第8話
強くなった。強くなったはずだった。
ノヅチがこちらを見て恐怖したことからも、強くなったことは間違いないはずだ。
だから今、達成感とか優越感とか、そんなものを感じていたはずだ。
目の前で、二匹が互いを喰らい合っている。
同族同士、その赤黒い口を広げ互いに尾を喰らい合っている。
酷く緩慢に。
……変化は唐突。
二匹は交わるように、一体の龍と成した。
現れた黒い体より更に暗黒い瞳が、刺すように、それでいて慈しむように俺を貫く。
……俺はこの生物を知っている。妹と勉強していた時に見た『伝説の魔獣大全』。その4ページ目。
始まりと終わりを司ると云われる伝説の龍。
ウーロボロス。
一夜にして大陸を一つ沈めたという言い伝えにのみ名を残す母なる龍の子。
腕も脚も翼もない。鰐のような口と鋭い瞳をもった、ノヅチを何倍も大きくしただけのような姿。それなのに、醜悪と言っても過言ではないかつての面影はない。
そんな、伝承にしか残らないような存在が、空を漂うようにしてこちらを見ている。
世界は音を無くし、自らの呼吸と胸の鼓動、果ては血の流れる音すら聞こえそうだ。
恐怖が体を包む。勝てない。それほどまでに絶対的な差を感じる。
声が出ない。息ができない。体が動かない。今まで出会ったことのない圧倒的な存在に、体がその機能を失っている。
ここで死ぬのか? 元から無理だったのか? 復讐なんて、強くなるなんて……生きるなんて……っ!!
それなら、なぜあの時死なせてくれなかった!!
そんなの……っ!!
「いつまで呆けているつもりだ?」
「……え!?」
「いつまで呆けているつもりかと聞いているんだ!!」
困惑する。……喋った? 龍が?
思わず謝罪を口にする。
「え、いや、その、すみません」
「全く! それにいつまでここにおるつもりだ!! 毎日毎日飽きもせず同じことの繰り返し。見ているこちらの身にもなれというものだ!!」
大層ご立腹なご様子である。
何を言っているか分からないし、何と言っていいか分からない。
「左腕を怪我したり、いきなり奇声を発して転げ回ったり初めはまだ面白みがあった。しかし、楽に倒せるようになってからはトンとつまらん! 楽に倒せるようになったのならさっさと奥に進まんか!!」
「す、すみません」
「そもそもだな! …………!!」
こちらのことは構わず、龍の口撃は終わらない。
「あ、あの!」
「であってだな! ……む? なんだ?」
「す、すみません。あの、その、見て……らしたのですか?」
「うむ。ここに住んでからしばらく。ロクな娯楽がなくてな」
娯楽って。
いや、それよりも……
「はぁ。そう……なのですか。えっと、どうしてあなたのような方がお……私の前に姿を現したのですか?」
そう。気になるのはそこだ。ウーロボロスが最後に確認されたとされるのは何千年も昔の話だ。実在しないとまで言われる龍が、何故、今目の前に現れて、しかも自分に話しかけているのか。
「うむ。さきほども言ったであろう? ここには娯楽が少ない。だからこそ貴様を見ていたわけだが同じことばかりでつまらんのだ。心地よい殺意に目を向けたは良い。それが強くなろうとしておるのも理解できる。しかしな、それがいつまでも入口でだらだらと戦っておるのを見るのはなんとも退屈なものよ。いくらこの洞窟において、倒せば倒すだけ強くなるとしてもな。もっと色々な奴との戦いが見たいわけよ」
龍は続けて話す。
「ノヅチ、と貴様が名付けた魔物。確かにコイツは龍種に分類されるにしては弱い。その上得られるものも多い。うむ。こいつばかりに目が行くのも分からんでもない。しかし、しかしだな。この奥にはコイツより強いがコイツより遥かに糧になる魔物が大勢いるのだ。
見てみると、そろそろ得られる糧も少ない。もっと強くなりたいのなら、ここいらで先に進むべきではないか? そう言いに来たのだ」
内容に、一瞬で頭が白く染まる。考えるよりも先に言葉が出る。
「強くなる……強くなれるのですか!? 魔物を倒せば、倒すだけ……強く!!」
「む? 知っててここに来たのではないのか? うむ。この洞窟ではな、倒した魔物を糧に強くなることが出来るのよ。そして倒す相手が強くなればなるほど、その恩恵も大きい。まあ、我は詳しいことは分からんがな。詳しく知りたいのならば、奥に来るがよい」
「奥に……?」
「うむ。ここが第一層だからな。ここから……五つ下りたところ。そこに我らの住処がある。興味があり、生きて辿りつけたのなら、詳しく教えてもらえるだろう。貴様は人間にしてはよい殺意に溢れておる。招待しようぞ」
そう言い残して、龍……ウーロボロスは溶けるように消えた。
膝を突く。話している途中でいつの間にか恐怖心は消えていたが、それでも身を焦がすような圧迫感は続いていた。会話するだけで、とんでもなく体力を消耗していた。
しかし得たものは多い。
戦って勝てば勝つほど強くなれるということ。
経験を積むつもりで戦ってきた。その中に感じた疑問。これを知ることが出来たのは大きい。なぜならそれは等しく、希望だから。