21 パンダ
「と、ともだち……トモダチ……。青妃、お、お、お、お前、名は何と言うんだ?」
相変わらずどもっているが、少し喰い気味に王太子が問いかけてきた。友達、というのが嬉しかったのだろうか。
「名前は、香……」
そこまで言いかけて、私は言葉を止めた。
東龍国の公主であり、ここへ嫁いでいた彼女の名は、『青香月』。入れ替わりによって自分の元の名は奪われてしまったわけだが、ここで彼女と全く同じ名を名乗る必要があろうか。誰も、ここでは香月の名は呼んでいない。書簡等の文書でも所在や役職、姓を記載しているだけだから、その名は残っていないはずだ。
それに、月はあの兄妹に共通する、私にとっては忌々しい字だ。この名を聞く度に、自動的に皓月様まで思い出してしまいそうで、その意味でも抵抗があった。
「…香…………」
「香香? はは、パンダかよっ」
「?」
私は、香に続く、月に代わる名前を考えていただけだったが、それでひと続きの名だと勘違いされてしまったらしい。が、それよりも。
「殿下、笑うと結構可愛いんですね」
「は!?……かわ?……はぁっ!?」
くしゃっとした笑顔が、暗いこの部屋を少し明るくしたように感じた。本当だ。王太子はまた、バサバサと布団を持ち上げて口元まで覆った。
「そうね、香香。そう呼んでください」
こんな流れで、私の名は香香となった。
適当に決めた格好となってしまったが、この国へ来てからようやく、自分のだけものができた。本来の名は奪われ、他人の名と立場を押し付けられ、ただ流され翻弄されてきた私が、初めて『個』を手にした瞬間だった。
「ところで、パンダってどいうことです? あの珍獣?」
「……ぁ、あの、それは」
パンダというのは、白黒模様の熊のような生き物である。幻の生き物と言われ、名前や絵姿は知っていても、本物にお目にかかったことはついぞない。
殿下が語ることには、なんとこの後宮内でパンダを一頭飼っているらしい。そんな珍しい動物も手に入るとは、さすが交易の要所である朋央国だといえよう。
そして、そのパンダの名前が『香香』だということだった。
「おぅ……」
せっかく、自分だけのものを手に入れた、と思ったのだが、結局一瞬でひっくり返されてしまった。無念。
「こ、今度、観に行くか……? 香香、ぱ、ぱ、パンダのところに……」
「え、いいの?」
「うん、ちょ、ちょっと遠いけど」
「やった! わ、どうしよう、楽しみ」
そんな珍獣を拝むことができるとは、ある意味役得と言えるかもしれない。心なしか気持ちが弾み出すのを感じていた。
「殿下、貴方のことは、なんと呼べばいいですか?」
「…………晃栄、でいい」
「わかりました。太陽のようで、素敵な名前ですね」
私がそう言うと、彼はまた布団を更に持ち上げ、頭の上まですっぽり隠れてしまった。
「……母上が、つけてくれた。そ、それから……敬語、使わなくて……ぃぃ。と、友達……なんだろ」
もごもごと布団の中で話す声が、最初よりははっきりしてきたような気がした。少し打ち解けたと思っていいだろうか。なんだか、警戒心の強い動物がだんだん気を許してきてくれたような、そんな感じがした。




