後編
本文中、敢えて誤用している言葉が1つあります。
イライラと数日を過ごした後、とうとうというか、ついにというべきか、現場を押さえてしまった。
デパートの中に入っているチェーンのコーヒー屋で、泰がスーツ姿の女とダベってる。
近くの席が空いてるなら、コーヒーを買ってそこに座るところなんだけど、残念ながら、席に空きはない。
仕方ない、声が聞こえないのは残念だけど、様子を見ておこう。動画モードにしたスマホを持ち上げ、2人の姿を撮っておく。日付も入るし、言い逃れはできないだろう。
念のため、泰に電話をかけてみたけど、やはり電源は切られていた。
そうか、こういうことだったのか。
電源が入っていれば、GPS機能で居場所が調べられるものね。あたしは、泰のスマホを追跡できるような準備はしてないけど、そこまで警戒されてたのか。
たしかに、泰は用心深いタイプだし、先を見ながら行動する人だけど、ここまで用心される彼女ってのも、滅多にいないだろう。
バカにしてくれたものだ。
泰と女は、相変わらずにこやかに話している。
どちらかというと、女が話すことに泰が相づち打ってる感じだろうか。主導権は女の方…ってことは、流されたのかもしれない。
ここに、あんたを好きなカノジョがいるってのに、何流されてんのよ!
あっ! 泰が女に何か渡した! 女は受け取ってバッグに入れて…。
渡したの、何だろう?
少なくとも貴金属の類ではなさそうね。厚みがないもの。
封筒でもない。厚さが1~2cmとか、そう、薄くて小っちゃい箱みたいな。
ゲーム機のデータカード? …泰はゲーム機持ってないはずよね。
じゃあ、SDカードとかUSBメモリとか?
どっか行った時の写真とかの受け渡し?
なら、あれを取り上げたら、動かぬ尻尾がつかめるかな。
2人が席を立った時が勝負ね。
…あんまりにこやかな感じじゃないわね。
おっかしいなぁ。あれじゃまるで仕事の打ち合わせじゃないの。
でも、泰はバイトとかしてないし、そもそも、バイトだったらこんなとこで話なんかしないよね。
! 赤くなった! あれは…照れてる? 何か言われて照れてる感じね。なによ、やっぱりカレカノの会話なんじゃない。
…浮気、よね。あたしはまだ別れ話されてないんだから、泰のカノジョのはずよ。そのあたしを差し置いてこれは、許されないわ。
やっと席を立ったわね。
出てくるわ。
よし、今ね。タイミングを合わせて、お店の出口で鉢合わせるように…って、早い! さっさと店出られて、声拾うのがやっとだった。
「それじゃ、よろしくね。
クリスマス、楽しみにしてるわよ」
「勘弁してくださいよ、布川さん」
今、クリスマスって言った!
なによ、泰、この女とクリスマスに約束とかしてるわけ!?
クリスマスには興味ないんじゃなかったの!?
ぬのかわ…ね。こいつが浮気相手か。
泰の友達とかに、それとなく「ぬのかわ」って女について訊いて回ったけど、誰も知らなかった。
さすがに偽名ってことはないだろうし、学外の人ってことで決まりだね。
見るからに社会人っぽかったし。
社会人、か。
落ち着け、あたし。
まだ浮気って決まったわけじゃない。
限りなく黒に近いけど、まだグレーよ。ここで噛みついちゃいけない。
動かぬ尻尾をつかむのよ。 そんなことはないと思うけど、あれが就職活動の関係者だったりしたら、あたしが泰の将来を閉ざすことになるかもしれない。
カフェでお茶飲みながら就職関連の話するなんて考えにくいけど、外で会うにはいい場所とも言える。…なんで会社で会わないのよ!って気もするけど、非公式ならそういうこともあるかもしれないし。
大体、泰なら、浮気する前にあたしに別れを切り出しそうなものじゃない?
まさか、キープ? ぬのかわがダメだった時のための? あたし、そんな安い女じゃないわよ!
クリスマスは、泰の監視する? でも、それじゃストーカーみたいだし。
そうよ、あたしは泰のカノジョなのに、なんでストーカーみたいなマネする必要あんのよ。絶対絶対負けないんだから!
「あ、泰…」
「ごめん、ちょっと急いでるんだ、また後で…」
また逃げられた。いや、まぁ、確かに最初から急いでるふうだったけどさ。
あたしだって、この1か月、ぼーっとしてたわけじゃない。
さすがに泰の行動を逐一チェックしてるわけにもいかないから、例のぬのかわって女を捜してみたのよ。
まぁ、捜すっていっても、この前の店を見てみたりって程度なんだけど。だって、またあそこで密会するかもしれないし。
けど、ダメだった。そりゃ、四六時中見張ってられるわけでもないしね。
あれ以来、泰が女といるところは見ていない。
ぬのかわって女だけじゃなく、誰とも。
ううん、たまに姿を見かけるときは、いつも1人だった。
確かに忙しなく動いてるし、浮気してるような余裕はなさそうだけど。
不安が消えてくれない。
声が聞きたい。傍で話をしたい。
たまには、一緒に寝たい。
カノジョとしては、きっと当たり前の要求だと思うのに、もう二月近くまともに会えてない。
頭がどうにかなりそうだ。
あたし、こんなに泰のことが好きだったんだ。
もちろん、好きだってことは今までだって自覚してたし、気持ちを言葉にしたことだって一度や二度の話じゃない、
いつだって、泰の隣はあたしの指定席だった。それが当たり前だって思ってた。
でも、当たり前じゃなかったんだね。
傍にいるには、お互いの努力と歩み寄りが必要だったんだ。
泰が逃げるようにあたしの傍から離れていくのを見ると、胸に穴が空いたような気がする。
電話して、スマホの電源が入っていないと、泰がどこかに消えちゃったみたいに感じる。
いつまでも既読にならないメッセを見返すと、嫌われちゃったんじゃないかって、胸をかきむしりたくなる。
ぬのかわって女といるのを見た時、2人の前に乗り込めばよかったんじゃないかって後悔してる。
「ほら、バイトの関係の人だよ」って言ってくれたら、こんな不安を抱えてなかったかもしれないんだから。
でも。
もし、そうじゃなかったら。
「ごめん、俺、ぬのかわさんが好きなんだ。別れてくれる?」なんて言われちゃったら。
あたしは、ぬのかわにつかみかかっていただろう。みっともなく泣きながら、ヒステリックにわめきながら。
それで、後でとんでもない自己嫌悪に陥って。
今の状況をなんとかするのは簡単だ。
あたしの方から、別れを告げればいい。
たった一言、「別れよう」って言うだけでいい。
そうすれば、もうこれ以上、思い悩んだり心配したりしなくてすむ。
そう考えるたびに、心が軽くなって…その後、痛くなる。
できるわけがない。別れの言葉なんて、言えるわけがない。
だって、あたしは、こんなにも泰のことが好きなんだから。
泰さえいてくれれば何もいらないなんて思わない。あたしは、泰と色々なところに行って、色んなことをして、おいしいものを食べたい。
横を向いたら、いつでもいてくれる、そんな間柄でいたい。
「卒業したら結婚しよう」なんて言われたい。
知らなかったな。
あたし、泰に夢中なんじゃない。
ピロン
え!? 泰からだ!
23日の5時に来てくれ…って、それだけ!? なに、その事務連絡!
ちょ、電話通じない。電源切れてるってどういうことよ!
メール送る一瞬だけ電源入れたってことなの?
場所は、この前ぬのかわといたカフェ。
…用事、なんだろ?
イブのお誘い…なんて気の利いたこと、泰ができるわけないのはわかってるけどさ。
けど、わざわざその前日を指定するってどういうこと? 思いっきり月曜なんだけど。ド平日の午後に、どんな話があるって……そういや、話があるとすら書いてないじゃない。事務連絡以下だよ。
…別れ話じゃない、よね。
別れるの、やだよ。
あたし、こんなに泰のこと好きなのに。
指定されたカフェは、泰の部屋からは近くはない。
つまり、ぬのかわにとって都合のいい場所なんだろう。
完全にアウェイだ。
でも、負けない。負けられない。泰を想う気持ちで誰にも負けたくない。
別れ話とかされても、食い下がる。涙が通じるかわかんないけど、どんなにみっともなくたって、別れてなんかやらないんだから!
ゼッタイ負けない。
当日、あたしは精一杯可愛く着飾って出向いた。
普段は履かないふんわりしたスカートなんか履いて、ニットのセーターに、泰から前に貰ったネックレスを着けて。
泰の隣はあたしの指定席だ!って主張して。いざとなったらキャットファイトだってやってやるんだから!
約束の30分前にお店に入った。泰はまだ来てない。
この前ぬのかわを見かけたテーブルの、ぬのかわが座ってた席で待つ。
15分前…来ない。
10分前…来ない。
5分前…来ない。
1分前…ちょっと、まだ来ないじゃない。まさか遅刻するんじゃないでしょうね。
時間になっても、泰は来なかった。
待ち合わせ場所、ここよね。泰からのメールを読み返しても、間違いない。
呼び出しといて遅刻とは、やってくれるわね。
まさか! わざと遅刻する宮本武蔵作戦!?
なんてドキドキしながら待ってたら、5分後に泰がやってきた。
すぐにあたしを見付けて、目の前に座る。あれ? 1人だ。ぬのかわは?
「ごめん、遅くなった。ちょっと仕事が押しちゃってて。
ちょっと待ってて。コーヒーとってくるから」
とか言って、当たり前のように鞄を席に置いたままレジに行ってしまった。
え、ぬのかわは? ていうか、デートに遅刻したレベルで普通に謝られちゃったんだけど。
どういうこと?
3分後、飲み物を買って席に着いた泰は、やっぱり当たり前のように1人で話し始めた。
「ここんとこ忙しくて、連絡も取れなくてごめんな。
ちょっと特殊なとこでバイトしててさ。
なんか、守秘義務ってのがあって、細かいこと言えないんだけど、先輩のコネで新製品のモニターしててさ、情報管制とかいって、外部との連絡とか不可なんだよ。承諾書書かされて、基本、向こうの施設で缶詰でさ。スマホも取り上げられるんだ。
大学とかはもちろん行っていいんだけど、スマホは返してもらえなくて、代わりに腕時計渡されてさ。
もちろん、モニターしてることも含めて秘密だから、綾にも言えなかったんだ」
そんな……え、スマホ取り上げられるとか、アリなわけ? そりゃ、新製品の開発とか、企業秘密的な話もあるだろうけど…。
「なんで?」
もう頭がぐちゃぐちゃで、それしか言葉が出なかった。
「綾にも心配掛けたと思うけど、説明するわけにはいかないし、仕方ないところではあるから」
なんてことをさらっと言う。そりゃね? 秘密にしなきゃいけないバイトでしょうよ。それはわかるよ? でもさ、逆に、なんでそんなバイトしてんのよ。カノジョと連絡も取れなくなるバイトなんて、しなくてもいいでしょ!?
ああ、もう! 口がうまく動いてくれないよ!
「これをさ、綾に渡したかったんだ」
そう言って、泰は小さな箱を取り出した。これって…もしかして指輪、だったりして? なんで?
「こ…れ……」
「綾が卒業するまではもう1年あるけどさ。予約しとこうと思って。
俺、公務員になるし、給料そんなによくはないだろうけど、そこそこの額はもらえるし、安定もしてる。
綾が卒業したら、結婚しよう」
ちょっ…いきなりプロポーズ!? え!? 別れ話じゃないの!?
「え…あれ…?」
びっくりしすぎて、声が出ない。
だって、あれ、ぬのかわは?
「なんでそんなに驚いてるのか、わからないんだけど…。
もう結構付き合い長いし、おかしくないよな?」
「ちょっと待って、それとバイトと、どういう関係が…」
「バイト? ああ、だから、指輪代、稼がないといけなかったから。
短期間に稼げるバイトを紹介してもらったら、モニターの話が出てきてさ。
こういうのは、サプライズでやらないとダメだろ」
「あ…サプライズ…ね…」
たしかに、いきなり指輪渡して驚かそうってんなら、あたしには言えないよね。でも…
「うん、驚いた。確かに、すっごく、びっくりした。
おめでとう。サプライズは大成功だよ、このバカ!
ほったらかしにされて、連絡も取れなくなって、あたしがどんだけ心配で不安だったかわかる?
今日だって…」
別れ話じゃないかって、ホントに不安だったんだからね!
なによ、ぬのかわって、バイト先の人なわけ?
泰は、何を言われてるのかわからないって顔してる。たぶん、文句を言われるようなことした覚えないのになあ、とか思ってるんだろう。
こういうところ、本当に泰はニブいから。
「うん、連絡取れなかったのは悪かったよ。
それで、返事は?」
…これだ。あたしの不安とか、絶対わかってない。
「お断りよ!」
って言ってやりたい衝動がむくむく湧いてくるけど、泰の場合、そんなツンデレみたいなのは理解できないだろうし、文字どおり受け止めかねない。
「イエスよ。
色々言いたいことあるけど、プロポーズの返事はイエス!」
まったくムードのカケラもないプロポーズよね。あたしの返事も含めて。
でも、泰は素直に喜んでる。
なんでこんな奴、好きになっちゃったんだろうなぁ。
しょうがない。惚れた弱みってやつよね。
「これからもよろしく。
で、それはともかく、なんで今日だったの?」
普通、こういうのはイブとかにしないかなぁ。
「今日、綾の誕生日だろ」
あ…、そういうことか!
「先月」
「え?」
「あたしの誕生日は、11月23日よ。
まさかと思うけど、あたしに告白してきたときも…」
「誕生日に間に合わせようと思って…」
うわあ。信じらんない。
最初っから12月23日が誕生日だと思ってたのね…。
「そうね、泰って、そういう人よね。
まったく。プロポーズしようって相手の誕生日くらい覚えときなさいよね。
あ~あ、毎年結婚記念日忘れられる未来が見えるわ」
「それは…すまない」
泰は、ホテルの部屋も取ってたらしい。
なんだかんだで、ディナー食べて、一緒に泊まった。
すれ違いと早とちり。これからのあたし達を象徴してるようなプロポーズだったけど、こんなのも、あたし達らしくていいかもね。
補足。「動かぬ尻尾」と言っているのは、綾の間違いで、誤字ではありません。
今作は、「怪しい」を“浮気してるっぽい?”という、割とオーソドックスな意味で使っています。
キャラの名前は、浅井泰で、頭をとると「あ・や」、椎名綾に繋げると「あやしいなあ」になっています。
…だって、キャラの名前考えるの、苦手なんですもの。
ちなみに、戦隊シリーズの「激走戦隊カーレンジャー」に、「青は進入禁止!?」という回がありまして、ブルーレーサーの誕生日サプライズパーティーを計画している仲間に邪険にされ、ブルーが「嫌われてしまったのではないか」と不安になるという内容です。誕生日を間違えられていたというオチがついていまして、今回のオチはそれをリスペクトしています。




