこれまでと違って、その人に多大なる影響を与えた。
最初、両足を揃えた方向に立たせることさえ出来ずに、大変な思いをさせたのだ。
なぜなら、どの点が問題で動きをトレースできないか知るために、取り付けられていたセンサーは双方向に動きを伝えるものであったからだ。
立っている方向というものを理解できず、前方と後方に同時に動こうとして、右足と左足を別方向へと動かそうとし、センサーで直結されている彼女に、盛大な悲鳴を上げさせたことも一度や二度ではすまなかった。
それでもやがて歩くことを覚え、走ることを知り、複雑なステップさえも踏めるようになった。
四肢の満足な動きをトレースしてから、想定ボディがとりつけられ、四肢を連携する総合的な身体の動きの学習に入った。
この時も足の時と同じ学習方法がとられ……。己は、女性技師に二度と頭が上がらぬ程のことを飽きることなく行ってしまった。
それでも彼女は、豪快に笑いながら、己のやらかした失敗の後始末をしてくれた。
「人だって、こうやって育っていくんだから気にしなくていいのよ」
明るく言いきるその姿。
その姿から、学ぶことの大切さと、楽しさを教えられた。
知っていることと、知らないことを把握する必要を教えられた。
知らないことを恥じるのではなく、知らなければ知る努力をすることを教えられた。
それが、その時の己の全てだった。
何年も、何年もそうやって自分に、沢山の人間の動きをトレースさせて、学習させる。
根気のいるその作業を、我慢強く続けてもらえたからこそ、今の自分の動きがある。
やがて己は、今のこのボディへと、コンピューターの内部からCPUごと移された。
巨大なマスターコンピューターの一部を構成していた間には、自由に膨大な記録にアクセスできた。
が、このボディへと移された際に大幅な情報の取捨選択が行われた。
当時最高の補助記憶装置を使っても、動くための最低限の知識と、仕事をこなすために必要な知識しか持つことが出来なかった。
最小限の知識量による最大限の行動を学習するために、使いなれない視覚と同時の訓練が始まった。
固定位置から、移動可能になったための視覚の変化に、物体の認識力が低下した。
最初はひどくちぐはぐな判断を下してしまっていた。
誤った判断のために、動きも、見られたものではなくなった。
が、教えられるままに、学習したことを何度も繰り返していくに従って、かつての滑らかな動きを取り戻してゆく。
「うん。とても綺麗な動きよ」
巧く動かせると、いつでもおしみないほどに褒めてもらえた。
「ガイは、子供みたいよ」
それが、彼女の口癖だった。
その言葉の裏に、「ガイが、私の残せるたった一人の子供だ」と、いう思いがこめられていたことに気づいたのは、ごく最近になってからである。
そうして、己を試作品として、人間型のロボットが作られ始めたのである。
「人間型の試作品第1号? ガイが?」
信じられないというようにイーサムが口をはさむ。
「そうですよ。プロトタイプと言っても、量産型になってしまった後続のロボットに比べれば、私の方が性能は良かったはずですけれどね。コスト面でも、私の部品には当時では破格の物が使われましたから。もちろん今の私のボディには、現在の部品が使われていますけれどね」
各種装置の大幅な進歩により、昔は大きなハンディとなった補助記憶装置の容量も拡張することができるようになった。
そのおかげで、こうやって最初の『マスター』との思い出を始めとして、大量のデータを改めて内部に取り入れることができた。
こうしてイーサムに、昔のことを話すこともできるほどに。
「二人目の『マスター』は、その女性技師と別れ、いろいろな研究所を経てから、ほんのしばらく共に過ごした老年の『男性』です」
辺境星の、それもど田舎という小さな村で、その人間と一緒に短い時を過ごした。
特に何をするとか、何かの目的があるとかいうわけではなかった。
いろいろな話をしてもらった。
そしてただ、二人でいろいろなことを話した。
過去のこと、現在のこと、未来のこと。
自然のこと、科学のこと。
身近なものから、己のまるで知らない、たくさんのものについて……。
『人間』の歴史について話してもらううちに、獲得したデータを、『記憶』『思い出』として形作ることを覚えた。
とても静かな時間の過ごし方を、教えてもらった。
自然の中で過ごす『人間』の姿を知った。
その姿は、とても調和のとれたものだった。
都市に住む人間とは、まったく時の流れが違っていた。
『人間』と『ロボット』と『自然』と……。
まったく異なる物が、一枚の風景画のようにしっくりと馴染んでいた。
『時間』の使い方というものを、その『男性』から教えられた。
「三人目の『マスター』に出会ったのは、それからずいぶん後でした。ちょうど、新しいロボット使用規定の制定が叫びはじめられた頃です。
そう、もうSD暦が用いられてかなりたった時期でした。AD暦2526年、SD暦0239年です」
『人間』に奉仕するべくして生まれた『ロボット』たち。けれど、ロボットは『機械』とは違う。
当時、優秀な学習機能を持つロボットは、自己の判断により、与えられた作業を自由に裁量することさえできるほどに性能が高まっていた。
むろん、現在ほどの高性能は有さぬまでも、仕事を果たす最適の方法を学習していく力を持ち始めていた。
そう、自己学習により、よりよい方法を編み出していく能力を、既に得ていた。
しかし、それほど飛躍的にロボットの能力が向上していることを、人々は知らなかった。
なぜなら、惑星開発、宇宙航路整備など、大規模型開発に大量に使用されるロボットは、企業導入されることはあれど、個人的に所有されることはごく少なかったからである。
問題は、ロボットの需要が高まることにより優秀な量産型ロボットが、ローコストで作製できるようになったことにある。
企業が、自分の意志を持って動くことを知っているロボットを、コストダウンや危険率の低下のためだけに導入したのである。そのような作業にあてられたロボットたちは、己の価値を発揮する機会も与えられぬままに故障していくことが多分にしてあった。
ほんの少しの金額と、手間によって再生するハズのロボットたちまでが、己の真価を発揮する機会も与えられぬままに、所有権を放棄された。
そんな故障したロボットは、そのままに放置され、打ち捨てられていった。
当時、所有権が放棄されたロボットは、即刻解体処分されていたのだ。
その現状に、一部の人々が気づいた。
優秀な学習機能を持つロボットたちが、不当な酷使で無為に破壊されていくのを見かねた人々は、立ち上がった。
ロボットたちの置かれている状況を人々に知らせることから、それは始まった。
そして、次に、ロボットがどれほどの能力を持っているかを、アピールすること。
地道な努力は実り、多くの人々が真実の姿を知る。
そのまま大衆を巻き込んだ運動が、各地で、各惑星で、展開されていくことになる。
三代目のマスターは、そんな人々の先頭を切って走った人間であった。
己の意思を持てと、その人から教わった。
「お前は、それほどの知識を持ち、自分の意志を持って行動できる。そんなお前をただの機械あつかいなどさせるものか! お前は、自分の意思を持て! 自分で生きる目的を決めろ!! 人間に命令されるままに生きる必要は、今のお前にはない!!」
“己”の意思を持つことを教えられた。
そして、選んだ道は、その人について生きること。
以前とはうって変わった激しい生き方に、ふりまわされるようにして付いていかなければならなかったことを記憶している。
その人は、最後の最後に、己にロボット市民権を勝ち取っていってくれた。
「それが、SD暦0250年。新たなロボット使用規定の制定とともに、ロボット市民権が施行された年です。『ロボット』と呼称されるものが誕生して、約六○○年が過ぎていました。
以後、一定の基準を満たしたロボットは、自らの意志による職業選択の自由を持ちました。
完全なCPU破損、公共福祉法違反、刑事犯罪法違反以外による、解体処分への拒否権を与えられました。
もっとも、公共福祉法および刑事犯罪法違反は、ロボット工学三原則の基礎回路への組み込みが厳重に監視されているロボットの作製上、起こるわけがなかったはずなんですが……」
消え入るように小さくなって、過去形で途切れてしまった言葉。
そう、過去形なのだ。
すべては、三年前の、俗に言う、「デパート爆破事件」のためである。
事件の犯人とされたロボットは、準ロボット市民権の持ち主であったが、裁判どころではなく、逮捕と同時に解体処分とされた。
その犯行の動機については、解体後、綿密な解析は行われたが、確たる結論は得られなかった。
ロボットによる刑事犯罪法違反の最悪たる判例となってしまっていたのである。
「それから? 四代目のマスターって人はどんな人だったんだい?」
好奇心による明るさを装ったイーサムの声に、物思いは中断された。
イーサムは、己がそのことをどれほど嘆いているかを身近に知っている。
それで、あわてて先をうながしたのだ。
「サム……」
「ねえ、はやく続き!」
焦りの浮かぶ、ひきつった笑顔に、苦笑したくなる。
子供の、不器用な、でも必死の気づかい。
「……私が、誕生して三○○年より少し前頃からです。ロボットが、より人間らしい外見と、人を超える機能を持つようになり始めました。
『人間』が理想とするような姿をロボットたちが与えられ始めた頃に、一人の人間と出会いました。その人が、私の四人目のマスターとなりました。
その人が私に、このままの外見を保つ決心をさせるきっかけになりました」
己の真摯な声に、イーサムの口もとが、ムッとしたようにとがった。
「どうして? いかにも『ロボット』ですって外装は、ロボットでさえ嫌いなハズだろ?」
「……そうですね。でも、私はこのままでいいと思いました──」
その人は、己の姿を「綺麗だ」と、言ってくれた。
「その姿は、そんなにたくさんの人との思い出を刻んでいるんだね。ガイ、君はとても美しい姿をしているよ」
優しい優しい声で、そうその人は告げてくれた。
「僕は、ガイのその姿が大好きだ」
それからは折りにつけ、昔のことを聞いてくれるようになった。それはそれは幸せそうに、昔話に耳を傾けてくれた。
生まれつき病弱であったその人は、病院と自宅を行き来する生活を長い間続けていた。
初めて会ったのは、ボランティアで勤務していた大きな病院の一室。その人は、子供たちに囲まれて、短い絵本を読んでやっていた。
入って来た私に、子供たちが目を向けて手招きをする。子供たちによって、己はその人に紹介された。
「すみません。僕は、あなたの仕事を取り上げてしまったんですね?」
いつもは、己が子供たちに絵本を読んでやっているのだということを知って、その人はさんざんに謝罪してきた。
己は、あわてて自分は仕事として絵本を読んでやっているのではなく、その人と同じように子供たちにねだられて行っていたことを説明した。また、子供たちが喜ぶのであれば、そのようなことは誰が行ってもかまわないであろうことも。
己の言葉に、その人が、驚いたように目を見開いたのを覚えている。
「旧式の外見からは想像もつかないほど、高いコミュニケーション能力をもっているのですね」
会う都度そう言われ続け、会うたびに懇願された。
そうして請われるままに、その人付きの看護婦になるのに、そう時間はかからなかった。
その人とは、ずいぶんたくさんのことを話した。
さまざまな人の間で働いた己の、すべての出来事を知りたがった。
病弱ゆえに、外出のままならないその人は、いろいろな人の話を、そればそれは楽しそうに聞いていた。
そんな中で、その話題は自然と出てきた。
その時代の流れだったからだ。
己に新しいボディを作ってくれようとした人も存在したという話になったのだ。
「断った!?」
どうにも信じられないというようすのその人に、苦笑しながら経緯を話した。
「迷わなかったわけではありません。新しいボディを手に入れれば、今以上の機能を取り付けることができます。より人間に近い姿にもなれます。けれど、このボディは、最初のマスターの姿を模した物なんです」
「だからって……。古くさい、古くさいって、言われ続けたって言っていたじゃないか」
「そんな人ばかりでもなかったんです。この姿では、私に不利だから、と。ずいぶん気遣う人もいたんです」
「けれど、人間は外見に囚われやすいから」
「そう思います」
きっぱりとした己の返事に、その人の瞳が曇る。
「ごめんよ。僕もその一人だね。でも、実際、わかっていても、なかなか難しいものなんだよねぇ。外見だけで物事を判断してはダメだってことは、なかなかできないよ。それが、理想なんだけどなぁ」
ため息を吐く姿に、思わず笑いがこぼれる。
「なにがおかしいの?」
怒りもせずに、その人が訊いてくる。
「マスターは、私の姿が、とても綺麗だと言ってくれましたよね」
「だってガイ、君はとても綺麗じゃないか」
「どこが?」
「君が、昔のマスターたちのことを話す姿は、とても綺麗だよ」
心底不思議そうに答える姿には、一筋の偽りも混じっていない。
「私の、外見が好きですか?」
「もちろん大好きだよ。だって、君の姿はそのまま、辿ってきた歴史を刻んでる。最初に作られた時のままの姿で、たくさんの人に出会って、たくさんの素敵なことを体験してきたって言ったのは、君自身だ」
「そう言えるマスターに、私が別の姿になることを断ったことが信じられませんか?」
「ああ……そうか。君は、最初のマスターをとても愛しているんだね」
少しずれた答えに、くすくす、笑い続けた。
「ねぇ、なにがそんなにおかしいんだい?」
「マスターが、そう言ってくれて嬉しいんです」
一般に、古くさいと評される外見。
それにもかかわらず、その人は、「綺麗だ」と、言う。そして、「好きだ」と、言い切ってしまう。
そう言える自分が、すでに外見だけで判断していないということに、気付いていない。
「人と一緒に過ごしていくことで、君はとても綺麗になっていったんだね」
そう、いつも話の終わりに、微笑みながら、その人は告げてくれた。
「人は、外見だけにとらわれていてはいけない。それが理想ではあるけれど、その理想を実現するのはとても難しい」
寂しそうに、自分はまだまだその理想に届かないと言っていた。
けれど、そう語るその人が、己の旧式然とした外見に囚われていないことを、そのままに体現していた。
自分のことには気付ないものだ、と思ったものである。
この身体に愛着があり、中々捨てられなかった。
己は、この姿でたくさんの人たちに接してきた。
そのことを思う時、どうしても新しい身体になることをためらってきた。
この姿で良かったと、この姿を捨てなくて良かったと、心からそう思えた。
過去に縛られて、己の姿を捨てきれなかった。
でも、今は違う。
これから先も。
「確かに、この外見では、不利な点が多々あります。軽作業用の機能しか持たないと判断されて、ひどい作業につかされかかったことも、一度や二度ではありませんでした」
真摯に耳を傾けるイーサムの瞳を見つめる。
「私は、そのマスターの理想を受け継ぐなどという、思い上がったことをしたいのではありません。けれど……。その人が綺麗だ、と。大好きだ、と。そう言ってくれたこの姿を、とても誇りに思いました。だから、私はこの姿のままで生きていこうと決心したんです」
何の気負いもなく、そう言い切れる己にも、今では誇りが持てる。
昔、自覚もせずに抱え込んでいたコンプレックスが、すっかり解消されているからだ。
限られた能力しか持たない己だが、持つ能力で出来る限りのことをすればいいのだ。
「……五人目のマスターについては多くを語ることはしないでおきましょう」
そう言った己の声が、自然と小さくなってしまう。
「その人のおかげで、私は『人間』を愛しいと思う気持ちを学びました。子供と接する喜びを知りました。自分の腕の中で、一つの命が成長してゆく、不思議で、奇跡のような時の流れを実感することができたんです」
その言葉で、イーサムは気づいたようである。
語ろうとしているのが、イーサムをかばって亡くなった、己のすぐ前のマスターのことだということに。
「時の流れと言うものを、ロボットであるがゆえに、特に認識したことはありませんでした。『時』は流れるもので、『人間』は移り変わっていくものだと知ってはいました。でも、それが一体何を意味するのか、私は五〇〇年の時を生きても、理解してはいなかったのです。『人間』が、私の前を通り過ぎることが何を意味しているのか、考えたこともなかった。
私は、その人と一緒に成長しました。そして、初めて『時』の流れというものが、何を生み出しているのかを、……ハッキリと知ることになったのです」
のぞきこんだイーサムの瞳の中に、己の姿が映り込んでいる。
そらされることもなく、まっすぐに見つめてくるブラウンの瞳。
「小さかった命が、ゆっくりと成長を遂げていくさまは、一番『時』の流れを実感させてくれます」
まだ幼い、イーサムに触れる。
金の髪した頭を、ゆっくりと撫でてやる。
「私は、イーサムが大好きですよ」
その言葉に、大きくイーサムのブラウンの瞳が開かれる。
「ガイ……」
力のないイーサムの声。
「嘘など、ロボットの私にはつけませんよ」
そう言われても、まだ信じられないようだ。
仕方ないかもしれない。
今の己は、人と同じか、それ以上に細やかな“感情”を持っている。
たくさんの人々に巡り会えたからだ。
そんな己を、今一番身近に知っているのは、イーサムだ。
きっと、己が嘘をついているのではないかと、疑っているだろう。
「私の言葉が信じられませんか?」
その問いは、少し意地悪だったかもしれない。
イーサムが、肯定できるはずがない。肯定すれば、己が悲しむことを知っているから。
そしてそれ以上に、イーサムは望んでいるはずだ。
己の言葉が、真実であることを。
なぜなら、哀しいほどに愛情に飢えている子供だから……。
「……ガイ。でも俺は──」
言葉は続かなかった。
己から、大切なマスターを奪ったのは、自分なのだ。と、いつもの先読みで考えてしまっているのだろう。
「サムを見ていると、私は『可能性』というものを信じられるんです」
おやつの時間の終わりを告げるように、イーサムの前に二本の杖を差し出す。
「最初は、自分の力で起き上がることさえ出来なかったあなたが、ここまで回復したんですよ」
そのことは、まるで己のことのように誇らしい事実である。
「『人間』の持つ可能性の素晴らしさに、私は『希望』を持てるんです」
まっすぐに見つめると、イーサムの瞳が、魅せられたように合わされた。
「人間の持つ『那由他』の可能性は、私に『夢』を見せてくれます」
平板な声しか出しえないはずの己の声に、確かに熱く燃える思いがこもっていた。
「『夢』?」
その思いに気づいたイーサムが、すぐに問い返してくる。
「そう、『夢』です」
けれど、かわしてしまう。
「ガイ?」
リハビリルームへと歩きだした己の後を、イーサムが慌てて追ってくる。
「ガイ、待ってよ!」
必死にくらいついてくるイーサムをはぐらかしながら、笑う。
今は、言えない。
今のままのイーサムには、まだ教えるわけにはいかない。