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◆6-39:ケネス アトラス号艦橋

「良かった。みんな無事みたいだな」


 アトラス号の艦橋では塞ぎ込んだメランに代わり、ケネスがホッと溜息をついて感想を漏らしていた。

 無論、ただの独り言ではなく、メランに聞かせて反応を引き出すための呟きである。

 だが、これまでに話し掛けたときと同じく今回も、この気難しいお姫様から捗々《はかばか》しい反応を引き出すことはできなかった。

 右足の応急処置はとっくに終わり、引き摺って歩けば動ける程度には回復しているはずだが、メランは未だ膝を抱え込んで伏せったままだった。

 もともと押しが強いとはいえないケネスはこんな場合の手管に乏しい。

 メランが自分から離れずに居てくれることにとりあえず満足し、これまでずっと傍に寄り添い、ホロ画面の向こうで繰り広げられる会話劇に耳を傾けていたのだった。


 ただ、増殖し続けるホロ画面が十を超えたあたりから個々の発言はろくに聞き取れず、喧噪という一まとまりの雑音になり果てている。

 ケネスは手の届く距離にあった医療機械メディケーションマシンの親機を引き寄せ、消音か画面選択のようなことができないかと試みる。

 あちこちを触り、苦心の末、どうにかコントロールパネルを呼び出すことに成功したものの、その先の操作でさらにつまずいた。

 流石に医療用端末なだけあって、出てくるのは小難しい医療関係の用語が並んだコンフィグばかりなのである。


「〈オラクル〉、外部音声ミュート」


 メランのひと声で、周囲に満ちていた騒々しい声たちがスッとやんだ。


「あと、こっちから外への映像と音声は全部遮断。デバ亀どもを締め出せ」


 次の命令はケネスには特別変化は感じられなかったものの、おそらくそのとおりに実行されたのだろう。

 ケネスがコントロールパネルを閉じて顔を上げると、額に赤い痕を作ったメランと目が合った。

 目元も少し、泣き腫らしたように赤くなっている。


「〈オラクル〉が生きてさえいれば大抵のことは音声入力で済むんだよ」

「あ、ああ。そうか……」


 急速に静寂が意識されるようになる空間。

 沈黙がメランの固い唇をこじ開ける。


「良かったんだよな……。みんな無事だったんだし……」


 ケネスにではなく、自分に言い聞かせているようにも聞こえる覇気のない声。

 ケネスは一瞬迷ったものの、結局思い切って合いの手を入れることにした。


「あ、ああ、そうだ。これ以上ない結末だ」


 音声入力で、今度は弱り切った彼女が必要とする言葉を懸命に探す。


「君が世界を救ったんだ」

「…………」


「えっと……、こんな陳腐な言い方しかできないが、その事実は誇っていいことだと思う」

「……俺だけじゃない。二人の物語だって。お前、ちゃんとあいつらの話聞いてたか?」


「あ、ああ。……そうだな」


 途中から心神喪失状態に陥ったように見えたメランのことを心配していたのだが、塞ぎ込んでいる間も意識ははっきりしていたようだと安心する。

 いや、どちらかと言えば安心よりも動揺の方が勝った。

 膝の上で頭を横に寝かせ、こちらを覗き込んでくるメランの赤い瞳に。

 彼女が口にした〈二人の物語〉という言葉に。

 あれだけ大っぴらにされた後では否が応でもそのことを意識せざるを得ない。

 二人の関係は、もはや誤魔化しや駆け引きの余地なく、至近距離クロスレンジで殴り合う局面を迎えているのである。


「そのぅ……、祝福されているという考えは、そんなに悪いものじゃないと思うんだ」


 自分の答えが何処に向かうのかもよく理解しないまま、ケネスは見切り発車で話し始める。


「一部始終を見られてて、まあ多少、気まずいかも知れないけど……」


 どうやらそれが、メランにとってのクリティカルなワードであるらしかった。


「気まずいよぉ……」


 メランが自分の腕で作った輪っかの中に頭をうずめ、へにゃりとうな垂れる。ケネスが何の気なしに発した繋ぎの言葉に、そりゃそうだよという全力の肯定を返す。

 気が付くとケネスはメランの上に覆い被さっていた。

 仰向けに倒れたメランの両肩の上に肘を突き、ケネスがそれを間近で見下ろす構図。


「あれ? ──ちょっと。これ、どういう状況だ?」


 問いかけるメランの声は状況にそぐわない妙に間の抜けたものだった。

 あまりに突然の展開に思考が追い付いていない。自分がケネスに押し倒されたのだということもよく理解できていないようだった。


「もしかして俺のせい、だったり? またユフィが何かしたか?」

「い、いや、俺にもよく……。気が付いたらこうなってて……」


「ふ、ふーん?」


 メランは疑わしげに相槌を打つが、今のこの体勢を自分でどうにかしようとする気はないようだった。

 真っ直ぐケネスを見上げる瞳が戸惑いがちに揺れる。


「それで……? これから、どうする?」 

「そ、そうだな。慌てて逃げる必要もなくなったようだし……」


「だし?」

「その……、っそうだ。二人で自然交雑を試してみる、というのはどうだろうか?」


「……二人で……なにを試すって言った? シゼン、コウザツ……?」


 メランが問い返したのはカマトトぶったボケでも突発性難聴を発症したからでも何でもない。純粋に、言葉の意味が分からなかったからだ。

 そうなるのも無理はないだろう。ケネスが彼のボキャブラリーから選択したのは、連盟社会の日常会話ではあまり一般的とは言えない用語であったし、そんな話題が切り出されるとは思えない至極生真面目で、堅苦しい、淡々とした口調だったからである。


 だが、ケネスが平静を装えていたのはここまでだった。

 彼が組み伏せるメランからの無垢な問い返しに、隠し持っていた後ろめたさが露わとなる。


「あ、いや、別にやましい気持ちからではなく、銀連の文化的背景を踏まえたアイデアというか。その……、それが融和の象徴になるんじゃないかと考えたからなんだ。俺が読んだ資料だと、遺伝子操作された探査船団員同士の場合でも、異星系種族間の交雑は生化学的な介助なしに成功する事例はほとんどないということだったし。つまり……」


 早口でくし立てるケネスの言葉とその狼狽ぶりを観察するにつれ、流石にメランも彼が何を提案しているのかについて察しがつく。

 驚き、顔を赤らめ、言葉の出ない口を何度も開け閉めし、ケネスと興奮を同期させていった。


「つまりっ、かなり奇跡的なことだというのは分かるだろう? 物語の流れ的にもそのぅ……。だから今……、えっと……」

「ちょっと待て──。待て。ま、まーまー、待てって。まさかとは思うが、まさかお前、ここで致そうって言ってんのか!?」


 メランは一瞬だけ頭を横に傾け、遠くで白い繭状になっている塊の一つをチラリと見やる。


「い、今、ここで!?」

「ああ今っ」


 ケネスの眼は飢えた獣の如く血走り、今にも決壊しそうな何かを必死で押し留めているように見えた。

 指を絡め合った両手の平に感じる湿り気と体温。

 メランが一声、ヨシと号令を掛ければどうなることか。

 戸惑いと恐怖。そしてほのかな優越感。

 痺れるような感覚が全身を浸す。


「せめて……照明をだなぁ……っ」


 メランが弱々しい声で譲歩の意思を示した瞬間、その口をケネスが塞いだ。

 どうやら交渉の余地はないということらしい。

 それに、メランは完全に間合いを見誤っていたようだ。

 戦線は今、こじ開けられた唇の内側にあり、メランはそこでも劣勢を強いられる。

 一瞬の隙を突いてケネスがメランの手を振りほどく。

 解き放たれた両手はメランの乳房を鷲掴みにして荒々しく揉みしだいた。


「っはぁ……はっ、んはっ……」


 呼吸を許された口が空気を求め大きくあえぐ。

 想像もしていなかったケネスの貪欲さ。

 メランの視界を覆い尽くすようにケネスの銀髪が揺れる。

 メランは自分以上に呼吸を荒くするそれを愛おしく抱き締める。

 ケネスの手がメランの横腹を伝い、臀部をまさぐり、チャイナドレスのスリットから分け入ってくるのが感じられた──。


 そこに突然のブザー。

 夢見心地だった頭を叩き起こす、暴力的で無粋な警笛が艦橋ルーム全体にビィーと鳴り響いた。

 無粋はそれだけに飽き足らず、密着して重なり合う二人の周囲にはパトランプ状の赤い灯火を模したホログラムがポップし、二人の世界をこれでもかと蹂躙する。


『連盟公共通信法倫理規範カラノ逸脱ガ認メラレマス。配信ヲ継続サレル場合ハ速ヤカニ視聴許諾ユーザーノ下限年齢ヲ更新シテクダサイ』


 メランがケネスの身体を押し退けガバリと上体を起こす。


「何のことだ配信て!? 通信はさっき遮断しただろ?」


 メランは天井を見上げ、〈オラクル〉に向かって抗議したのだが、それに対する回答は予想外の方向からもたらされた。


「ざまぁねえな。おおかた故障か誤動作だろうぜ」


 小馬鹿にしたような笑い声を前後に挟み、巨大な〈とりもち〉の中からくぐもった声が響く。二人を襲った刺客のうちの一人──メランが相手をした、比較的軽傷だと思われる方の男──仮称ベータであった。


「故障……?」

「知らねーのか。強力な〈F3〉環境では精密機器の故障なんて日常茶飯事なんだぜ」


「それは……」


 知っている。知っていたはずだったが、メランやケネスの頭からは完全にその可能性に関する警戒心が抜け落ちていた。


「とっととデバイスの出力をオフっとくべきだったのさ。まあ、俺たちとしちゃ助かったがな。身動きできなくされた中で、とんでもねぇ拷問が始まったもんだと絶望してたところだ」


 よく考えるとちゃっかり翻訳までして聞き耳を立てておきながらよく言えたものだが、メランとしては冷静にそんな突っ込みをしていられる状況ではなかった。


「じゃあなにか? 今のも全部……ずっと覗き見されてたって……こと?」


 視線を彷徨わせると、無音でポップし続けている画面の中から、ミリィやイザベル、それに見知らぬ誰かも含めたその他大勢がこちらを見つめ返していることに気付く。

 さっきまでてんでバラバラに言い争っていたはずなのに、今は皆、示し合わせたように生暖かな表情で揃え、メランの抱いた想像を無言で肯定していた。


「フグォ、う、ウッソだろぉっ……!」


 メランは顔を両手で覆い、床に転がって悶絶する。

 まだしも……、そう、まだしもミュートにさえなっていなければ、もっと前に誰かが警告を発して止めてくれたはずなのに。

 あるいは、命令が正常に実行されていないと分かっていればあそこまで油断することはなかったはずなのに。

 悪意すら感じさせる〈オラクル〉の反乱に、その奇跡的な間の悪さに、メランはこのとき初めて〈F3〉が持つ恐るべき力の一端を実感したのだった。


 ケネスはそんなメランを膝立ちのままで見下ろしている。

 その表情は、お預けをされたまま餌を取り上げられた犬のようにしょぼくれて見えた。

 青いドレスのスリットから見え隠れする白い脚を未練がましく見つめ、やがて断腸の思いで視線を切る。


 あの男の言うとおり、〈F3回路〉の出力を切っておかなかったのは自分の失策だったのだろうと反省し、デバイスをしまった腰のポケットに手を伸ばす。

 その手を、下方から伸びてきたメランの手が掴んだ。

 メランは無意味にゴロゴロ転がるのをやめ、何かを決意した顔でケネスを見上げている。


「手伝ってくれ。俺をあそこの、コンソールがある席まで」

「……何をするつもりだ?」


 勢いに押されケネスは一も二もなくメランの腕を取っていた。

 肩を貸し、メランを言われた場所まで連れて行く。


「マニュアル操作で、この艇を亜光速航行に移行させるんだ」

「あ、ああ、そうか」


 量子結節通信の技術的限界によって、光速に近い速度で移動する天体同士はリアルタイムの接続が不能となる。

 たとえハッキングを受けていたとしても、限界速度にさえ達してしまえば、艦内はある意味で最もセキュアな状態に保たれるはずだった。


 二人は進路に立ちはだかるイザベルやサラウエーダのワイプ──外部音声は依然ミュートのままで、彼女らが何を喚き散らしているのかは分からない──を払い除けながら進み、オペレーター用の座席の一つにたどり着く。


 〈恋は盲目〉とはよくったものである。

 普段どおりの彼らであれば、ひとまず〈F3回路〉の出力を切るなり絞るなりといった程度のことには頭が回っただろうが、このときは互いに同調し昂揚させた気分ワルノリが、その当たり前の注意力を阻害した。


 燃え盛る炎を象った輪郭を輝かせ、アトラス号が急激に速度を上げる。

 あまねく銀河を駆け巡るミリィ・クアットの高機動ツアーバスは、その気になれば僅か数分で最高速度に到達することが可能であった。


 まるでハネムーンの計画を練る新婚夫婦のような甘ったるい言い争いを聞きながら、ベータが白い繭の中でヤレヤレと独りちる。

 アトラス号が順調に加速し、そのシークエンスが最早取り返しが付かないフェイズを過ぎたところで、そのベータの脳裏にある懸念がぎった。

 それは、〈F3〉がかつてないレベルにまで高まったこの空間で、これほど高度な機械演算と物理的負荷を高め、果たして〈何事もなく〉済むことなどあり得るのか、という至極真っ当な懸念であった。


 リューベックの一室では、急速に遠ざかるアトラス号の映像を見送りながらミリィが拳を握り、兄の最高にパンクな船出に対し喝采を上げる。

 その後ろではシトロフロロが大慌てで部下に何かを命じている。

 コガネイが何か言い、それを受けてヴェエッチャが顎を摘まんで首をひねる。

 M力場の分布を示す観測画面をイザベル、ネムリ、アキラの三人が額を寄せて覗き込む。

 この宇宙に住まう、星の数ほどのヒューマノイドが彼らの船出を見守っていた。

 だがおそらく、これから起こるのはその中の誰もが思いも掛けない出来事に違いない。


 間もなく技術的限界に到達。

 果たしてその後、彼らの因果がどのように渦巻いたのか。

 物語の結末は未だ観測されていない。


〈おわり〉

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