5 心の音
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結菜に連れられてやって来た武器庫は、そう呼ぶには広すぎるほどの面積を保有していた。
前に行った修練場以下、仕事場以上といった空きスペースが武器や装備を保管してある棚などとは別に存在する。
一見無駄に見えるスペースも、もしかしたら非常時に避難場所として用いられるのかもしれないな。
そんな武器庫から結菜はいくつか装備品を取り出し、僕の腰に巻き付けたり防弾ジャケットを投げつけたりして着々と準備が進められていった。
無論その間も一言も会話と呼べるものは存在しなかった。
装備が整った後、僕の全身を結菜が眺め正面に立った彼女は半歩後ろに下がった。そして……。
「ガァッ」
不意に彼女から繰り出された回し蹴りが腕から胸にかけて突き刺さる。燈香はとっさのことで受け身もとれずに広い武器庫を転がった。
何が起きたんだ。彼女の機嫌が悪かったのはわかる。けれども蹴られるほどのことではないはずだ。それにこの威力。明らかに本気で蹴ってきた。
口から息を激しく吐き出し、悶々とした彼女への疑心と共に起き上がる。
「何でっ……!」
問いただす間も無く、次々と拳が飛ぶ。それを僕は以前趣味で調べた十字受けでなんとかいなす。しかし、付け焼きの刃で敵うわけもなく膝蹴りのフェイントから間合いを詰められ、交差する腕の内側に拳を通し顎にぶつける。
突き抜けるような衝撃は、顎から頭までを麻痺させる。脳は激しく揺さぶられ、吐き気さえも催す。
さらに一瞬にして視界は反転し、また地面に打ち付けられる。そこに、結菜は追撃をし、覆い被さるように右膝でみぞおちを左手で首もとを抑え右こぶしを眼前に突きつけた。
「あんたは弱い。私よりもずっとずっと」
長い睫毛の下から覗く瞳に見下ろされ、為すすべもなく横たわる自分にそう言い放った。
その言葉は当初思い描いていた彼女の感情とは異なり他者にぶつけるような単純な感情ではなく自分の中で何度も反芻されたような重みを感じた。
普段なら卑下された自分の価値について適当に返答をするのだが何故か開きかけた口は開かず、抵抗するための手足は力無く垂れている。
「私だって強くは無い。単純な力なら天岩戸の中で言えば最弱だろうし、内面に関して言っても強いとは口が裂けても言えない」
「……」
「それでも私はあんたより強い。あの時、パズルのとき弱いあんたが弱い自分を殺した。目の前にあんたよりも強い二人が居たのにっ。私は…私はそれが許せない。何で私たちを頼ってくれなかったの?死なないですむ選択肢はいくらでもあった。葛籠君が策を必死に考えていた。陽だって考えるより前に体が動き出していた。時間を稼げれば京香が伊万里さんが駆けつけてくれてた。私だって、私だって……どんな手を使っても助け出していた。それなのに何で?何で頼ってくれなかったの!?」
彼女の想いが流れ出す。それはいくつもの彼女の後悔であり悲しみであった。現に彼女は先ほどまでの凛とした表情を歪め目を潤ませている。
「ごめん」
それは彼女に伝わらないあまりにも簡素な謝罪だった。もっと複雑に弁明するようにあるいは誠意を感じさせる回答をすべきだったのだが燈香はあえてその一言を伝えた。案の定そんな謝罪を受け入れるわけもない。
「私は謝れって言ってるんじゃない!」
「僕にはっ!」
彼女の叫びに僕の言葉が重なった。本来は伝えるつもりのなかった物。今まで溜め込まれてきた感情が彼女の強い想いに触発されて吐き出される。
「僕には天寿がなかった……」
その一言が熱されたこの空間にひどく冷たく響き渡った。頭に血が上った結菜にも意味ははっきりと分かったはずだ。
寿命だと。
「そのせいで僕は、親からも捨てられ誰にも必要とされないまま生きてきた。だからあの時パズルに……佐藤に一泡吹かせて自分の名を存在を残そうと必死だったんだ。でも叶うことのない……手に届かない願望だったよ。僕には時間も実力も無かったから。そして僕は選択を迫られた。それは初めて自らの手で選択できるものだと思ったんだ。自分か他人か、今まで僕を苦しめてきた忌々しい緑色の数字か。そのどれかに殺される選択肢しかなかった。だから僕は何にも誰にも奪わせないために自分でナイフを引いたんだ」
「そんなことを聞きたいんじゃない!」
「だからごめん」
不意の告白に取り乱す結菜に畳み掛ける。燈香は不思議とこの人には分かっていて欲しかった。
何でだろう。前にもこんな表情をされていた気がするけれど思い出せない。ただその時も、今の結菜も、目の前にいる人は僕を本気で心配してくれていた。
「……そんなこと分からないじゃない!言ってもらって初めて分かる。分かった上でも私は目の前で死なれるなんて耐えられない」
「でも僕は生き返った。ちゃんと人間として芹生燈香として。だから分かる。結菜さんの気持ちも、僕の愚かさも。どれだけ言っても足りないと思う。でもごめん。僕はもう逃げない、死なない。だから泣かないで」
彼女は頭を僕の胸に押し付け激しく嗚咽している。この子は本当に優しい子なんだ。そんな子を泣かせるなんて自分は何て不甲斐ないのか。
そんな強がりや自分への積怨で蓋をして、自分の本心を隠していることは何となく気づいた。
そうして、数分彼女の柔らかな髪を優しく撫でながらお互いに心を落ち着かせながら心身ともに準備を終えたのだった。