22 デート
「……ぅぁ……香香、も、無理……」
「まだ、ダメよ。頑張って」
人が苦痛に顔を歪めている様を眺めるのって、どうしてこんなに気持ちがいいのだろう。しかもそれを自分の裁量で操作できるとなれば、この胸の高鳴りは止まることを知らず、ますます強くなっていく。
「うえ~~、ほ、ほんと、無理、無理無理無理、あ、あぁ~、ぅぉぉ」
「気持ち悪い声出すな。……三、二、一、はい終了!」
私の合図と共に、晃栄は壁に背を付けたまま、ずるずると座り込んだ。そのまま膝を抱えて、息を弾ませながら何やら呻いている。
「なんで、こんなこと……しなきゃいけないんだよ……お、俺は王太子だぞ……はぁ、はぁ……」
「空気椅子ぐらいで情けないわね、それでも王太子なの?」
先日の約束通り、彼は夜ではなく昼に登龍殿を訪ねてくるようになった。ここでの過ごし方として私が提案したのは、体力づくりだ。
一回だけ偶発的に(?)一緒に寝た際、実はすごく気になっていたことがあった。十五という年齢を考慮しても、背も低く肩幅も狭い。腕も胸も細っこく、私の腕の中に収まってしまう程だった。
念の為、持病などはないことは黎太監に確認済だ。二度の失神が気になってはいたが、あれも今まで起きたことはなく、精神的なものだろう、ということだった。
これまで女性とまともに話したこともなければ、怒鳴られたこともない。彼にとって未知の状況が重なり、事前の緊張とも相まって、衝撃が強すぎたのだろう、と黎氏は分析していた。
「この後は、腕立て伏せ。それで少し休んだら走り込みに行きましょう」
「……お前、なんで、そんな体力、あるんだよ……ただの公主、だったんだろ。東龍国では、公主も鍛錬するのか」
息も絶え絶えに、晃栄が疑問を呈する。私も指示するだけではなく、一緒に鍛錬を行なっていた。筋力も持久力も反射神経も、今のところ全て私の勝ちだ。
「そ、それは……」
私は公主ではなく、公主の付人だった。
彼女と共に、たった二人でこの国へ入ってきた。すなわち、ただの小間使いではなく、護衛の役割も兼ねている存在だった。幼い頃から公主様の付人として、そうした訓練を受けて来た私は、ある程度は動けるくらいには鍛えていた。
彼にはこのことは伝えていないから、台詞の通りの疑問を抱くのも当然と言えば当然だった。
「貴方こそ逆に、王太子なのに剣術とか体術とか身につけなくていいの? いつも護衛がいるとは限らないのよ?」
自分のことを誤魔化すために、あえて質問に質問で返してみた。王位を継ぐ予定の者であれば、勉学だけではなく、武術などもそこそこは嗜むものだろうというのは、私の思い込みだったのだろうか。
「……父上が、それよりも……勉学を優先しろって……我が国は、武力によるものじゃなく、商業で発展してるんだから、知識や計算、交渉力や……心理学を、学べって……」
「……ほら、もっと腕曲げて、顎を地面につけて!」
「ぅぐぇ」
晃栄はべちゃっと地面に潰れ、その姿勢のまま動かなくなった。ツンツンつついてみても、ピクリともしない。
「ふぅ、ちょっと休憩しよっか。飲み物でも頼んでくるね」
私は侍女にそれらをお願いしてから、潰れて伸びている彼の隣に腰掛けた。勉強も当然大事だけれど、だからといって体力をこんなにも疎かにしていいものだろうか? 体力がなければ、政務を続けることだって難しくなるかもしれないのに。あの王様、一体何を考えてそんなことにしたのだろう。
「……一応、こっそり……黎が、力を使わない護身術みたいなの……教えてくれた……けど」
(……こっそり?)
「青妃、お茶と果物をお持ちしました」
一人の侍女がお盆を持ってこちらにやってくると、晃栄は潰れていた姿勢からがばっと跳ね起きた。目を輝かせてその到着を待つ姿は、まるで犬のようだ。
「あら、そういえば、今日は菖蒲は?」
いつもなら菖蒲がこうした役目を引き受けることが多いのに、と思いながら、私はお盆を受け取りがてら訊いてみた。
「彼女は今、用事ができたそうで官舎へ出掛けています。青妃も殿下といらっしゃったのでお声がけするのも悪いと言って、出て行きました」
「そうなの、ありがとう」
菖蒲は私がいる時にはほとんど登龍殿を離れることはなかったから、珍しく感じた。だが、円滑に仕事を行うには外部とのやりとりも必要になるのだろう。外をいろいろ動き回っていた朱琳がいなくなった今、それらの仕事も彼女が担ってくれているのだと思うと、有り難さとともに申し訳なくも感じた。
晃栄はといえば、受け取った果物を一瞬で平らげ、お茶をガブガブと飲み干した。
「……ぷはぁ。生き返るぅ……」
「ふふ、頑張ったもんね」
私がそう言うと、晃栄は一瞬詰まったあと、ぷいっと顔を横に向けて視線を逸らした。あらかた、「お前がしごいたくせに何を言ってるんだ」とでも思っているに違いない。
「よし、そろそろ走りに行きましょうか」
私が立ち上がると、彼もしぶしぶ重い腰を上げた。文句を言いつつもなんだかんだついてくるあたり、素直で真面目な人なのだろう。おそらく、自分が抜かされる日も近いと感じていた。




