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終 古きエルフの魔法使い

2014年3月13日改稿。

 



 ルーミルが苦戦した数十人の敵を、一人も逃がすことなく負かして捕らえ、あまつさえ国宝レベルの魔石をも回収して戻ってきたイズレンディアの偉業は、重臣を中心に一瞬にして貴族たちの耳に届いた。

 彼らは一様につぶやいたという。

「やはり、《賢者》は《賢者》であった」

 と。

 ――そこに、畏怖と尊敬と多くの驚き、そして、確かな納得を込めて。




「みなさんったら、そろいもそろって失礼ですよ!」

 イズレンディアの部屋のバルコニーにて、大分強くなってきた昼近い太陽の光を浴びながら、ルーミルは怒り心頭、といった風に頬をふくらませる。

「僕は初めから、お師匠様はすごい方なんですって、言ってたのにー!!」

 戦闘の痕をすっかり消し去った青のローブがめくれるのも構わず腕を振り上げる彼に、その横でのんびりとそよ風を楽しんでいたイズレンディアが小さな苦笑をこぼす。

「ルーミル君にそう言われるのは素直に嬉しいのですが、実際はそれほど凄いことはしていないと思うんですがねぇ」

 おっとりとした雰囲気でそう語るイズレンディアを見る分には、確かに、今回の事件を解決し、貴重なお宝まで持ち帰ってきたような凄い存在だとは、あまり思えない。

 しかし、それらを行ったのは間違いなく彼であり、加えてそれが周知の事実であるのだから、エルフといえど、見た目だけで判断すれば痛い目にあうことは最早確定である。

 最も、

「むー! お師匠様はすぐそうやって謙遜して、ご自分の偉大さを下げるんですから……」

 と、一見そうは見えないような態度を常とするイズレンディアの姿に、やや納得できない者の代表者が、ルーミルであったりするわけだが。

 しかし、実のところルーミルが不服に思っていること自体は、決して間違いではない。

 なぜなら、今回のイズレンディアの働きは、普通以上の存在であるルーミルでさえなせなかったことを、完璧にこなすという偉業そのものだからだ。まさに、ルーミルの言うとおり、立派に偉大な存在と言っても過言ではない。普通ならば、もっと威張ったり威厳を放ったりしても、おかしくはないのである。

 であるにもかかわらず、

「と、言われましても……事実ですから」

 若干困ったような微苦笑から一転、にこり、と笑顔をうかべるイズレンディアは、やはりのほほんおっとりとした姿のままなのである。ルーミルが不服に思うのも、無理からぬ話だ。

 ただ、結局は今のこの姿こそがイズレンディアという存在の正しき姿であるのだから、しょせんは今更どうこうできる問題ではなかったりするのである。

「もう! ほんっとうに、お師匠様はお師匠様ですよね!」

 そう、相変わらず不満の表情で言葉を発するルーミルも、結局はシルベリア王国の歴史など軽く越える年月を共に過ごした身として、己が師匠の性格くらいは理解しているのだ。

 せん無き事。ただ今回は、それを理解しているうえでも腹が立つほど、自らが敬愛する師匠が軽々しく見られていたことに、怒りが収まらないだけ。

 あるいは、こうやって不満を口にしても、優しく包み込んでくれる存在を、再認識しているだけ、なのかもしれない。

「――」

 一息をつくように訪れた沈黙の中、そっと、その深い緑の瞳が優しげに細められた。続いて、いやぁ、しかし、と極々自然に沈黙が終わる。

「色々ありましたね」

 そう語る声は、いつもより深い響きをもって、その場に響いた。

 白と濃淡二色の緑で彩る旅装束と、若葉のように輝く、明るい緑の長髪がゆれる。英知の瞳がたどったのは、果てしなく広がる蒼穹であった。

 それを見たルーミルは、小さくうなずき、同じように空へと視線を向けながら、えぇ、と言葉を返すと、わずかな間をあけて静かに続きを紡いだ。

「色々ありましたし、僕自信反省すべきこともありました」

 先ほどまでとは正反対に落ち着いた声音はしかし、けれど、と続くのに従い、そこに確かな安堵と喜びをまぜた。それに気付いたイズレンディアが、ルーミルへと視線を戻すのに伴って、ルーミルもまた、イズレンディアへと視線を移し、言葉を続けた。

「お師匠様がご無事なら、僕はそれで十分です」

 それは、ルーミルもまたルーミルであり、自らと出会った頃から、本当に大切なところは何一つかわっていないのだと、イズレンディアが知ることができる言葉であった。

「……」

 無言のままに確かな返答を伝えられるのは、イズレンディアの特技かもしれない。

 温かな日差しに照らされて、二人はどちらからともなく、微笑みを交わしたのだった。




 時は、王城にて、師弟が再開を果たした夜の、次の日の朝にまでさかのぼる。

 すっかり活動を始めている城下の一角に、その宿はあった。

 突出した特徴はないが、小奇麗な雰囲気を放つそこは、つい昨晩まで、一人のエルフが泊まっていた場所である。

 朝と昼の中間に位置するこの時間では、遅い朝食を食べる者もすでになく、食堂は夜の姿からは考えられないほどの静けさと穏やかさに包まれていた。

 そんな状態であるため、宿屋の主人たちも今はそこ以外の場所で活動をしている。

「よっと!」

 明るい掛け声と共に、ゆるいウェーブがかかった赤い髪が跳ねる。裏庭で水を汲んでいた若い看板娘の少女は、水で一杯になった入れ物をかかえ、家の中へ戻ろうとしていた。しかし、振り返った少女の濃い茶色の瞳が真っ先にとらえたのは、家へと繋がる扉ではなく、ひらりひらりと風に揺れながら彼女のもとへと舞い降りてくる、紙であった。

「あ!」

 落ちる、と思った瞬間に水の入った入れ物を再び地面へと置いた少女は、すばやくその紙をつかもうと手を伸ばしかけ、しかしそれは、その紙が意外なほどあっさり且つ丁寧に手元へと収まったことで、半ばで中断されて胸元へと引き戻された。

「あぶなかった……」

 少女がほっと息をつく。彼女はそのまま、自身の手に握られている紙を見やった。

「……手紙?」

 やや疑問のただよう言葉。少女はもう一度よく見ようと、その紙をしっかりと両手で握ったまま、そっと上へと掲げた。

 それは確かに、誰かが誰かにあてた手紙であるようだった。若干の厚みがあるそれは、上質な紙を使って作られた手紙入れだ。真っ白なそれは、多くが貴族のような富裕層が用いるもので、少女のような極々一般の者たちは、この中に入っているのであろう文章が書かれた紙だけを、相手に届けるのが普通である。

 しかし、彼女が疑問をうかべた本来の理由は、別にあった。

「きれーい! キラキラしてる!」

 思わず瞳を輝かせたのは、彼女らしいしぐさと言えるだろう。

 本来ならば、そうそうお目にかかる機会のない物、というだけでも、彼女と彼女の母親ならば、その茶色の瞳を輝かせたのだろうが、これは別格であった。

「なんで光ってるんだろ? 何かの魔法かな?」

 そう、興味津々の表情で少女が見上げるその手紙は、淡い銀色の光に包まれて、彼女の言葉通り、キラキラと煌いていたのだ。

 当然、普通の手紙にそのような現象は見られない。何か特殊な方法でそうさせているのだ。とすれば、少女が考えた“魔法”という方法は、あながち間違いではない。魔法使いたちが手紙のやり取りをする時、相手へと確実に届くように手紙に何かしらの魔法をかけることは、事実、良くあるのだ。

 しばらくその天から舞い降りた不思議な手紙を眺めていた少女は、しかしすぐに現状を思い出し、うーん、とうなった。

「えっと、どうしよう。これって一体誰に送られたものなんだろ?」

 小さく眉を寄せてつぶやいた少女は、自身の記憶が正しければ、と探した、このような形の手紙では、手紙入れ自体に書かれているはずの送られる先と送った方の名前が見当たらないことに、困惑を募らせた。

「ないよね……」

 慎重ながらもくるくると手紙の表と後ろを見返すが、やはり見つからない。

 一拍の間の後、はぁ、とため息がこぼれた。ここはいさぎよく諦めて、とりあえずは家の中にいる母親に見せてみよう、と足を動かしかける。

 途端、手紙に異変が起きた。

「わわっ!?」

 驚きの声と供にその見開かれた茶色の瞳がうつしたのは、つい先ほどまで陽光を反射していた銀色の光がその強さを増し、それが唐突に消えた後、じわり、と手紙入れに浮かんできた、緑色の光――いや、その光で形作られた、文字であった。

「これっ!」

 その文字を見た途端、家の中へと突撃する少女。母さんー!! と呼ぶ声が、部屋の中に響く。

 ややあって、

「いったいなんなんだい? そんな大声で呼ばなくたって聞こえるってのに」

 とつぶやきながら、彼女の母親である若女将が姿を現した。若女将は、みょうにそわそわしている自身の娘をその茶色の瞳で見やった後、その手に立派な手紙が握られていることに気がつき、驚きをその顔にうかべた。

「ちょっと! あんた何持ってるの?」

 あわてて娘へと歩み寄る彼女の足は、しかし、自らの娘が発した言葉に、思わずといった風にとまった。

「母さん、これ! イズレンディアさんからだよ!!」

「えぇ!? あのエルフの!?」

 二度目の驚愕。話しをするには少しばかり遠すぎる位置にて足をとめた彼女のそばへ、今度は娘のほうが近寄った。彼女の手に握られた手紙が、若女将の顔近くへと掲げられる。

「これっ、この光ってる緑の文字、ついさっき浮かんできたものなんだよ! それまでは手紙全体が銀色に光ってたの!!」

 興奮気味にそう語る、若干理解に苦しむ娘の言葉を聞きながら、それでも母親らしくなんとなく言いたいことを察した若女将は彼女の手から手紙をとりあげると、よくよくそれを観察しはじめた。

 上質な紙で作られているとおぼしき、白い手紙入れ。そこには、確かにうすく光っているように見える、緑の文字が並んでいた。へぇ、と感嘆の声がこぼれる。しっかりと文字を読もうとして気付いたことは、それが、読みやすい丁寧な筆跡だということ。

「【お世話になった宿屋の方へ】」

 小さく読み上げた声は、次には再び、驚きを宿した。

「【エルフのイズレンディア】……って、本当に……」

 あの人が、送ってきたものなんだ――そう理解した後の若女将の行動は、素早かった。

 さっと開いた手紙入れから、これまた丁寧にしまわれていた紙をとりだす。手に収まったのは、二枚。当然としてそこには、さらさらと書き連ねられた文章が並んでいた。

「――」

 しばし、手紙を読み進める彼女たちによる、真剣みを帯びた沈黙が部屋を支配する。

 ほどなくして顔を上げた二人は、そろってその茶色の瞳を見合わせると、次いで小さく、よく似た微笑みを浮かばせた。

「……あの人らしいねぇ」

 若女将が、しみじみとつぶやく。その顔はどこか嬉しげで、それに、そうだね! と言葉を返した看板娘の少女もまた、嬉しそうに笑っている。

 双方の胸中が宿す思いには、確かな温かさがあった。

 簡潔とも言える、お礼と謝罪を表した文章。その最後に書かれた一文は、二つの思いだけでこの手紙をまとめることを良しとしなかった彼が、本当に伝えたいと思ったのであろう、思いの形が書かれていた。

 それは、それこそが彼の本質であることを、意図せずとも彼女たちに教えることとなり、必然、

「じゃ、さっそく試してみようかね!」

「うん!! どんなお花が咲くんだろ? 今からでも楽しみ!」

 と、好奇心旺盛な二人を、意気揚々と宿屋の出入り口へと向かわせる結果となった。

「んー、ここらへんで良いんじゃない?」

「はーい! ……えっと、とりあえず土をほらないとだね」

「よし! さくさくやるよ!」

「まっかせて!」

 出入り口の扉から、部屋の中とは別世界のように活気あふれる外へと出た二人は、目の前の喧騒など見向きもせずに、扉の横の地面をほり返し始める。あっという間に作られた穴は、こぶしが一つ、入るか入らないかの大きさ。その穴の上で、今度は、今まで所在無さげににぎられていた中身のないはずの手紙入れが、逆さまになってふられる。

 当然、何かが起きるはずもない――好奇心の中、わずかにそう思っていた二人の思いは、やはり、ある意味、期待通りに裏切られた。

 ころん。そのような表現をすべき動きで、穴の中に納まったもの。それは、小さな小さな、一粒の種子であった。

「……」

 無言で再度顔を見合わせた彼女たちの表情は、やはり楽しげである。二人はそのまま、特に語る言葉もなく、ただただそっと、その種子に土をかぶせて水をそそいだ。

 願うことはただ一つ。この小さな種が成長し、綺麗な花を咲かせること。

 お礼と謝罪がしめくくられ、されど終わることなく、もしよろしければ、と続いたその最後の文には【花の種を入れておきましたから、入り口にでも埋めてみてください】と書かれていた。

 彼女たちは思ったのだ。

 物静かで、読書家で、エルフという種族であると容易に納得できる彼。

 一方で、話し好きで、賑やかなことも好きな、一般にイメージするエルフとは、やはりどこか違う彼。

 そこにいたのはたったの二日。関わった時間にすれば、おそらく一日もないだろう。けれども、確かに目の前で微笑んでいた、不思議な雰囲気を放つ人。

 彼が選んだ種ならば、きっと綺麗な花が咲く。それも、ただ綺麗なだけではなく、この宿屋の力となってくれるほどの、魅力ある花だ。

 以来ここが、綺麗な花が入り口に咲いている宿屋として少しばかり有名になるのは、まだもう少し、先のお話。




 時は再び、事件が収束した後に戻る。

 事件に関する全てのあれこれが片付いたのは、魔法使いたちの闘いが繰り広げられた次の日から数えて、十日目のことであった。

 北の森に強力な魔物を閉じ込め、周辺の村人たちを危険にさらした魔法使いたち。彼らが、非常に自己中心的な研究や実験を行う、ある種の邪教魔法使いの集団であったことは、彼らのリーダー格であった三人の老魔法使いたちの供述によってあっさりと解答がなされた。当然ながらそれに伴って、魔物の件およびイズレンディア暗殺計画が行われる原因となったのが巨大魔石であることなども明かされ、事件はあっというまに解決に導かれた。

 それはもう、どちらかというと巨大魔石の方の対応に頭を悩ませたほどに。

 無論、これほどまでにあっさりと邪教魔法使いたちの件が片付いたのには理由があり、その理由の主な主役たちが、エルフの師弟という実に分かりやすい恐怖対象であったことは、最早疑いようがなかった。

 また、彼ら二人が正しく、恐怖すべき対象であると認識された瞬間が、Izlendia(イズレンディア)の名を知った時であるというのもまた、最早言うまでもない結果である。

 結局のところ、邪教魔法使いたちは一から更生させることとなり、そういったことの専門家である神官たち、その拠点たる神殿へと送られることで、決着がついた。

 次いで、正直邪教魔法使いたちよりも悩むべき対象であった巨大魔石も、結論、王城にて保管し、王城魔法使いたちの研究に役立てさせることで解決した。

 しかし、ここで一つ問題が出た。今後のイズレンディアの動向である。

 初めに提案をしてきたのは、イズレンディアいわく“食えない男”こと、宰相のクロスであった。

「こちらとしては是非とも、巨大魔石について色々と知識を授けて頂きたいのですが……」

 言外に込められたその真意は、逃がすものか、むしろ責任を取れ、といったところか。その迫力たるや、思わずルーミルが後ずさるほど。

 しかし、これにもそれ相応の理由があった。

 元より、魔石と呼ばれる魔力の固形体は、魔法使いたちにとって、自らをよりよく見せようとする貴族が大金をはたいてでも買おうとする美しい宝石と同じくらい、価値のある物なのだ。持っていて損をすることはなく、ただし奪われることには多大なる注意をはらわなければならない。それは、魔石自体が大きなものであればあるほど比例して、良いところも悪いところも効果が上がってゆく。必然、今回の巨大魔石のようなものになると、与えられる恩恵はまさに国宝に等しく、されど危険度もまた、国家レベルのものであるのだ。

 持ち帰ってきたのは貴方なのだから、ここに置くならそれ相応にしっかりと守ってください、とクロスが珍しく心の底から思うほどには、厄介なのである。

 ……最も、当然として、一瞬にして事件を収拾へと導いた、この力ある人材を手放したくはない、という宰相としての立場における私情が盛り込まれていたりも、するわけだが。

 しかし、それだけが理由ならば、イズレンディアが自らの今後の動向を迷うことはなかった。

 忘れてはならない重大な要素として、彼が《賢者》であることが上げられる。

 つまるところ、やろうと思えば、元々この国の地にあったものなのですから、貴方がたが管理してください、と言い張ることや、このような危険なものを国に置いていく訳にはいきませんから持っていきます、さようなら、と言って国を去ることは、出来なくはなかったのだ。

 何時の時代も、《賢者》の判断に従わない国は、何らかの形で歴史の波にのまれ、沈んでいった。例えそれが、彼ら《賢者》個人の“我が儘”であったとしても。

 それを考えれば、いくら多少親しくなれたとは言え、イズレンディアの意見をくつがえすことなど、国に仕える面々に出来るわけがない。

 そんな彼を迷わす存在など、当然、一人しかいないわけで……。

「あぁ、でも、そうですよ、お師匠様! いくら僕でも、実際に見るのが初めてなもの……それも巨大魔石なんて、守護できかねます! ここにいてください!!」

 そう、心底困った、あるいは悲しそうな表情でお願いしてくる愛弟子相手では、さしもの彼と言えど、

「えぇっと、その……」

 と、結論を引きのばすだけの、無意味な言葉を紡ぐことしか出来ない。

 最早この時点で、これから先の結果が決まっていたことは、イズレンディア自身分かっていたことであった。




 王城の面々にとっては心底必死な“お願い”は、ルーミルという強力な影響力を持つ存在によって、めでたく叶うこととなった。

 今まで客室程度に思っていたイズレンディアの部屋は、彼が自らの意思でこの城を出るまで、ほぼ永久的に正式な彼の自室となり、また、特別待遇とは言え、一応王城魔法使いに似た存在として、従者も後日選ばれることが決まった。

 そうなると、後は自然と祝う雰囲気が生み出され、やがてそれは、王城舞踏会という形で花開いた。

 楽しげな喧騒を背中で聞きながら、ダンスホールの端にあるバルコニーにて、美しい夜空を見上げるイズレンディア。

 なんだかんだと流されて今に至る現状を、しかし彼は、少しも不愉快には思っていなかった。それは、彼の隣にて上機嫌で同じ夜空を見上げる、この結果にこぎつけた張本人を見ても、なんら変わることはない。

 むしろ、これはこれで面白いかもしれないとさえ思っているくらいだ。

 いつも通りに微笑んでいても、内心では怒っているのではないかと若干怯えている王城の面々が知れば、心底呆れた後、冷静になって考え直し、これが《賢者》という存在なのか、と再び顔を青くしそうな実情である。

 最も、実際にはこれはイズレンディアという個人の性格的なものであるため、特別に《賢者》の名が関係している部分はなかったりするのだが……。

 いつの世も、知らぬ間に尊敬され、畏怖される存在の代表例が《賢者》である以上、これはもう半ば必然的な恒例行事であった。

 それは、この王城舞踏会であっても、変わることはない。

 誰もがゆとりのなさを隠しながら、優雅さに反した華やかさでもって、踊り、笑い、思考を巡らせて時を追う――。

 しかし、そのような場所に置かれてもなお、バルコニーに並ぶ二人のエルフだけは、静かに、時の流れに身を任せていた。

 そこに、先の慌しさはない。それは最早必要ないのだと、互いに理解しあっていた。

 煌々と瞬く星々と月が、天からそっと光を降らす。そよそよと吹く穏やかな風が、確かな癒しを二人にもたらした。

 ふと、ルーミルが振り返る。その蒼の瞳が、眩しいばかりの希望に満ちた。

「これでまた、お師匠様と一緒にいられるんですね!!」

「――」

 満面の笑みに、無言の瞠目。

 返すべき言葉は、確かな肯定だった。

 ふわり、と浮かぶ微笑みが、約三百年の時をへだて、再びこの地で咲き始める――。






 了


『エルサリオン1 彼は訪問せし古の賢者』を読んでいただき、ありがとうございました。


改稿に伴い伸びていた『エルサリオン2』を投稿しましたので、そちらも読んでいただけると嬉しいです。

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